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○なんせんす・さむしんぐ○

美術や音楽の感想とか、動物中心のイラストのブログ。

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大英博物館展 -100のモノが語る世界の歴史 感想

かなり壮大。
 殆ど石ころと変わらない勢いの原始的な石器から、戦争で使われた銃を分解して作られた女性像という現代アートまで、200万年の人類の歴史をモノで辿ろうという。

 狩猟採集生活から、農耕定住生活に、貧富の差が出て国家が出来、国同士の交易や戦争が起こり、各々の宗教が権威を持ち、ヨーロッパの大航海時代、植民地政策や工業化そして大戦……なんて話ですが、難しく考えなくとも、珍品の見世物=エンターテイメントとしてすごく面白かったし、大袈裟に言えば、人類の多様性と世界の広さが垣間見れる、博物館博物館した展示でした。

 古代の遺物、各国の宗教的なモノ、交易の痕跡、民族的な資料、歴史的な資料、展示物がいかにも博物館に収蔵されてる博物学的博物って感じ。
 ただし、いちいちのものにフランクなキャッチコピーがつけられていて、とても分かりやすい。
 で、いちいちの資料がいちいち時代も地域も用途も全く違うものなので、いちいちの感想を言うときりがありません。

 因みに、非常に細かい資料もあるので、単眼鏡の類があると、とくに視力の悪い人(主に私)には便利でした。

 最後の方は、もう完全に同時代の展示品で、誰かアラブの人の期限切れのゴールドカードが展示ケースに入れられて、資料化されているのが逆にちょっとシュール(笑)
 まあ、このクレジットカードの仕組みの発明も革命的といえば革命的。そういえば、ブンカムラのボッティチェリ展で、確かメディチ銀行発行の、為替手形という古い紙ぺらが展示されていたけど、それと同じなんだろうな。

 そして、全体的にやる気満々。気合入っているなー。
 お土産にも事欠きません。正直、デューラーの犀トートバッグはちょっと欲しいよ。(でもトートバッグはもう十分持ってる。)

 こうした博物館がなぜ素敵かって、モノへの良い意味での執着でしょうか。人類の造り出してきたモノへの信頼というか気持ちのいいまでの狂信というか。
 まあ、やはり大袈裟な物言いになるけど、博物学って、博物の示すものが、人類の偉業であれ負の歴史であれ、どこまでいっても人間中心主義的というか、人間賛歌なんだよね。大袈裟だな(^^;)
 博物館の博物館たる魅力がいっぱい詰まっていました。

 お気に入りは…アステカ的な骸骨の顔をした神様とか…良い感じに不気味で(笑)実際、怖いです、あれ。二人きりにはなりたくない。

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ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美 感想

展示されている資料や絵画そのものが綺麗なので、純粋に楽しかったです。
 ボッティチェリやその周辺の絵が半分、フィレンツェの商業や習俗に関する史料が半分といったところでしょうか。

 一番始めに、フィレンツェで鋳造された金貨が展示されていて、これは当時、重さが厳密に統一され、造形も美しく完璧だったために、国際通貨として広く普及したのだそうです。そして偽物も沢山出回ったということで、模造硬貨も一緒に展示されていました。本物かどうか確かめるために噛んだ跡の残る金貨とか。
 …漫画(しかも古典的な)やテレビの中だけの話と思ってたけど、本当にやってたんだ、金貨に歯を立てるって…そしてそれがモノとして遺っているんだ…。
 で、このフィレンツェの金貨の流通はフィレンツェの発展に大きく寄与したということです。

 商人が使ったような頑丈な箱や南京錠、算術の教科書、為替手形、世界地図。
 各国をまたに掛ける商人たちにとって、大量の金貨を生で持ち運ぶ必要の無い為替手形は画期的なシステムで、フィレンツェの銀行家メディチ家の発展には、こうした商習慣が背景にあったのだそうな。
 両替や為替の手数料収入で莫大な富を築き、フィレンツェ納税者ランキングでは次席を大きく離して断突の1位。
 その富がボッティチェリら学芸・芸術振興に注がれました。だって。

