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○なんせんす・さむしんぐ○

美術や音楽の感想とか、動物中心のイラストのブログ。

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イタリア旅行記 オルヴィエートとオルヴィエートの大聖堂

次なる目的地はオルヴィエート。
 道々、展望ポイントからオルヴィエートの外観を臨む。
 
 やはり、チヴィタ・バーニョレージョと同じく崖の上に乗っている街です。  でも閉ざされたような村ではなく、司教座も置かれ、いつかの法皇が滞在するような立派な街だということです。
 ガイドさんのお話によれば、このような崖の上の町は古代エトルリア人の集落が起源となっているのだそうで、高い所に家々やインフラを築くために、土木技術を磨いてきたのだそう。古代ローマの長大な水道橋とかの建築技術もエトルリア人に学ぶところなのだとか。

 オルヴィエートの手前に、墓地がある。そこには糸杉が植えられているようです。これが音に聞く墓場の糸杉!
 糸杉という樹は素敵だなぁ。とても心惹かれる異国の樹。何というか、殆ど白秋の邪宗門的な憧れかも知れない。
 庭には植わらないから盆栽にならないかな。

 さて、街に入ってお昼を食べて、早速オルヴィエートの大聖堂へ向かいます。  いい雰囲気の街並み。程よい狭さで古げな感じ。お店は日曜日で、道々殆どのお店がお休み。明かりの消えたショーウィンドウにセール中の文字が賑やかに貼られています。時々観光客向けのお皿だのなんだのを売るお店が開いている。
 路地を抜けると広場の脇に出る。斜めに見える大聖堂。白と黒の石で出来た縞模様の壁が面白い。

 少し黒い雲が出てきた。まだ陽射しはあるものの、ほんの少しだけ天気雨。
 しかしその暗い空の色を背景に、我々の背後から冬の低い太陽が、そのゴシック建築の正面のモザイクを黄金に輝かせていました。
 ゴシック建築というガイドさんの解説だったけれど、視界に収めたとき、何となく違和感を感じていたのですが、中に入ってみてその違和感の正体は直ぐに思い当りました。
 身廊の天井は平らかで、典型的ゴシックの尖ったアーチはなく、いわゆるロマネスク様式。
 つまりは、このゴシック聖堂とはいえ、ゴシックの構造をしていないのでしょう。
 でも奥の後陣や礼拝堂は確かにゴシック様式。
 尖頭アーチを持たない身廊の天井は、ゴシック建築みたく横に広がる力が加わらない。そのために、パリのノートルダムのような控え壁だのフライング・バットレスだので、外側から改めてごてごてとつっかえ棒する必要もないのでしょうか、オルヴィエートの聖堂の外見は非常にすっきりしていました。
 一面モザイクの正面装飾も、尖ったところの無い半円と、素直な幾何学的な直線で構成されていました。

 参考。パリのノートルダム。ゴシック建築の代表。
 オルヴィエート大聖堂と比べると、外見のごてごて具合の違いが分かります。そしてオルヴィエート本当にシンプル。勿論、中身のごてごて具合も同じくらいの違い。
 壁の全面で荷重を支えるため、窓を大きくとれないのがロマネスク建築。  強度を保てるよう縦に細長い小さな窓が数メートルおきに開いていて、でもその窓は一応ゴシック風に尖頭アーチ。
 小さな薔薇窓から、白い光の筋が細かく別れて幾条か伸び、身廊上部の壁に丸く陰を映していました。

 ところで、旅行のお伴にと一冊の本を携行していて、それが白水クセジュ、ミシェル・フイエ著作の「イタリア美術」。
 といっても観光中は結局見る暇もないのですが、帰りの飛行機で暇つぶしに読み返してみたら、このオルヴィエートの大聖堂の事もきちんと書いてありました。
 いわく。

 そもゴシックなるものは、アルプス以北で生まれ発展した建築であり、イタリアへは発生からやや遅れて伝播した。
 またゴシックの先進技術がもたらされた後も、イタリアでは前の時代のロマネスク建築への愛着が強く、ゴシックをもっぱら装飾要素として部分的に取り入れることも多かった。
 オルヴィエート大聖堂はそうしたロマネスクとゴシックの折衷様式の典型である。

 とかそんな感じ。
 おおお、鮮やかな解説。
 やっぱり、実物見る前と後では、この手の解説本も頭への入り方が違うよね。
 このフイエ氏の「イタリア美術」は、図版はほぼ皆無で、時には1ページに数人ものイタリア人の名前が並ぶこともありますが、にもかかわらず、辞書的な羅列にはなっていなくて、とても分かりやすく、簡潔で、互いの画家の影響関係なんかも記述されていたりする、結構な新書です。
 薄くて軽いので旅行に持ち出しやすいし、またイタリア行くならまた持っていこうかな。

 さて、聖堂の中に戻りましょう。参考にウィキペディアどうぞ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Orvieto_Cathedral
 柱などは外観同様の白と黒の縞模様。時々、とても傷んで殆ど剥落した壁画がある。
 いよいよハイライトの礼拝堂。
 北側の礼拝堂はルネサンス以前の壁画で埋められていて、何やら聖人伝が描いてある。薄暗い中で鮮やかな青がまだ残っていて、厳かです。お金を入れると電気が付くやつ。
 そして派手な南側。

 ルカ・シニョレッリの最後の審判が縦横無尽に描かれています。
 もっともシニョレリの絵だと知ったのは、やはり帰国途中のフイエの本だった訳ですが、この時は素直にミケランジェロの追随者の手だと思いました。  事実は逆のようで、「後のミケランジェロを予告する(byフイエ)」 作品だそうです。
 解剖学的な人体に、線遠近法。テクノロジー最先端って感じが熱いです。  騙し絵で描かれた丸窓から半身飛び出る人。目の前で繰り広げられる光景に驚き慌てふためいて身を乗り出している。
 現代まで続く飛び出る画像への欲求は、きっと人間の本能なんだろう。

