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○なんせんす・さむしんぐ○

美術や音楽の感想とか、動物中心のイラストのブログ。

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イタリア旅行記 ボマルツォ怪物公園の冒険

ボマルツォの怪物たちのことを、あるいは聞いたことのある方も多いと思います。
 通称ボマルツォ怪物公園、そこはマニエリスムの代表的な、特異な庭園として、私もかねがねその噂を聞き及んでおりました。

 そこはその心の拗けた、いじけた空間に、何か苦々しい嫌な共感を覚えてしまう庭でした。
 しかし、その苦みと痛みを伴う共感が、決して「苦痛」とはならず、むしろ愉しい、というやっぱりいじけた庭。
 世界に白か黒かの2色しかないなら、明らかに黒の方。しかし、黒い方が、人の心の奥底に容易に侵入してくる、というのもまたよくある話。

 そういう訳なので(?)、澁澤龍彦が言及していて、ボマルツォを訪れたとき、私はその文章の全文を読んだことは無かったけれど、私の中では「澁龍系」とカテゴライズされていました。(因みに、一応帰国後に読んでみました。澁澤龍彦自体ほとんど読んでないのに実は若干の苦手意識がありまして。)
   
 やはり長い間エステ荘以上に放置されていたというこの庭は、ほんの数十年前までは、荒れ果て、草の間に間に古えの石の怪物たちが見え隠れする、そんな怪異の場所だったといいます。
 ご安心あれ、今はすっかり観光用に整備され、周回出来る順路も出来、日本語のイラスト地図など渡されて、ちょっとへんてこな公園の風情。
 
 ローマから朝、ツアー会社のミニバスに乗って出発です。
 車窓から見えるのは、ローマの市外に広がるなだらかな土地。草を食む羊の群れ、遠くにオリーヴ。しばらく車に乗っていると、段々に山と林の景色になり、現地に到着。
 そう標高の高いところではないそうですが、朝の外気は冷たく、低い太陽は木々に遮られています。

さて、公園へ向かう手前の原っぱで、隣の敷地のロバが二頭、柵越しに見下ろしている。少し距離を空けるだけで直ぐににもやがかって、ハレーション気味に朝露がきらめきます。


 小さな門から侵入するや、早速一対のスフィンクスに出迎えられます。古いイタリア語で何やら謎かけをしているようですが、何と言っているのか私には分かりませんでした。

 取り敢えず左手に進むと「いもり」に出会います。いもりの向こうには水路があって、静かな林の中で、流水の音が聞こえる。


 意味もなく木々の間にヤヌスや二面の女性の顔の柱など。
 
 山がちな段差を生かした立体的な庭で、狭い階段を降ると、岩から掘り出したかのような、ヘラクレスの見上げるばかりの巨像が登場します。
 ヘラクレスは人を逆さ吊りにして、力のままに引き裂こうとしている。ヘラクレスの牛を盗んだカークスだそう。メドゥーサのように目を見開き、苦悶の顔を浮かべる。
 英雄にも怪物にも、例えば、ローマの彫刻みたいな端正なところは何一つなく、ただ荒々しく、破壊的。プロポーションもどっしりと、首と脚が太くてずんぐりむっくり。
 
 パルナッスス山の噴水のある広場に降りてきます。ペガサスの泉は水も枯れ、苔に覆われている。そこには亀に乗る女神像があります。澁龍によるとトランペットを持って昔は水力で音を鳴らしたとか。
 それと対峙するように、自然風の流水の中に、自然風の岩に混じって「シャチ」がいます。

  不思議な価値観。これが、ルネサンスを経た人の庭でしょうか?
 険しい岩々に堰き止められた水は、細く砕かれながら勢いを増して、岩の段を流れ落ちる。その岩の化身のような牙をむき出す海獣。牙は少し風化して、古びた苔がまとわりついています。

 エステ荘で、あれ程整然と自然を模した人工を極めていたのに、ここではより自然に見える。…おそらくはそれも人為的なものだろうけど、時の作用で上手い具合に境界が曖昧になって、何かこう、神話の気配を帯びている。例えば、旺盛な熱帯樹に飲まれかけている遺跡の仏頭のような。かといって、神々しいという訳ではないのだけど。

 因みに、庭の設計はピッロ・リゴーリオ。
 現地のガイドさんに聞くまで知らなかったけど、エステ荘の庭や噴水をデザインした、あのリゴーリオ。
 つまりは、このボマルツォ怪物公園とヴィラ・デステの庭は同じデザイナーのほぼ同時代の産物。これほど依頼主で趣向が変わるとは。

