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○なんせんす・さむしんぐ○

美術や音楽の感想とか、動物中心のイラストのブログ。

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イタリア旅行記 チヴィタ・バーニョレージョ

ボマルツォ怪物公園を後にして、再びツアーバスにて移動。
 次なる目的地は、チヴィタ・バーニョレージョという村。
 中世そのまま残るような小さな村だという。
 それは断崖絶壁の上に出来ていて、中に入る為には細くて長い高架を渡らねばなりません。
 あまりに辺鄙で不便なため、現在そこに住んでいる人口は10人以下だということです。
「まさに死にゆく天空の村なのです。」
 ガイドさんの決め?台詞。
 某ラピュタのモデルとして、日本では有名らしいです。

 何の変哲もない村ではありませんでした。


 中世が残らざるを得なかった村。僅かな空き地が教会前にあるくらいで、後は狭い道と斜面。見たところ、多分、新築しようにも困難で、必要な分を必要なだけ手入れすることで精一杯なのではないでしょうか?
 食料から日用品から、供給もままならなそうな不便さ。周りから隔絶されて、頼りない橋一本で外界と繋がっている。
 どこのエトルリア人が最初にこの岩山に住もうと考えたのだか、そして逆にこの規模にまで村が発展し得たことに驚きます。
 外敵から身を守れる以外に住むメリットは無いように思います。現代になってその外敵の心配が無くなれば、実用的な機能を失った村は、あとは史料と、目に面白いもの=芸術的なモノ=観光地という意味しか消去法で残っていない。
 
 中世っぽい家並み。土地が狭いので、道も狭く家が密集している。

 衰退甚だしく、もはや村の全ての家屋を維持することも出来なくて、大半が崩れて廃墟と化している家、ドアのある壁のみしか残っていない家などもそこかしこにあります
 
 とくに、右の写真のように村はずれなどは、崩壊はなはだしく。オレンジの簡単な柵の向こうには、道はありませんでした。
 人口が減るというのは、こういうことなんだ。段々と櫛の歯が折れて無くなっていくみたいに、町は現在進行形で消滅している。また人の手でなんとかその破壊を止めている、あるいは速度を緩めている、その途中を見ている。
 してみれば、ローマの都が廃墟と化したのもこのような過程を経たんだろうか。ここに於いて規模の小さなローマ衰退記を見たような…それは考え過ぎか(笑)

 何から何まで360度、とてもファンシー。
 ただし、高所の苦手な人は眺めが良すぎて少々しんどいようです。


 村民より猫が多くて、猫好きにはおすすめです。猫の写真を撮るのが好きなんて方にはどんぴしゃじゃないでしょうか。というより、この村で撮った猫写真集、適当なポエムでもつけて既に出版されてそう。これだけ猫がいると、べただと分かっていても写真を撮りたくなってしまうのが人情というものです。ということで以下世界猫歩き(笑)

 うまい場所にうまい具合に座っているピクチャレスク猫。被写体とは俺のことだ! とでもいうかの如し。もちろんこの猫のまわりではカメラを構える人が多数。多分バイト料貰って職業としてここに居るに違いない。やたら真っ直ぐ目をそらさない猫。葡萄棚に猫。
 


 <<目次へ戻る  <ボマルツォ怪物公園 オルヴィエート>

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イタリア旅行記 ボマルツォ怪物公園の冒険

ボマルツォの怪物たちのことを、あるいは聞いたことのある方も多いと思います。
 通称ボマルツォ怪物公園、そこはマニエリスムの代表的な、特異な庭園として、私もかねがねその噂を聞き及んでおりました。

 そこはその心の拗けた、いじけた空間に、何か苦々しい嫌な共感を覚えてしまう庭でした。
 しかし、その苦みと痛みを伴う共感が、決して「苦痛」とはならず、むしろ愉しい、というやっぱりいじけた庭。
 世界に白か黒かの2色しかないなら、明らかに黒の方。しかし、黒い方が、人の心の奥底に容易に侵入してくる、というのもまたよくある話。

 そういう訳なので(?)、澁澤龍彦が言及していて、ボマルツォを訪れたとき、私はその文章の全文を読んだことは無かったけれど、私の中では「澁龍系」とカテゴライズされていました。(因みに、一応帰国後に読んでみました。澁澤龍彦自体ほとんど読んでないのに実は若干の苦手意識がありまして。)
   
 やはり長い間エステ荘以上に放置されていたというこの庭は、ほんの数十年前までは、荒れ果て、草の間に間に古えの石の怪物たちが見え隠れする、そんな怪異の場所だったといいます。
 ご安心あれ、今はすっかり観光用に整備され、周回出来る順路も出来、日本語のイラスト地図など渡されて、ちょっとへんてこな公園の風情。
 
 ローマから朝、ツアー会社のミニバスに乗って出発です。
 車窓から見えるのは、ローマの市外に広がるなだらかな土地。草を食む羊の群れ、遠くにオリーヴ。しばらく車に乗っていると、段々に山と林の景色になり、現地に到着。
 そう標高の高いところではないそうですが、朝の外気は冷たく、低い太陽は木々に遮られています。

さて、公園へ向かう手前の原っぱで、隣の敷地のロバが二頭、柵越しに見下ろしている。少し距離を空けるだけで直ぐににもやがかって、ハレーション気味に朝露がきらめきます。


 小さな門から侵入するや、早速一対のスフィンクスに出迎えられます。古いイタリア語で何やら謎かけをしているようですが、何と言っているのか私には分かりませんでした。

 取り敢えず左手に進むと「いもり」に出会います。いもりの向こうには水路があって、静かな林の中で、流水の音が聞こえる。


 意味もなく木々の間にヤヌスや二面の女性の顔の柱など。
 
 山がちな段差を生かした立体的な庭で、狭い階段を降ると、岩から掘り出したかのような、ヘラクレスの見上げるばかりの巨像が登場します。
 ヘラクレスは人を逆さ吊りにして、力のままに引き裂こうとしている。ヘラクレスの牛を盗んだカークスだそう。メドゥーサのように目を見開き、苦悶の顔を浮かべる。
 英雄にも怪物にも、例えば、ローマの彫刻みたいな端正なところは何一つなく、ただ荒々しく、破壊的。プロポーションもどっしりと、首と脚が太くてずんぐりむっくり。
 