 ヴォールト天井の曲面に、地上の審判のあれこれを超越して、金字を背景に諸聖人が雲に乗って泰然と浮かんでいます。
 四面の合理的な遠近法を駆使した空間で、地獄に落ちる人々、肉体を得て立ち上がる人々と面白い対比になっています。
 金の背景は、何の説明もしないし、物語りません。だから無限で永遠。

 さて再び飛行機の中に時を進めて、フイエの本。
 この美しい天井画の作者はフラ・アンジェリコだという。
 あー、フラ・アンジェリコだったんだ! もっと良く見ておけば良かった(←禁句・笑)
 つい二日前にフラ・アンジェリコに俄かに目覚めたばかりで、全然画風とかで気付くことは無かったわ。あんな絵も描くのだなあ。
 きっと、この大仕事が完成した後、フラ・アンジェリコも礼拝堂の真ん中に立って自分の仕事を見上げたことでしょう。恐らく同じ場所で同じく天井画を見上げた、そのロマンでも齧ってよしとしましょう。

 肝心の祭壇画は、じつは絵そのものはどんなだったか忘れてしまった。  絵の枠はバロック風で、放射状の光の筋の彫刻が絵を縁取っている。
 さすが現役の礼拝堂は色々な時代の色々な様式が交じりあっていて、時の流れと歴史と、その間じゅう愛されていたことを感じます。

  礼拝堂を堪能して少しだけ周りの路地を一周。異国情緒満喫です。ツアーなので余り多くの時間は許されていません。本当はもっと街中を散策してみたかったものです。


 それから十六世紀に作られたという、井戸に降りてみます。
 水を得るためには相当深くまで掘らなくてはならなかったようで、百段もの(実際は何段かは知らないがとにかく沢山の)螺旋階段をひたすら降り続けます。
 上方の丸い穴からの光が、一周する毎に段々弱く暗くなっていく。わずかな光の届く井戸の水底は青く、観光客の投げ入れた硬貨がきらきらと反射しています。
 そしてもちろん降りた分だけ昇ります。

 それで何が観光かというと、この井戸は二重の螺旋になっていて、この狭い階段で、昇る人と降りる人がすれ違うことがありません。これは当時は画期的なプランなのだそうです。
 よく分からないけど、ルネサンスの人って二重の螺旋階段好きだよね。

 井戸の入場料は5ユーロ。5ユーロで足の疲労物質を買ったようなものですが、これも旅の貴重な思い出です。

 帰り道。再び朝に羊たちの放されていた平原を走ります。
 先ほどのオルヴィエートの黒雲が、ついに我々のミニバスの上空にやってきて、バケツをひっくり返したような大雨。大きな雨粒が狂った勢いでフロントガラスを叩き、殆どワイパーも役に立たない。
 が、それも長くは続かないで、あっという間に西の方から晴れていきました。
 空の真ん中でちょうど黒雲と空の二色に別れ、強い西日がまだ暗い東側を照らしだしたとき。
  
――虹!
 それも大きな虹が、暗く湿った空を背に輝きだしたのでした。
 遮るものの無い平らかな大地の端から端に、完全な半円を描く二重の虹。
 大地から生えて大地に消える、完璧なスペクトルのアーチ。完璧な虹!

 ヴァランシエンヌの虹。
 それはこのような雨とこのような虹でしょうか? 
 
ピエール=アンリ・ド・ヴァランシエンヌ<ピラミッドと虹>
 イタリアで実見したものを組み合わせたこの空想風景を思い出していました。
 恐らく、この現象は珍しい事ではないのだろうと思っています。

 世の中に、完璧なものは滅多にありません。が、これはその滅多に無い例外。
 どこの美術・博物館にも飾られていないこんな「珍品」まで見られたなんて!
 幸運な旅路で、雨に降られたのはこの車中のこの時だけでした。

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イタリア旅行記 チヴィタ・バーニョレージョ

ボマルツォ怪物公園を後にして、再びツアーバスにて移動。
 次なる目的地は、チヴィタ・バーニョレージョという村。
 中世そのまま残るような小さな村だという。
 それは断崖絶壁の上に出来ていて、中に入る為には細くて長い高架を渡らねばなりません。
 あまりに辺鄙で不便なため、現在そこに住んでいる人口は10人以下だということです。
「まさに死にゆく天空の村なのです。」
 ガイドさんの決め?台詞。
 某ラピュタのモデルとして、日本では有名らしいです。

 何の変哲もない村ではありませんでした。


 中世が残らざるを得なかった村。僅かな空き地が教会前にあるくらいで、後は狭い道と斜面。見たところ、多分、新築しようにも困難で、必要な分を必要なだけ手入れすることで精一杯なのではないでしょうか?
 食料から日用品から、供給もままならなそうな不便さ。周りから隔絶されて、頼りない橋一本で外界と繋がっている。
 どこのエトルリア人が最初にこの岩山に住もうと考えたのだか、そして逆にこの規模にまで村が発展し得たことに驚きます。
 外敵から身を守れる以外に住むメリットは無いように思います。現代になってその外敵の心配が無くなれば、実用的な機能を失った村は、あとは史料と、目に面白いもの=芸術的なモノ=観光地という意味しか消去法で残っていない。
 
