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○なんせんす・さむしんぐ○

美術や音楽の感想とか、動物中心のイラストのブログ。

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Barometz Ornament


 最近バロメッツが妙にツボに入ってしまったので、衝動的にバロメッツ的な何かを描いてみました。

 何でしょう、これ。

 描いた本人も描かれたものの意味が全然分からないのですが、「こんな感じっぽい雰囲気の何か」を描きたかったのです。
 で、結局バロメッツかどうかも怪しくなっているとか。まあ結局、読み取るべき意味が無いという……。

 雰囲気づけの為だけのゴシック風の文字列は、羊繋がりでパエドルスの寓話「Lupus et Agnus 狼と羊」です。

 このゴシック風のブラックレターは、むろん読まれることを意図していませんが、内容が気になって気持ち悪いって方のために、下になんちゃって訳を付けておきます。

 翻訳というより辞書と文法書を頼りに文章を眺めていてこんな意味かなと読み取った内容、というだけの代物ですので悪しからず(笑)
――――――――――――――――――――――――――
 ある同じ川に、 喉の渇きに駆られて狼と羊がやって来た。
 上流に立っていたのは狼で、そしてずっと下流に羊がいた。
 やがて、節操のない喉を持っていたので、この乱暴な略奪者たる狼がいさかいの口実を述べ始めた。
「一体なぜ」
 と、狼は言った。
「俺の飲み水を濁らすのだ?」
 これに対し、綿毛の生き物は怖がりながらも言った。
「伺いますが、貴方の訴えるようなことが、なぜ私に出来るでしょうか、狼様。貴方から私の方へと飲み水は流れているのですよ。」
 真実の力で反駁されて、狼は断言した。
「この6ヶ月前にも、お前はそんな憎まれ口を叩いたな。」
 羊は答えた。
「確かなことですが、私は生まれていませんでした。」
「神かけて言うが、お前の父親も」
 狼は言った。
「俺に憎まれ口を叩いたものよ。」
 そしてこのようにして、襲いかかると不当に引き裂いて殺してしまった。
 あの狼みたく、偽の理由で無実の者を圧し潰す人々のために、この寓話は書かれたのである。

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Le Diable Amoureux

でも、貴方は知ってなければならないわ、
 あたしが何かって。
 あたしは、悪魔よ、
 いとしいアルヴァーレ様、

 あたしは悪魔なの・・・

 言って、出来るだけ優しく、
 あたしが貴方をもっと感じられるように。
 いとしいベルゼビュート、

 君を愛す、って・・・


 フランス18世紀ジャック・カゾットの小説「悪魔の恋」より。毎回分かりにくいネタですみません(笑)
 スペインの青年貴族アルヴァーレは、月夜のナポリの廃墟で巨大な駱駝の首の悪魔、ベルゼビュートを召喚し、見事に従えることに成功する。
 因みに初版本のだというアレな(笑)出来栄えの木版挿絵
 ところが、ベルゼビュートは美少女の召使いビヨンデッタに変身して、主人公アルヴァーレを堕落させようとあの手この手で誘惑してくる。アルヴァーレは相手の正体が悪魔と知っているので、抵抗しつつも次第に愛情を抱くようになり・・・
 作中では、ビヨンデッタという可愛い?名前を与えられる悪魔ベルゼビュート。拒絶されてもいじらしく健気に振る舞うけど、どこまでが計算ずくなのか、それとも本当に恋をしているのか。
 そして彼女は「悪魔としての本当の私を愛して」と要求する。
 果たして、アルヴァーレの運命やいかに!?

 という内容です。

 男装の美少女に給仕してもらったり、美少女が泣きながらチェンバロを弾くのをこっそり壁の穴から覗き見したり、ヴェネツィアの娼婦に背中を刺されたり、良い雰囲気になったところで犬にコートの裾をひっぱられたり、スペインの田舎の結婚式で飛び入りでファンダンゴ(結構激しいスペインの民族舞踊)を踊ったり、ジプシーのおばあちゃんに未来を占ってもらったり、農家の納屋で二人きりで嵐の夜を過ごしたり、青い燐光を放つカタツムリで部屋がびっしりになったり、ディテールが大好きです。

