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○なんせんす・さむしんぐ○

美術や音楽の感想とか、動物中心のイラストのブログ。

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イタリア旅行記 ティヴォリ半日観光‐ヴィラ・デステ前編

ヴィラ・デステ!
 
 どれ程の憧れを持って、幾度この名を口にしたことか。
 ヴィラ・デステ! 種々の凝った噴水で知られるエステ荘のあの庭、今はどんな風になっているんだろう? あの2本の大糸杉は、まだ健在なのでしょうか?
 cypresses-in-the-garden-avenue-of-t-jean-honore-fragonard.jpgフラゴナール<ヴィラ・デステの糸杉>

 枢機卿イッポリート・デステが、要人を歓待し自身の教皇選挙に有利になるよう、政治的野心で建築しはじめたというヴィラ(別荘建築)。
 ところが教皇1人がいればその何倍もの教皇落選者がいる訳で、夢破れた後、ここで隠居生活を送ったのだ、というのがガイドさんのお話。
 それから幾度か手を加えつつも時が経ち、十八世紀には管理するものもいなくなり、出入り自由の荒れ放題となっていたそうです。
 
frago_TheGarden_of_VillaDeste_tivoli.jpgフラゴナール<ヴィラ・デステの庭>
 繁茂する木々で薄暗い中で、まだ残っている泉が木漏れ日を反射している。一体どこまでが現実で、どこからが幻想だったのだろう。もしかして、フラゴ自身も実物以上に故意にファンタジックにしているのではないかな。
 構造がよく分かるピラネージ。…この図はピラネージ得意の(笑)復元図かしら? 現代以上にすっきりしてます。
 TheVillaDEsteTivoliPiranegi.jpgピラネージ<ティボリのヴィラ・デステ>
 つまり、このように大きな高低差があり、それぞれの段をジグザグの階段で繋いでいる庭なのです。フラゴナールの絵では、どうもその階段は植物で塞がれていそうです。
 もちろん、現代ではきちんと整備され、ごく普通の、ヨーロッパを代表する世界遺産の後期ルネサンスの名庭園として一般公開されています。
 
 さて現代の我々は、教会脇の裏口のようなところ、しかし美しく彩色された通路から別荘の中へ入る。
 早速回廊のあるちょっとした中庭になっていて、早速ローマの遺物を利用したちょっとした噴水が壁に設置されています。
 浅浮き彫りのティヴォリの風景を背景に、ヴィーナスがヘスペリスの林檎の樹で出来たニッチの中で眠っている。
 ちょっとしたと言いつつ、日本でこんなヴィーナスの噴水があったら、それはもう大層なものですが、この庭園、またローマのその他の壮大な噴水に比べると、どうしても淡々としているように見えてしまう訳です(笑)
 
 室内は、白い。現地で買ったガイドブック(日本語ちゃんとあります)によれば、結局未完のままの部分もあったそうですが、それとも放っておかれた間に傷んでしまって、止む終えず白塗りにしたのでしょうか。
 
 室内は残念ながら撮影禁止らしい。
 意外にあっさりした室内にどぎまぎしながら奥に進めば、きちんと美しく豪奢な装飾が残っています。
 グロテスクに縁取られた神話画、枢機卿を誉め讃える寓意画、ティヴォリの風景、狩猟の風景、庭の完成予想図、大理石の柱の騙し絵、哲学者風の胸像の騙し絵、カーテンに隠された戸棚の騙し絵。
 本物の入り口に対称となる位置に、そっくりに描いてある扉の騙し絵には、そこから入ってこようとするルネサンス人が取り残されています。彼らはいつまでも当時の服を着て、今だに忙しく出たり入ったりしているのでした。
 
 ある天井画は下から見上げた柱が枠になっていて、実際の天井より高く見せようとしています。
 確かに、巨大な建築では決してない。広く見えるよう、上記のようなトロンプ・ルイユ(騙し絵)がふんだんに使われているのでしょう。
 