 中世っぽい家並み。土地が狭いので、道も狭く家が密集している。

 衰退甚だしく、もはや村の全ての家屋を維持することも出来なくて、大半が崩れて廃墟と化している家、ドアのある壁のみしか残っていない家などもそこかしこにあります
 
 とくに、右の写真のように村はずれなどは、崩壊はなはだしく。オレンジの簡単な柵の向こうには、道はありませんでした。
 人口が減るというのは、こういうことなんだ。段々と櫛の歯が折れて無くなっていくみたいに、町は現在進行形で消滅している。また人の手でなんとかその破壊を止めている、あるいは速度を緩めている、その途中を見ている。
 してみれば、ローマの都が廃墟と化したのもこのような過程を経たんだろうか。ここに於いて規模の小さなローマ衰退記を見たような…それは考え過ぎか(笑)

 何から何まで360度、とてもファンシー。
 ただし、高所の苦手な人は眺めが良すぎて少々しんどいようです。


 村民より猫が多くて、猫好きにはおすすめです。猫の写真を撮るのが好きなんて方にはどんぴしゃじゃないでしょうか。というより、この村で撮った猫写真集、適当なポエムでもつけて既に出版されてそう。これだけ猫がいると、べただと分かっていても写真を撮りたくなってしまうのが人情というものです。ということで以下世界猫歩き(笑)

 うまい場所にうまい具合に座っているピクチャレスク猫。被写体とは俺のことだ! とでもいうかの如し。もちろんこの猫のまわりではカメラを構える人が多数。多分バイト料貰って職業としてここに居るに違いない。やたら真っ直ぐ目をそらさない猫。葡萄棚に猫。
 


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イタリア旅行記 ボマルツォ怪物公園の冒険

ボマルツォの怪物たちのことを、あるいは聞いたことのある方も多いと思います。
 通称ボマルツォ怪物公園、そこはマニエリスムの代表的な、特異な庭園として、私もかねがねその噂を聞き及んでおりました。

 そこはその心の拗けた、いじけた空間に、何か苦々しい嫌な共感を覚えてしまう庭でした。
 しかし、その苦みと痛みを伴う共感が、決して「苦痛」とはならず、むしろ愉しい、というやっぱりいじけた庭。
 世界に白か黒かの2色しかないなら、明らかに黒の方。しかし、黒い方が、人の心の奥底に容易に侵入してくる、というのもまたよくある話。

 そういう訳なので(?)、澁澤龍彦が言及していて、ボマルツォを訪れたとき、私はその文章の全文を読んだことは無かったけれど、私の中では「澁龍系」とカテゴライズされていました。(因みに、一応帰国後に読んでみました。澁澤龍彦自体ほとんど読んでないのに実は若干の苦手意識がありまして。)
   
 やはり長い間エステ荘以上に放置されていたというこの庭は、ほんの数十年前までは、荒れ果て、草の間に間に古えの石の怪物たちが見え隠れする、そんな怪異の場所だったといいます。
 ご安心あれ、今はすっかり観光用に整備され、周回出来る順路も出来、日本語のイラスト地図など渡されて、ちょっとへんてこな公園の風情。
 
 ローマから朝、ツアー会社のミニバスに乗って出発です。
 車窓から見えるのは、ローマの市外に広がるなだらかな土地。草を食む羊の群れ、遠くにオリーヴ。しばらく車に乗っていると、段々に山と林の景色になり、現地に到着。
 そう標高の高いところではないそうですが、朝の外気は冷たく、低い太陽は木々に遮られています。

さて、公園へ向かう手前の原っぱで、隣の敷地のロバが二頭、柵越しに見下ろしている。少し距離を空けるだけで直ぐににもやがかって、ハレーション気味に朝露がきらめきます。


 小さな門から侵入するや、早速一対のスフィンクスに出迎えられます。古いイタリア語で何やら謎かけをしているようですが、何と言っているのか私には分かりませんでした。

 取り敢えず左手に進むと「いもり」に出会います。いもりの向こうには水路があって、静かな林の中で、流水の音が聞こえる。


 意味もなく木々の間にヤヌスや二面の女性の顔の柱など。
 
 山がちな段差を生かした立体的な庭で、狭い階段を降ると、岩から掘り出したかのような、ヘラクレスの見上げるばかりの巨像が登場します。
 ヘラクレスは人を逆さ吊りにして、力のままに引き裂こうとしている。ヘラクレスの牛を盗んだカークスだそう。メドゥーサのように目を見開き、苦悶の顔を浮かべる。
 英雄にも怪物にも、例えば、ローマの彫刻みたいな端正なところは何一つなく、ただ荒々しく、破壊的。プロポーションもどっしりと、首と脚が太くてずんぐりむっくり。
 
 パルナッスス山の噴水のある広場に降りてきます。ペガサスの泉は水も枯れ、苔に覆われている。そこには亀に乗る女神像があります。澁龍によるとトランペットを持って昔は水力で音を鳴らしたとか。
 それと対峙するように、自然風の流水の中に、自然風の岩に混じって「シャチ」がいます。

  不思議な価値観。これが、ルネサンスを経た人の庭でしょうか?
 険しい岩々に堰き止められた水は、細く砕かれながら勢いを増して、岩の段を流れ落ちる。その岩の化身のような牙をむき出す海獣。牙は少し風化して、古びた苔がまとわりついています。

 エステ荘で、あれ程整然と自然を模した人工を極めていたのに、ここではより自然に見える。…おそらくはそれも人為的なものだろうけど、時の作用で上手い具合に境界が曖昧になって、何かこう、神話の気配を帯びている。例えば、旺盛な熱帯樹に飲まれかけている遺跡の仏頭のような。かといって、神々しいという訳ではないのだけど。

 因みに、庭の設計はピッロ・リゴーリオ。
 現地のガイドさんに聞くまで知らなかったけど、エステ荘の庭や噴水をデザインした、あのリゴーリオ。
 つまりは、このボマルツォ怪物公園とヴィラ・デステの庭は同じデザイナーのほぼ同時代の産物。これほど依頼主で趣向が変わるとは。

