ついに念願のティヴォリへ!
私がイタリアへ行きたい理由の半分ほどは、このティヴォリにあります。
ティヴォリを描いた絵画はどれも美しく、殆ど呪咀のような讃美が惜しみなく捧げられています。 それが本当に美しいのは、ただ純粋にピクチャレスクというのもあるけれど、画家の心からの賛嘆も大なり小なり込められているからなのです。
ティヴォリという場所は、どれ程美しいところだろう!
誰も彼もがティヴォリに行かなければならないと唆します。
私もティヴォリの賛美者の輪に加わりたいのです。
古代からローマ郊外の景勝地として、多くの別荘が建ったという古い土地ティヴォリ。
世界遺産にも登録されているヴィラ・アドリアーナ、すなわちハドリアヌス帝の広大な別荘跡もその中の一つです。
とても交通の便の悪いというティボリ。仕方ないので、半日観光の現地ツアーで。本当は少なくともその二倍はティヴォリに費やしたかったものです。が、例え半分でも、私にとって行く価値がある。
土曜の道路は空いていて、朝9時には一番乗りで、ハドリアヌス帝廃墟に到着しました。
その辺りに住みついているらしい野犬と野良猫、そして頭上遥か高く、糸杉の並木の上から降る、耳慣れない鳥たちの合唱に迎えられます。
「この鳥の声は何でしょう?」
誰も知らない。愚問でした、私を含め普通の人が、生活圏外のこの小さな隣人の鳴き声で、その種類を言い当てられる訳がありません。
冬の朝の低い太陽。高原のようなぴりっとした、しかし穏やかな寒さ。
空気は湿り気を帯びて、ほの白く薄霞の中に、淡く長い影を引くオリーブの古木の林。その色彩は、輝ける銀色と明るい灰色。
廃墟は今や、鳥の住みかです。常に数種類の鳥の鳴き声が聞こえる。主に、澄んだ高音の早口のさえずり。歩みを進めるごとに、人に驚いて椋鳥ほどの鳥の群れが飛び立ちます。
すっかり化粧石の剥がされた壁をくぐれば、広々とした広場です。木はやはり整形されている。
ピラネージ<Veduta degli avanzi del Castro Pretorio nella Villa Adriana a Tivoli>
大体、こんな感じ!・・・というのは冗談として。
当たり前ですが、ピラネージのより、復元が進んでいるのではないかしら。いや、この壁は同種のものと思うけど、正直ピラネージの版画が後々のこの池のある場所を描いたものかどうかは、ちょっとわかりませんが。
ピラネージ<Avanzi di una Sala appartenente al Castro Pretorio nella Villa Adriana>
用途不明の殆ど崩れた半円形の壁と半ドームの痕跡。穿たれた壁龕が特徴的。確か「哲学の間」みたいな名前だったと思います。かつては、この窪みにいちいち何か彫刻でも置いてあったのでしょうか?
ここが廃墟と化して以来、再利用出来る部分はきっとすっかり採石されてしまったのでしょう。半円形の壁だけが残っています。
ところで、ピラネージの版画の日本語におけるタイトルが分かりません…。
用途不明の水をはった円形の空間、通称海の劇場。
幾重にも輪を描く壁と柱と池の縁、水の反射のリズムが華麗で面白い空間で、見所の一つ。
まさに絵のような廃墟が残る。
ヨハン・クリスティアン・ラインハルト<Avanzi della bibliotheca in villa Adriana>
この版画は、18世紀ももう最末期のものみたい。
ところどころに倒れた列柱と台座の跡。青く広がる空もこの柱の跡がある上は、きっと屋根に覆われていた。
今なお残る一部屋ごとに模様の違うモザイクの床。
どの模様も美しく、危うく全ての床を写真に収めてきてしまうところです。…とかいってこの床も復元だったらどうしよう?(笑)
崩れかけた今なお背の高い建築と、いかにもイタリアなひょろ長く頭でっかちな松、遠くに見える糸杉の細長いシルエット、こんもり見えるオリーヴの木、これぞ絵に描いたイタリア風景。
不思議なドリス式角柱の並ぶ広間だった場所。
どこを向いても、まるで絵のよう。
大浴場は一番のハイライトで、高い天上に、明かりとりの穴が開いています。
足組みの跡に出来た壁の四角い穴に、巣でもあるのか中型の黒い鳥が出たり入ったりしている。
ピラネージ<Rovine d'una Galleria di Statue nella Villa Adriana a Tivoli>
…ちょっとはピラネージのエッチングに近付けたかな!? この写真は、正直一生懸命、狙った。が、あの景色を100%再現することは、少なくとも簡単なデジタルカメラでは不可能でした。もっと広角なレンズなのかな。
かの時代は、草木が繁茂して薄暗い、きっとこんな感じだった。多分、ここだと思うのだけど、タイトル(彫刻ギャラリーの廃墟)が現代(大浴場)と違いすぎてて、本当にそうかよくわかりません。
驚いたことに、日本の銭湯みたく、人の声、靴音が、よく反響します。半分崩れたとはいえ、ドームの音響は不滅のようです。
ローマのお風呂も音が響くのだなぁ。