 パルナッスス山の噴水のある広場に降りてきます。ペガサスの泉は水も枯れ、苔に覆われている。そこには亀に乗る女神像があります。澁龍によるとトランペットを持って昔は水力で音を鳴らしたとか。
 それと対峙するように、自然風の流水の中に、自然風の岩に混じって「シャチ」がいます。

  不思議な価値観。これが、ルネサンスを経た人の庭でしょうか?
 険しい岩々に堰き止められた水は、細く砕かれながら勢いを増して、岩の段を流れ落ちる。その岩の化身のような牙をむき出す海獣。牙は少し風化して、古びた苔がまとわりついています。

 エステ荘で、あれ程整然と自然を模した人工を極めていたのに、ここではより自然に見える。…おそらくはそれも人為的なものだろうけど、時の作用で上手い具合に境界が曖昧になって、何かこう、神話の気配を帯びている。例えば、旺盛な熱帯樹に飲まれかけている遺跡の仏頭のような。かといって、神々しいという訳ではないのだけど。

 因みに、庭の設計はピッロ・リゴーリオ。
 現地のガイドさんに聞くまで知らなかったけど、エステ荘の庭や噴水をデザインした、あのリゴーリオ。
 つまりは、このボマルツォ怪物公園とヴィラ・デステの庭は同じデザイナーのほぼ同時代の産物。これほど依頼主で趣向が変わるとは。

 エステ荘は、随所に自然礼賛的な噴水だのモニュメントだの人工洞窟だのを配置しつつ、高低差を利用して、庭とその向こうの空と遠景を眺め渡せるようにしてあって、左右対称に装飾的に階段を設け、どこも舗装された道が出来ていました。
 怪物公園も高低差を使って巨像を配置したりしますが、それを装飾に利用することはないようです。道は踏み固められた土がむき出しで、くねくねと蛇行する。木々や岩に遮られて庭の全体を見渡すことは出来ない。
 エステ荘に礼賛される「自然」は、黄金時代的な調和をもたらす温和な自然。多分、サトゥルヌス(善き支配者)のもとに達成される幸福の世界。
 でも怪物公園に関わる自然は、制御不能な荒々しい自然。
 ヴィラ・デステは、初め政治的な接待、権威の誇示などの目的だったというけれど、確かに、社交的で誰にも愛想が良い安心の優等生です。
 一方怪物公園は、根は悪い子じゃないし、頭もいいけど何考えてるか分からない、でも自己顕示欲もちゃんとあるひきこもり。
 ……といってもこれはあくまでも私の見た現代の有り様なので、本当に同時代がどうであったかは分からない。実際、近代まで誰の注意も惹かずに引きこもっていたらしいけど。
 
 何気なく転がるモチーフもどことなく嗜虐的。ほとんど崩れかけた三美神の壁龕の手前で、仰向けにぐったりしている蛇足の女。

  神殿風の、何か。

 のっぺりしたプロポーションの女神像は怪物の台座に立っている。梁の不気味な顔が片方は地面に落ちていて、半分崩れて見える。困ったことに最初は建物だったのか、最初から廃墟だったのか、全く分かりません。
 
 高台から向こうに見えるのが、もっとも大きくて奇怪なオブジェ。傾いた家。
    地盤沈下によって傾いてしまった家ではなく、最初から傾いて建てられた家。右は中の様子。お互い、まっすぐ立ってます。
 外から見ても、いかにも不安定で嫌な感じですが、中に入ると即、三半規管をやられて普通に気持ち悪くなってきます。
 なんというか、「建物」と呼んでいいのか「彫刻」と呼んでいいのか、先の神殿みたく呼び名に困るものがごろごろと…。
 
 そして、庭の真ん中に放置されているベンチも傾いています。
 木の根っこに押し上げられたとかでなく、やっぱり多分、初めから傾いている。
 
 列柱が立つ奥にポセイドンの噴水。隣のイルカから水が吹き出しそうな気配ですが、やはり水は無く、苔に覆われた深い堀の底が見下ろせる。

 頭に水盤を載せる女性。多分、水盤から水が流れる趣向かしら。
 写真の遠近法ではなく、これも本当に足が太いプロポーション。そして見上げるばかりに大きい。

 ゴーギャンのタヒチの女みたいなプリミティブで土っぽい、土偶寄りの。
 もう何だか、理想のすらりとした八頭身とか古典の規範には、絶対に従わない、というようなあえての強い拒絶に思えてきます。
 リゴーリオという人、ルネサンス末期にあって、一体何を再生しようとしたのかしら。
 彼は遺跡の発掘研究もしている、いわば古典古代の大家だろうに、ルネサンス(古代復興)とかいって、このリゴーリオは、それ以上に古い、もっとプリミティヴなものを視野に入れていた気がしてなりません

 さて、ボマルツォ怪物公園のマスコットキャラクターがこちら。
 オーガ。人食い鬼。

   この中は備え付けの石のテーブルとベンチがあって、人食い鬼の中でお食事を楽しむことが出来る。中で声が響いてオーガの声みたいになるおちゃめなオブジェ。
 もちろん、地面から口を大きく開いて人を呑み込む怪物って、地獄の入り口を連想しちゃうよね。

