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○なんせんす・さむしんぐ○

美術や音楽の感想とか、動物中心のイラストのブログ。

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ウフィッツィ美術館展感想

東京都美術館のウフィッツィ美術館展に行ってきました。

 内容は、ルネサンスが花開いたフィレンツェ。芸術を擁護したメディチ家の支配のもと、巨匠達はみな絵画製作の工房で活動してしたんだよ。で、政治的変動の多い時代で、為政者にも影響されながら製作しました。って感じかなぁ。
 …つべこべ言いつつ、とりあえずルネサンスの名画見ろや!って展示だった気もする(笑)

 日曜日の会場は予想外に空いていました。
 決して閑古鳥ではなかったです。押し合いへし合いは無く、並ぶこともなく、絵の前に出来る人垣には十分な隙間があって、どこから好きなように観ても殆ど誰の気に障る事もない、いわばちょうどいい混雑。その混雑具合と展示の中身が釣り合っていたと思います。

 時はルネサンス。中世の美術なんかより、ぐっと現実感は増したけど、現実を越えた理想の美を追い求めたい時代。
 そんなそれぞれの画家たちの理想美の饗宴。ってほど派手な展示ではないけど、こう、美とは何か、という問いに真剣に向き合う作品ばかり。
 大画面の宗教画や神話画が多く、綺麗なマリア様やスタイルの良い聖人のおじさまが沢山いました。
 さて、全体を言い終わったところで個々の細かい感想を簡単に。

 初期ルネサンスを代表する画家のフィリッポ・リッピ。
 彼は修道士でしたが、修道女と駆け落ちしてしまいました。そんな世俗の愛に生きる画家らしく?、色っぽいマリア様で有名。
 フィリッポ・リッピ〈聖母子と二天使〉
 ↑因みに、これは来ていないので。参考に。

 そしてリッピの弟子のボッティチェリ。
 リッピとボッティチェリを並べると、なるほど結構似ていて、時にはリッピに帰属されていたという作品もあったほど。
 サンドロ・ボッティチェリ〈聖母子と天使〉
 というか、これはぱくりレベル…。
 遠目から見たとき、まろりーもフィリッポ・リッピかと思った。

 さらにフィリッポ・リッピの弟子たるボッティチェリに師事したフィリッポ・リッピの息子のフィリッピーノ・リッピ。
 とても印象的なフレスコ画があって、一人の老人が描かれている。
 フィリッピーノ・リッピ〈老人の肖像〉
 誰の肖像かは分からないけれど、父のフィリッポ・リッピじゃないかと言われているそう。
 明るい光に満ちた中で、白い修道服を着て、笑みを浮かべている老人。フレスコながら、かなり真に迫った親密な表情は、フィリッピーノ・リッピがこのモデルを目の前にして、忠実に描いたと思わせます。
 この顔に深い皺を刻む老人は、前後をペルジーノやボッティチェリの理想化された美しい聖母に挟まれて、特にそのリアリティーが際立っていたのでした。

 ところでそのペルジーノも良かったなあー。ペルジーノ顔の聖母。そして、北方美術との関連が窺われる涙を流す黒背景の聖母。

 で、その後のボッティチェリ祭。ボッティチェリって……この展示でリッピの影響が強いとは感じたけれど、それでもやっぱり個性的。

 さて、目玉のミネルヴァとケンタウルス。
 ボッティチェリ〈ミネルウァとケンタウルス〉
 知性の女神ミネルヴァが、本能の化身たる野蛮なケンタウルスを髪の毛掴んで抑えつけているところ。
 結婚祝いに贈られたという説で、……浮気したら承知しないわよ! ってこと?(笑)
 それとも逆に、新婚うきうきラブラブで自分を見失うなよ、ってこと?(笑)

 慈悲を乞うように痛々しげなごめんなさい顔の馬のおじさんに対して、上からのミネルヴァさんが無表情なのがまた怖い(笑)……理性的だから感情に流されないのね。
 女神の着物の柄が、ダイヤモンドの指輪を3つ組み合わせた模様で、そのダイヤはピラミッド型の古風なポイントカット。(←先の西美の指輪展で覚えたばかりの事を早速知ったかぶってみる)