 エステ荘は、随所に自然礼賛的な噴水だのモニュメントだの人工洞窟だのを配置しつつ、高低差を利用して、庭とその向こうの空と遠景を眺め渡せるようにしてあって、左右対称に装飾的に階段を設け、どこも舗装された道が出来ていました。
 怪物公園も高低差を使って巨像を配置したりしますが、それを装飾に利用することはないようです。道は踏み固められた土がむき出しで、くねくねと蛇行する。木々や岩に遮られて庭の全体を見渡すことは出来ない。
 エステ荘に礼賛される「自然」は、黄金時代的な調和をもたらす温和な自然。多分、サトゥルヌス(善き支配者)のもとに達成される幸福の世界。
 でも怪物公園に関わる自然は、制御不能な荒々しい自然。
 ヴィラ・デステは、初め政治的な接待、権威の誇示などの目的だったというけれど、確かに、社交的で誰にも愛想が良い安心の優等生です。
 一方怪物公園は、根は悪い子じゃないし、頭もいいけど何考えてるか分からない、でも自己顕示欲もちゃんとあるひきこもり。
 ……といってもこれはあくまでも私の見た現代の有り様なので、本当に同時代がどうであったかは分からない。実際、近代まで誰の注意も惹かずに引きこもっていたらしいけど。
 
 何気なく転がるモチーフもどことなく嗜虐的。ほとんど崩れかけた三美神の壁龕の手前で、仰向けにぐったりしている蛇足の女。

  神殿風の、何か。

 のっぺりしたプロポーションの女神像は怪物の台座に立っている。梁の不気味な顔が片方は地面に落ちていて、半分崩れて見える。困ったことに最初は建物だったのか、最初から廃墟だったのか、全く分かりません。
 
 高台から向こうに見えるのが、もっとも大きくて奇怪なオブジェ。傾いた家。
    地盤沈下によって傾いてしまった家ではなく、最初から傾いて建てられた家。右は中の様子。お互い、まっすぐ立ってます。
 外から見ても、いかにも不安定で嫌な感じですが、中に入ると即、三半規管をやられて普通に気持ち悪くなってきます。
 なんというか、「建物」と呼んでいいのか「彫刻」と呼んでいいのか、先の神殿みたく呼び名に困るものがごろごろと…。
 
 そして、庭の真ん中に放置されているベンチも傾いています。
 木の根っこに押し上げられたとかでなく、やっぱり多分、初めから傾いている。
 
 列柱が立つ奥にポセイドンの噴水。隣のイルカから水が吹き出しそうな気配ですが、やはり水は無く、苔に覆われた深い堀の底が見下ろせる。

 頭に水盤を載せる女性。多分、水盤から水が流れる趣向かしら。
 写真の遠近法ではなく、これも本当に足が太いプロポーション。そして見上げるばかりに大きい。

 ゴーギャンのタヒチの女みたいなプリミティブで土っぽい、土偶寄りの。
 もう何だか、理想のすらりとした八頭身とか古典の規範には、絶対に従わない、というようなあえての強い拒絶に思えてきます。
 リゴーリオという人、ルネサンス末期にあって、一体何を再生しようとしたのかしら。
 彼は遺跡の発掘研究もしている、いわば古典古代の大家だろうに、ルネサンス(古代復興)とかいって、このリゴーリオは、それ以上に古い、もっとプリミティヴなものを視野に入れていた気がしてなりません

 さて、ボマルツォ怪物公園のマスコットキャラクターがこちら。
 オーガ。人食い鬼。

   この中は備え付けの石のテーブルとベンチがあって、人食い鬼の中でお食事を楽しむことが出来る。中で声が響いてオーガの声みたいになるおちゃめなオブジェ。
 もちろん、地面から口を大きく開いて人を呑み込む怪物って、地獄の入り口を連想しちゃうよね。

 上にのって楽しむことの出来る象の像とか。良く見ると、象さんの鼻にローマ風の甲冑を来た人が巻き込まれていて、襲われている真っ最中のようです。

 墓穴。

  シンプルにして、もっともその気持ち悪さで印象深かった彫刻、いや…何か、もの。
 岩に穿たれた細長い長方形のただの穴。それだけ。
 中身は空っぽ。何もない虚ろだけが在る。
 実用的なものには見えないけど、墓穴にしか見えない。
 墓穴があるということは、そこに入れられるべきアレがあった。でも、今はもう無い。それとも、近々、これから入る予定があって、今はまだ無い。