 それにしてもトロンプ・ルイユは本当に面白い!
 平面でもって、現実と繋がった立体的な空間を錯覚させるような絵って、単純に面白いと思うのです。
 描き手の主義など殆ど反映しない装飾画ですが、トロンプ・ルイユにはトロンプ・ルイユなりの主張があって、無理に詩的に言うなら、独特の声がする。それもかなり騒がしい方。
 しかも時には仲間のグロテスクと一緒になって、レチタティーヴォで。もちろん、日常的にレチタティーヴォで喋る奴らなんか鬱陶しいには違いないけど、でも部屋を広く見せ、人の目を驚かせる使命をきちんと弁えていて、その声はなんとも微笑を誘うのです。
 
 バチカンのラファエロの間然り、ボルゲーゼ、バルベリーニ然り。日本ではぴかぴかのものが舞浜でしか見られないような(過言です。しかも舞浜は侮れない)、本場の古雅なトロンプ・ルイユ。いや、騙し絵の本場が本当は何処なのかは知らないのだけど。
 バルベリーニにあったような下から上へ天井を突き抜けて見上げるような構図の天井画は、バロックの専売特許のように言われますが、このヴィラ・デステの大広間の天井画は、見上げる構図なのは枠としての柱のみです。本体の絵は、ざっくりいうとラファエロ的な、沢山の神々を水平に並べるもの。

 全体的にまさにルネサンスの産物とも言えるような騙し絵なのです。つまり直感でなく、計算で本当らしく見せる。
 そして多分、対象に当てる光源がルネサンスの光。ルネサンスなバチカンとバロックのボルゲーゼと比べると、バチカン寄り。
 そう、エステ荘の壁画は制作年に違わず、後期ルネサンス、ないしはそろそろマニエリスムの領域といったところ。
 でも、ルネサンスとマニエリスム、そしてバロックと、美術史上の時代区分として対立項のように比べられることは多々あれど、こうした騙し絵への志向には、ルネサンスとバロックは同線上にあり、ルネサンスのリアリズムが既にその内にバロックの種子を孕んでいたことを感じます。
 美術史って本物に面白い。
 まあ当たり前のことなのですが、実際にそう視ると俄然面白いよね。
 
 さてさて騙し絵以上に大好きだったのが、そこらじゅうに描かれたグロテスク。ボルゲーゼやバルベリーニのバロックのグロテスクは重く、ごてついているけど、ここのは、余白多めで軽快なセンスが好き。
VaticanGrotesque2.jpgVaticanGrotesque3.jpg
 これは、参考にヴァチカンのグロテスク。これより、もう少し重い目だけど、重すぎないのがエステ荘のグロテスクでした。

 ああ、やっぱり、グロテスクとはいいものだな。本当はいつまでだって見ていられるのです。
 現実の形象を離れて、変幻自在に千変万化する生き物や植物が、現実の時間、空間、重力を離れて、次々と気まぐれに連鎖し、しかし自由な秩序で構成されていく。
 なんというのでしょう、遠近法も錯綜していて、トロンプ・ルイユとは真逆で現実を再現する為ではなく、平面空間を区切るための手段にすぎません。
 抽出し、濾過し、昇華し、結晶化した、空想。
 私の心もこのように(grotesquement!)ありたいものです。
 
 
 以下本筋には関係ない脱線。
 ところで、クープランのクラヴサン曲に「アルルカン」という道化師の一種を描いた曲があり、その指示標語が「grotesquement」(グロテスクに)。なんとも音楽的でないそそる指示ではないですか?(笑)
 
 私は、グロテスクというと殆ど上のような勝手なイメージを抱いているので、グロテスクなアルルカンと聞くと、身も軽く不条理の世界を無重力に、あらゆる物理的法則を無視して自在に飛び跳ねる道化師とか超格好いい! と一瞬勝手に妄想します。クープランの「解釈」でなく、字面上のロマンチックな連想ゲーム。……言葉にするとロマン主義に過ぎて、すこし自分で引きました。
 この曲におけるグロテスクとは何か、私は妙に気にしていますが、ジャック・カロみたいな感じなのかな?
JacquesCallotLesDeuxPantalons.jpgジャック・カロ<2人のパンタロン>
 これは、アルルカンじゃなくて道化仲間のパンタロンさん。
 変な動きが気持ち悪くていらっとくるけど、ものすごく訓練してあって、実は洗練していて隙がないみたいな。
 もし本当の手練れだったなら、何のしがらみもなく、変幻自在の無重力感を表現出来たい。
 