 フランス幻想文学の祖と言われる作品だそうです。
 物語としても面白いのですが、悪魔=宗教などを信じない先進的な思想=悪徳と、旧家の青年貴族=昔からの伝統的で保守的な思想=道徳との対決がテーマらしい。
 だから悪魔の方が近代的な考えをしていて、「あたしが好きなら結婚して」と迫ると、「お母様に許可してもらってからでないと」という主人公に対して「あたしは貴方と結婚するのよ、お母様じゃないわ」と言ってのける。
 のちのちギロチン刑にされるほど保守派のカゾットにとっては、この啓蒙の世紀がもたらした自由な思想が、社会の秩序を乱す悪魔(しかし魅力的な)だったのだ・・・という解釈とか。

 さらに最近、悪魔の恋について検索していたら、ビヨンデッタは女性形だけど、ベルゼビュートは男性形(ma shereでなくmon sherと男性形で呼びかける)なので、本当は男説っていうのが出てきました。何か話の雰囲気変わっちゃう気がするけど……そう解釈すると、そりゃ余計に躊躇うよね。
 結構深読み出来る面白い小説です。



 お気に入りの18世紀のフランスの小説家、ジャック・カゾット。といっても少ししか日本語訳されていないので、少ししか読んでいないのですが…。
 例えば、楽器で会話する人たちの住む島に捕えられた主人公たち。脱出のとき、島民のコミュニケーション手段を奪って時間を稼ごうと、夜のうちに「ヴィオルやヴァイオリンの駒を外し、クラヴサンのジャックを全て抜く」という地味に残虐な行為を思いつくセンスが大好きです。
 翌朝のクラヴシニストの絶望感とか、想像するに笑える。

 カゾットは、わりとチェンバロに興味があると思うのよね。
「悪魔の恋」でも、女の子がチェンバロを弾くのですが、高さ調整の出来るピアノ椅子でなく普通の椅子に座っていて、それだと女子にはちょっと低いらしいので、分厚い本を椅子に乗っけるっていう描写があって、結構写実的だなって思ったりとか。

 と、少しだけ語ってみる。

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12月22日お返事!

ライネ様>
 再びのご訪問、そしてお返事ありがとうございます☆
 こちらこそ、遅くなってしまい申し訳ありません。

 オーソドックスなものも十分面白いですが、マニアックな展覧会、難しい展覧会どんと来いです。
 グエルチーノは、都美へウフィッツィ展を見に行った折、西洋美術館で情報収集(笑)をしたときにポスター見て、テンションあがりました。
 まさかのグエルチーノ。
 思わず、その場で「早割チケット(1,100円)」買っちゃいました。バロック楽しみだなぁ!チケット無くさないようにしなくては。

 まあ、フランス・バロックは確かに一般受けする感じはしませんけど、美術史的にはもうちょっと勉強したいところです。
 バロック無くしてロココも新古典もありませんからね。

 フェルメール、数も少なく本物コンプリートしやすい、というのも人気の理由の一つだそうですね。このまま日本にいながらにして、フェルメール制覇出来るでしょうか(笑)でも「真珠の耳飾り」のときはちょっと、あまりにお祭りで、見たうちにカウント出来ないかしら…。
 私もフェルメール好きなんですが、作られたブームに強制参加させられるのは…けど注目されて美術館巡礼のすそ野が広がるのも嬉しい…けど、その他周辺のオランダ画家が当て馬にされるのも違和感が…とか、ちょっともやっとしてしまいます。いや、考えすぎですね。素直にフェルメールその他のオランダ絵画が見れることを喜びます。

 書籍情報ありがとうございます!
 「名画は嘘をつく」…アマゾンで見た感じ、ポップでロベールが出てくる感じではないですね(笑)
 でも、こんな有名な絵ばかり扱ってそうな本にロベールが出るなんて、出世でしょうか。…これはまだ出たばっかりなのですね。いつか近場の図書館に入るかな…。

 「ローマ百景」! 目はつけているのですが、近場の図書館が持ってなくて、購入はどうかな?ってやつです。やっぱりロベール出てきますよね、絶対いると予測してました。
 しかし、ジョフラン夫人のサロンが話題に上っているらしいとは、ひじょうに気になります。ああ、また積ん読が増えてしまいます。

