ヴィラ・デステ!
どれ程の憧れを持って、幾度この名を口にしたことか。
ヴィラ・デステ! 種々の凝った噴水で知られるエステ荘のあの庭、今はどんな風になっているんだろう? あの2本の大糸杉は、まだ健在なのでしょうか?
フラゴナール<ヴィラ・デステの糸杉>
枢機卿イッポリート・デステが、要人を歓待し自身の教皇選挙に有利になるよう、政治的野心で建築しはじめたというヴィラ(別荘建築)。
ところが教皇1人がいればその何倍もの教皇落選者がいる訳で、夢破れた後、ここで隠居生活を送ったのだ、というのがガイドさんのお話。
それから幾度か手を加えつつも時が経ち、十八世紀には管理するものもいなくなり、出入り自由の荒れ放題となっていたそうです。
フラゴナール<ヴィラ・デステの庭>
繁茂する木々で薄暗い中で、まだ残っている泉が木漏れ日を反射している。一体どこまでが現実で、どこからが幻想だったのだろう。もしかして、フラゴ自身も実物以上に故意にファンタジックにしているのではないかな。
構造がよく分かるピラネージ。…この図はピラネージ得意の(笑)復元図かしら? 現代以上にすっきりしてます。
ピラネージ<ティボリのヴィラ・デステ>
つまり、このように大きな高低差があり、それぞれの段をジグザグの階段で繋いでいる庭なのです。フラゴナールの絵では、どうもその階段は植物で塞がれていそうです。
もちろん、現代ではきちんと整備され、ごく普通の、ヨーロッパを代表する世界遺産の後期ルネサンスの名庭園として一般公開されています。
さて現代の我々は、教会脇の裏口のようなところ、しかし美しく彩色された通路から別荘の中へ入る。
早速回廊のあるちょっとした中庭になっていて、早速ローマの遺物を利用したちょっとした噴水が壁に設置されています。
浅浮き彫りのティヴォリの風景を背景に、ヴィーナスがヘスペリスの林檎の樹で出来たニッチの中で眠っている。
ちょっとしたと言いつつ、日本でこんなヴィーナスの噴水があったら、それはもう大層なものですが、この庭園、またローマのその他の壮大な噴水に比べると、どうしても淡々としているように見えてしまう訳です(笑)
室内は、白い。現地で買ったガイドブック(日本語ちゃんとあります)によれば、結局未完のままの部分もあったそうですが、それとも放っておかれた間に傷んでしまって、止む終えず白塗りにしたのでしょうか。
室内は残念ながら撮影禁止らしい。
意外にあっさりした室内にどぎまぎしながら奥に進めば、きちんと美しく豪奢な装飾が残っています。
グロテスクに縁取られた神話画、枢機卿を誉め讃える寓意画、ティヴォリの風景、狩猟の風景、庭の完成予想図、大理石の柱の騙し絵、哲学者風の胸像の騙し絵、カーテンに隠された戸棚の騙し絵。
本物の入り口に対称となる位置に、そっくりに描いてある扉の騙し絵には、そこから入ってこようとするルネサンス人が取り残されています。彼らはいつまでも当時の服を着て、今だに忙しく出たり入ったりしているのでした。
ある天井画は下から見上げた柱が枠になっていて、実際の天井より高く見せようとしています。
確かに、巨大な建築では決してない。広く見えるよう、上記のようなトロンプ・ルイユ(騙し絵)がふんだんに使われているのでしょう。
それにしてもトロンプ・ルイユは本当に面白い!
平面でもって、現実と繋がった立体的な空間を錯覚させるような絵って、単純に面白いと思うのです。
描き手の主義など殆ど反映しない装飾画ですが、トロンプ・ルイユにはトロンプ・ルイユなりの主張があって、無理に詩的に言うなら、独特の声がする。それもかなり騒がしい方。
しかも時には仲間のグロテスクと一緒になって、レチタティーヴォで。もちろん、日常的にレチタティーヴォで喋る奴らなんか鬱陶しいには違いないけど、でも部屋を広く見せ、人の目を驚かせる使命をきちんと弁えていて、その声はなんとも微笑を誘うのです。
バチカンのラファエロの間然り、ボルゲーゼ、バルベリーニ然り。日本ではぴかぴかのものが舞浜でしか見られないような(過言です。しかも舞浜は侮れない)、本場の古雅なトロンプ・ルイユ。いや、騙し絵の本場が本当は何処なのかは知らないのだけど。
バルベリーニにあったような下から上へ天井を突き抜けて見上げるような構図の天井画は、バロックの専売特許のように言われますが、このヴィラ・デステの大広間の天井画は、見上げる構図なのは枠としての柱のみです。本体の絵は、ざっくりいうとラファエロ的な、沢山の神々を水平に並べるもの。
全体的にまさにルネサンスの産物とも言えるような騙し絵なのです。つまり直感でなく、計算で本当らしく見せる。
そして多分、対象に当てる光源がルネサンスの光。ルネサンスなバチカンとバロックのボルゲーゼと比べると、バチカン寄り。
そう、エステ荘の壁画は制作年に違わず、後期ルネサンス、ないしはそろそろマニエリスムの領域といったところ。