 あの、お分かりでしょうが、本当に念の為にいいますが、クープラン時代のグロテスクという語の意味・用法とか調べた訳でなく、むろん解釈なんてものでなく、あくまでも個人の勝手な痛いロマン主観であり、曲自体は隣り合う鍵盤のぴょんぴょんって不協和音がお茶目な曲です。
 ずっと2度の音程の八分音符のリズムを刻んでいたのに、サビの部分は半分の四分音符だけで、そこに余白を感じます。で、その一瞬の余白でキメの2度の和音を左右の指でぶつけるのが素敵だな、と。
 ごく単純に、これぞアルルカンっぽい(見たことないけど)と思うのです。
 
 ついでにまだ脱線するけど、アルマン=ルイ・クープランの「アルルカン、あるいはアダム」も最後の短いクプレで、急にふっとシリアスになって、ぐっときます。滑稽な動きの仮面裏の素顔は実は笑っていない、的な、ね。……やっぱりロマンですね。ローマ旅行だからいいよね。
 
 脱線終わり。エステ荘に戻って。
 世俗の愉しみの粋を尽くそうとしたかのような建築でも、一応小さな礼拝堂があって、宗教画以外は古代モチーフな感じの装飾でびっしり。本物の大理石なのか絵なのか、最早分からない。
 
 邸内どこもかしこも、古代風のグロテスクと、いかにもルネサンス以降な古代風の壁画で彩られています。
 実際、このヴィラ・デステを「発掘」すると、どうやら本物の古代ローマの家の床が出てくるらしいです。
 これは、やはり古代の貴族の別荘地ティヴォリにあるこのヴィラも、古代に連なり、古代の再現たろうとしたのではないでしょうか? いや、当てずっぽうだけど、あり得ない話ではないと思ってる。
 邸内の装飾にティヴォリの縁起神話が描かれているのも、この説をこじつけられる、とかどうでしょう。
 
 テラスから庭を見下ろす。
VillaDesteTerrasse.jpg
 本当に急斜面に建てられていて、建築的なことは分からないけれど、ファンタジックな設計とそれを実現させる技術の素晴らしさを感じます。急斜面ならではの設計だけど、多分、急斜面だから施工の大工さんは散々な目にあったのではないでしょうか。
 
 室内噴水のある円筒ヴォールトの長い廊下。9割方残っていませんが、幾つもの泉を設置し、漆喰のような立体的な装飾で、隙間に鳥もいる、つる棚のトンネルみたいな素敵な空間を演出していたらしいことが窺えます。
 斜め頭上に天窓があいていて、天然の光を入れている。本当につる棚の中を歩いているようだったに違いありません。
 
 館の端からいよいよ外へ。長くなるから次回へ続く。

<<目次へ戻る  <ハドリアヌス別荘編 エステ荘・庭園編

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イタリア旅行記 ティヴォリ半日観光‐ヴィラ・アドリアーナ編

ついに念願のティヴォリへ!
 
 私がイタリアへ行きたい理由の半分ほどは、このティヴォリにあります。
 ティヴォリを描いた絵画はどれも美しく、殆ど呪咀のような讃美が惜しみなく捧げられています。 それが本当に美しいのは、ただ純粋にピクチャレスクというのもあるけれど、画家の心からの賛嘆も大なり小なり込められているからなのです。
 ティヴォリという場所は、どれ程美しいところだろう!
 誰も彼もがティヴォリに行かなければならないと唆します。
 私もティヴォリの賛美者の輪に加わりたいのです。
 
 古代からローマ郊外の景勝地として、多くの別荘が建ったという古い土地ティヴォリ。
 世界遺産にも登録されているヴィラ・アドリアーナ、すなわちハドリアヌス帝の広大な別荘跡もその中の一つです。
 
 とても交通の便の悪いというティボリ。仕方ないので、半日観光の現地ツアーで。本当は少なくともその二倍はティヴォリに費やしたかったものです。が、例え半分でも、私にとって行く価値がある。
 