 この目玉作品はお土産でも気合いが入っていて、グッズも個人的にはかなり素敵だった。
 お土産の惹句が「本能を押さえ込む学問の女神様なので、受験のお守りに!」みたいな感じで(笑)
 あれ、ちょっと説得力がある。
 テーマが知性VS本能だから、応用が超利きます。アテネも色々な物事の神様だし。
 あと組んだ指輪模様の布を使ったバッグ素敵だった。

 その隣にやはりボッティチェリの東方三博士の礼拝。
 東からやってきた偉い3人の賢者が、産まれたばかりのキリストを拝みに来る、という主題。
 ボッティチェリ〈マギの礼拝〉
 主要人物以外の人たちが、四方八方ところ狭しとキリストのもとにすごい勢いで駆け付けます。先のミネルウァの落ち着きとは違った一面です。

 この熱狂は、一時期メディチ家に変わって、実権を握ったサヴォナローラという過激にストイックなお坊さんの影響かも、ということです。
 預言者みたいなサヴォナローラに心酔して、神秘思想的傾向が深まったというボッティチェリ。結局、サヴォナローラは余りに信仰が厳しすぎて、逆に教皇から破門され失脚したそうです。

 そして、ボッティチェリから飛んでブロンズィーノのコーナーへ。
 この両者の間にはレオナルドやミケランジェロやラファエロが入っているのですが、そしてブロンズィーノたちの時代はその巨匠を前提にしているのですが、その辺は文字だけで登場です(笑)
 有名人だもんね、おいそれと来ないよね。この人たちが来ちゃったら、ボッティチェリ展じゃなくて、ミケランジェロ展とかになっちゃうもんね。

 で、マニエリスムの巨匠、ブロンズィーノ。美しいが、小っさって思いました(笑)もうちょっと大きなのも見たかったな…。
 ブロンズィーノ工房のメディチ家歴代の人たちの小さな肖像画とか……きちんとした歴史は苦手なので、ロレンツォとかコジモとかメディチ家の名前、さっぱり覚えられません。

 目玉を通り過ぎると、割とあっさり終わった感じがします。
 個人的に中でも印象的だったのは、ブロンズィーノの2代くらい前の先輩、アンドレア・デル・サルトの死せるキリスト。
 アンドレア・デル・サルト〈ピエタのキリスト〉
 格好いいじゃないかデル・サルト。
 このキリストのポーズは、最初の方に展示された同一主題と一緒のようです。(←誰の作品か忘れた。何かこう…キリストを中心に、おじいちゃん(ニコデモさん?)が後ろから抱えてて、マリアとヨハネと何かヒエロニムスとか聖人がいたやつ。あ、ダメだうろ覚え。)
 その時は合理的にイエスの体を観衆によく見せようと、遺体を垂直に支える人たちが居たけれど、あとの時代のデル・サルトは一種抽象的な岩に寄りかかるような形で、同じポーズを取らせています。
 マリアもキリストを抱えるニコデモも居なくなって、背景さえもモノトーンになり、シンプルにキリストだけなので、主役のぐったりうなだれて顔に影を落としている痛ましさと、この時代の追い求めた堂々たる理想的人体に集中できます。
 理想的な裸体の追及は変わらねど、初期ルネサンスの頃の硬い輪郭から、より柔らかく肉々しい表現になっています。

 と、ここまで書いて、収まりを良くする締めの言葉が一向に思い付かないので、取り敢えずはこの辺りでぶった切って終わりにしちゃいます。

 総括すると…ボッティチェリ沢山良かったなあ~ブロンズィーノはもっと見たかった!個人的MVPはフィリッピーノ・リッピの肖像画かな。

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10月13日拍手お返事♪

ライネ様>
 ご返信有難うございます!
 新美はコレクションを持たないから、なんでもありと言えばありですが、西美は西美の個性をしっかり持っていて、他館との住み分けもしてるし、古典的なものは強いですね。
 あと、案外、ときどき高飛車だと思います(笑)人気なかろうが価値あると思うから地味にマニアックな展覧会やってやるぜ! みたいな。
 そんな西美のロベール展。いやあ、思い返すも良かったです。クロード、ブーシェ、フラゴら豪華ゲスト陣に挟まれてロベール本人に残念感はありましたけど(笑)