 上にのって楽しむことの出来る象の像とか。良く見ると、象さんの鼻にローマ風の甲冑を来た人が巻き込まれていて、襲われている真っ最中のようです。

 墓穴。

  シンプルにして、もっともその気持ち悪さで印象深かった彫刻、いや…何か、もの。
 岩に穿たれた細長い長方形のただの穴。それだけ。
 中身は空っぽ。何もない虚ろだけが在る。
 実用的なものには見えないけど、墓穴にしか見えない。
 墓穴があるということは、そこに入れられるべきアレがあった。でも、今はもう無い。それとも、近々、これから入る予定があって、今はまだ無い。

 この微笑を誘う禍々しさ! 大真面目な馬鹿馬鹿しさ。しゃれこうべを置くより趣味と性質が悪い。本当、嬉しいくらい気持ち悪い(←ディズニーの某アトラクション的に)
 拭えぬ憂愁と、喪失感。しかも昇華しきれてない痛々しさ、病的さ。でも、昇華させる気も無く、むしろ未練たらたら抱えている。
 どれもどことなく嗜虐的だったり、無駄にグロかったり、色々な意味で痛い。(誉め言葉です)

 階段を上がるとプロセルピナの像。
 ボルゲーゼでは乙女であったのに、ここボマルツォではすっかり柘榴を平らげて、根の国冥府の女王の風情。

 肩の向こうにケルベロスがいるし、反対側もエキドナ(ケルベロスの母)がいるし、この一角は冥界連中のコーナーなのでしょうか。
  セクシーを通り越すほど180度に両脚を開いた女の足は、大地の力を象徴するかのように地を這う蛇になっている。

 呪術的な形をしているから、思わずうがった見方をしてしまいます。

  地下の女王のペルセポネーの広場に、松ぼっくりとどんぐりが並べてある。このモチーフは結構可愛い。松ぼっくりとどんぐり、ほら語感も可愛い。でも案の定どれも不揃いで、素敵にがたがた。
 
 種が沢山ついている松ぼっくりは、豊かさを象徴するとか。
 ペルセポネ居ます死者の行く地下世界、しかしそこは、これから芽吹くであろう種子を抱いている。一度、枯れて死んだ植物は種となって再生する。
  ペルセポネも、春になれば、再び乙女として地上に現れる。どんぐりが芽を出し、蛇が脱皮するように。なんて妄想。

 (…死と再生をテーマとすると、あの虚ろな墓穴の主は、死んでこの中に入れられたあと、立ちあがって出て行ってしまったのかもしれない…。)
(もしかして、冒頭で意味不明と見た二面のヤヌスも、実は雰囲気創出のためだけでなく、象徴的な意味も籠めていたのかしら? ヤヌスはその二つの顔で過去と未来を見守る、「出発点の神」。一年の最初の月を今でもヤヌスの月Januaryというように、案外前向きなのでは。いや、考え過ぎだな。)

 そして、その冥界広場に、依頼主オルシーニのシンボルと言える、2体の熊像。オルシーニという家名を日本語に直すと「大きな熊」(小さな熊だったかも(笑))という意味になるそうです。
 台座の上で、一方が大輪の花を、一方が紋章の盾を掲げている。
 …よりにもよって、冥界広場に家名の熊を置いちゃうセンス。

 ケルベロスの脇を抜けて階段を登ると建物の裏手に出る。
 玩具みたいな神殿風の建物。列柱があって、ドームを備えていて、とりあえず「建物」とは呼べる、形容矛盾だけれど、しかしそれは大きなミニチュア。大人数人で満杯になってしまうような、何ら機能のある建物ではなさそう。
 しかし一番端正な建物で、一番高い所にあり、木のない緑の芝生に囲われて、一番明るく晴れ晴れとしている。

 やっぱり原っぱは一面朝露に濡れて輝く。

  側に大きな門。これが正門かしら? だとしたら、ここが初めだったのかな。
 この極小のパンテオンから、段を降りて、冥界へようこそ。
 
 この庭は、どこまでが冗談でどこまでが本気なのか分からない。
 全部が全部ねたのような気もするし、露悪的な冗談の陰に主の言葉に出来なかった本音がまぎれているような気もするし、全て破滅的なイメージに苛まれた都会人の病んだ妄想のような気もしてくる。
  今やその本意はなかなか失われているようで、つまりは、どなたでもお好みの解釈をすることが出来る。
 見た目も普通に面白いので、何も解釈しないでも十分面白い。


 上の解釈(そんなものではないけど)は、例えていうなら、昔の中国の白文を見て、自分が日本語として読める漢字だけを拾って、それを無理に意味のあるように繋げてしまったようなもので、要するに、単なる連想の遊びであります。
 でも、ここで私は、思わずこんな空想を巡らせてしまっていたのでした。


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イタリア旅行記 ベルニーニとボロミーニとカラヴァッジョのための聖堂巡り

 ティボリ半日観光を終え、ローマ市内に戻ってくる。  2日目午後にしてようやくのベタな市内観光です。この辺りはおおむねガイドブック通り。
 本日の行程の主なる目的は、バロック巡り。特にカラヴァッジョとベルニーニとボロミーニを見る、バロックとバロックでバロックなバロック王道の旅。バロック建築がこれで全てではないけれど、一番有名どころだけ狙っていくという、オーソドックスな旅程ってやつです。まあ、ローマ旅行ではこれもやりたかったんだよ!
 勿論、ヨーロッパの街並みというものは歩いているそれだけで異国情緒。目的地も、目的地と目的地の間の路地も、等しく観光です。
↓歩ける距離かを測るために利用したグーグルマップ。

  露天であちこちお土産絵を売っているナヴォーナ広場から

 例のベルニーニの噴水を楽しみつつ、早速チェックに向かうのは、近くのサン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂
 何でもローマの教会は、正午頃から3、4時頃まで、お勤めか何かで閉まってしまって観光出来ない。 これは教会巡りしたい身にとっては、厄介な習慣でした。申し訳ないけれど(笑)
 しかも、ガイドブックによって記載している開館時間が違っていて、もう現地確認しかない訳です。