 土曜の道路は空いていて、朝9時には一番乗りで、ハドリアヌス帝廃墟に到着しました。
 その辺りに住みついているらしい野犬と野良猫、そして頭上遥か高く、糸杉の並木の上から降る、耳慣れない鳥たちの合唱に迎えられます。
「この鳥の声は何でしょう?」
 誰も知らない。愚問でした、私を含め普通の人が、生活圏外のこの小さな隣人の鳴き声で、その種類を言い当てられる訳がありません。
 
VillaAdriana-morning.jpg VillaAdriana-olive.jpg
 冬の朝の低い太陽。高原のようなぴりっとした、しかし穏やかな寒さ。
 空気は湿り気を帯びて、ほの白く薄霞の中に、淡く長い影を引くオリーブの古木の林。その色彩は、輝ける銀色と明るい灰色。
 
 廃墟は今や、鳥の住みかです。常に数種類の鳥の鳴き声が聞こえる。主に、澄んだ高音の早口のさえずり。歩みを進めるごとに、人に驚いて椋鳥ほどの鳥の群れが飛び立ちます。
 
 すっかり化粧石の剥がされた壁をくぐれば、広々とした広場です。木はやはり整形されている。
View-of-the-Praetorian-Castro-at-Villa-Adriana.jpg
ピラネージ<Veduta degli avanzi del Castro Pretorio nella Villa Adriana a Tivoli>
 大体、こんな感じ!・・・というのは冗談として。
VillaAdriana-wall.jpg VillaAdriana-ahiru.jpg
 当たり前ですが、ピラネージのより、復元が進んでいるのではないかしら。いや、この壁は同種のものと思うけど、正直ピラネージの版画が後々のこの池のある場所を描いたものかどうかは、ちょっとわかりませんが。

07167a32.jpeg VillaAdriana-SalaDeiFilosofi.jpg
ピラネージ<Avanzi di una Sala appartenente al Castro Pretorio nella Villa Adriana>
 用途不明の殆ど崩れた半円形の壁と半ドームの痕跡。穿たれた壁龕が特徴的。確か「哲学の間」みたいな名前だったと思います。かつては、この窪みにいちいち何か彫刻でも置いてあったのでしょうか?
 ここが廃墟と化して以来、再利用出来る部分はきっとすっかり採石されてしまったのでしょう。半円形の壁だけが残っています。
  ところで、ピラネージの版画の日本語におけるタイトルが分かりません…。
VillaAdriana-MaritimeTheater.jpg用途不明の水をはった円形の空間、通称海の劇場。
 幾重にも輪を描く壁と柱と池の縁、水の反射のリズムが華麗で面白い空間で、見所の一つ。
VillaAdriana-MaritimeTheater2.jpgVillaAdriana-MaritimeTheater3.jpg

まさに絵のような廃墟が残る。
Avanzi-della-Bibliotheca-in-Villa-Adriana.jpgVillaAdriana-Bibliotheca.jpg
ヨハン・クリスティアン・ラインハルト<Avanzi della bibliotheca in villa Adriana>
 この版画は、18世紀ももう最末期のものみたい。

 ところどころに倒れた列柱と台座の跡。青く広がる空もこの柱の跡がある上は、きっと屋根に覆われていた。

今なお残る一部屋ごとに模様の違うモザイクの床。
VillaAdriana-mosaic2.jpgVillaAdriana-mosaic1.jpg
どの模様も美しく、危うく全ての床を写真に収めてきてしまうところです。…とかいってこの床も復元だったらどうしよう?(笑)

VillaAdriana-TheView.jpg 崩れかけた今なお背の高い建築と、いかにもイタリアなひょろ長く頭でっかちな松、遠くに見える糸杉の細長いシルエット、こんもり見えるオリーヴの木、これぞ絵に描いたイタリア風景。