 ほほう、グルベンキアン美術館。
 さっそくグーグル先生に聞いてみました。リスボンの美術館ですね。
 ユベール・ロベールの植え替え工事、この絵は知らなかったのですが、ヴェルサイユも別バージョンで所蔵しているんでしょうか。
 (そういえば、先のうらわ美術館のルーヴル版画展の冒頭に往時(多分ロベール以前と認識してますが、うろ覚えです(笑))のヴェルサイユの庭の木立の迷路の版画があって、ファンシーで面白かったなぁ。)
 結構大伐採してますね(笑)シーソーで遊んでる人もいるし、ロベールお茶目さん。
 これは…ロベールの庭園デザイナーとしての仕事の一環なのでしょうか。彼のお庭デザイナーとしての活動もあまり詳しく知らないのですよね。当時の雰囲気が垣間見られて、面白いです。
 ここには、フラゴナールの<ランブイエの祭り>(と私はタイトルを覚えていたのですが、どうやらもっと穏当に<愛の島>に変わったようです。)も所蔵してますね。これも見たい!

 また面白いお話、ありがとうございました。
 もう年の瀬ですね。良いお年をお迎えください♪

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廃墟のロベールと廃墟になったルーヴルへの妄想

ユベール・ロベールの話題が出たので、彼について最近考えていたこと。
 知ったかぶっているけど、あくまでも根拠のない妄想なので、お信じになられぬよう。。。

 そもそもユベール・ロベール(1733-1808)誰って人のために。
 18世紀、アンシャンレジーム末期から革命期に活躍したフランスの画家。

エリザベト・ヴィジェ=ルブラン<ユベール・ロベールの肖像>

 建築画、とくに古代ローマの廃墟を描いた風景画、或いは廃墟や古代モチーフを自在に組み合わせた空想画が得意。
  
左:ユベール・ロベール<コートを着た男と僧侶たちのいるティボリのシビュラ神殿>
右:<ローマの廃墟>
 ポンペイなどの発掘によって古代・古典がブームになり、ローマの廃墟が流行していた時代。その流行に画家自身も賛意を表明している数々の作品が魅力。そんな訳で、その絵は当時の趣味が透けて見える感じで、めっぽう面白い。というかその趣味の為に画想を尽くして、皆の好きなもの全部ねじ込んでくる辺り本当に面白い。
 個人的には、気合いの入った油絵より、力の抜けた素描のが上手いと思うのだけど、ともかく「廃墟のロベール」の異名をとるほど廃墟の画家だったとか。
 かつては貴族やお金持ちがパトロンだったその一方で、革命期に投獄されながらも、がっつり生き抜く堅実さを併せ持つ。
 晩年は未来のルーヴル美術館の絵画コレクションの管理人としても活躍。
よろしければロベール展の感想もご参照ください。

で、私のお気に入り、「ルーヴルの廃墟」再び。
   
左:<廃墟となったルーヴルのグランド・ギャラリーの想像図>
右:<ルーヴルのグランド・ギャラリー改造計画案>

 ロベールがルーヴル美術館の学芸員(的な仕事)をしていた時、建物を改修するなら右の絵みたいな感じがいいなって描いた絵の対作品として、何故か描いて見せたのがこの左の廃墟ルーヴル。

 彼が得意としたローマの廃墟のように、崩れてしまっている近未来?のルーヴル。
 そこでは、すっかり廃墟に馴染んで煮炊きする人がいたり、物見高い観光客が、あちこちに転がるルーヴルの展示品だったと思しき彫刻を眺めていたりします。
 まるで、ロベール自身が得意としたローマの廃墟と、その周辺にいる地元人や観光客たちがいるというイタリアの風景画の自己パロディみたい。
 
左:<廃墟の下でスケッチする画家のいる川辺の風景>
右:<廃墟の奇想画>

 廃墟のルーヴルの中には、一つだけ完全な状態で残っている彫刻があって、それがかの有名なベルヴェデーレのアポロ。その足元にはラファエロの胸像(だそうです)が置かれていて、画家が地面に座り込んでデッサンをしています。
 これによって仄めかされるあるメッセージ。
 即ち、近代の建物ルーヴル宮が廃墟と化して滅びたあとも、光を浴びる古代彫刻、ベルヴェデーレのアポロが屹立するという「古典芸術は不滅だ!」っていうのが一般的な解釈。