 さて、3時半に解禁になるというサン・ルイジ・デイ・フランチェージ。まだ時間があるので、近場をうろうろ。
 すぐ近くにあるのは、例の有名なパンテオン。

ジョヴァンニ・パオロ・パンニーニ<パンテオン内部>
 アグリッパが………作ったらしいよ!(←読めてない)
 何だか有名すぎる上に、それ風の絵や版画などを沢山見て、今まででもこれ風のドーム天井や模した空間を何度か目にして、……初めて見る気がしません(笑)
 むしろ私の写真より、パンニーニの絵のが分かりやすいよ(笑)
 やっぱり、明かり採りの天井の穴からの陽光が素敵だなぁ。天使の彫刻をぱちり。実力を顧みずデッサンとかしてみたい。

一応、ラファエロの墓もお参りなむなむ。

 骨董店の並ぶコロナリ通りをテヴェレ川に向かいます。
コロナーリ通り。
 そこを抜けてテヴェレ川沿いを歩くと、サン・タンジェロ城。もっと時間があれば中にも入りたかった、ハドリアヌス帝の霊廟です。
 橋の上の天使の列のどれかがベルニーニの彫刻のコピーだとか…。どれかと分かるほどには勉強していません。

 でも天使の並んだ橋で、いちいちの天使がいちいちポーズ決めていて、面白かった。
 イタリアに来てから天井や空を見上げてばかり。結局これは旅行中だいたいそうなんだけれど。
 この街の人達は、昔からこんな風に下から立体的な人体を仰視する体験にすっかり慣れていて、それが天井画で仰角に描くときも有利に影響したんだ、きっと。
 大体、あの曲面の天井に下から見て破綻なく窓やら人体やらを描けるのが魔法のようだ。

 橋の上の眺望。テヴェレの眺め。ザ・ローマ。
まるで絵のようなザ・イタリア風景。
 だから、絵がローマのような風景を描いているだけであって、ローマが絵のようである訳ではないのだけど、やはり絵のようだという賛辞を贈らざるを得ない。

 さて、サン・ルイジ・デイ・フランチェージ。
 何故ここに行きたいかというと、

これだ!カラヴァッジョの聖マタイ!
 ……写真下手過ぎですよね…! もう、感動のあまり手が震えて撮れなかった、とかいうことにして下さい。絵も聖堂内も暗いめで、どうしてもピント合わせてくれなかったデジカメ。

 最終的に、小さな液晶越しに絵も見ているのが馬鹿らしくなって、綺麗に撮ることは諦めた。有名だから綺麗な図版も他にあるし。
 激しい明暗を描くカラヴァッジズムというやつは、やはり心を打つものです。

 有名で美しく大きな図版が沢山あるからといって、それが本物を見ない理由にはならない。特にこういう絵はこの聖堂のこの場所に設置されている価値もあるから、仮にひっぺがして日本で大々的に巡回展をしたとしても、やはりこの場所で見たいのです。……もっとも、日本に来るなんてそんな事が起こったら、大喜びで見に行くけどね。

 サン・ルイジ・デイ・フランチェージのフランス王家っぽい?内装とオルガン。オルガンを天使が支えてるのが大好きだ。
 さて、ようやく教会が空く時間。
パンテオン辺りからテルミニ駅方面に徒歩で向かいます。

 次の目的地は、クィリナーレ通りにあるサン・タンドレア・アル・クィリナーレ。ベルニーニの設計によるバロックの聖堂です。

 途中の道にちょうど良くトレヴィの泉。とりあえず、小銭を投げ入れてみる。

 とりあえず地図で見て最短と思しき道を選んで通って来たけれど、これは多少失敗しました。
 クィリナーレ宮殿のあるクィリナーレの丘を越えて行くのですが、予想以上の傾斜。少なくとも東京都心ではきっと滅多にお目にかかれないくらいの急斜面です。それを直線距離で数十メートル行くのに、登ったり降りたり登ったり登ったり降りたりした。

 街路樹のオレンジ。下の方、人間の手が届く辺りの実が無くなっているのはやはり……。


 さて、サン・タンドレア・アル・クィリナーレに到着。

 空間は小ぢんまりしている。例の楕円の丸天井に彫刻が浮いたり腰掛けたり、精霊の鳩の居る明かりとりの天窓からケルビムが溢れたりしている。

  アンデレの磔にされている祭壇画など、放射状の神々しい光線が彫られています。いかにもバロックな。日常使いには少し大仰かも知れませんが、宗教的昂揚感を煽るような超常的な光の筋をも表現した彫刻。バロックですね。わーい本場の現役の生バロックだ。

次はすぐお隣の聖堂、クィリナーレ通りとクアトロフォンターネ通りの交差点に四つの泉の彫刻のあるサン・カルロ・アッレ・クアトロ・フォンターネ。

   サン・カルロ・アッレ・クアトロ・フォンターネですとも!
 サン・カルロ・アッレ・クアトロ・フォンターネ聖堂はベルニーニのライヴァル、ボロミーニの設計で、昨日訪れたバルベリーニ美術館、あのボロミーニの階段は見なかったバルベリーニ美術館にもすぐ近く。
 …早口言葉みたいで舌を噛みそうです。
 これだけ歪んでいても、実は古典建築のオーダーは守られているのだとか 入り口は、その有名さに比べて意外なほど間口が小さい。
 中に入ると清廉とした白。
 リズミカルな白。

やはり大きな空間ではないけれど、楕円の天井と聖霊の描かれた明かり採りから、堂全体に清らかな白い光が広がっています。

 なんて親密な無彩色だろう! なんと隔絶した白だろう。
 先ほどのベルニーニの金と天井に張り付いた彫刻とは違って、何も添加した飾りはありません。が、中心になるほど小さくなる幾何学模様の陰影が装飾になっている。