VillaAdriana-PilastriDorici.jpg不思議なドリス式角柱の並ぶ広間だった場所。
 
VillaAdriana-ViewofGreatBaths.jpgどこを向いても、まるで絵のよう。
 大浴場は一番のハイライトで、高い天上に、明かりとりの穴が開いています。
 足組みの跡に出来た壁の四角い穴に、巣でもあるのか中型の黒い鳥が出たり入ったりしている。
Rovine-duna-Galleria-di-Statue-nella-Villa-Adriana-a-Tivoli.jpg VillaAdriana-GreatBath.jpgVillaAdriana-GreatBath2.jpg
ピラネージ<Rovine d'una Galleria di Statue nella Villa Adriana a Tivoli>
 …ちょっとはピラネージのエッチングに近付けたかな!? この写真は、正直一生懸命、狙った。が、あの景色を100%再現することは、少なくとも簡単なデジタルカメラでは不可能でした。もっと広角なレンズなのかな。
 かの時代は、草木が繁茂して薄暗い、きっとこんな感じだった。多分、ここだと思うのだけど、タイトル(彫刻ギャラリーの廃墟)が現代(大浴場)と違いすぎてて、本当にそうかよくわかりません。

 驚いたことに、日本の銭湯みたく、人の声、靴音が、よく反響します。半分崩れたとはいえ、ドームの音響は不滅のようです。
 ローマのお風呂も音が響くのだなぁ。
 あの廃墟画の中でもとりわけ印象的なピラネージの絵には、もちろんこの反響は描かれていなかった。そうか、この絵の中の人たちの声や靴音も、しんとした中で響いていたのに違いありません。
 崩れた天上から垂れる蔓草の野趣溢れること。垂れ下がる草ってピクチャレスク萌えポイントだと思うの。木漏れ日の美しいこと。この植物に呑まれたファンシーな廃墟が十八世紀には存在したのです。今は、発掘も進み、綺麗に整備され、石も剥き出しになっている。 
 あんまり白黒なので、やはりロベールにお出まし願えば、廃墟は大体こんな感じだったようです。 
RobertRomanRuin.jpgユベール・ロベール<ローマの廃墟>(現代の通り名は知りません)
 好き勝手に遺跡を生活に使う人達。こんな人たちは、ローマやティヴォリには今やいませんが、この構図はロベールの画興を多いに誘ったようです。
 
 始めから分かっていることだけれど、本当はこの手の廃墟が本当にアルカディアの霊気を帯びるには、もっと豊かで生命力旺盛な植物が必要です。つまりは、「人工」と対比しながら調和する「自然」が。
 牧歌の舞台はもちろんそのような自然があるところなのだから。
 アルカディアは常に廃墟の石くれのように、断片として私の眼前に現れます。
 結局、遠くに霞むアルカディアを垣間見るには、現実の世界に転がる断片を集めないとなりません。
 それで再び大建築を創れたらいいのだけれど、一体それにはどれだけの石材と技量が必要なことか。蒐積物も、せいぜいが個人的な小グロッタなりヴンダーカンマーなりに飾るが関の山です。まあ、アルカディアとは、多分、始めからそのようなものなのでしょう。
 ……誰か日本語でアルカディア論を網羅して建築している理想の書物など無いものでしょうか。

 本当にこういう露天風呂あったら最高ですね。……ハワイ風の温泉施設なんか作ってないで、今すぐハドリアヌス風の温泉施設を作るべきだ。
 
 ところで、割と本気でテルマエ・ロマエは観てから行けばよかったです。何か銭湯の穴にでも吸い込まれてローマの浴場にタイムスリップしないかな!(笑)
 あの話、多分ちょうどハドリアヌス帝時代というかハドリアヌス帝の話だったはずです。
 この別荘跡のピクチャレスクさのためだけに、私はハドリアヌスが大好きなのでした。実はハドリアヌスがいつ頃に何を為したか歴史的なことはよく知らない。

 ローマのお風呂は夢です。
 ユベール・ロベールのテルマエ・ロマエはこんなの…。
 HubertRobertBathingPool.jpgユベール・ロベール<The Bathing Pool>
 絶対、違う。でも、何となくローマ。分かるよ、その気持ち(笑)
 相変わらず突っ込みどころ満載のドリーム炸裂が大好きです。 
 ついでにエルミタージュ展にやってきたお風呂もどうぞ。
 HubertRobert-RomanPublicBaths.jpgロベール<ローマの公共浴場>
 廃墟のロベールは、始めから廃墟を新築することも厭わない男だと思います。
 こういう大江戸温泉物語みたいな観光施設無いかな!?