 エステ荘は、随所に自然礼賛的な噴水だのモニュメントだの人工洞窟だのを配置しつつ、高低差を利用して、庭とその向こうの空と遠景を眺め渡せるようにしてあって、左右対称に装飾的に階段を設け、どこも舗装された道が出来ていました。
 怪物公園も高低差を使って巨像を配置したりしますが、それを装飾に利用することはないようです。道は踏み固められた土がむき出しで、くねくねと蛇行する。木々や岩に遮られて庭の全体を見渡すことは出来ない。
 エステ荘に礼賛される「自然」は、黄金時代的な調和をもたらす温和な自然。多分、サトゥルヌス(善き支配者)のもとに達成される幸福の世界。
 でも怪物公園に関わる自然は、制御不能な荒々しい自然。
 ヴィラ・デステは、初め政治的な接待、権威の誇示などの目的だったというけれど、確かに、社交的で誰にも愛想が良い安心の優等生です。
 一方怪物公園は、根は悪い子じゃないし、頭もいいけど何考えてるか分からない、でも自己顕示欲もちゃんとあるひきこもり。
 ……といってもこれはあくまでも私の見た現代の有り様なので、本当に同時代がどうであったかは分からない。実際、近代まで誰の注意も惹かずに引きこもっていたらしいけど。
 
 何気なく転がるモチーフもどことなく嗜虐的。ほとんど崩れかけた三美神の壁龕の手前で、仰向けにぐったりしている蛇足の女。

  神殿風の、何か。

 のっぺりしたプロポーションの女神像は怪物の台座に立っている。梁の不気味な顔が片方は地面に落ちていて、半分崩れて見える。困ったことに最初は建物だったのか、最初から廃墟だったのか、全く分かりません。
 
 高台から向こうに見えるのが、もっとも大きくて奇怪なオブジェ。傾いた家。
    地盤沈下によって傾いてしまった家ではなく、最初から傾いて建てられた家。右は中の様子。お互い、まっすぐ立ってます。
 外から見ても、いかにも不安定で嫌な感じですが、中に入ると即、三半規管をやられて普通に気持ち悪くなってきます。
 なんというか、「建物」と呼んでいいのか「彫刻」と呼んでいいのか、先の神殿みたく呼び名に困るものがごろごろと…。
 
 そして、庭の真ん中に放置されているベンチも傾いています。
 木の根っこに押し上げられたとかでなく、やっぱり多分、初めから傾いている。
 
 列柱が立つ奥にポセイドンの噴水。隣のイルカから水が吹き出しそうな気配ですが、やはり水は無く、苔に覆われた深い堀の底が見下ろせる。

 頭に水盤を載せる女性。多分、水盤から水が流れる趣向かしら。
 写真の遠近法ではなく、これも本当に足が太いプロポーション。そして見上げるばかりに大きい。

 ゴーギャンのタヒチの女みたいなプリミティブで土っぽい、土偶寄りの。
 もう何だか、理想のすらりとした八頭身とか古典の規範には、絶対に従わない、というようなあえての強い拒絶に思えてきます。
 リゴーリオという人、ルネサンス末期にあって、一体何を再生しようとしたのかしら。
 彼は遺跡の発掘研究もしている、いわば古典古代の大家だろうに、ルネサンス(古代復興)とかいって、このリゴーリオは、それ以上に古い、もっとプリミティヴなものを視野に入れていた気がしてなりません

 さて、ボマルツォ怪物公園のマスコットキャラクターがこちら。
 オーガ。人食い鬼。

   この中は備え付けの石のテーブルとベンチがあって、人食い鬼の中でお食事を楽しむことが出来る。中で声が響いてオーガの声みたいになるおちゃめなオブジェ。
 もちろん、地面から口を大きく開いて人を呑み込む怪物って、地獄の入り口を連想しちゃうよね。

 上にのって楽しむことの出来る象の像とか。良く見ると、象さんの鼻にローマ風の甲冑を来た人が巻き込まれていて、襲われている真っ最中のようです。

 墓穴。

  シンプルにして、もっともその気持ち悪さで印象深かった彫刻、いや…何か、もの。
 岩に穿たれた細長い長方形のただの穴。それだけ。
 中身は空っぽ。何もない虚ろだけが在る。
 実用的なものには見えないけど、墓穴にしか見えない。
 墓穴があるということは、そこに入れられるべきアレがあった。でも、今はもう無い。それとも、近々、これから入る予定があって、今はまだ無い。

 この微笑を誘う禍々しさ! 大真面目な馬鹿馬鹿しさ。しゃれこうべを置くより趣味と性質が悪い。本当、嬉しいくらい気持ち悪い(←ディズニーの某アトラクション的に)
 拭えぬ憂愁と、喪失感。しかも昇華しきれてない痛々しさ、病的さ。でも、昇華させる気も無く、むしろ未練たらたら抱えている。
 どれもどことなく嗜虐的だったり、無駄にグロかったり、色々な意味で痛い。(誉め言葉です)

 階段を上がるとプロセルピナの像。
 ボルゲーゼでは乙女であったのに、ここボマルツォではすっかり柘榴を平らげて、根の国冥府の女王の風情。

 肩の向こうにケルベロスがいるし、反対側もエキドナ(ケルベロスの母)がいるし、この一角は冥界連中のコーナーなのでしょうか。
  セクシーを通り越すほど180度に両脚を開いた女の足は、大地の力を象徴するかのように地を這う蛇になっている。