 フランス革命周辺はドラマチックですもんね。昔から人気は高い時代だけど、また多少のブームなんでしょうか。
 イノサンという漫画、聞いたことあります。そういえば、小説フランス革命みたいな小説も最近出てたきがします。
 (本当は私はルイ14世晩年からルイ15世くらいが一番研究したかったのですが(摂政時代とか超気になります。が、あまりに手軽な文献が無くて仕方なく革命期を嚼っている)、まあ18世紀フランス全体が注目されたら、チャンスも増えるかなと。。。)
 印象派は不動の鉄板ですねぇ。もはやブームというより普通に有名というか(笑)今は、フェルメールが誰かの思惑でブーム作られてると思えて仕方ありません。フェルメールもその周辺も好きですけど。

 貴重な文献情報ありがとうございます!
春秋社『ローマが風景になったとき』>
 これは既読です! やーこれは名著ですね。まさにロベールの世界。もうトマス・ジョーンズがやばすぎる。皆がイタリアに夢を乗っけてくるから、イタリア病が酷くなりました。本当にグランドツアーしたい。
ありな書房の『フランス近世美術叢書Ⅲ 美術と都市』>
 私としたことが! というのは思い上がった言い方ですが(笑)
 こんな素敵なシリーズが刊行されてたなんて、知りませんでした。ロベール以外にも色々どんぴしゃすぎて既刊全部アマゾンで大人買いしそうでしたよ。というかやってしまいたくて堪らないのですが、どうしよう。やっちゃおうかしら(笑)
 創元社の『ルーヴル美術館の歴史』>
 監修が高階秀爾。なるほど。図書館にあったので、早速借りてみました。
 まだ全部読んではいないのですが、綺麗な図版豊富でいいですね。ロベールたちあの辺の美術家と新ルーヴルの関わりも面白いものです。
また、今月発売される美術出版社の『マンガ西洋美術史 01』>
 漫画西洋美術史… たしかにヴィジェ・ル・ブランの生涯はドラマチックで回想録もあるから漫画でも面白く出来そう。
 時系列なんでしょうか、だとしたら第1巻でヴィジェ・ル・ブラン登場だと、ロベールは期待出来そうもないですね…。いや、いくらなんでも一冊で新古典までぶっとばさないか(笑)女性画家というテーマでの特集と勝手に推察しました。
 前に立ち読んだ別シリーズの漫画西洋美術史では、ロココの時代でいきなりゴヤからだった記憶があります。ロココ代表がゴヤなんて!(笑)まあ漫画向きの人は有名人にいませんから…。
 ヴィジェ・ル・ブラン出してくるなんて、どこまでマニアックにする積もりなんでしょうね。これでより重要なヴァトーやフラゴナール外したら、ヴァトー的なカツラを投げてやりたくなります(笑)

 本当に貴重なお話を有難うございます!
 やっぱり現役にいる方は入ってくる情報量が違います。

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10月2日拍手お返事!

ライネ様>
 初めまして!
 このような辺境に何度もお越しくださり感謝至極にございます。
 ユベール・ロベールを調べてらっしゃいましたか…!
 やたら大好きです、ユベール・ロベール。
 ただあまり人気がないので、手軽に読めるような文献があまり無いので妄想が多いのですが(笑)、この拙ブログが、ライネ様のお考えの何かの足しになったとしたら、嬉しい限りです。(かえって邪魔になっているなんて可能性も拭えません(((゜∨゜;))
 むしろ、他にお調べになった中で、良い文献などありませんでしたか? 
 最近、美術展などでグランドツアーネタとロベールが、じわじわと来ている気がしています。私の願望からの贔屓目かもしれませんが…(^^; フェルメールまでとは言わないまでも、もっと流行らないかな…(笑)
いや、ユベール・ロベール、タブロー画は弱冠アレでも、素描は素晴らしいし、当時の社会と歴史と文化の関わり的にもすごい面白いと思います。
 ともかくロベールに興味を持たれてる方からコメント頂けて、とても嬉しく思っております!

