本日のラインナップ。
1、 南蛮美術の光と影 泰西王侯騎馬図屏風の謎展
2、ドラゴンクエスト展
3、メタボリズムの未来都市展:戦後日本・今甦る復興の夢とビジョン
六本木界隈で、うっかりぶっ通し3展はしごして、終電で帰ってしまいました。六本木の辺りは、美術館が遅くまでやっていて危ない。
そんな感じで、その日の美術展感想。
●六本木のサントリー美術館にて、南蛮美術の光と影展
時は戦国、ポルトガルより南蛮人がやって来て、交易を結んだ結果、日本でつかの間開花した文化を、南蛮交易のさりげなく激動な歴史に絡めて展示します。
展示作品は少ないながらも、教科書では、多分、多くても1ページくらいの記述で済まされてしまう南蛮貿易の雰囲気が伝わって、なかなか面白かったです。多分、まろりーみたいな日本史弱いめの初心者向き。
まずは、南蛮人の屏風。帆船に乗ってやって来た南蛮人たちが描かれます。
当時の日本人には南蛮人がこのように見えたに違いありません。髭やもみあげを生やし、鼻が高く、目は窪んでぱっちりとしている。デフォルメはするけど、とてもそれらしく見えます。
南蛮の服を着た南蛮人は、日本の絵らしいプロポーションで、こまごまと可愛い。時々たれ目が強調されていて可愛い。大体、派手でハイカラなお洋服が可愛い。金刺繍の黒い船乗りの服、宣教師の僧服とか。裾のもったりしたズボンが可愛い。半ズボンから出たタイツ(笑)と短靴を履いた足が可愛い。あと、サルーキみたいなハイカラな洋犬も可愛い。
黒塗りの帆船のロープに逆さまにぶら下がる人、舳先に座る人、バックギャモン(多分)に興じる人、肉の皿を運ぶ人、格子のはまった部屋(まるで牢屋のように見えたけど、本当は何の部屋なんだろう。多分日光の入る良い部屋なんじゃ?)にいる人、マストに登る人、椅子に座る人、馬に乗る人、個性溢れる南蛮人たちがいちいち色々な服を着て色々なことをしていて楽しい。誰一人として同じ人がいない、そこに描かれた人を延々と眺めて楽しむウォーリー的な屏風。
主役の南蛮人より、岩木や犬や馬の方が描き慣れていそうでした(笑)
基本的には、陰のない伝統的な日本の絵という感じですが、船のマストなどは、きちんと円柱に見えるように陰影がつけられていて、こういう所がきっと南蛮風なんだろうなぁ。
日本の港に寄港する図もあるけど、背景がどこか中国風の建物の、設定がよく分からないものもありました。異国イメージなのでしょうか。
南蛮貿易は、イエズス会の布教活動と密に繋がっていて、多くの宗教的な文物が日本に持ち込まれたようです。
極小のキリスト図などを薄いギヤマンでカバーしたロケットのようなお守りなど。
中身の銅版画は、ヨーロッパでだけでなく、日本に持ち込まれたプレス機で刷られたものもありました。
洋式の釣り鐘は日本鋳造だそうで、昔日はどこでどのような音でどのような人たちが聞いたのでしょう。
大きな油絵なんかももたらされました。商取引の結果なのか布教目的なのか、或いはそのどちらもなのか分からないけど、絵自体は稚拙な描きぶりから、植民地だかアジアの交易拠点だかで、現地人が描いた可能性がある、との事。結構グローバルです。
日本などアジア圏に聖人の図像を持ってくるのに、ヨーロッパからでは遠くてしんどかったのか知ら。
そういえば、前にどこかで「ヨーロッパへ渡った日本の屏風展」なんて逆バージョンをやっていたなぁ。あれ、見なかったけど、この展示と繋がると面白かったかも。
蒔絵の祭壇など。
蒔絵、これぞ日本の外国への輸出品の花形!