 呪術的な形をしているから、思わずうがった見方をしてしまいます。

  地下の女王のペルセポネーの広場に、松ぼっくりとどんぐりが並べてある。このモチーフは結構可愛い。松ぼっくりとどんぐり、ほら語感も可愛い。でも案の定どれも不揃いで、素敵にがたがた。
 
 種が沢山ついている松ぼっくりは、豊かさを象徴するとか。
 ペルセポネ居ます死者の行く地下世界、しかしそこは、これから芽吹くであろう種子を抱いている。一度、枯れて死んだ植物は種となって再生する。
  ペルセポネも、春になれば、再び乙女として地上に現れる。どんぐりが芽を出し、蛇が脱皮するように。なんて妄想。

 (…死と再生をテーマとすると、あの虚ろな墓穴の主は、死んでこの中に入れられたあと、立ちあがって出て行ってしまったのかもしれない…。)
(もしかして、冒頭で意味不明と見た二面のヤヌスも、実は雰囲気創出のためだけでなく、象徴的な意味も籠めていたのかしら? ヤヌスはその二つの顔で過去と未来を見守る、「出発点の神」。一年の最初の月を今でもヤヌスの月Januaryというように、案外前向きなのでは。いや、考え過ぎだな。)

 そして、その冥界広場に、依頼主オルシーニのシンボルと言える、2体の熊像。オルシーニという家名を日本語に直すと「大きな熊」(小さな熊だったかも(笑))という意味になるそうです。
 台座の上で、一方が大輪の花を、一方が紋章の盾を掲げている。
 …よりにもよって、冥界広場に家名の熊を置いちゃうセンス。

 ケルベロスの脇を抜けて階段を登ると建物の裏手に出る。
 玩具みたいな神殿風の建物。列柱があって、ドームを備えていて、とりあえず「建物」とは呼べる、形容矛盾だけれど、しかしそれは大きなミニチュア。大人数人で満杯になってしまうような、何ら機能のある建物ではなさそう。
 しかし一番端正な建物で、一番高い所にあり、木のない緑の芝生に囲われて、一番明るく晴れ晴れとしている。

 やっぱり原っぱは一面朝露に濡れて輝く。

  側に大きな門。これが正門かしら? だとしたら、ここが初めだったのかな。
 この極小のパンテオンから、段を降りて、冥界へようこそ。
 
 この庭は、どこまでが冗談でどこまでが本気なのか分からない。
 全部が全部ねたのような気もするし、露悪的な冗談の陰に主の言葉に出来なかった本音がまぎれているような気もするし、全て破滅的なイメージに苛まれた都会人の病んだ妄想のような気もしてくる。
  今やその本意はなかなか失われているようで、つまりは、どなたでもお好みの解釈をすることが出来る。
 見た目も普通に面白いので、何も解釈しないでも十分面白い。


 上の解釈(そんなものではないけど)は、例えていうなら、昔の中国の白文を見て、自分が日本語として読める漢字だけを拾って、それを無理に意味のあるように繋げてしまったようなもので、要するに、単なる連想の遊びであります。
 でも、ここで私は、思わずこんな空想を巡らせてしまっていたのでした。


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イタリア旅行記 ベルニーニとボロミーニとカラヴァッジョのための聖堂巡り

 ティボリ半日観光を終え、ローマ市内に戻ってくる。  2日目午後にしてようやくのベタな市内観光です。この辺りはおおむねガイドブック通り。
 本日の行程の主なる目的は、バロック巡り。特にカラヴァッジョとベルニーニとボロミーニを見る、バロックとバロックでバロックなバロック王道の旅。バロック建築がこれで全てではないけれど、一番有名どころだけ狙っていくという、オーソドックスな旅程ってやつです。まあ、ローマ旅行ではこれもやりたかったんだよ!
 勿論、ヨーロッパの街並みというものは歩いているそれだけで異国情緒。目的地も、目的地と目的地の間の路地も、等しく観光です。
↓歩ける距離かを測るために利用したグーグルマップ。

  露天であちこちお土産絵を売っているナヴォーナ広場から

 例のベルニーニの噴水を楽しみつつ、早速チェックに向かうのは、近くのサン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂
 何でもローマの教会は、正午頃から3、4時頃まで、お勤めか何かで閉まってしまって観光出来ない。 これは教会巡りしたい身にとっては、厄介な習慣でした。申し訳ないけれど(笑)
 しかも、ガイドブックによって記載している開館時間が違っていて、もう現地確認しかない訳です。

 さて、3時半に解禁になるというサン・ルイジ・デイ・フランチェージ。まだ時間があるので、近場をうろうろ。
 すぐ近くにあるのは、例の有名なパンテオン。

ジョヴァンニ・パオロ・パンニーニ<パンテオン内部>
 アグリッパが………作ったらしいよ!(←読めてない)
 何だか有名すぎる上に、それ風の絵や版画などを沢山見て、今まででもこれ風のドーム天井や模した空間を何度か目にして、……初めて見る気がしません(笑)
 むしろ私の写真より、パンニーニの絵のが分かりやすいよ(笑)
 やっぱり、明かり採りの天井の穴からの陽光が素敵だなぁ。天使の彫刻をぱちり。実力を顧みずデッサンとかしてみたい。

一応、ラファエロの墓もお参りなむなむ。

 骨董店の並ぶコロナリ通りをテヴェレ川に向かいます。
コロナーリ通り。
 そこを抜けてテヴェレ川沿いを歩くと、サン・タンジェロ城。もっと時間があれば中にも入りたかった、ハドリアヌス帝の霊廟です。
 橋の上の天使の列のどれかがベルニーニの彫刻のコピーだとか…。どれかと分かるほどには勉強していません。