 ところで、金利でお金儲けをしてはならない、とキリスト教の法律では決めてある。
 メディチ家ら為替取引を商う銀行業は、これに抵触してしまうのですが、何だかんだグレーな理屈をつけて合法化したようです。(美術館の解説にはきちんと書いてあったけど、難しくて忘れた(笑))
 勝手な想像だけど、メディチ家が主導した古代ギリシアやローマの研究って、いかにも金融業と相性の悪いキリスト教会の思想を相対化したいって思惑もあったのかなぁ。

 テーマが、フィレンツェの富と芸術なので、展示されている絵の華やかなこと。
 財力があれば、贅沢な暮らしにも手が届いてしまう。それは王侯貴族だけに許されたもので、一般庶民に贅沢されると、身分制度の秩序が乱されてしまう。
 ということで当初は贅沢することは禁じられていましたが、すると関連産業の経済が回らなくなり、やはり商人の街フィレンツェ、一定の罰金を払えばOK、という制度にしてしまったのだそう。
 そんな羽振りの良く華やかな様子を伝える絵が、豪華で美しい。
 ファッション史好きには楽しいルネサンスなファッションが堪能出来ます。

 特にスザンナの物語の豪華さは綺麗だったなあ。
 
スケッジャ<スザンナの物語>
 確か長持ちの装飾用で、きらびやかで繊細な金の衣装を引きずり、付き人を連れたスザンナがお庭に水浴びしに行くところ。
 その中庭に不法侵入する偉方のお爺ちゃんたちの衣装もやはり豪華で、細密な描写が画面全体を覆っていて、本当に華やかです。
 ちなみに、お爺ちゃんたちが権力を振りかざして、水浴び中のスザンナさんに言うこと聞かせようとするのを、スザンナは毅然と拒絶した、という貞淑のお話なので、この画題はお嫁入り道具として相応しいということです。

(取り敢えず、にわかで大好きなフラ・アンジェリコ見れて良かった。聖母マリアの結婚と葬式が描かれた小ぶりな歴史画。…祭壇画装飾だったかな? 当時の豪奢な冠婚葬祭の例として。フラ・アンジェリコは色彩の織り成す清廉な光と陰がやたら好きで、出来れば図版でなく本物を沢山見たいという思惑。)

 さて、ボッティチェリ。
 目玉の受胎告知のフレスコ壁画は想像以上の大きさでした。

サンドロ・ボッティチェリ<受胎告知>
 幾分か欠損しているようだけど、完璧な修復がなされています。むしろ修復の本気が凄い。

 ウィキペディアに修復前の画像が載ってました。興味深い。

http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Botticelli_-_Annunciation,_1481_(Uffizi).jpg

 床などに繊細な陰影がある一方、遠くの背景の丘の上の木とか、緑の一刷毛でさっと塗ってあり、意外とこういう筆遣いもするんだ。

 ボッティチェリは、荒い筆致なんかしないでひたすら「繊細」ってイメージがあります。
 他の絵もテンペラ、油彩、その混合など技法も多彩でしたが、テンペラの繊細な光の表現は素敵。マリア様の頬にかかる滑らかな陰影と反射光なんて、美しいなあ。
 いや、反射光が格好いいのだよ。

 有名なヴィーナスの誕生は、やはり人気だったようで、ボッティチェリ工房でのコピー作品も展示されていました。
 ボッティチェリ工房<ヴィーナス>
 例の有名なヴィーナスが縦長の画面に、例の有名な緩いS字のポーズで立っています。貝殻もお付きの神々も無く、背景も思い切り良く黒で、彼女の白く滑らかな肢体が浮き上がります。
 この絵単体では、薔薇だの鳩だのヴィーナス要素は皆無で、もちろん見た瞬間ボッティチェリのヴィーナスだって認識するのですが、なんというか、ギリシャの神様だから標準全裸でオーケーという約束事が弱まって、元絵よりもそのエロティシズムが増してします。
 あ、全裸じゃなかったんですよ、一応。あってもなくても変わらない位すっごく薄い衣を申し訳程度に巻いています。
 女神だろうが不特定な女性だろうが、どちらにせよ当時の過激に厳格な修道僧サヴォナローラさんにお焚き上げにされちゃいそう(笑)(フィレンツェで活躍したサヴォナローラさんは余りに真面目で、色っぽい絵や贅沢な絵、キリスト教的にアウトな絵など集めて焼いてしまいました。)