 場所も建てられた時も近い2つの聖堂ですが、それぞれの建築を貫く理念は全く違う。……これはベルニーニとボロミーニ、仲悪そうだな。

 名残を惜しみつつ、そのまま真っ直ぐ、9月20日通りを進み、サンタ・マリア・ヴィットーリア聖堂。目的はもちろんこれ。
このベルニーニ劇場が見たかった…!
 これを見ずして、バロック巡礼ツアーにはなりません。いや、この旅程だって十分とは言えないけど(笑)

 もしこれを、本当にこの場所から剥がして彫刻だけ展示して、裏からも横からも見れます、なんてことをしたら、どうだろう? やはり大喜びで見に行くけど。
 ベルニーニの有名な彫刻だけでなく、内装はどこもかしこも装飾だらけで超面白い。
 天井画は、なんとかして建築の構造からはみ出ようとしている。

 たとえば天使の舞い飛ぶオルガン。

 本当にローマの街は、ベルニーニの街です。何かと言うとベルニーニです。

 聖堂のすぐ近くにエジプト風のライオン噴水と角のあるモーゼ立像。口から水をぴゅーと出してるライオンかわいい。

 テルミニ駅の方へ向かうと、ミケランジェロが屋根を設計したという、古代のディオクレティアヌス帝の浴場跡を転用したバシリカ。遺跡っぽさは残りつつ、見事に現役の建物として修復されている。

 そんな遺跡っぽいの外見のぼろさからは想像出来なかった高く広い十字の大空間に驚く。

 その聖堂の脇にある古代遺物の博物館(多分)にもふらり。
 夕方はもう閉まっていましたが、ただ前庭には浸入出来ました。
 小さくも面白い庭で、古代の発掘品を庭園装飾としてバランス良く並べている。こういう庭って本当にいいなぁ。

  本当にピラネージの破片の絵みたく、あちこちに整理しきれていないちょっとした遺物がごろごろ転がしてあります。冬の白い花咲く草の上に、無造作に横たえてある柱の数々、など。 
 円柱に棚を渡して、蔓草を這わせてあります。…この柱も発掘品なんだろうなぁ…。遺跡の発掘品を実生活へ転用するユベール・ロベールの名残を見た気がしたのでした。


<<目次へ戻る  <エステ荘・庭園編 ボマルツォ怪物公園


おまけ
庭の噴水にて。よくある世界猫歩き(笑)

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イタリア旅行記 ティヴォリ半日観光‐ヴィラ・デステ後編

館の端からいよいよ外へ。既に第一歩から美しい。
 
 庭の初めのデザインはピッロ・リゴーリオという芸術家。
 この人は考古学にも明るく、近くのハドリアヌス帝別荘の発掘研究もしたのだそうで、その成果をエステ荘でも生かしたのだとかいうことです。
 イタリアの考古学者は美術家でもなければならない。しかしイタリアでも何処でも古今東西、多分考古学者は美術家たるべきだし、大なり小なり美術家なんだろうな。
 
 邸内や庭にヴィラ・アドリアーナから発掘されたものを並べたこともあったけれど、現在までに持ち出されてしまっているそうです。
 VilladEste-vault.jpg corot-tivoli.jpg
 
 右:カミーユ・コロー<ヴィラ・デステ>
 この写真の場所は、まさしくコローが下から描いたこの場所。
 
 そして、欄干。コローの欄干だ!
VilladEste-balustrade.jpg CamilleCorotTivoliLesJardinsDeLaVillaDEste.jpg
コロー<ティボリ、ヴィラ・デステの庭>
 本当にこの絵は傑作です。実際を再現した訳ではないというコローの絵を見ていても素敵な場所だと思っていたけど、実物も素晴らしい。
 この絵はこの欄干と起伏に富む背景だけでほぼ完結しているけど、描かれていないところで数々の噴水のある下の部分と、手すりの陰になった裏側が、広がっていたのです。
 でも庭の最上段のこの手すりに、このように座ってみる勇気は流石にありませんでした。割と高所です。
 
 我々はコローの絵の裏側に降りて行きます。
 ローマを表現した噴水は日に輝き、苔に覆われてテヴェレ川の擬人像が隠れている。狼と双子の像やオベリスク。
 VillaDeste-rometta.jpg

 もっとも美しいパサージュ、百の噴水。
 VillaDeste-LesCentsFontaines2.jpg VillaDeste-LesCentsFontaines.jpg
 二段になっていて、水は上段で垂直と扇状に噴き上げ、下段で怪物たちの口から吐き出されます。
 苔が張り付き、柔らかな植物が生え垂れ下がり、それらとすっかり同化した石の怪物たち。怪物の顔は流水と植物に変わってしまう。
 延々と百も連なるそれは、水と植物と石のグロテスク!
 全くそうです。私はグロテスクの間を歩いている……なんて空想。
 
 そこを通り抜けると卵形の噴水。
VillaDeste-FontaineOval.jpg VillaDeste-FontaineOval2.jpg
 滝の裏側を通り抜ける半円のアーチ回廊。今は通行禁止なのが勿体ないけど、なんてファンシーなんだろう。空想の先では容易に柱の隙間から光の射すこの薄暗い道を歩いて行けます。
 水の滴る音を耳元に聞くでしょう。風も感じるでしょうか。アーチの低い天井に水の反射が踊ることもあるのかしら? 揺らめく水越しに、暗い中から明るい庭が、或いは隠れて、或いは隙間から見えるのでしょう。
 回廊を抜けたその先から振り返った反対側の景色は、我らがロベールの素晴らしい素描におまかせ!
 HubertRobertVillaDeste-FontaineOval.jpgユベール・ロベール<ヴィラ・デステの庭>

 水の自動演奏オルガンがあったりします。
 VillaDeste-Organ.jpg
 水の圧力で風を送り、水流で孔を開けたり閉めたりするのだそう。
 音を聞くことは出来ないけど、装飾がオルフェウスなので、音が出ないときも問題ない。庭というのは何かしら理想の世界をなぞろうとします。オルガンとオルフェウス=音楽=調和かしら。
 神殿風の噴水としての外見も面白いけれど、小難しい科学やら物理学やらを(超文系人間なのでその類はどんな些細なものでも何でも小難しいのです)、このような巨大な玩具に惜し気もなく投入するのが、何というか小気味いい。しかもきっと当時最先端の科学でおおはしゃぎだったに違いないのです。