 美術展記事については、すごく偏った感想を書き散らしています(笑)こういう感想の人もいるんだなぁと話し半分に、退屈な部分は遠慮なく読み飛ばして下さいね。
 結局展覧会のチョイスも偏ってしまいますね…。概ね大型展覧会は行きたがりますけれど、最近あったバルテュスも何だか食指がそそられなかったし、ヴァロットンも何だかんだで見逃してしまいました。色々見逃しますよね…。美術の特別展も一期一会ですね。

 更新はのろのろペースですが、忘れた頃にいらっしゃると、また有ること無いこと喋ってると思います。またお好きなときに読んでいただけますと、これほど嬉しいことはございません。

 国立新美術館で、ルーヴル展ですか、早速ホームページに飛んでみましたが、……超楽しみなラインナップですね!!
 新美ってあまりテーマ性のある展示が得意じゃないイメージがあるのですが(言い過ぎ)、でもこれはすごい期待しちゃいます。2回行くことも視野にいれる勢いです(≧∇≦)

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ヴァトー、ゲーテ、ベートーヴェンの旅するマーモット使いについて

 
アントワーヌ・ヴァトー〈サヴォワの少年とマーモット(ラ・マーモット)〉
 さてさて、ヴァトーのラ・マーモット。

 このマーモットのつぶらな瞳に誘われて、ちょろーと興味の赴くままに、マーモットを巡る小ねたを集めていたのです。
 これが案外歴史や文化がとても深くて、まじめに研究するなら一冊本とかが書けちゃいそうな勢い。(調べてはいないけど、おそらくマーモット文化についての研究書が世界のどこかで出ていてもいい思う。)
 という訳で、今日は諸国を巡るマーモット使いのお話。


 ヴァトーが描いたこちらの少年は誰かというと、絵のタイトルそのまま、マーモットを連れたサヴォワ人の少年。
 18世紀から19世紀にかけて、フランスでは音楽に合わせて踊るよう仕込んだマーモットを連れて各地を巡業するサヴォワ出身の子供たちがよく出没したのだそうです。
  因みに、マーモットはずんぐりしたウサギくらいのげっ歯類だけど、ペットで人気のモルモットではありません。と、いかにも知った風に言いましたが、しかしまろりーも本物見たことありません^^;

 サヴォワはフランス東南部、アルプス山脈に接した地域で、マーモット廻し芸人の商売道具、アルプスマーモットもその辺のアルプスの山に暮らしています。

 普通のサヴォワ人は、アルプスの雄大な自然の中で、農業をして暮らしているのだそうですが、何故、サヴォワの子供がわざわざ土地を離れて、パリとか各地に出掛けていったかといえば、18世紀当時、サヴォワは貧しく故郷では食べられなかったから。
 彼らの典型的な職業が、マーモット廻しか、きつい汚い危険な煙突掃除の仕事。

 特に、特にアルプス出身のサヴォワ人ならではな、馴らしたマーモットを音楽に合わせて躍らせるという芸は、当時のフランス人に強い印象を与えたようで、マーモットと同じアルプス生まれのサヴォワ人そのものが「マーモット」さんと呼ばれるようになった程のようだ。

 さて、そんなぼろを纏って厳しい生活を送る貧しい子供たちですが、ヴァトーの描いた少年はマーモット箱を肩にかけ、堂々と胸を張り、楽器(リコーダーの仲間のフラジョレット?)を掲げて、お伴のマーモットもカメラ目線です。
 もう季節は秋口か冬なのでしょうか、黄色く草の枯れた地面や葉を落とした木が、鮮やかな空色を引き立たせています。
 そして、青の空と黄色の地面を繋ぐように、ちっともお洒落でないマーモット色の茶色い服を来て真っ直ぐ立つマーモット使いの少年。

 過度な理想化はなく、背景その他で絵らしいファンタジックな雰囲気を盛り上げている訳でもなく、かといって貧しい農村出の芸人に対する同情やプロレタリア的な厳しさも勿論ない。
 ヴァトーとその同時代の人達が、サヴォワのマーモット芸人というキャラクターに抱く興味そのままの視線なのかも知れない、と思うくらいの、なんと言うか直球な描き方のような気がします。