あの廃墟画の中でもとりわけ印象的なピラネージの絵には、もちろんこの反響は描かれていなかった。そうか、この絵の中の人たちの声や靴音も、しんとした中で響いていたのに違いありません。
崩れた天上から垂れる蔓草の野趣溢れること。垂れ下がる草ってピクチャレスク萌えポイントだと思うの。木漏れ日の美しいこと。この植物に呑まれたファンシーな廃墟が十八世紀には存在したのです。今は、発掘も進み、綺麗に整備され、石も剥き出しになっている。
あんまり白黒なので、やはりロベールにお出まし願えば、廃墟は大体こんな感じだったようです。
ユベール・ロベール<ローマの廃墟>(現代の通り名は知りません)
好き勝手に遺跡を生活に使う人達。こんな人たちは、ローマやティヴォリには今やいませんが、この構図はロベールの画興を多いに誘ったようです。
始めから分かっていることだけれど、本当はこの手の廃墟が本当にアルカディアの霊気を帯びるには、もっと豊かで生命力旺盛な植物が必要です。つまりは、「人工」と対比しながら調和する「自然」が。
牧歌の舞台はもちろんそのような自然があるところなのだから。
アルカディアは常に廃墟の石くれのように、断片として私の眼前に現れます。
結局、遠くに霞むアルカディアを垣間見るには、現実の世界に転がる断片を集めないとなりません。
それで再び大建築を創れたらいいのだけれど、一体それにはどれだけの石材と技量が必要なことか。蒐積物も、せいぜいが個人的な小グロッタなりヴンダーカンマーなりに飾るが関の山です。まあ、アルカディアとは、多分、始めからそのようなものなのでしょう。
……誰か日本語でアルカディア論を網羅して建築している理想の書物など無いものでしょうか。
本当にこういう露天風呂あったら最高ですね。……ハワイ風の温泉施設なんか作ってないで、今すぐハドリアヌス風の温泉施設を作るべきだ。
ところで、割と本気でテルマエ・ロマエは観てから行けばよかったです。何か銭湯の穴にでも吸い込まれてローマの浴場にタイムスリップしないかな!(笑)
あの話、多分ちょうどハドリアヌス帝時代というかハドリアヌス帝の話だったはずです。
この別荘跡のピクチャレスクさのためだけに、私はハドリアヌスが大好きなのでした。実はハドリアヌスがいつ頃に何を為したか歴史的なことはよく知らない。
ローマのお風呂は夢です。
ユベール・ロベールのテルマエ・ロマエはこんなの…。
ユベール・ロベール<The Bathing Pool>
絶対、違う。でも、何となくローマ。分かるよ、その気持ち(笑)
相変わらず突っ込みどころ満載のドリーム炸裂が大好きです。
ついでにエルミタージュ展にやってきたお風呂もどうぞ。
ロベール<ローマの公共浴場>
廃墟のロベールは、始めから廃墟を新築することも厭わない男だと思います。
こういう大江戸温泉物語みたいな観光施設無いかな!?
ちょっと脱線しました。
とても感動した一画。
お風呂の天井。まだわずかに残る、装飾。これが全面に貼ってあったらどうだろう! いかにも脆そうなそれが、よく時の流れに耐えたという驚きと、すっかり失われも不思議でないと思われるものが残っている喜び。この残骸しか見えないのに、想像の中で極美のものに変わります。
とっても巨大な建物。倉庫の跡だとか。
ピラネージ<Rovine di uno degli alloggiamenti dè Soldati presso ad una delle eminenti fabbriche di Adriano nella sua Villa in Tivoli>
人像柱とワニの彫刻のある長方形の池は、絶妙な場所に生きているかのようなワニの彫刻が置かれていて、エジプトの運河の記憶が反映されているそう。で、エジプトで溺れ死んだハドリアヌス帝の愛人アントニウスを記念しているのだとか。片側が屋根付きで、かつては人像柱が並んでいて壮麗だったに違いない。
ピラネージ<Avanzi del Tempio del Dio Canopo nella Villa Adriana in Tivoli>
遺跡だけでなく、周りの年さびた木々が美しい。
帰り道の両側も、壮麗なる糸杉の並木。陰る空、聳える梢、うねる幹。
これが糸杉!
根を広く張らず、高く真っ直ぐ伸びるという糸杉。日本には普通には生えていないこの樹には、ローマの松とともに強烈な異国情緒を感じます。それでいて、数々の名画で親しんでいる、という不思議な愛着をも覚えています。
糸杉の表象。昔からこの樹に何かしかの人間の思いを乗せてきた、その糸杉。
頭上枝葉の間から一羽の鴉の、がらがら鳴く声。
……糸杉に鴉、ロマンチック! 君、分かっているね。(まあこのような背の高い木がいつだって鴉のお気に入りなだけなんだろうけど。)
蒼古なる廃墟の禽よ、君や何と啼く。
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糸杉といえば、私が最も好きな素描に描かれた、あのヴィラ・デステの糸杉は、250年経った今でもまだ生えているのでしょうか?