 大音響の噴水を上から見下ろす小さな台がしつらえられて、それに従って見下ろすと、虹が掛かっている。これが虹を見るために設置されたのだとしたら、洒落ているじゃないの(笑)
VillaDeste-Rainbow.jpg
 豊富な水量が勢い良く噴き出すのは、やはりリッチな感じ。水の轟きが気分を高揚させます。
 
 そして。
cypresses-in-the-garden-avenue-of-t-jean-honore-fragonard.jpg VilladEste-cypresses.jpg
 フラゴナール<ヴィラ・デステの庭の大糸杉>
 糸杉!!
 ここだ、この場所だ!
 フラゴナールの素描にあった、あの大きな糸杉。ヴィラ・デステの糸杉!
 ついにここに来たぞ、まさにこの辺りでフラゴナールは素描していたんだ。
 同じ糸杉かしら? 250年経って幾分成長しているみたいで、糸杉の全てを写真に納めるには、フラゴナールよりずっと下がらないとならないみたい。
 この糸杉は、もちろん勝手に生やしたものではなく、いつの時代からか(始めからなのかどうか知らない。)しっかりと庭園デザインのモニュメントとして植えられています。
 噴き吹き上げる水と呼応して、うねる対なる樹の幹が空に伸びる。
 後で見て回ったけれどフラゴの素描の奥の謎の物体もきちんとありました。
Cypresses-inTheGarden-ofVillaDEsteFragonardDetail.jpg VilladEste-FontainBernini.jpg
 そこからでは靄に霞んで実際には見えなかったけど、ベルニーニが設計したという噴水で、確かに庭の中軸に置かれています。
 
 
 インパクト大の豊穣のディアナの噴水、「エフェソスのアルテミス」。
9654744c.jpeg
 古代ギリシア(多分)のエフェソスで信仰されていた豊穣多産の女神像。
 これもどこかローマ遺跡から発掘した古代の彫刻が元になっていて、大理石の物がヴァチカンにありました。
 もちろん、ヴァチカンのは沢山の乳房から水が出たりはしない。すべすべした大理石のヴァチカンのと違って荒々しい石で作られていて、私には余計に「ご利益」がありそうに見えます。
 この女神像はその異形なデザインに一瞬びっくりするけれど、確かに生命を育む母なる大地の豊かさというものが表現されていて、この古風でストレートな発想は面白い。
 まあ、胸から水が出る発想はやっぱり一瞬びっくりするけれど、水というのも生命を育むものだし、それが噴き出すのも、やっぱり元の豊穣のモチーフを強調するもので、違和感は無いし、むしろ意味の重複を狙ったものだと思える。
 設置してある台も掘り出したそのままという風の、「自然」を模しているのかしら。
 由来は知らないのだけど、やはりリゴーリオさんの着想だろうか?
 
 楕円を描く階段。ヴィラ・デステの大階段!
 Staircase_in_TheGardens_ofTheVillaDEsteTivoli.jpg VilladEste-staircase.jpg
 かと思っていたのだけど、あれれ、フラゴナールが言ってたより、意外に狭くて小さい。
 図版に、フラゴナールはかなり拡大して描いたなんて、説明があったけど、本当にそのようです。
 この絵を見て、広大なヴェルサイユ的な庭園とかを若干イメージしていたけど、実際は、建物もそうだけど決して物理的に広い庭ではない。
 もっとも、真実の確認に来た訳ではありません。そんなものはどうでもよろしい。この庭、この空気、この空間がどのように画題を提供したか、し得るか、なのです。
 でも、まさにここ。フラゴナールも確実にここに立った違いない。
 
 
 
 
 ところで、帰国後でエステ荘の思い出を某氏に喋っていると、フランツ・リストが「エステ荘の噴水」というピアノ曲を作曲している事を教えられた。
「印象派の先駆けとも言われる結構有名な曲です。知らないんですか?」
「リストは一顧だにしてきませんでした。エステ荘の噴水なんて素敵! 少なくともタイトルは気に入りました。」
 早速、調べてみると「巡礼の年」という曲集があって、その中の1曲ですって。そしてこの巡礼の年という曲集、タイトルだけ見ると、超面白そう!
 例えば「エステ荘の糸杉」。「ダンテを読んで」
「サルヴァトル・ローザのカンツォネッタ」とか、何それ何それ、どんな曲なんだろう。デュゲでもマニャスコでもなくローザって言うからには、山賊のお話なんだよね。場末の酒場で出会った無口な男、元山賊ローザがぽつりぽつり話す冒険潭とか、雷鳴轟き狼の吠える峻険な山道で山賊ローザに出くわして冒険に巻き込まれるとか、指輪物語的な(しかしラノベな)壮大な展開を超妄想しちゃう。……山賊から離れろって(笑)で、リストのおじさんが暖炉端で話してくれるの(どんなキャラ)
 念のため言いますが、サルヴァトル・ローザは伝説の山賊ではなく、ちょっとロックな風景画を得意とする画家です。山賊が出没しそうな雰囲気の荒々しい山の描写が格好いいので、いつの頃からかローザ山賊伝説が生まれたのだということです。
 でもローザと糸杉の曲、CDはとても少ないみたい。図書館にも無かった。…そんなにポップな聴きやすい曲ではないとみた。
 でもいつか一聴はしよう。「巡礼の年」のエステ荘の糸杉。
 私にとっても、まさに巡礼地だったのですから。糸杉を思うと、必ずこの巡礼地を思い起こすことでしょう。
 
