画家の生涯を概観するコンパクトな展示でした。
テオドール・シャセリオー<自画像>
「ロマン主義の画家」として教科書に載ってたなーってイメージしか無かったので、シャセリオーのみ詳しく掘り下げられていて、大変興味深かったです。
教科書的にはロマン主義の画家とはいえ、シャセリオー自身は「古典主義の画家アングルの弟子」を名乗り、アングルと決別した後も、自らをロマン主義だとは言わなかったみたい。
展示中も指摘されていたけど、色々な面で「中間の人」って感じでした。
新古典主義の代表者アングルの弟子。
10代の内に才能を発揮したシャセリオーは、アングルの元で古典主義の修業をみっちりします。
しかし後々、アングルと決別し、ロマン主義に傾倒して、ロマン主義のドラクラワに近づく。
つまり新古典主義とロマン主義の間。
その画風は象徴主義の画家モローやシャヴァンヌに大きな影響を与えました。
ロマン主義と象徴主義の間。
ついでに、伝統的な神話主題、「横たわるヴィーナス」の変奏として、森の中でくつろぐ裸婦を、現実に同時代の誰かと分かるように描いたりして、その方向はは写実主義のクールベやマネと同じ。でも明らかに写実主義の画家ではない。
何とか主義vs何とか主義とか、単純に2つに分けて比べると確かに分かりやすいけれど、本当はその中間って沢山あって、両極端の目立つ奴に埋もれて、両極端のどちらの特徴も併せ持つ中継ぎ的なポジションにされてしまうシャセリオー。
こう、一応「ロマン主義の画家」ってなってるけど、100%そうかと言われるとそうではないようだし、では「何主義」なのかってなると、捉えどころがなくて、カテゴライズしづらい。
しかも享年37歳。若いー。
シャセリオー、とことん不利だなぁ。
シャセリオーがもっと長生きしていたら、多分、今日もうちょっと有名だった気がする。
※ ※ ※
展示の最初は、初期作品のアングルの弟子時代。
全然知らなかったのだけど、生まれはカリブ海に浮かぶ島で、現地生まれのフランス人を母に持ち、小さなころにフランス本国出身の父親の土地に戻ってきたみたい。
そんなシャセリオーは、10代にしてアングルも認める才能を示したそうな。
伝統的な宗教主題や古典古代の世界観を描いている。
特に顔なんかは「ギリシャ・ローマの石膏像」の顔。
<アクタイオンに驚くディアナ>
一方で、古典主義者にしては、強い色調でまとめたりして、後の「ロマン主義的傾向」を伺える、という解説です。
だから古典主義的な価値観で測ると、けばくってちょっと・・・ということになるみたい。
※ ※ ※
次のセクションは、古典主義に固執するアングルを見限ってからの、ロマン主義の時代。
森の中にいる中世の服を着た恋人たちの素描。森の中で読書する隠者の素描など。
そこで、古典主義とロマン主義と象徴主義の交わる作品が、アポロンとダフネ。
<アポロンとダフネ>
確か図版の解説で、古典主義者にとっては伝統的な神話の物語の一つだったアポロンとダフネの主題は、シャセリオーらロマン主義者にとっては、詩的な創造と追い求めて叶えられない理想の象徴となり、そして象徴主義へと流れていく。
実は、この一角で一番印象的だったのは、隣に展示されていたモローのダフネでした。
思い切った黒の使い方が独特で、斬新に見えました。
ギュスターヴ・モロー<アポロンとダフネ>
自殺しようとする詩人サッポーが、険しい崖の上で暗い空と荒れる海を眺めている絵。
<サッフォー>
背景は場面を設定する舞台装置であると同時に、画中の人物の心象を反映したもので、このような背景の扱いは、やはり象徴主義への流れを用意したそうな。
緋色の衣服は強い風に靡いて、…ななびく裾はロマン。
そしてやっぱりモローも同じ主題に挑んだり。
ドラクロワのハムレットの連作と一緒に、シャセリオーのハムレットやオセロの版画がずらりと並んで、ドラクロワと興味を同じくしていたことが示されています。
※ ※ ※
カーテンを引いて特別にしつらえられた展示スペースに掛けられた割と大きな作品、森の中で横たわる裸婦。
<泉のほとりで眠るニンフ>