17世紀のヨーロッパ人にまろりーが自信を持ってお薦めするお土産です。(何それ)
模様で空間を隙間無く埋める華美なデザイン。バロック時代って黒という色を好んだようだけど、漆塗りのシックな黒い地に、螺鈿の貝殻の虹の輝きが映えます。
より南蛮人にアピールするためか、南蛮人からの注文作なのか、西洋のものに西洋好みの蒔絵を施します。祭壇本体、ミサに使う道具、聖書を乗せる書見台、かまぼこ型の洋櫃(所謂よくある宝箱)など。聖書を乗せただろう書見台のイエズス会のマークのIHSが虹色に光ります。
イエズス会の情熱は本当に熱い。こんな果てまでやってきて、蒔絵螺鈿の聖具など…。それら珍奇豪奢な道具を使って、遠い異国の地にもキリストの力が及んでいる事を示して信仰を固めたのでしょうか。
何かの西洋の絵を模写した屏風。各画面、イタリア風の牧歌的な風景の中に二、三の欧風人物を配していて、一見、一連の絵かと思いきや、各々ばらばらに描かれています。一枚だけ、日本の女性が同じ画風で描かれていて、画家は修得した南蛮風の技術を日本の図像に応用したかったのでしょうか。
西洋の銅版画を元にしただろう世界地図の屏風。地図の左右に各国の住人の装束が描かれていて、頭に羽をさしたアメリカが典型的ですぐに分かった。多分、元絵を描いた欧州人も大体の国は想像で描いているはずだけど、アメリカ原住民の典型的イメージは現代までも強烈です。
一番の目玉、有名な異国の王様の騎馬図屏風。
多少ぎこちないけれど、輪郭が無く、明暗のグラデーションで描く本格的なものですが、材料は和紙と岩絵の具という純然たる日本画です。
馬の目が人間の目をしていて、格好良かった。たてがみのなびく様や、足を曲げ伸ばしたり、口を開けたり。
馬のたてがみもなびくけど、王様のマントとかもちゃっかりなびいて躍動的な襞を作ります。王様の長い睫毛までぱっちり描いてあったり、細部も気を抜きません。 片方の屏風は、神聖ローマ皇帝とスルタンが互いに剣を振りかざして向き合い、今まさに馬の拍車をかけた所、といった風情。
相対する二人の王様は、観者からは同じようなポーズの正面と背中に見えます。元絵が多分あったと思うけど、この対照性は安直にポライウォーロを思い出します。まあ、有名な図だから、イコールポライウォーロが直接の影響元とは言えないけど。
☆11月26日追記。
この騎馬図は、ブラウの世界地図の版画が基になっているのですって。今、テレビでやってた。ぜひ、そっちの世界地図の本物もみてみたいな。
<泰西王侯騎馬図屏風>
アントニオ・ポライウォーロ<戦う裸体の男たち>
この展示では、祭壇画のキリスト像や聖母子像なんかは、ぱっと見(そんなに注意して見なかった(笑))一般受けする当世風折衷バロックって感じだったけれど、日本人画家の写した絵ってぎこちなさも相まって、どことなく初期ルネサンスっていう感じがする。
日本画家が、一体どういう絵を手本にして西洋画を修得したか知らないけど、ルネサンス時代の絵とかもあったのかなあ。イエズス会の絵ってどういう系統の絵だったのかしら。
単純に和紙と岩絵の具のざらざらした質感が、フレスコ画のようだからでしょうか。
写実に向かうバロック絵画と、写実の概念そのものが西洋と根本で違う日本…そこにどんな葛藤や受容があったのか、ちょっとドラマチック。
再び田園の風景の中の人物。彼らの着ている服は立派で雅びやかな感じ。羊がたぬきくらい小さい(笑)日本に羊居ないから仕方ないけど、羊毛もぶよぶよした感じで、いかにも空想で模写した様子。でも、黒い服を着て座る壮年のおじさんの、黒いウールの服の袖に寄る皺の、光と反射光と陰と質感など、すごくそれっぽい。
当時の日本人が、渡来の珍奇な絵画であるという事の他に、ヨーロッパの素朴なる田園への郷愁という部分にまで共感したものかどうか。田園=理想郷としての記号だったのか。鄙びたものへの愛着は日本にもあるだろうけど、この景色たり得るのでしょうか。まろりーの目は既に田園に曇っているので(自ら望んだものですが)、最早分かりません。
ビウエラを持つ奏楽の女性など。南蛮風の絵に繰り返し登場する人。同じ一枚の図像がコピーされています。そして、多分、ヨーロッパでもよくあるポーズ。