 以下恣意的な解釈です。解釈というか、ただの遊び。

<今日までのあらすじ>
その1、廃墟についての反省
 廃墟っていうと、こう、「時の流れの無常さ、破壊されつつも遺されたものの偉大さ、自然に還りゆく美しさ」みたいな趣を誘うものだと思うのですが、でもこの絵って、ちょっと廃墟ラヴなあまりのおふざけじゃないの? モダンな建物を廃墟化したいだけっだたとか。登場人物のんびり暮らしてるし、ミケランジェロの有名な彫刻がぶっ壊されて悶えて転がってるのがちょっとコミカルかも。
 廃墟=無常=確実な死みたいなそんな悲壮感がこの絵には表わされているんだろうか?
 ……とはいえ、廃墟から無常感を排除する解釈も、無理があるよね。

その2、廃墟のロベールへの妄想
 まてよ、この絵は1796年、つまり革命の後に描かれたもので、王侯貴族にもパトロンを持っていたがためにサン=ラザール監獄にもぶち込まれていたロベールの自己弁明なのかしら。
 王宮(=王権)壊れちゃってるよ! それでも古代ローマ(王制を打倒し共和制を始めた)の偉大な遺産は光り輝くよ! っていうのはどうかな。
 これは恣意的な過剰解釈。


 で、今日はこれまでの妄想に、やはり恣意的な新妄想を重ねます(笑)

 この画家によってスケッチされている古代の傑作ベルヴェデーレのアポロ。
 現代の建物が時の作用によって廃墟となることと、古代の彫刻がなおも立っていることと、そのコントラストを狙っているのは確かでしょう。
 その現代と未来のコントラストの中で、同時代の普通の人々が、まるで古代の遺跡の観光客みたいに、あるいは観光地で暮らす現地人みたいに、ナチュラルに歩き回っていて、ルーヴルが廃墟とならざるを得なかった何かしかの悲劇になんら関わりなく存在しているのが面白い。

 で、この準主役ともいえる特別に有名なローマの彫刻。本物はもちろん18世紀当時もローマにあって、今もヴァチカン美術館に鎮座しています。
 ここで描かれているのは、色からいって大理石ではなく等身大にコピーしたブロンズ像でしょうか?
 …それとも、ベルヴェデーレのアポロは、古代ギリシアのブロンズ像を、その後のローマ人が大理石で模刻したものなので、ローマより古い本当に本物のギリシア時代のオリジナルのブロンズ像のつもりだったりして。

 はて、ロベールがこの絵を描いた1796年。
 この年、ナポレオンはイタリアを制圧。イタリア遠征の戦利品としてベルヴェデーレのアポロを筆頭に古代美術コレクションをフランスに渡すように要求します。
 で、例のアポロ像は、ナポレオンがルーヴルに持ってきちゃった後、1798年から1815年の間、ルーヴルに収蔵されていました。(そしてナポレオン失脚の後、イタリアに返還されます)
 おそらくは、1798年にはこの絵の通りにルーヴルへやってきたアポロ像。ちょうどこの時期だけはフランスにあったのでした。

 ナポレオンのイタリア征服から、戦利品がルーヴルにもたらされるまでおよそ2年……。
 ルーヴル美術館の絵画管理人をしていたロベールと、或いはこの絵を見る同時代の人達は、1796年の段階で、ベルヴェデーレのアポロがフランスのものになるって事をどれだけ意識していたのかな。
 もし知っていたとしたら、とたんにナポレオン万歳感が出てくる気がするんだけど……。

 はっ、まさか「ベルヴェデーレのアポロ、ルーヴルのコレクションに是非欲しいな~~(お願い!ボナパルト☆)」っていう願望の表れ? ――多分無い。ふざけて考えすぎました(笑)

 むしろ、まろりーはこの絵に描かれたアポロが、何で今現在一般にイメージされる(と思しき)白い大理石でなくて、緑のブロンズ像?なのかの方が気になってきました。っていうか、何で緑なの?錆びてるの?
 こういう素材違いのレプリカが実際に王室コレクションにあったとしてもおかしくはないかな。でも古代彫刻といったら白だろ!(考古学的には違うらしいですが)

 ちなみに、本物っぽい白いベルヴェデーレのアポロが描かれたルーヴル図もあります。さり気なくラオコーンもいるし、これも後々イタリアからかっぱらって来るのかなー?