 ちょっと脱線しました。
VillaAdriana-vault.jpgとても感動した一画。
 お風呂の天井。まだわずかに残る、装飾。これが全面に貼ってあったらどうだろう! いかにも脆そうなそれが、よく時の流れに耐えたという驚きと、すっかり失われも不思議でないと思われるものが残っている喜び。この残骸しか見えないのに、想像の中で極美のものに変わります。

とっても巨大な建物。倉庫の跡だとか。
Rovine-di-uno-degli-alloggiamenti.jpgVillaAdriana-warehouse.jpg
ピラネージ<Rovine di uno degli alloggiamenti dè Soldati presso ad una delle eminenti fabbriche di Adriano nella sua Villa in Tivoli>

 人像柱とワニの彫刻のある長方形の池は、絶妙な場所に生きているかのようなワニの彫刻が置かれていて、エジプトの運河の記憶が反映されているそう。で、エジプトで溺れ死んだハドリアヌス帝の愛人アントニウスを記念しているのだとか。片側が屋根付きで、かつては人像柱が並んでいて壮麗だったに違いない。
VillaAdriana-canopus1.jpg VillaAdriana-canopus3.jpg
 7d57d6bb.jpeg VillaAdriana-canopus2.jpg
 ピラネージ<Avanzi del Tempio del Dio Canopo nella Villa Adriana in Tivoli>

 
 遺跡だけでなく、周りの年さびた木々が美しい。
 
 帰り道の両側も、壮麗なる糸杉の並木。陰る空、聳える梢、うねる幹。
VillaAdriana-sypresses.jpg
 これが糸杉!
 根を広く張らず、高く真っ直ぐ伸びるという糸杉。日本には普通には生えていないこの樹には、ローマの松とともに強烈な異国情緒を感じます。それでいて、数々の名画で親しんでいる、という不思議な愛着をも覚えています。
 糸杉の表象。昔からこの樹に何かしかの人間の思いを乗せてきた、その糸杉。
 
 頭上枝葉の間から一羽の鴉の、がらがら鳴く声。
 ……糸杉に鴉、ロマンチック! 君、分かっているね。(まあこのような背の高い木がいつだって鴉のお気に入りなだけなんだろうけど。)
蒼古なる廃墟の禽よ、君や何と啼く。
 

<<目次へ戻る  <バルベリーニ編 エステ荘編

  糸杉といえば、私が最も好きな素描に描かれた、あのヴィラ・デステの糸杉は、250年経った今でもまだ生えているのでしょうか?

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デュエット

duette-amour-et.jpg

二人の関係は狐とうさぎ。ただそれだけ。

多分フレンチ2段。それかリュッカースのラヴァルマンだと格好いいかな。(適当な)
チェンバロのイラストを描くのは、楽しいけど、細部多くてしんどいです。

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イタリア旅行記 美術館巡りの第1日目-バルベリーニ編

 かつての貴族の館、バルベリーニ宮殿は今や美術館となっていて、やはりイタリア美術を中心に名画を所狭しと並べてあります。
BarberiniFacade.jpg 偶然ですが、空にカモメが写ったのが嬉しい。

 
 午後四時頃、でしょうか、殆ど誰も中にいなくて、寂しいくらいの独り占めです。

 いちいちの部屋に天井画があって、一番始めに入った部屋で見たものが一番覚えやすくて好きでした。
 一面空色に塗られた中に様々な種類の鳥たちが飛んでいます。
 応時は壁もフレスコの装飾などで覆われていたのか知れませんが、壁はどこも一面の白。
 一部屋だけ、薄暗い中に噴水があり、壁の装飾がすっかり傷んで僅かに形跡だけを残している。かつては、騙し絵による屋内庭園の趣だったのでしょうか? 今はまるでファンタジックな洞窟のよう。
 
 一階だけでなく、二階も展示室。二階へは、いったん外へ出て屋外の階段を上らねばならない。
 石造りの古い階段。蜂の紋章が所々。
 BarberiniStaircase2.jpg BarberiniStaircase.jpg