当時の、オランダやポルトガルの音楽とはどのようなものだったのか、長年疑問です。全く同時代の有名なオランダ人作曲家というのが分からない! しかも、ギターでもリュートでもなく、ビウエラ限定とか。(当時の人厳密に区別しないだろうけど)日本で奏された南蛮人の音楽とはどういうものだったのだろうな。
さて、以後、展示はきな臭くなってきます。
秀吉の時代に禁教令が出て、結構苛烈に弾圧されたのだそうです。
その苛烈さが生々しく描かれているのが、日本での殉教図。何人もの人が柱に縛られ、首を斬られたりして、地面に血溜まりが出来ている。周りでは原色の赤が燃え盛り、焼き焦がす煙は黒々と渦を巻きます。殉教者達の規則的な配置は非人間的であると共に、モニュメンタルで、悲劇的な効果を上げています。
続く一枚も殉教図。高いところから見下ろすように描いて、中央の処刑場を幾重にも囲みながら手を合わせる人々も見えます。人々は均一で淡々と描かれているけど、かえってそこに画家の執念のようなものを感じます。
このような弾圧は功を奏したようで、南蛮風は日本の伝統には根付かなかったように見えます。
しかし、宗教色を排した華やかな南蛮人の図像は、宝船に乗って海から来る七福神のおめでたいイメージと重なって、商人などに人気となった、との事です。
ここでも、珍奇な渡来物を勝手に日本流にアレンジする伝統のお家芸炸裂でした。
次。
●森ビルでやっているというドラゴンクエスト展。
何でも25周年の記念だそうで、新作の宣伝も兼ねているみたい。
実は、知っているドラクエ用語は、ホイミとプックルとピエールとブラウニーくらいという程度なのだけど、隣で殆どのドラクエをクリアしているというドラクエマスターが案内してくれたのもあり、僅かな時間でドラクエをやったような気分になれて、なかなか楽しかったです。
中に入ると、観者にはドラクエの中に登場するキャラクターを選ぶよう要求されます。
えー、強制参加やなりきり型嫌いだよーと思いつつも、「いや、結構です…」とか言うのも大人気ないので、大人しく選ぶこととします。
戦士、武道家、僧侶、魔法使いの4つの中から選ぶのですって。
友人はゲーム中で育てやすくて使いやすくて強いという武道家を選びました。
じゃあ、まろりーは僧侶ね。将来、猊下って呼ばれたいからね!(←野望)ホイミしか知らない僧侶って、どれだけ役立たず(笑)
そんな感じで、オリエンテーション的な紙切れを受け取りクイズに正解すれば、素敵なプレゼントが貰えるよ。グッズ等には興味がないまろりーはよっぽどその場で「いや、結構です…」って返そうかと思ったけど(大人気ない)
何よりも凄いのが、開館時間が非常に長いこと。夜の11時くらいまでやっているみたい。
ところで、あの可愛い系モンスターのスライムの原案が、えぐすぎて笑った。かなりショッキングな見た目に加え、顔に張りついて窒息死させる、という攻撃とか…。キャラクターやモンスターデザインは重要だと思った。
パッケージやキャラクターの原画が飾られていて、楽しかったです。手書きの線の無駄の無いこと! 彩色の的確なこと! 絵の嫌みの無いこと! 万人向きの良い意味での通俗性が非常に健康的です。なんていうんだろう、オタク以外お断りって感じじゃない。途中からハイカラに凝ったCGになったけど、アナログの生々しさが素敵でした。
ドラクエ展を見に来る人は、男女の別無く若い人が多くて、その人達の口から洩れるのは「懐かしい」という声。
確かに、何か郷愁を感じました。スーパーファミコン時代からそれ以前の作品に。
小さな頃は、今みたいにゲームもリアルではなくて、ずっと素朴だったけど、何でも何ヵ月もかけて丁寧に遊んだし、決してまろりー自身の体験ではないけど、新しいゲームの発売日に人皆大挙して並びました。iPhoneとか、そういうテクノロジー満載の万能の玩具ではなく、ただあまりに素朴なファンタジーの為に。
何か、剣と魔法の世界で勇者が魔王をやっつけに行く事が「当たり前」でした。この垢抜けないほっこり感は、いくら平成育ち、平成生まれが擬古調にしてみたところで、最早再現不可能なのです。
ドラクエそのものに直接関わる思い出は、殆ど無いのだけど(笑)、確かに一時代を共有していました。
あと、今だに「バトえん」が売られていて、和みました。まろりーも持ってたよ! 男子から貰ったスライム鉛筆(笑)
さて、次。