ロベール<ルーヴルのグランドギャラリーの想像図>

 さて、同時代でもナポレオンのこの「蛮行」に眉をひそめる人もいたそうです。
 ローマ彫刻はローマにあるから魅力的なんであって、パリに移すことでローマ彫刻からローマという場を奪うのはいかがなものかって、現代にも通じる結構まともな意見。(詳細知らないので話半分に…しかしこの良識的な意見にはちょっと感動しました。)

 はてさて、ローマ大好きユベール・ロベール。
 フランスでも傑作が見られることを喜んだのか、ローマの遺産がローマを離れることを心配したのか、それとも何も考えていないのか、本心やいかに。


 しかし。上記妄想を覆しかねない気になる記述に出会いました。まあ、初めから根拠無しなので覆るも何もないのだけど(笑)

 1778年、ロベールにはルーヴル宮の一室を使用する許可が与えられました。そしてその後、彼はルーヴルにアトリエを構えます。

 で、その4年後、革命迫る時期のパリの様子を辛口活写した「ダブロー・ド・パリ(1782年出版)」によると。(十八世紀パリ生活誌―タブロー・ド・パリ―(上)1986年 岩波文庫 著:ルイ=セバスチャン・メルシエ 訳:原 宏より)

  まるで廃墟として建てられたかのような、あるいは蛮族の憤怒の手からやっと逃れたとでもいうような、このルーヴル宮……(p79、L.7)
  数人のアカデミーの画家が、ここでアトリエを構えているし、無数のねずみどももここを棲み家にしている。(p79、L.14)

 王宮とはいえ廃墟呼ばわり。
 ルイ14世が17世紀半ばに改築しようとしたら、何かやる気が無くなって、半分手をつけたまま18世紀末まで放置してたそうです。
 壁作ったけど屋根掛けなていとか。既に建てられた部分も修復されることなく。つまり半壊状態(笑)で、勝手に一般人がお店開いちゃったり、勝手に一般人が住みついちゃったり、勝手に一般人が増築しちゃったり。
 ロベールはちゃんと王様から許可貰って住んでますよ!念の為。

 ……きめつけは良くないけど、この廃墟ルーヴルで鼠と住む画家に廃墟のロベール含まれてるだろ。

 アレ。
 何だ、そもそも無理に廃墟化しなくても、この時代最初から結構廃墟だったんじゃん、ひょっとして。
 この絵って案外リアルだったの(笑)

 今までの妄想の前提テーマ(未来に廃墟になっちゃうルーヴル)が全部ひっくり返っちゃうよ。
 まあ…タブロー・ド・パリに出版された通り、ルーヴルと廃墟を結びつける発想は、どうやらロベールが描くより先にあったようではあります。

 歴史深いルーヴル宮殿があまりに廃墟でフランスの恥状態だったために、ロベールの18世紀、ルーヴルを今のような美術館にする計画とともに、数々の改修計画が立てられました。
 その一環で、改修後のルーヴル美術館の空想画を描いたロベール。そしてその空想が遥か未来にまで飛んで行ってしまったかのような廃墟のルーヴル。

 実際は、この想像図とは逆で、アポロはルーヴルに無く、建物はロベールの改修計画以上に綺麗になりました。ロベールにとっての未来は我々にとっての未来でもあり続けています。

 私の妄想はともかく、モナリザ級の名画ではないかもしれないけど、やっぱり面白い絵です。

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うらわ美術館 ルーヴル美術館の銅版画展 カルコグラフィーコレクション感想

うらわ美術館に行ってきました。

 テーマはルーヴル美術館の版画。……版画なの? ルーヴルってあんまり版画で主張している感じがないというか、版画のイメージがないというか。そりゃもちろんルーヴルだって、版画は沢山持っているだろうけど。

 写真の無い時代、あるいは今ほど鮮明でない時代。名画を一般の人に伝える主なメディアは、大量に印刷出来る銅版画でした。
 ルーヴルにはそんな版画や銅板画の原版を収集していて、その原版を使って今日でも印刷を行う「カルコグラフィー室」なる専門部所があるのだそうです。