 そのサヴォナローラはカリスマ性があったらしく、フィレンツェからメディチ家を追い出して、一時政治をとるようになりましたが、華美を嫌い清貧を尊びすぎたあまり、教皇まで批判したため破門され、フィレンツェのシニョーリア広場で火刑にされてしまいました。
 その様子が絵にされていて、今も写真で良く見るあの広場で、人の背より高い台の上に、さらに高々と磔にされて、下から火に炙られているサヴォナローラとその弟子?たち。
 写真でしか見たことがないとはいえ、実際に見覚えのある広場で火炙りだなんて、何かさ、火はすごい燃えてるんだけど、絵で見ると火元から遠くて、結構えぐい。

 晩年のボッティチェリは、サヴォナローラの死後も彼に傾倒して、その影響で画風も神秘主義的で宗教的に熱狂的でどこか不安感があるものへと変わっていったそうです。

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天使の奏楽



 天使さんが寄ってたかってヴィオールで合奏してくれたら、まさにパラダイスだなーと思って。
 
 イラストの花形はやはり人間の絵なので、人間を描けなきゃいかんなぁと思いまして、しかし人間描くの苦手でしんどいので(笑)一番やる気の出るモチーフで練習しました。
 楽器と羽とひらひらした服が無いと、人間やる気出ない。

 よく見ると、何となく顔立ちがばらばらなのは、もちろん安定して描くなんて実力がないからです。こんな人を描きたいなーって思っても、コントロールして描けないの(笑)ああ、色々と描きたくても描けなかったものの方が多い。

以下、所感など。

一番、すんなり描けたかなって思ってる人。ヴィオールの構え方も、この角度が一番好きかも。
 
北方風というか中世風というか、ざっくりそんなイメージ。ちょっと細長い感じで、素朴な顔立ちが少し気に入ってます。

しっくりこない。初めから終わりまで、顔から翼から楽器から何から何まで、嵌らなかった人(笑)

顔は一番気に入っているかも。でもちょっとバランスが悪いかなー。

生意気な感じの顔になっちゃった(笑)

バランスは悪いんだけど、雰囲気が好きかも。というか、この角度のヴィオール描くのしんどかった。


おまけ。

 天使がチェンバロを弾くことは滅多にない。というか見たことない。背中に大量のチェンバロの爪の材料を背負っているというのに。

 何だこれー変な絵ー。
 天使って、ハープやヴァイオリンやヴィオールやリュートは弾くけどチェンバロ弾かないな、試しに弾いてみようか、という動機。
 色々な大人の事情でしょうか。機動性に欠けるとか、ふわふわした雲の上に乗せるには重すぎるとか、この楽器と一緒に空飛んだりしないでしょ、とか。全て、構図が取りにくいということに集約される気がします。
 楽器全体を入れるにはあと2.5倍横長でないとな…。
 うん、変な落書きしてすみません。