ドラゴンクエスト展の入館料が1800円という、目を剥くような高額だった為に、同じく森美術館で同時に入れるという、全く行く予定に無かった「メタボリズムの建築展」にも行くことに。
だって、ドラクエのみ1800円は不当に高いよ…。
●メタボリズムの建築展
難しいです、この展示。ドラクエという軟派なものに対して、この展示は硬派で、しかも内容が「理念」に寄る。
先に言っておかねばならないのは、まろりーは特にこの時代に関して、公平な視点には全く立てない、という事です。普段から決して公平ではないけど、この時代は特に、どう見方を変えようとしても、月の極地のクレーターの永久影のように、どうしても、見えない。
まあ、この建築に至るまでの日本の美術史・建築史がかなり前からごっそり抜けているのだから、まともな判断が下せる訳がない。
そういう訳で、以下はまろりーの空想。
間違ってるかも知れないけど、この展示で私が見たメタボリズム建築論とは。
1960年から70年ごろの日本。戦争で荒れた国土は回復に向かい、人口が増加し、都市部に密集して行きました。
そこで問題になるのが土地。如何にして限りある都市空間に増え続ける人口を受け入れるか。如何にして人口増加で悪化する住環境を快適にするか。
その一つの回答がメタボリズム建築。
日本語でいうと新陳代謝。生物が新陳代謝するように、建築も新陳代謝して人間と共に成長しよう、という柔軟で画期的でスタイリッシュな考え。
一度建ててしまっても、人が増えたり、構成人が変われば容易に増改築出来る建築。
メタボリズムの都市は、沢山の人をなるべく都会に住まわせようという計画。
経済の発展と共に、永遠に増え続けるかに見える人口は次々と都市へ集中し、あっという間に飽和するに違いない「近未来」。
例えば、人間の住める僅かな土地を最大限有効活用するために、例えば、必ずしも日光の必要ない道路などは下層に通して、その上に明かり採りの吹き抜けのある明るい居住区を何段も重ねる重層構造を持たせます。
一戸の住宅としては、徹底的に効率化を図るべく、各部屋は一定の規格で完璧に統一されます。必ず居住者全てが利用する水道、配線、昇降機などは纏めて一ヶ所に集めて、人が増えればそれを繋ぐようにして、簡単に個室を増設出来るようにしたり。
再現CGの都市などは、その生真面目さと不気味なBGMの相乗効果で、新品の近未来的なネクロポリスのよう。多分、それこそドラクエの音楽とか使っていたら違った印象になっただろうけど(笑)、発展を極めて、それ故に滅び、都市を残してそのまま人間だけが消えてしまったような悲劇的な悪夢。
なぜそこに人間が住むことが出来ないか、それを先に考えるべきだよ(笑)
ユーモアがないのです。どんなに秩序だって美しくとも、斬新で便利で人を利するとしても、ユーモア無くば駄目なのです。ユーモア! すなわち、辞書のままの「偕謔」という意味でなく、血が通っていて人間的であるというほどのユーモア。
非常に理路整然とした無駄のない街並みは、内側で完璧に調和しています。あたかもそれを乱す存在を認めないように。
人柄を反映するはずの個人邸宅は許されず、新たに建て増される同一の個室に押し込められる都会人。
無限に増殖する様は、ピラネージの牢獄にも似ているけど、あの黒白のエッチングから、千変万化の空想を弄する愉悦と、気まぐれな線の戯れと、軽快な精神を全て無くしたような。
ピラネージ<牢獄(14番目の)>
その都市は最高に幸せなことと思う、全ての住民が画一的ならば。同じ性格で同じ好みを持ち、同じ方を向き、同じに生きられたなら。そして、世界がそれだけで完結していれば。
いや、6、70年代は、ひょっとしてそういう一面があった気もする。同じ方向に皆の未来や希望などというものが存在すると…。
価値観の多様化と細分化が叫ばれて久しい昨今ですが、それだけ広大な世界を持つ現代に狎れた身には、再現CGのような閉ざされ規律正しい都市に住むなんて無理な話。内部は統一され調和しているけど、外側の「自然」とは不調和著しい。ああ、例えば、いくら美しくともヴェルサイユ宮殿には住めないような。本当、自然に帰りたくなっちゃうよ(笑)
けだものじみた無秩序も醜いが、行き過ぎた調和も考えものです。その中間も結局生きづらいのだから、人間を生きるって難しいぜ!