 この微笑を誘う禍々しさ! 大真面目な馬鹿馬鹿しさ。しゃれこうべを置くより趣味と性質が悪い。本当、嬉しいくらい気持ち悪い(←ディズニーの某アトラクション的に)
 拭えぬ憂愁と、喪失感。しかも昇華しきれてない痛々しさ、病的さ。でも、昇華させる気も無く、むしろ未練たらたら抱えている。
 どれもどことなく嗜虐的だったり、無駄にグロかったり、色々な意味で痛い。(誉め言葉です)

 階段を上がるとプロセルピナの像。
 ボルゲーゼでは乙女であったのに、ここボマルツォではすっかり柘榴を平らげて、根の国冥府の女王の風情。

 肩の向こうにケルベロスがいるし、反対側もエキドナ(ケルベロスの母)がいるし、この一角は冥界連中のコーナーなのでしょうか。
  セクシーを通り越すほど180度に両脚を開いた女の足は、大地の力を象徴するかのように地を這う蛇になっている。

 呪術的な形をしているから、思わずうがった見方をしてしまいます。

  地下の女王のペルセポネーの広場に、松ぼっくりとどんぐりが並べてある。このモチーフは結構可愛い。松ぼっくりとどんぐり、ほら語感も可愛い。でも案の定どれも不揃いで、素敵にがたがた。
 
 種が沢山ついている松ぼっくりは、豊かさを象徴するとか。
 ペルセポネ居ます死者の行く地下世界、しかしそこは、これから芽吹くであろう種子を抱いている。一度、枯れて死んだ植物は種となって再生する。
  ペルセポネも、春になれば、再び乙女として地上に現れる。どんぐりが芽を出し、蛇が脱皮するように。なんて妄想。

 (…死と再生をテーマとすると、あの虚ろな墓穴の主は、死んでこの中に入れられたあと、立ちあがって出て行ってしまったのかもしれない…。)
(もしかして、冒頭で意味不明と見た二面のヤヌスも、実は雰囲気創出のためだけでなく、象徴的な意味も籠めていたのかしら? ヤヌスはその二つの顔で過去と未来を見守る、「出発点の神」。一年の最初の月を今でもヤヌスの月Januaryというように、案外前向きなのでは。いや、考え過ぎだな。)

 そして、その冥界広場に、依頼主オルシーニのシンボルと言える、2体の熊像。オルシーニという家名を日本語に直すと「大きな熊」(小さな熊だったかも(笑))という意味になるそうです。
 台座の上で、一方が大輪の花を、一方が紋章の盾を掲げている。
 …よりにもよって、冥界広場に家名の熊を置いちゃうセンス。

 ケルベロスの脇を抜けて階段を登ると建物の裏手に出る。
 玩具みたいな神殿風の建物。列柱があって、ドームを備えていて、とりあえず「建物」とは呼べる、形容矛盾だけれど、しかしそれは大きなミニチュア。大人数人で満杯になってしまうような、何ら機能のある建物ではなさそう。
 しかし一番端正な建物で、一番高い所にあり、木のない緑の芝生に囲われて、一番明るく晴れ晴れとしている。

 やっぱり原っぱは一面朝露に濡れて輝く。

  側に大きな門。これが正門かしら? だとしたら、ここが初めだったのかな。
 この極小のパンテオンから、段を降りて、冥界へようこそ。
 
 この庭は、どこまでが冗談でどこまでが本気なのか分からない。
 全部が全部ねたのような気もするし、露悪的な冗談の陰に主の言葉に出来なかった本音がまぎれているような気もするし、全て破滅的なイメージに苛まれた都会人の病んだ妄想のような気もしてくる。
  今やその本意はなかなか失われているようで、つまりは、どなたでもお好みの解釈をすることが出来る。
 見た目も普通に面白いので、何も解釈しないでも十分面白い。


 上の解釈(そんなものではないけど)は、例えていうなら、昔の中国の白文を見て、自分が日本語として読める漢字だけを拾って、それを無理に意味のあるように繋げてしまったようなもので、要するに、単なる連想の遊びであります。
 でも、ここで私は、思わずこんな空想を巡らせてしまっていたのでした。


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