 ヴァトーは、他にもサヴォワ人たちの素描が何枚も描いていて、この外国人(当時のサヴォワはフランスにとって外国扱い)に対するヴァトーの高い興味が伺えます。
 もしかしたら、病弱なヴァトーには、国を渡り、自由に旅するサヴォワ人たちに憧れがあったのかも知れません。

 もちろん勝手な見方。でも、こういうキャラクターとしてのマーモット使いは、ファンタジーとして十分、現代人の興味を引くと思うんだ。
 だって、マーモットのみを孤独な旅の道連れとして、田舎の故郷を立ち諸国を渡る旅楽師なんてロマンチックで素敵じゃないか!
 うん、18世紀の話だけど、この記事の主成分はロマン主義です(笑)

 まあ、ヴァトーの絵には、マーモット使いに仮託した何かしかの(性的な?)寓意があるかも、という説もあるようですが、何にせよ、サヴォワのマーモット使いが描いてあることには変わりない。


 そもそもマーモットってどんな生き物かしら、とネットを調べていたら。
 そんな中見つけたのがゲーテの詩にベートーヴェンが曲を付けたというマーモット芸人の歌、「ラ・マルモット」。
 気になって早速ユーチューブで曲を聞いてみると


 ゲーテ作詞+ベートーヴェン作曲×古楽or民俗音楽調=堪らん!

 何だこれ、今まで聞いた数少ないベートーヴェンの中で一番好きだ!

Ich komme schon durch manches land,
avec que la marmotte.
Und immer was zu essen fand,
avec que la marmotte.
Avec que si, avec que la,
avec que la marmotte.

僕はもう沢山の国ぐにを越えてきたよ
このマーモットと一緒に
そうしていつも食べるものを見つけてきたよ
このマーモットと一緒に
一緒にこちら 一緒にあちら
このマーモットと一緒に

 ゲーテ作の大体の歌詞は↑のような意味っぽいです。で、avec que la marmotte(マーモットと一緒に)をリフレインしながら2番3番と続く。
 原語はフランス語圏の故郷を離れて各国渡り歩いてドイツにもやってきたサヴォワ人らしく、ドイツ語、フランス語、イタリア語を混ぜこぜで使っています。
 因みに参考に付けた日本語はエキサイト翻訳参照なので、とても怪しい。


 大体、演奏してるコスプレの方々が後ろのドイツの中世っぽい街並みと嵌りすぎて素敵すぎ。

 淡々とした前半部分と、ちょっぴりエモーショナルな後半部分からなる哀愁漂うメロディ。
 無料でネット公開されてるピアノ譜を適当に拾って弾いてみると、その楽譜が「正統」かどうかは分からないのですが、左手の伴奏はミュゼット風みたい。

 演奏は、まろりーの拾った楽譜と調が違うけど、まあこんな感じ。もちろん、チェンバロ演奏でも全く問題ない。

 そもそもミュゼット形式の曲が大好きだ!
 羊飼いの楽器たるミュゼットではなく、同じくドローンを持つ大道芸人の楽器ヴィエル(ハーディガーディ)のイメージでしょうね。
 
 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール〈犬を連れたヴィエル弾き〉
 この絵は、目の見えない故に定職が無く、旅する初老の辻楽師。ベートーヴェンのマーモット使いは、こんなにずっしりした悲壮感はないけれど、多分、貧乏ぐらしはどっこいどっこいじゃないかなぁ。

 何だか雰囲気良いなぁー。
 貧しい故郷を離れて旅をする寂しさ、明日をも知れないその日暮らし、しかし色々な国を巡る自由気ままさ、各国の言語を混ぜて使ってしまう気取らなさ、そして唯一の伴たるマーモット。
 まあ、ちょっと過剰解釈のきらいもあるけど、歌詞のリフレインに「唯一無二の財産にして友のこのマーモット!」っていう気持ちが籠ってる気がする。言い過ぎかな(笑)