 
 ティボリの思い出はこれでおしまい。

 本当は、このシビュラの神殿も見たかったのだけど、冬季は解放していないのだって。
PiranegiVesta.jpg JakobPhilippHackertVesta.jpg
左:ピラネージ<シビュラ神殿>、右:ヨハン・フィリップ・ハッケルト<シビュラ神殿>
 今は知らないけれど、かつてはこのような風景だったらしい。その面影でも今は見られるでしょうか。
GasparVanWittel-View-ofTivoli.jpg JakobPhilippHackertGreatCascadesatTivoli.jpg
左:ガルパール・ファン・ヴィッテル、右:ハッケルト<ティボリの大瀑布>
 FragotGreatCascadesTivoli.jpg 
フラゴナール<ティボリの大瀑布>
 流石にこれは残っていまいよ、多くの人の心を捕えたアーチの高架。
 
 ティボリの大半は、まだ夢の中です。

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イタリア旅行記 ティヴォリ半日観光‐ヴィラ・デステ前編

ヴィラ・デステ!
 
 どれ程の憧れを持って、幾度この名を口にしたことか。
 ヴィラ・デステ! 種々の凝った噴水で知られるエステ荘のあの庭、今はどんな風になっているんだろう? あの2本の大糸杉は、まだ健在なのでしょうか?
 cypresses-in-the-garden-avenue-of-t-jean-honore-fragonard.jpgフラゴナール<ヴィラ・デステの糸杉>

 枢機卿イッポリート・デステが、要人を歓待し自身の教皇選挙に有利になるよう、政治的野心で建築しはじめたというヴィラ(別荘建築)。
 ところが教皇1人がいればその何倍もの教皇落選者がいる訳で、夢破れた後、ここで隠居生活を送ったのだ、というのがガイドさんのお話。
 それから幾度か手を加えつつも時が経ち、十八世紀には管理するものもいなくなり、出入り自由の荒れ放題となっていたそうです。
 
frago_TheGarden_of_VillaDeste_tivoli.jpgフラゴナール<ヴィラ・デステの庭>
 繁茂する木々で薄暗い中で、まだ残っている泉が木漏れ日を反射している。一体どこまでが現実で、どこからが幻想だったのだろう。もしかして、フラゴ自身も実物以上に故意にファンタジックにしているのではないかな。
 構造がよく分かるピラネージ。…この図はピラネージ得意の(笑)復元図かしら? 現代以上にすっきりしてます。
 TheVillaDEsteTivoliPiranegi.jpgピラネージ<ティボリのヴィラ・デステ>
 つまり、このように大きな高低差があり、それぞれの段をジグザグの階段で繋いでいる庭なのです。フラゴナールの絵では、どうもその階段は植物で塞がれていそうです。
 もちろん、現代ではきちんと整備され、ごく普通の、ヨーロッパを代表する世界遺産の後期ルネサンスの名庭園として一般公開されています。
 
 さて現代の我々は、教会脇の裏口のようなところ、しかし美しく彩色された通路から別荘の中へ入る。
 早速回廊のあるちょっとした中庭になっていて、早速ローマの遺物を利用したちょっとした噴水が壁に設置されています。
 浅浮き彫りのティヴォリの風景を背景に、ヴィーナスがヘスペリスの林檎の樹で出来たニッチの中で眠っている。
 ちょっとしたと言いつつ、日本でこんなヴィーナスの噴水があったら、それはもう大層なものですが、この庭園、またローマのその他の壮大な噴水に比べると、どうしても淡々としているように見えてしまう訳です(笑)
 
 室内は、白い。現地で買ったガイドブック(日本語ちゃんとあります)によれば、結局未完のままの部分もあったそうですが、それとも放っておかれた間に傷んでしまって、止む終えず白塗りにしたのでしょうか。
 
 室内は残念ながら撮影禁止らしい。
 意外にあっさりした室内にどぎまぎしながら奥に進めば、きちんと美しく豪奢な装飾が残っています。
 グロテスクに縁取られた神話画、枢機卿を誉め讃える寓意画、ティヴォリの風景、狩猟の風景、庭の完成予想図、大理石の柱の騙し絵、哲学者風の胸像の騙し絵、カーテンに隠された戸棚の騙し絵。
 本物の入り口に対称となる位置に、そっくりに描いてある扉の騙し絵には、そこから入ってこようとするルネサンス人が取り残されています。彼らはいつまでも当時の服を着て、今だに忙しく出たり入ったりしているのでした。
 
 ある天井画は下から見上げた柱が枠になっていて、実際の天井より高く見せようとしています。
 確かに、巨大な建築では決してない。広く見えるよう、上記のようなトロンプ・ルイユ(騙し絵)がふんだんに使われているのでしょう。
 
 それにしてもトロンプ・ルイユは本当に面白い!
 平面でもって、現実と繋がった立体的な空間を錯覚させるような絵って、単純に面白いと思うのです。
 描き手の主義など殆ど反映しない装飾画ですが、トロンプ・ルイユにはトロンプ・ルイユなりの主張があって、無理に詩的に言うなら、独特の声がする。それもかなり騒がしい方。
 しかも時には仲間のグロテスクと一緒になって、レチタティーヴォで。もちろん、日常的にレチタティーヴォで喋る奴らなんか鬱陶しいには違いないけど、でも部屋を広く見せ、人の目を驚かせる使命をきちんと弁えていて、その声はなんとも微笑を誘うのです。
 
 バチカンのラファエロの間然り、ボルゲーゼ、バルベリーニ然り。日本ではぴかぴかのものが舞浜でしか見られないような(過言です。しかも舞浜は侮れない)、本場の古雅なトロンプ・ルイユ。いや、騙し絵の本場が本当は何処なのかは知らないのだけど。
 バルベリーニにあったような下から上へ天井を突き抜けて見上げるような構図の天井画は、バロックの専売特許のように言われますが、このヴィラ・デステの大広間の天井画は、見上げる構図なのは枠としての柱のみです。本体の絵は、ざっくりいうとラファエロ的な、沢山の神々を水平に並べるもの。