 さて中身は。
 ブロンズィーノが気持ち悪かった。ごく普通の甲冑を来た男性肖像。のはずなのですが、表面の異常なほどの滑らかさが、何だかぬらぬらしていて、気持ち悪い。
 ボルゲーゼでも、にょろりとしたプロポーションを持て余すように地面に座ったヨハネが、病んだ顔していてやはり気持ち悪かったけど、こちらも、入念で丁寧な仕上げのはずなのに、執念深すぎて気持ち悪いという不思議。

 グエルチーノに出会う。ああ、この絵はここにあったのか…(笑)プーサンの前になんでもなく飾られている。
Guercino-Et-in-Arcadia-Ego.jpg
グエルチーノ<Et in Arcadia Ego.(アルカディアにも我あり)>
 この絵も、私がどうしてもイタリアに少しでもいいから行かなければならなかった理由の幾ばくかを負っています。
…ある程度詳しく?はこちらの過去記事をご参照ください(笑)→アルカディアの墓についての徒然。
 案外にそう大きくない絵で、全体的にダークトーンでぱっと目立つ訳でもありません。
 しかし、まあ、君が起点だ。斜視なる本名ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリに敬意を!
 
 カラヴァッジョは面白かった!ナルキッソスにユディットとホロフェルネス。
CaravaggioNarcissus.jpgカラヴァッジョ<ナルキッソス>
 本当にショッキングな程シンプルな画面。地面と水面とがちょうど潔く真ん中で分けられている。殆ど同じ上下反転した人物。ほんのわずかの違いで、水鏡を覗いている人だと認識できる、多分ぎりぎりのシンプルさなんじゃないだろうか。
CaravaggioJudithBeheadingHolofernes.jpg
カラヴァッジョ<ホロフェルネスの首を斬るユディット>
確かに、アルテミシア・ジェンティレスキより、ずっと弱々しい(笑)
9e471874.jpeg
参考図版。アルテミジア・ジェンティレスキ<ホロフェルネスの首を斬るユディット>
 ちょっと骨とか斬りにくいなあ、みたいな眉をひそめているものの、案外のんびりした顔して、多分カラヴァッジョは、首を斬られる側により感情移入していた気がします。
OrazioGentileschiJudith.jpg
オラツィオ・ジェンティレスキ<ホロフェルネスの首を持つユディット>
 ヴァチカンにあったパパのジェンティレスキのユディットは、やはり男性目線な感じがします。一番、ファム・ファタル的な夢が入っているというか。多分、無意識に。でも格好いいよね。

 同じ部屋で、ついにマンフレディの絵を見た。でも、図像すっかり忘れた…。
 カラヴァッジョとセットになって出てくる、マンフレディ。しかし図版が載る事のないマンフレディ。因みに、「カラヴァッジョ=マンフレディ様式」ってマニアック?(マニアックかどうかも分からないし、生きている言葉なのかも分からない(笑))な専門用語のみで何となく頭に入ってるマンフレディという固有名詞。おそらく、早死にしたカラヴァッジョの後を引き継ぎ、通俗化して広めた人…なんじゃないかと勝手に思うのですが…いえ、「カラヴァッジョ=マンフレディ様式」について、何の説明も無くて類推するしか…。どうしても図版の無い人、きっとカラヴァッジョの劣化コピーみたいなものだったのかなぁ、ちょっと見てみたいな。とか思っていたのに、これっぽっちも何の絵だったかも思いだせない。おかしいな・・・? これがマンフレディ・クオリティてやつなんだろうか…。
 
 そして、別室にあるベアトリーチェ・チェンチの肖像。
ベアトリーチェ・チェンチグイド・レーニ<ベアトリーチェ・チェンチ>
 いつ見ても感動的です。本当に美しい絵。お涙頂戴の気配が全く嫌らしくないのは、やはり画家が心から同情していたとしか思えません。
 振り返る彼女が前に向き直ったその先には、首を斬る処刑台がある。彼女の最後の一瞥と笑顔。
 