 色々なマーモット絵があるけれど、ゲーテ作詞・ベートーヴェン作曲の歌と、ヴァトーの絵の雰囲気と割と合っていると思いませんか。
 リアルすぎない、美化しすぎない。でも、ほんのり憧れがある。

 アコーディオンによる軽快な舞曲風演奏は、「サア楽シイまーもっとノ見世物ガ始マルヨ!」って道化た感じがして、これも楽しい。


 みんなのアレンジ、すっごい楽しい!
 歌い方、アレンジの違いで色々な雰囲気になる。でも、どれもマーモット使いっぽい。

 サヴォワのマーモット使いは18世紀を通して、結構人気だったようで、例えば、ドルーエのサヴォワの子供たちは、見た目重視。

フランソワ=ユベール・ドルーエ〈デューク・ド・ブイヨンの子供たち〉
 ヴァトーさんと比べると、美化が著しい。
 それもそのはず、貴族の子供たちのコスプレ肖像画のようです。
 とはいえ、ぼろを纏ってマーモットをハーディガーディで踊らせるサヴォワの子供たちの姿を幾分か伝えているのではないでしょうか。

 ドルーエの甘ったるいとも言える、サヴォワのマーモット使いの子供たちを見ると・・・
 ラ・トゥールみたいな呵責なき写実がある一方で、容赦なき理想もある気がする。
 故郷が貧しく、子供と動物だけで放浪しなければ暮らせないし、その間にもしかしたら行き倒れることもあったのかも知れない過酷な現実というものは、容赦なく薔薇色に塗りこめられてしまっています。
 もちろん、貴族のご子息様だからなんだけど。

 そうだよね、子供のコスプレ写真撮るって言って、例えば海賊の格好をさせるとき、本当の海賊になってほしい親は多分いないと思うし、そこで厳しいリアリティ追求する親もいないだろうと思う…。

 現実のマーモット使いどうでもいいから、可愛い子供と可愛い動物で可愛ければいいやっていうきらっきらファンタジー。
 18世紀のとりわけ後半の人達にとって、子供というのはまだ大人の堕落に汚されていない無垢で特別な時間を過す存在で、ドルーエの絵はそのような大人達の夢を乗っけているようです。
 
ドルーエ〈サヴォワ人としてのコント・ド・ショワズールとシュヴァリエ・ド・ショワズール〉
 別の子供たちもサヴォワ人コスプレしてます。結構人気。
 こいつらはゲーテとベートーヴェンのドイツには絶対行かない(笑)

 さてさて。
 画題以外にも、サヴォワの芸人たちは18世紀を通してフランスに(ゲーテが詩にするってことはドイツにも広く進出していたのかな?)社会現象を巻き起こします。

 現代のフランス語でmarmotteを引くと
1、[動物]マーモット類:リス科の哺乳類
…中略…
6、(サヴォワ人の)マーモット使い:マーモットを見世物にした18世紀の興行師
7、(18世紀の婦人の)スカーフ:頭を包み額の所で結ぶスカーフ
(カシオの電子辞書、ロベール仏和大辞典1988より。)

 18世紀のサヴォワのマーモット使いの痕跡が現代の辞書でも残っています。

  ジャン=オノレ・フラゴナール〈ヴィエル弾きの少女〉
 マーモットはいないけど、ヴィエル弾きならラ・トゥールのよりこっちのほうがしっくりくるかな。小品ながら、レンブラント風の強く当たるスポットライトがドラマチック。
 おそらくサヴォワの芸人お姉さん。(それか、サヴォワ風のコスプレ)

 このお姉さんが被っている頬かむり、fichu en marmotte 。あるいはa la marmotte。
 「マーモット被り」ともいえるファッションがどうやらあったようで、一時期身分の高い人にも採用されたファッションでした。
 (すみません、辞書の頭を包み「額で」結ぶスタイルの事はよくわかりませんでした)
 フラゴナール〈マーモット風の少女〉
 上のお姉さんと同一人物でしょうか?マーモット箱にマーモットを入れたお姉さん。