でも、ルネサンスとマニエリスム、そしてバロックと、美術史上の時代区分として対立項のように比べられることは多々あれど、こうした騙し絵への志向には、ルネサンスとバロックは同線上にあり、ルネサンスのリアリズムが既にその内にバロックの種子を孕んでいたことを感じます。
美術史って本物に面白い。
まあ当たり前のことなのですが、実際にそう視ると俄然面白いよね。
さてさて騙し絵以上に大好きだったのが、そこらじゅうに描かれたグロテスク。ボルゲーゼやバルベリーニのバロックのグロテスクは重く、ごてついているけど、ここのは、余白多めで軽快なセンスが好き。
これは、参考にヴァチカンのグロテスク。これより、もう少し重い目だけど、重すぎないのがエステ荘のグロテスクでした。
ああ、やっぱり、グロテスクとはいいものだな。本当はいつまでだって見ていられるのです。
現実の形象を離れて、変幻自在に千変万化する生き物や植物が、現実の時間、空間、重力を離れて、次々と気まぐれに連鎖し、しかし自由な秩序で構成されていく。
なんというのでしょう、遠近法も錯綜していて、トロンプ・ルイユとは真逆で現実を再現する為ではなく、平面空間を区切るための手段にすぎません。
抽出し、濾過し、昇華し、結晶化した、空想。
私の心もこのように(grotesquement!)ありたいものです。
以下本筋には関係ない脱線。
ところで、クープランのクラヴサン曲に「アルルカン」という道化師の一種を描いた曲があり、その指示標語が「grotesquement」(グロテスクに)。なんとも音楽的でないそそる指示ではないですか?(笑)
私は、グロテスクというと殆ど上のような勝手なイメージを抱いているので、グロテスクなアルルカンと聞くと、身も軽く不条理の世界を無重力に、あらゆる物理的法則を無視して自在に飛び跳ねる道化師とか超格好いい! と一瞬勝手に妄想します。クープランの「解釈」でなく、字面上のロマンチックな連想ゲーム。……言葉にするとロマン主義に過ぎて、すこし自分で引きました。
この曲におけるグロテスクとは何か、私は妙に気にしていますが、ジャック・カロみたいな感じなのかな?
ジャック・カロ<2人のパンタロン>
これは、アルルカンじゃなくて道化仲間のパンタロンさん。
変な動きが気持ち悪くていらっとくるけど、ものすごく訓練してあって、実は洗練していて隙がないみたいな。
もし本当の手練れだったなら、何のしがらみもなく、変幻自在の無重力感を表現出来たい。
あの、お分かりでしょうが、本当に念の為にいいますが、クープラン時代のグロテスクという語の意味・用法とか調べた訳でなく、むろん解釈なんてものでなく、あくまでも個人の勝手な痛いロマン主観であり、曲自体は隣り合う鍵盤のぴょんぴょんって不協和音がお茶目な曲です。
ずっと2度の音程の八分音符のリズムを刻んでいたのに、サビの部分は半分の四分音符だけで、そこに余白を感じます。で、その一瞬の余白でキメの2度の和音を左右の指でぶつけるのが素敵だな、と。
ごく単純に、これぞアルルカンっぽい(見たことないけど)と思うのです。
ついでにまだ脱線するけど、アルマン=ルイ・クープランの「アルルカン、あるいはアダム」も最後の短いクプレで、急にふっとシリアスになって、ぐっときます。滑稽な動きの仮面裏の素顔は実は笑っていない、的な、ね。……やっぱりロマンですね。ローマ旅行だからいいよね。
脱線終わり。エステ荘に戻って。
世俗の愉しみの粋を尽くそうとしたかのような建築でも、一応小さな礼拝堂があって、宗教画以外は古代モチーフな感じの装飾でびっしり。本物の大理石なのか絵なのか、最早分からない。
邸内どこもかしこも、古代風のグロテスクと、いかにもルネサンス以降な古代風の壁画で彩られています。
実際、このヴィラ・デステを「発掘」すると、どうやら本物の古代ローマの家の床が出てくるらしいです。
これは、やはり古代の貴族の別荘地ティヴォリにあるこのヴィラも、古代に連なり、古代の再現たろうとしたのではないでしょうか? いや、当てずっぽうだけど、あり得ない話ではないと思ってる。
邸内の装飾にティヴォリの縁起神話が描かれているのも、この説をこじつけられる、とかどうでしょう。
テラスから庭を見下ろす。
本当に急斜面に建てられていて、建築的なことは分からないけれど、ファンタジックな設計とそれを実現させる技術の素晴らしさを感じます。急斜面ならではの設計だけど、多分、急斜面だから施工の大工さんは散々な目にあったのではないでしょうか。
室内噴水のある円筒ヴォールトの長い廊下。9割方残っていませんが、幾つもの泉を設置し、漆喰のような立体的な装飾で、隙間に鳥もいる、つる棚のトンネルみたいな素敵な空間を演出していたらしいことが窺えます。
斜め頭上に天窓があいていて、天然の光を入れている。本当につる棚の中を歩いているようだったに違いありません。
館の端からいよいよ外へ。長くなるから次回へ続く。
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