 でも天使の並んだ橋で、いちいちの天使がいちいちポーズ決めていて、面白かった。
 イタリアに来てから天井や空を見上げてばかり。結局これは旅行中だいたいそうなんだけれど。
 この街の人達は、昔からこんな風に下から立体的な人体を仰視する体験にすっかり慣れていて、それが天井画で仰角に描くときも有利に影響したんだ、きっと。
 大体、あの曲面の天井に下から見て破綻なく窓やら人体やらを描けるのが魔法のようだ。

 橋の上の眺望。テヴェレの眺め。ザ・ローマ。
まるで絵のようなザ・イタリア風景。
 だから、絵がローマのような風景を描いているだけであって、ローマが絵のようである訳ではないのだけど、やはり絵のようだという賛辞を贈らざるを得ない。

 さて、サン・ルイジ・デイ・フランチェージ。
 何故ここに行きたいかというと、

これだ!カラヴァッジョの聖マタイ!
 ……写真下手過ぎですよね…! もう、感動のあまり手が震えて撮れなかった、とかいうことにして下さい。絵も聖堂内も暗いめで、どうしてもピント合わせてくれなかったデジカメ。

 最終的に、小さな液晶越しに絵も見ているのが馬鹿らしくなって、綺麗に撮ることは諦めた。有名だから綺麗な図版も他にあるし。
 激しい明暗を描くカラヴァッジズムというやつは、やはり心を打つものです。

 有名で美しく大きな図版が沢山あるからといって、それが本物を見ない理由にはならない。特にこういう絵はこの聖堂のこの場所に設置されている価値もあるから、仮にひっぺがして日本で大々的に巡回展をしたとしても、やはりこの場所で見たいのです。……もっとも、日本に来るなんてそんな事が起こったら、大喜びで見に行くけどね。

 サン・ルイジ・デイ・フランチェージのフランス王家っぽい?内装とオルガン。オルガンを天使が支えてるのが大好きだ。
 さて、ようやく教会が空く時間。
パンテオン辺りからテルミニ駅方面に徒歩で向かいます。

 次の目的地は、クィリナーレ通りにあるサン・タンドレア・アル・クィリナーレ。ベルニーニの設計によるバロックの聖堂です。

 途中の道にちょうど良くトレヴィの泉。とりあえず、小銭を投げ入れてみる。

 とりあえず地図で見て最短と思しき道を選んで通って来たけれど、これは多少失敗しました。
 クィリナーレ宮殿のあるクィリナーレの丘を越えて行くのですが、予想以上の傾斜。少なくとも東京都心ではきっと滅多にお目にかかれないくらいの急斜面です。それを直線距離で数十メートル行くのに、登ったり降りたり登ったり登ったり降りたりした。

 街路樹のオレンジ。下の方、人間の手が届く辺りの実が無くなっているのはやはり……。


 さて、サン・タンドレア・アル・クィリナーレに到着。

 空間は小ぢんまりしている。例の楕円の丸天井に彫刻が浮いたり腰掛けたり、精霊の鳩の居る明かりとりの天窓からケルビムが溢れたりしている。

  アンデレの磔にされている祭壇画など、放射状の神々しい光線が彫られています。いかにもバロックな。日常使いには少し大仰かも知れませんが、宗教的昂揚感を煽るような超常的な光の筋をも表現した彫刻。バロックですね。わーい本場の現役の生バロックだ。

次はすぐお隣の聖堂、クィリナーレ通りとクアトロフォンターネ通りの交差点に四つの泉の彫刻のあるサン・カルロ・アッレ・クアトロ・フォンターネ。

   サン・カルロ・アッレ・クアトロ・フォンターネですとも!
 サン・カルロ・アッレ・クアトロ・フォンターネ聖堂はベルニーニのライヴァル、ボロミーニの設計で、昨日訪れたバルベリーニ美術館、あのボロミーニの階段は見なかったバルベリーニ美術館にもすぐ近く。
 …早口言葉みたいで舌を噛みそうです。
 これだけ歪んでいても、実は古典建築のオーダーは守られているのだとか 入り口は、その有名さに比べて意外なほど間口が小さい。
 中に入ると清廉とした白。
 リズミカルな白。

やはり大きな空間ではないけれど、楕円の天井と聖霊の描かれた明かり採りから、堂全体に清らかな白い光が広がっています。

 なんて親密な無彩色だろう! なんと隔絶した白だろう。
 先ほどのベルニーニの金と天井に張り付いた彫刻とは違って、何も添加した飾りはありません。が、中心になるほど小さくなる幾何学模様の陰影が装飾になっている。

 場所も建てられた時も近い2つの聖堂ですが、それぞれの建築を貫く理念は全く違う。……これはベルニーニとボロミーニ、仲悪そうだな。

 名残を惜しみつつ、そのまま真っ直ぐ、9月20日通りを進み、サンタ・マリア・ヴィットーリア聖堂。目的はもちろんこれ。
このベルニーニ劇場が見たかった…!
 これを見ずして、バロック巡礼ツアーにはなりません。いや、この旅程だって十分とは言えないけど(笑)

 もしこれを、本当にこの場所から剥がして彫刻だけ展示して、裏からも横からも見れます、なんてことをしたら、どうだろう? やはり大喜びで見に行くけど。
 ベルニーニの有名な彫刻だけでなく、内装はどこもかしこも装飾だらけで超面白い。
 天井画は、なんとかして建築の構造からはみ出ようとしている。

 たとえば天使の舞い飛ぶオルガン。

 本当にローマの街は、ベルニーニの街です。何かと言うとベルニーニです。

 聖堂のすぐ近くにエジプト風のライオン噴水と角のあるモーゼ立像。口から水をぴゅーと出してるライオンかわいい。

 テルミニ駅の方へ向かうと、ミケランジェロが屋根を設計したという、古代のディオクレティアヌス帝の浴場跡を転用したバシリカ。遺跡っぽさは残りつつ、見事に現役の建物として修復されている。