 サヴォワの農家の女性がよく被っていたこのスタイル。シルエットも、ぴょこんと猫耳ならぬマーモット耳が飛び出てるように見える。だから「マーモット風」スカーフ。

 18世紀、牧歌的世界へのあこがれから、羊飼い風とか農民風のファッションが、あくまでもファッションとして流行りました。
 18世紀当時の都会人にとって、農民の女性は、都会の悪習に染まっておらず、理想の女性が持っている慎ましさとか純真さとか、あらゆる美徳を生まれながらに(誰にも強制されることなく)備えていると考えられたのでした。

 そんな訳で、サヴォワの田舎のお姉さんが被っているというイメージだった、スカーフを被って顎の下で縛るスタイルが「マーモット風」と呼ばれ、「サヴォワっ子めんこい」と(言われていたかどうかは定かではないが)一種の無垢への憧れをもって、ファッションとしてのマーモット被りが取り入れられたようです。

 それにしたって、フラゴはときどき動物の描写が適当すぎる。
 何このゆるキャラ…。マーモットに見えない。でも箱の隙間からちょろっと手を出してるのが可愛い。


 あくまでもインターネット調べではありますが、いくつかサイトを巡った中で、
 マーモットスタイルについて、ほほうと思った記事がありました。(こちらのTerminology: Marmottes and the Savoyarde styleの記事。)

  牧歌的な素朴さを持つ田舎娘として、都会人の目に映ったマーモット娘。
 ところが、十数年の時が経つと、一部のマーモットさん達はすっかり都会に毒されてしまって、何ともっとセクシーな職業に就いてしまうようなのです。
 それで「マーモット(=サヴォワ)風」のヘッドドレスは、ヘアースタイルが巨大化する流行に乗ってゴージャス化、そして強気な女のセクシーファッションというイメージに変わってしまうのだそうです。

 うわっ、都会は何でも人を悪くする!(←By J.J.ルソー)
 雄大なアルプスに抱かれた田舎から出てきたうぶな女の子が、パリで男を食い物にする夜の女に変身するってそんなドラマチック求めてな…いや、これはこれでおもしろそうだ。
 本当かな。しかしとってもありそうな話だ。

 はてさて。

 ヴァトーの絵、ゲーテの詩、ベートーヴェンの音楽に惹かれて。
 マーモットのみを孤独な旅の道連れとして、田舎の故郷を立ち諸国を渡る旅楽師なんてロマンチックで素敵じゃないか!(2度目) とマーモット文化を巡ってきた訳ですが…
 意外な方向に話が流れてしまった…。

 楽器片手にマーモットを踊らせる小さな旅芸人は19世紀まで出没していたらしいです。
 未読なので何とも知りませんが、ヴィクトル・ユゴーの「レ・ミゼラブル」にもサヴォワのマーモットを連れた少年が出てくるのだそうです。

 ところで、殆ど関係ないけど、旅の少年とマーモットって、某ポケモンの少年とずんぐりした黄色いモンスターとシルエットが似ていると…。
 旅の少年も掛け声一つでお伴に芸(攻撃技)をさせるとか、ほら似ている。
 18世紀のマーモット使いに感じるファンタジーが現代でも形を変えて生きているんだ! と無理にこじつけて現代人にもアピールしてみたい衝動に駆られています。

他、参考になりそうなブログ記事。
「echos de mon grenier:Jour de la Marmotte」…主に18~19世紀のマーモット使いについて。フランス語分からなくても画像たっぷりです。
「欧道行きましょっ!:リトルモンスターのコーラスから1~4」…主にベートーヴェンの「ラ・マーモット」について。

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La Marmotte


 あたしは国をわたり 旅するマーモット
 歌って日々を暮らす 笛吹きマーモット

 あちこち どこでも 旅するマーモット
 あちこち いつでも 笛吹きマーモット

 寄る辺なき身のうえ 旅するマーモット
 歌って今日も腹ぺこ 笛吹きマーモット

元ねたはヴァトーの「La Marmotte」。
ゲーテ作詞、ベートーヴェン作曲の「La Marmotte」が大好きすぎた勢いで描いてしまいました。


元ねたについて長文で語っている記事はこちら。むしろこっちメイン(笑)

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