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フラゴナールの〈嵐(ぬかるみにはまった荷馬車)〉

やっぱりフラゴナール最強だなあと。(笑)
 フラゴナールがひたすら格好よかった!
 感動で泣きそう。
 実際周りに誰もいなかったら泣く。

ジャン・オノレ・フラゴナール〈嵐(ぬかるみにはまった荷馬車)〉

 下から丘を見上げると、ぬかるみに車輪をとられてしまっている大きな荷馬車。その向こうに仰ぐ大きな空は、嵐が過ぎ、曇りと晴れのちょうど中間点で、暗く分厚い雲と、晴れた切れ目からの鮮烈な光が差しています。
 荷馬車は牛が引っ張っているけれど、赤い服のお兄さんと仲間たちが一生懸命後ろから押して何とかして斜面のぬかるみから抜け出そうとしている。
 重たい荷馬車と斜面とぬかるみの他に、前からの強風がお兄さんの邪魔をします。嵐の名残の風で黄色い布が逆光に翻り、白く輝く雲と鋭い陰影のコントラストをなしている。この色は空を被う青灰色のトーンも引き立ててもいます。
 さらに、羊の大群が、後ろから追いかける人や、手前の犬の吠えるのも構わず、丘を駆け下りてきます。
 さらにその脇を何頭かの牛が導かれていく。
 ゆっくり画面の向こうへ行こうとする牛と荷馬車、勢いよく画面の手前に来ようとする羊たち。ここでも対比を効かせている。
 お兄さんたちは頑張っていますが、けれど、女の子たちは荷馬車の上にのんびり座ったままで、どことなく閑かな田園の雰囲気があって、光とあらゆるのものの動き(目に見えない大気まで!)があるドラマチックな一方で、微笑ましくもある。
 嵐は去ろうとしている。多分、そんな安堵感と荷馬車が動かなくなってしまった事件と、羊のもたらす牧歌的な混沌が、絶妙です。

 いみじくも、ゴッホは17世紀オランダの画家ハルスに対して、「デッサンと等価の色彩」と評しているそうですが、このフラゴナールもまさにそうで、迷いなく置かれた色とりどりの‘絵の具のしみ’がそのまま、犬や羊や雲や光や風になっている。
 雲の一番明るいところの白は、絵の具を盛り上げてあって、それが光の輝きとなっている。

 下から荷馬車と空とを同時に見上げるというお洒落な構図。結構フラゴナールはこの視点だけでもダイナミックな構図を気に入っているようで、時々風景画で繰り返している。
〈丘を下る羊の群れ〉
 上にあげた西洋美術館のフラゴナールも、ちょっとテーマがかぶっていたり。
 ともかく、色も構図も明暗のコントラストもさりげない奥行き感と全てが格好いいの一言。フラゴナールの天才の煌めきが本当に眩しい。フラゴナールの天才の煌めきが眩しい。フラゴナールの煌めきが眩しい。あーこの絵をそのままお持ち帰りしたい!

 全体の情感と色彩のトーンだけで、描かれたモチーフに深い寓意的な意味などは特に無いと思うのですが、しかもフラゴナールはモチーフを目の前にしてリアルに描いたという訳でもなく、要するに、もうほぼ音楽的でもあるよね。
 実際の音声は犬と牛と無数の羊と大きな鳴き声と、お兄さんの「せーの!」みたいな掛け声と、強い風の音で騒がしそう。
 この絵、いつまでも眺めてられるわー。
 ということで、感動のあまりの自分の記憶の定着を図るとともにフラゴナールの宣伝でした(笑)

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ホイッスラー展感想

ホイッスラー展行ってきました。

 思った以上に版画作品が多くて、……油彩作品でも結構地味だっていうのに、更に地味な感じでした。

 さて、感想。

 冒頭は人物画。最初はクールべのリアリズムに影響を受けたそうですが、絵は写実とか教訓とか物語とかである以前に絵である、という美学のもと、次第に物語性を排し、画面の色彩と構図の調和を目指した表現になっていきます。
 
〈灰色と黒のアレンジメント、トマス・カーライルの肖像〉

 が、……ホイッスラーって、実は人物画苦手なんじゃないかしら?
 どうもぼやっとして、版画作品でもぼやっとして、とりあえず頭がぼやっとしました。何というか、感想を書くのに困ってます(笑)

 ホイッスラーの人物画だけを見ていると、極端な話、そもそも人間という物語性に富んだ対象から物語を無くすことそのものの妥当性さえ疑わしくなってきます。――極端な話ね。