 首を斬られる人を描くために、カラヴァッジョが彼女の公開処刑を見に行った、とかそうでないとか、伝え聞いていますが、私は確かな出どころは知りません。

 面白い彫刻。ヴェールをかぶった人の彫刻。全て石なのに、透けたヴェールをかぶっている。
 
 ピエトロ・ダ・コルトーナの巨大な天井画のある天井の高い巨大なホール。光沢のある布の壁に、小さな窓から、黄昏時の光が反射しています。
PietroDaCortonaTriumph-ofDivineProvidence.jpg ピエトロ・ダ・コルトーナ<神の摂理の勝利>
 天井が突き抜けて天国まで見えるかのような効果で描かれています。はるか頭上高く、雲に乗って舞う人々。
 …が、実は多分、言う程はよく見えなかったのです。巨大過ぎて視野に収まらないのと、黄昏の暗さと、生来の視力の悪さで。
 「空飛ぶ人々」などと言ったけれど、実際は、殆ど明るく光る一人くらいしか、多分きちんと見えていない。とにかく暗くて、ようやく3匹の蜂さん(バルベリーニ家の紋章)を見分けられるくらい。うーん、真っ当に見るには、予め画像をはっきり頭に入れておいて、見えないところを記憶で補う必要があったようです。
 夕方は、この天井画を見るに、最良ではないかも知れません。
 ただ、(負け惜しみを言えば、)何かその暗さと広さと静かさが、現実的な感覚から自分を拉し去り、自分こそがその空間の異物かのような、この世ならざる感覚を誘います。宴のあとの寂しさ、過ぎ去った時の哀愁。
 我々は裏口のようなところから入ってきましたが、おそらくここがこの館の中心で客を迎えるのもここなのでしょうか?

 廊下の窓から日没を眺める。今朝見たようなテンペラの黄味がかった群青の輝きの中に、石造りの建物と松のシルエット。
 館を出て、再び屋外の階段。ライオンさんがお見送り。
BarberiniLion.jpg
 あれっ、この浅浮き彫りのライオンさんも古代ローマの何かだったりするのだろうか…?似たものに見覚えが…。
PiranegiCarceri.jpg
ジョヴァンニ・バティスタ・ピラネージ<牢獄>(第2版5葉・ライオンの浅浮き彫り)

 外に出れば冬の街はすっかり日没。再び地下鉄に乗ってテルミニ駅前の宿まで帰りました。

 
 後々、帰国後に私は私にとって重大な見落としがあったことに気付きました。
 ボロミーニ設計の、楕円形の美しい螺旋階段があるのが、このバルベリーニ宮殿だということです。
 向こう側には何があるのだろう、と思いながら通り過ぎたあの向こう側にあったに違いありません。本来なら何よりも優先して見たかったはずです。
 
 とても悔しい。
 
 もういいまた行く。


<<目次へ戻る  <ボルゲーゼ編 ハドリアヌス帝別荘廃墟編>

拍手[1回]

4月1日拍手お返事

三郎丸氏〉

 ご覧いただきありがとうです!

 あんまり面白いことも言えないので、せめて画像だけは多いめにしようかと(笑)が、美術館編は自分の備忘的な面もある上、写真撮影禁止だったりして尚更文字が多くなる。これでも多いに削ってあるんだけどね(笑)ボルゲーゼにまつわる画像はまたあとで準備します。画像はさすがに時間をとってパソコン開かないとなりません。もう少し推敲したいし。

 あと、相変わらずスマートじゃない携帯でちょびちょび電車の中で細切れにブログ記事を書いているので、ブログとしての長さへの感覚が麻痺するのです。いつものことですが。

 今は電車の 中でティヴォリ編の下書き中です。今のところ書きたい放題書いているけど、脱線に次ぐ脱線です。むしろ脱線からもう一段脱線しそう。

 今月は土日の休みすらほぼないんだ。家には帰って寝るだけなので、また来月に腰を落ち着けて書きます。
 毎日の通勤電車の中で、毎日ティヴォリのハドリアヌス別荘やエステ荘の糸杉や噴水やボマルツォの怪物やオルヴィエートの大聖堂やフォロロマーノやベルニーニの墓のことを断片的に考えるのは、楽しいことです。

 本当にまだ拾ってきた欠片にすぎないので、何とか覚束ないながらも文章の形に組み上げたいものです。

拍手[0回]

なんせんす・さむしんぐ

なんせんす・さむしんぐ
お越し頂き有難うございます
美術・音楽の話題を中心に 時々イラストを描く当ブログ
お楽しみ頂ければ幸いです。
道に迷われましたら、まずは
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