 そんな遺跡っぽいの外見のぼろさからは想像出来なかった高く広い十字の大空間に驚く。

 その聖堂の脇にある古代遺物の博物館(多分)にもふらり。
 夕方はもう閉まっていましたが、ただ前庭には浸入出来ました。
 小さくも面白い庭で、古代の発掘品を庭園装飾としてバランス良く並べている。こういう庭って本当にいいなぁ。

  本当にピラネージの破片の絵みたく、あちこちに整理しきれていないちょっとした遺物がごろごろ転がしてあります。冬の白い花咲く草の上に、無造作に横たえてある柱の数々、など。 
 円柱に棚を渡して、蔓草を這わせてあります。…この柱も発掘品なんだろうなぁ…。遺跡の発掘品を実生活へ転用するユベール・ロベールの名残を見た気がしたのでした。


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おまけ
庭の噴水にて。よくある世界猫歩き(笑)

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イタリア旅行記 ティヴォリ半日観光‐ヴィラ・デステ後編

館の端からいよいよ外へ。既に第一歩から美しい。
 
 庭の初めのデザインはピッロ・リゴーリオという芸術家。
 この人は考古学にも明るく、近くのハドリアヌス帝別荘の発掘研究もしたのだそうで、その成果をエステ荘でも生かしたのだとかいうことです。
 イタリアの考古学者は美術家でもなければならない。しかしイタリアでも何処でも古今東西、多分考古学者は美術家たるべきだし、大なり小なり美術家なんだろうな。
 
 邸内や庭にヴィラ・アドリアーナから発掘されたものを並べたこともあったけれど、現在までに持ち出されてしまっているそうです。
 VilladEste-vault.jpg corot-tivoli.jpg
 
 右:カミーユ・コロー<ヴィラ・デステ>
 この写真の場所は、まさしくコローが下から描いたこの場所。
 
 そして、欄干。コローの欄干だ!
VilladEste-balustrade.jpg CamilleCorotTivoliLesJardinsDeLaVillaDEste.jpg
コロー<ティボリ、ヴィラ・デステの庭>
 本当にこの絵は傑作です。実際を再現した訳ではないというコローの絵を見ていても素敵な場所だと思っていたけど、実物も素晴らしい。
 この絵はこの欄干と起伏に富む背景だけでほぼ完結しているけど、描かれていないところで数々の噴水のある下の部分と、手すりの陰になった裏側が、広がっていたのです。
 でも庭の最上段のこの手すりに、このように座ってみる勇気は流石にありませんでした。割と高所です。
 
 我々はコローの絵の裏側に降りて行きます。
 ローマを表現した噴水は日に輝き、苔に覆われてテヴェレ川の擬人像が隠れている。狼と双子の像やオベリスク。
 VillaDeste-rometta.jpg

 もっとも美しいパサージュ、百の噴水。
 VillaDeste-LesCentsFontaines2.jpg VillaDeste-LesCentsFontaines.jpg
 二段になっていて、水は上段で垂直と扇状に噴き上げ、下段で怪物たちの口から吐き出されます。
 苔が張り付き、柔らかな植物が生え垂れ下がり、それらとすっかり同化した石の怪物たち。怪物の顔は流水と植物に変わってしまう。
 延々と百も連なるそれは、水と植物と石のグロテスク!
 全くそうです。私はグロテスクの間を歩いている……なんて空想。
 
 そこを通り抜けると卵形の噴水。
VillaDeste-FontaineOval.jpg VillaDeste-FontaineOval2.jpg
 滝の裏側を通り抜ける半円のアーチ回廊。今は通行禁止なのが勿体ないけど、なんてファンシーなんだろう。空想の先では容易に柱の隙間から光の射すこの薄暗い道を歩いて行けます。
 水の滴る音を耳元に聞くでしょう。風も感じるでしょうか。アーチの低い天井に水の反射が踊ることもあるのかしら? 揺らめく水越しに、暗い中から明るい庭が、或いは隠れて、或いは隙間から見えるのでしょう。
 回廊を抜けたその先から振り返った反対側の景色は、我らがロベールの素晴らしい素描におまかせ!
 HubertRobertVillaDeste-FontaineOval.jpgユベール・ロベール<ヴィラ・デステの庭>

 水の自動演奏オルガンがあったりします。
 VillaDeste-Organ.jpg
 水の圧力で風を送り、水流で孔を開けたり閉めたりするのだそう。
 音を聞くことは出来ないけど、装飾がオルフェウスなので、音が出ないときも問題ない。庭というのは何かしら理想の世界をなぞろうとします。オルガンとオルフェウス=音楽=調和かしら。
 神殿風の噴水としての外見も面白いけれど、小難しい科学やら物理学やらを(超文系人間なのでその類はどんな些細なものでも何でも小難しいのです)、このような巨大な玩具に惜し気もなく投入するのが、何というか小気味いい。しかもきっと当時最先端の科学でおおはしゃぎだったに違いないのです。

 大音響の噴水を上から見下ろす小さな台がしつらえられて、それに従って見下ろすと、虹が掛かっている。これが虹を見るために設置されたのだとしたら、洒落ているじゃないの(笑)
VillaDeste-Rainbow.jpg
 豊富な水量が勢い良く噴き出すのは、やはりリッチな感じ。水の轟きが気分を高揚させます。
 