 全体的にまさにルネサンスの産物とも言えるような騙し絵なのです。つまり直感でなく、計算で本当らしく見せる。
 そして多分、対象に当てる光源がルネサンスの光。ルネサンスなバチカンとバロックのボルゲーゼと比べると、バチカン寄り。
 そう、エステ荘の壁画は制作年に違わず、後期ルネサンス、ないしはそろそろマニエリスムの領域といったところ。
 でも、ルネサンスとマニエリスム、そしてバロックと、美術史上の時代区分として対立項のように比べられることは多々あれど、こうした騙し絵への志向には、ルネサンスとバロックは同線上にあり、ルネサンスのリアリズムが既にその内にバロックの種子を孕んでいたことを感じます。
 美術史って本物に面白い。
 まあ当たり前のことなのですが、実際にそう視ると俄然面白いよね。
 
 さてさて騙し絵以上に大好きだったのが、そこらじゅうに描かれたグロテスク。ボルゲーゼやバルベリーニのバロックのグロテスクは重く、ごてついているけど、ここのは、余白多めで軽快なセンスが好き。
VaticanGrotesque2.jpgVaticanGrotesque3.jpg
 これは、参考にヴァチカンのグロテスク。これより、もう少し重い目だけど、重すぎないのがエステ荘のグロテスクでした。

 ああ、やっぱり、グロテスクとはいいものだな。本当はいつまでだって見ていられるのです。
 現実の形象を離れて、変幻自在に千変万化する生き物や植物が、現実の時間、空間、重力を離れて、次々と気まぐれに連鎖し、しかし自由な秩序で構成されていく。
 なんというのでしょう、遠近法も錯綜していて、トロンプ・ルイユとは真逆で現実を再現する為ではなく、平面空間を区切るための手段にすぎません。
 抽出し、濾過し、昇華し、結晶化した、空想。
 私の心もこのように(grotesquement!)ありたいものです。
 
 
 以下本筋には関係ない脱線。
 ところで、クープランのクラヴサン曲に「アルルカン」という道化師の一種を描いた曲があり、その指示標語が「grotesquement」(グロテスクに)。なんとも音楽的でないそそる指示ではないですか?(笑)
 
 私は、グロテスクというと殆ど上のような勝手なイメージを抱いているので、グロテスクなアルルカンと聞くと、身も軽く不条理の世界を無重力に、あらゆる物理的法則を無視して自在に飛び跳ねる道化師とか超格好いい! と一瞬勝手に妄想します。クープランの「解釈」でなく、字面上のロマンチックな連想ゲーム。……言葉にするとロマン主義に過ぎて、すこし自分で引きました。
 この曲におけるグロテスクとは何か、私は妙に気にしていますが、ジャック・カロみたいな感じなのかな?
JacquesCallotLesDeuxPantalons.jpgジャック・カロ<2人のパンタロン>
 これは、アルルカンじゃなくて道化仲間のパンタロンさん。
 変な動きが気持ち悪くていらっとくるけど、ものすごく訓練してあって、実は洗練していて隙がないみたいな。
 もし本当の手練れだったなら、何のしがらみもなく、変幻自在の無重力感を表現出来たい。
 
 あの、お分かりでしょうが、本当に念の為にいいますが、クープラン時代のグロテスクという語の意味・用法とか調べた訳でなく、むろん解釈なんてものでなく、あくまでも個人の勝手な痛いロマン主観であり、曲自体は隣り合う鍵盤のぴょんぴょんって不協和音がお茶目な曲です。
 ずっと2度の音程の八分音符のリズムを刻んでいたのに、サビの部分は半分の四分音符だけで、そこに余白を感じます。で、その一瞬の余白でキメの2度の和音を左右の指でぶつけるのが素敵だな、と。
 ごく単純に、これぞアルルカンっぽい(見たことないけど)と思うのです。
 
 ついでにまだ脱線するけど、アルマン=ルイ・クープランの「アルルカン、あるいはアダム」も最後の短いクプレで、急にふっとシリアスになって、ぐっときます。滑稽な動きの仮面裏の素顔は実は笑っていない、的な、ね。……やっぱりロマンですね。ローマ旅行だからいいよね。
 
 脱線終わり。エステ荘に戻って。
 世俗の愉しみの粋を尽くそうとしたかのような建築でも、一応小さな礼拝堂があって、宗教画以外は古代モチーフな感じの装飾でびっしり。本物の大理石なのか絵なのか、最早分からない。
 
 邸内どこもかしこも、古代風のグロテスクと、いかにもルネサンス以降な古代風の壁画で彩られています。
 実際、このヴィラ・デステを「発掘」すると、どうやら本物の古代ローマの家の床が出てくるらしいです。
 これは、やはり古代の貴族の別荘地ティヴォリにあるこのヴィラも、古代に連なり、古代の再現たろうとしたのではないでしょうか? いや、当てずっぽうだけど、あり得ない話ではないと思ってる。
 邸内の装飾にティヴォリの縁起神話が描かれているのも、この説をこじつけられる、とかどうでしょう。
 
 テラスから庭を見下ろす。
VillaDesteTerrasse.jpg
 本当に急斜面に建てられていて、建築的なことは分からないけれど、ファンタジックな設計とそれを実現させる技術の素晴らしさを感じます。急斜面ならではの設計だけど、多分、急斜面だから施工の大工さんは散々な目にあったのではないでしょうか。
 
 室内噴水のある円筒ヴォールトの長い廊下。9割方残っていませんが、幾つもの泉を設置し、漆喰のような立体的な装飾で、隙間に鳥もいる、つる棚のトンネルみたいな素敵な空間を演出していたらしいことが窺えます。
 斜め頭上に天窓があいていて、天然の光を入れている。本当につる棚の中を歩いているようだったに違いありません。
 
 館の端からいよいよ外へ。長くなるから次回へ続く。

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なんせんす・さむしんぐ

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