モデルは当時付き合っていたパリ一番の美女。名前忘れた…。彼女はシャセリオーChassériauを「セリオsério」と呼んでいたそうな。
シャセリオー略してセリオなのか…。
風景の中に横たわる裸婦。
伝統的な当たり前の画題だけど、冷静に合理的に考えるとかなりシュールでもある。
だから、失敗すると「野外で全裸になってるパリの女」みたいな意味不明な状況になってしまうんだけど、シャセリオーのは不思議と上手くバランスが取れていて、違和感が少ない。
マネの場合は、その違和感を強調してゴリ押したけど、シャセリオーは逆に古典的な神話の世界観に現実の女性を馴染ませようとした、もっと穏健な写実主義のように感じました。
印象だけで話しちゃうけど、隣にあったクールベは、現実世界の現実の女を一瞬目の錯覚で神話っぽく見えるように、でもあくまで現実世界で描くイメージです。
ギュスターヴ・クールベ<眠れる裸婦>
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肖像画コーナー。シャセリオーが上手いっていうのもあるのかもしれないけど。。。
この時代の紳士服ってシルエット細身で格好いいっ。
(↑主な感想。)
<アレクシ・ド・トクヴィルの肖像>
※ ※ ※
この時代に流行したオリエンタル趣味にも手を染めるシャセリオー。アルジェへ行く。
この一角で、もうちょっと後の時代のルノワールがゲスト出演してて、彼のアルジェの風景もあった。画面がものすごく明るい。シャセリオーよりずっと明るい。輝いてる。これが印象派の光……!
ルノワール<ロバに乗ったアラブ人たち>
というのが結構印象的でした。
それはともかく、シャセリオーのオリエンタル趣味って結構好きだなぁ。
ノンポリというか、単純に異国情緒が素敵、っていう動機が強そう。勝手なイメージ。
<コンスタンティーヌのユダヤ人女性>
アルジェリアって、フランスにとっては植民地で、絵の上に政治的な目線って簡単に乗っかるんじゃないかな、って思うのだけど、シャセリオーの絵には、民族主義がどうのとか、支配と被支配の関係性とか、そんなのがあまり無いように思える。
実際、シャセリオーがどう思ってたかは分からないけどね。
いや、本当に表面的なイメージだけだけど、例えば、ドラクロワのオリエンタリズムって、暴力とエロス!人間の本質を抉るぜ!でも西洋社会だと生々しくてアブナイので、東洋でやります☆みたいな薄ら暗いところありません?(←過言です。)
あとギリシャがピンチ!トルコの魔の手から守れ!みたいな政治的なやつとか。(本当、浅い理解でごめんなさい!)
単純な好みの問題で、そういう闇属性(?)のオリエンタル趣味より、直截な憧れを載せたオリエンタル趣味の方が好きだなーっていう。
※ ※ ※
ロマン主義の画家として最高においしいのが、死後20年経って、大きな壁画を手掛けた建築がパリコミューンの戦争で廃墟と化し、そこで崩壊するままに草木の中で、作品の「断片」が残されていたそうな。(廃墟写真も展示されてた)
ロマン主義のお手本か…。
このへん、かなりテンション上がった(笑)
おいしい。
シャセリオー展における最大のクライマックスが死んだ後とか…。
崩れ去るシャセリオー作品を全き消滅から救ったのが、シャセリオーから大きな影響を受けた壁画の大家シャヴァンヌ。
シャヴァンヌは思想を異にする印象派の画家たちにも尊敬されていたって聞くけれど、仕事がでっかくて本当に尊敬するわ…。
シャヴァンヌの絵自体はシャセリオー以上に地味なんだけど、何だか、じりじりと尊敬ポイントが上がってます。先のシャヴァンヌ展、本当に絵は地味だったけど、かっこよかったものね。
参考:シャヴァンヌ展が格好良かったという感想
シャヴァンヌ、地味に格好いいぞ。地味だけど。
シャセリオー<海から上がるウェヌス>
ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ<海辺の娘たち>
おお、これはパクっている…!
今回、シャセリオーに影響を受けたとして、展示されていた絵は遠くの空の鈍い光が綺麗で好きでした。