 そして。
cypresses-in-the-garden-avenue-of-t-jean-honore-fragonard.jpg VilladEste-cypresses.jpg
 フラゴナール<ヴィラ・デステの庭の大糸杉>
 糸杉!!
 ここだ、この場所だ!
 フラゴナールの素描にあった、あの大きな糸杉。ヴィラ・デステの糸杉!
 ついにここに来たぞ、まさにこの辺りでフラゴナールは素描していたんだ。
 同じ糸杉かしら? 250年経って幾分成長しているみたいで、糸杉の全てを写真に納めるには、フラゴナールよりずっと下がらないとならないみたい。
 この糸杉は、もちろん勝手に生やしたものではなく、いつの時代からか(始めからなのかどうか知らない。)しっかりと庭園デザインのモニュメントとして植えられています。
 噴き吹き上げる水と呼応して、うねる対なる樹の幹が空に伸びる。
 後で見て回ったけれどフラゴの素描の奥の謎の物体もきちんとありました。
Cypresses-inTheGarden-ofVillaDEsteFragonardDetail.jpg VilladEste-FontainBernini.jpg
 そこからでは靄に霞んで実際には見えなかったけど、ベルニーニが設計したという噴水で、確かに庭の中軸に置かれています。
 
 
 インパクト大の豊穣のディアナの噴水、「エフェソスのアルテミス」。
9654744c.jpeg
 古代ギリシア(多分)のエフェソスで信仰されていた豊穣多産の女神像。
 これもどこかローマ遺跡から発掘した古代の彫刻が元になっていて、大理石の物がヴァチカンにありました。
 もちろん、ヴァチカンのは沢山の乳房から水が出たりはしない。すべすべした大理石のヴァチカンのと違って荒々しい石で作られていて、私には余計に「ご利益」がありそうに見えます。
 この女神像はその異形なデザインに一瞬びっくりするけれど、確かに生命を育む母なる大地の豊かさというものが表現されていて、この古風でストレートな発想は面白い。
 まあ、胸から水が出る発想はやっぱり一瞬びっくりするけれど、水というのも生命を育むものだし、それが噴き出すのも、やっぱり元の豊穣のモチーフを強調するもので、違和感は無いし、むしろ意味の重複を狙ったものだと思える。
 設置してある台も掘り出したそのままという風の、「自然」を模しているのかしら。
 由来は知らないのだけど、やはりリゴーリオさんの着想だろうか?
 
 楕円を描く階段。ヴィラ・デステの大階段!
 Staircase_in_TheGardens_ofTheVillaDEsteTivoli.jpg VilladEste-staircase.jpg
 かと思っていたのだけど、あれれ、フラゴナールが言ってたより、意外に狭くて小さい。
 図版に、フラゴナールはかなり拡大して描いたなんて、説明があったけど、本当にそのようです。
 この絵を見て、広大なヴェルサイユ的な庭園とかを若干イメージしていたけど、実際は、建物もそうだけど決して物理的に広い庭ではない。
 もっとも、真実の確認に来た訳ではありません。そんなものはどうでもよろしい。この庭、この空気、この空間がどのように画題を提供したか、し得るか、なのです。
 でも、まさにここ。フラゴナールも確実にここに立った違いない。
 
 
 
 
 ところで、帰国後でエステ荘の思い出を某氏に喋っていると、フランツ・リストが「エステ荘の噴水」というピアノ曲を作曲している事を教えられた。
「印象派の先駆けとも言われる結構有名な曲です。知らないんですか?」
「リストは一顧だにしてきませんでした。エステ荘の噴水なんて素敵! 少なくともタイトルは気に入りました。」
 早速、調べてみると「巡礼の年」という曲集があって、その中の1曲ですって。そしてこの巡礼の年という曲集、タイトルだけ見ると、超面白そう!
 例えば「エステ荘の糸杉」。「ダンテを読んで」
「サルヴァトル・ローザのカンツォネッタ」とか、何それ何それ、どんな曲なんだろう。デュゲでもマニャスコでもなくローザって言うからには、山賊のお話なんだよね。場末の酒場で出会った無口な男、元山賊ローザがぽつりぽつり話す冒険潭とか、雷鳴轟き狼の吠える峻険な山道で山賊ローザに出くわして冒険に巻き込まれるとか、指輪物語的な(しかしラノベな)壮大な展開を超妄想しちゃう。……山賊から離れろって(笑)で、リストのおじさんが暖炉端で話してくれるの(どんなキャラ)
 念のため言いますが、サルヴァトル・ローザは伝説の山賊ではなく、ちょっとロックな風景画を得意とする画家です。山賊が出没しそうな雰囲気の荒々しい山の描写が格好いいので、いつの頃からかローザ山賊伝説が生まれたのだということです。
 でもローザと糸杉の曲、CDはとても少ないみたい。図書館にも無かった。…そんなにポップな聴きやすい曲ではないとみた。
 でもいつか一聴はしよう。「巡礼の年」のエステ荘の糸杉。
 私にとっても、まさに巡礼地だったのですから。糸杉を思うと、必ずこの巡礼地を思い起こすことでしょう。
 
 
 ティボリの思い出はこれでおしまい。

 本当は、このシビュラの神殿も見たかったのだけど、冬季は解放していないのだって。
PiranegiVesta.jpg JakobPhilippHackertVesta.jpg
左:ピラネージ<シビュラ神殿>、右:ヨハン・フィリップ・ハッケルト<シビュラ神殿>
 今は知らないけれど、かつてはこのような風景だったらしい。その面影でも今は見られるでしょうか。
GasparVanWittel-View-ofTivoli.jpg JakobPhilippHackertGreatCascadesatTivoli.jpg
左:ガルパール・ファン・ヴィッテル、右:ハッケルト<ティボリの大瀑布>
 FragotGreatCascadesTivoli.jpg 
フラゴナール<ティボリの大瀑布>
 流石にこれは残っていまいよ、多くの人の心を捕えたアーチの高架。
 
 ティボリの大半は、まだ夢の中です。

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なんせんす・さむしんぐ

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