 その名画の複製版画を、新たにこの展示の為に刷ったものを含め、130点を並べます! という内容です。
 そう、銅版画。
 百年前の原版で、現在も百年前とだいたい同じ画を得られるもの。
 大体というのは、本来柔らかい銅版はプレス機で刷る度に版が磨耗に潰れていくからで、現代ではそれを防ぐために、表面を薄く鉄でメッキしてあるのだそうです。へええ、そんなハイテク?な裏技があるんだなぁ。

 さて、版画というと多少マニアックかも知れませんが、展示されているのは、とてもポピュラーな名画の複製版画です。
 「創造性の無い」複製版画だと侮るなかれ、版刻師の詳細が分からないのが惜しいほどの本気な出来栄えで、モナリザだとか本物に似せるためのあの手この手の技法がものすごく楽しい。

 どれも素晴らしい再現率でしたが、銅版にしやすそうな名画もあれば、そうでなさそうな名画もある。
 常に油彩の元ねたと比べることで、制約の多いはずの銅版画が、油彩の技法にどのように挑戦するか、すごく良い対比になっていたと思います。


 因みに、輪郭線の無いぼかし表現が肝なモナリザはあんまり似てなかったけどね(笑)

 大胆な筆致のまさかのフランス・ハルスとか。
FransHalsTheGipsyGirl.jpgフランス・ハルス〈ジプシー女〉
 銅版画は、点と線の白黒で表現しなければならないので、油絵ならではの荒く分厚い筆致を再現するのは難しい訳ですが、ものすごいハルス感。
 これはかなり感動した。
 しかもあれです、版画というのは、左右が反転して印刷されるから、原版は逆に彫られている訳で、模写する技術力半端ない。どうやってやっているんだろう。

 ロココ絵画のハレーションぎみの輪郭の柔らかさだとか遠景のぼけ具合だとか。
 ヴァトーのルーヴル版のシテール島の船出(この絵はシテールに向かう場面なのかシテールから去る場面なのか議論の分かれるところ。版画のタイトルはシテール島にむけて出発してたように思う)とか、行き先の風景のファンタジックな雄大さがかえって分かりやすく強調されて格好良かった。

 近現代になると、そもそも絵画が平面的になってきて、ますますそっくりに(笑)
 レオナール藤田とか、本人が版画書いたとしか思えない。
 いや、もう写真印刷の技術とか使ったりするのかな? それとも完全に手描きの模写なんだろうか…分かりません。

 先に版刻師の詳細が分からないのが惜しいと言いましたが、何人かの名前が繰り返し出てきて、それぞれの人に得意分野があるみたい。
 1人名前をはっきり覚えて帰るほど気に入った人がいて、アルフォンス・ルロワさんというらしい。

 ルロワさんは、巨匠たちの数々の素描を銅版に再現しているのです。
 かなり銅版画離れした、本物とみまごうばかりの、チョークや淡彩の繊細な表現。
 書き直しの跡まで写している!

 気になって「Alphonse Leroy」などでグーグル検索を掛けてみたところ、オークションサイトで2,3の銅版画が当たりました。

 そうしたサイトによると、技法は「クレヨンマナー・エッチング」、「スティプル・エングレーヴィング」などと書かれていました。

 どちらも詳細は知らないのだけど、クレヨンマナー=maniere de crayonというのは、細かい点描により、チョークで描いたような効果を出す技法。
 スティプル・エングレーヴィング。。。やはり細かい点描によるハーフトーンでぼかした陰影を出す技法。(だと思う)
 どちらも多分、細かい棘のたくさん付いたビュランやローラーで、細かい点々を付けていくもの(だと思います←超曖昧な認識)。

 この展示でも多分、これらの技法で刷られたものだろう。

 割に安価で不特定多数の人に向けたメディアたる銅版画。
 そのような大衆的なメディアとしての役割は、写真やテレビにとって替わられたけれど、現代人がテレビをより現実に近付けようとしたがるのと同じ気概で、銅版画の時代の人たちも、技術力を磨いて来たのかも知れない。
 より表現力を増すための数百年の工夫というか執念の一端が複製版画に見ることが出来ます。って大袈裟言った(笑)

 しかし銅版画って本当に奧が深い。
 銅版画に不可能は無い。
 銅版画の無限の可能性を感じられました。

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なんせんす・さむしんぐ

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