 続く風景画の方が好きでした。
 〈ブラックライオン波止場〉
 テムズ川をテーマにした版画の風景連作とか。ヴェネチアの運河と建物とか。
 労働者を画面の手前でクローズアップして、その奥にテムズ河畔の建物や行き交う船が見えるという構図。
 この「労働者」の姿もリアリズムに影響されていて、当時は画題としては一般に認められていなかったものとのこと。
 ヴェネチアの絵は、水の反射や揺らめき、建物が立て込んでほの暗い湿った空気感が、テムズシリーズよりもう少し詩的な感じがします。
 人物単体の絵はひたすらもやっと曖昧でしたが、風景は建物のエッジなどはぱりっと、霧やハレーションを起こした光など煙るところはふわっと、人物単体を描いたシリーズより、変化に富んだタッチが素敵でした。
 いや、勝手な想像だけど、人を描くより水や建物、特に橋を描くのが好きなんじゃないかと。(でも人物画は花形だしね)
 展示を通して、男性像はあまり無く、妙齢の女性ばかり。それ以外はたまたまこの展示に選ばれなかっただけなのか、本当に描かなかったのかどうか。

 さて、一番気に入ったのは、南米チリまで現実逃避?に行った先で描いた海の絵。
  <肌色と緑の薄暮、ヴァルパライソ>
 解説いわく、確か、この絵によってクールベの写実主義の「悪しき」影響を脱し、音楽的な色彩のハーモニーを追求するターニングポイントとなった作品らしい。
 確かにちょっと吹っ切れたところのある絵で、伸びやかな色彩が、大きな筆の動きに乗って、広い空間を作り出しています。
 緑に和らげられた肌色と青の穏やかな補色は光に溢れて美しい。

 ホイッスラーとジャポニズムもテーマの1つ。
 印象派も活躍した時代、新しい芸術を作ろうとしていた時、西洋の伝統とは全く違う原理の東洋、そして日本の美術は、革新的だとして多くの芸術家を魅了しました。

 展示ではホイッスラーの作品と、影響を与えた浮世絵を並べて、ホイッスラーがいかに日本美術をぱくったかを教えてくれます。
 構図の取り方、うちわや扇子などの細かいモチーフ、そして家紋風の画家のサインなど、こうして並べて見ると、結構そのまま写されていたりします。
 蝶々を図案化した家紋風のサインは微妙に細部の異なるバリエーションがいっぱいあって、それぞれ喜びとか悲しみとか感情を表しているらしい。まさかの絵文字!(違)

 2階の座敷で女たちが欄干の隙間から川辺を見ている、なんて浮世絵をホイッスラーが翻案して、海辺のテラスに憩う女たちを描いたとき、畳の上に座る女性もそのまま転用したので、ホイッスラーの絵では屋外の冷たい石の?地べたに座り込むことになってしまったりとか。
 額縁も凝っていて、中国風の漢字が彫られていたり、青海波が描かれていたり。
 ある素描では、古代ギリシャ風のひらひらした服を着て、日本の扇を持って、古代ギリシャと日本というエキゾチック同士を融合させたりなど。

 ところで、ファンタン=ラトゥール宛ての手紙や、ジヴェルニーのモネからの手紙も展示されていて、結構交流があったらしい。
 ラトゥールへは描こうとしている絵の細かな計画を打ち明けていて、仲良しなのかしら。いわれてみれば確かに、一瞬似てるところもあるかも。

 しかし、一番気になったのは、お土産屋さんのヒゲグッズかも(笑)
 ホイッスラーは口髭を作ってたんだけど、その口髭をイメージしたヒゲ模様が力一杯グッズ化されてました。
「トレードマークのヒゲモチーフ!」……っていうほど展示内容ではヒゲ感はなかったけどなあ(笑)
 いやまあグッズとしては可愛いけれど、なぜ唐突にヒゲプッシュ?って疑問に思ったけど、考えてみたらホイッスラーってグッズになれるような何かがあんまり無いわ、確かに。

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なんせんす・さむしんぐ

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