ちなみに、友人とはドラクエ展を見たばかりで、このメタボリズム都市のスラム化した最下層で暮らす主人公が、絶対の規律を敷いて民衆を支配する政府に対して解放運動を繰り広げる、なんて何処かで聞いたようなファンタジー考えてました(笑)近未来空想には、うってつけの空想源です。
このメタボリズム建築というものは、私の目には、非常に「ゴシック」でした。ルネサンス人が前の時代の芸術をゴシックと呼ぶ時のゴシック。当時の流行りなのか、打ちっぱなしのコンクリートのたわんだ外壁などが前時代的。つまりは、古臭く、小汚く、洗練を欠き、悪趣味どころか無趣味で醜怪。
ちょっと強調して言い過ぎたけど、この不変性を棄てて新陳代謝する建築が、今や多く老朽化して「現存せず」となっているとは切ないことで。
展示を出ると、ドラゴンクエストのテーマが聞こえてきて、凄く前向きで清々しい気になった。
三郎丸氏>
知識いい加減はまろりーの方です。
何というか、先に言ったことは、荒っぽくて、自分でも気に入らないです。
芸術の為の芸術と、サブカルチャー的なものの乖離は、大きな目で見ればそうかな?とも思うのですが、昔から大衆狙いのアーティストだっていたし、住み分けもしていたはずなのです。その辺り詰めが甘いなーと。
大体、まろりーもサブカルチャーという言葉を安易に使いました。
どうも、私にはサブカルチャーなるものは、マニエリスティックで、独特の言語と内輪でのみよく伝達する記号を発達させた閉ざされようとする世界という風に見えます。それを語るには、それに浸からないと十分な理解は得られないし、しかし、そうするとなかなか他との関わりなど全体像が掴み難くなる、というような気がします。
ああ、ブーシェのマリー・ルイーズ・オミュルフィ(だったかな苗字は…)・・・。あれは、一応「オダリスク」なんてトルコのハーレムに住む人という空想のヴェールが掛けられてあだ名されてたりします。 さすがに、昔は本当に存在する一個人の裸身なんて、生々しかったのでしょう。
あの絵は、でも朗らかだと思う。欲望に忠実ではあるけど、そういう罪悪感のかけらもないので、(笑)ポージングの妙もあって、一瞬卑猥に見えません。かといって、例えば19世紀の裸婦みたく、卑猥にならないための余計な小細工もしないし。
子犬と戯れる少女は、多分ブーシェではなく、フラゴナールだろう。本当にブーシェのだったらまだ見たことないから是非見せて♪
一応、上記2人とも当ブログに登場済みだったりします(笑)
もっとも、子犬と戯れる少女は2種類あって、一応はばかって(笑)より表現が大人しい方を掲げてあるけどね・・・。
あの子犬の構図は、天才的だと思います。あんな絵なのに、あんなに闊達で恬とした絵、フラゴにしか描けません。
三郎丸氏>
ミラクルなつぶやきって・・・(笑)
まろりーはただ、今のところ、主に、普通に日常的に心にうつりゆくつぶやきをその場その場で徒然つぶやいているだけですよー。
晩ご飯はカレーがいいな。断然、甘口派。・・・というのと同程度のことをね・・・。
ツイッターの世界というのは、どうも「大都会」といった様相です。個人個人が一つ所に集まって、その辺りの大通りだの路地だのをうろつきながら、ぶつぶつ好き勝手に呟く。で、その誰かの呟きが、たまたま耳に入ったら拝聴し、自分の呟きもたまたま誰かの耳に入ったりする。
翻って、ブログというのは、以前三郎丸氏が言ったように、「田舎の居城」といったところで、鄙びた領地の、好きな絵などがあちこちに掛けてあったり、自分好みの自分の城館で、まあ、時々にいらっしゃるお客さまをおもてなししよう、といったところ。
ひきこもりの田舎暮らしの方が、もちろん快適ではあります。
さて、三郎丸氏のブログにあった、ロココ問題だが・・・。むろん、受けて立つ(そういう話じゃない・笑)トラックバックにて、腐廉恥だよね、うん。っていう話をちょっとだけ語らせてもらうよ(笑)
あるいは、千葉市美術館で、酒井抱一を見ながら、ロココについての意見交換とか、どうでしょう(展示を見ろ!)
以下、あくまでも私の今現在考えたことね!明日には変わるかもしれない不安定な意見だ。
さて、ロココの絵画として、一体いつ辺りのものを見たか分からないけど、初期のヴァトーの時代と、その後のブーシェ、そしてフラゴナールの時代と、まあ、どんどん芸術を需要する側が変質していきます。
初めは、少数の王侯貴族たちに、次に加えて裕福な一般市民に、さらに新興の財力ある労働者層(ブルジョワ)も加わります。
この人たち、一応同時代的な共通の好みの傾向をもってはいるものの、今までのように洗練された人にぎりの連中だけでなく、新たに参入した(貴族たちに比べれば洗練を欠きがちな)新興層に受ける絵も生み出さねばならない、と。数も多いし、貴族相手だけでは、画家も食べられなくなってきたし。
ブーシェやフラゴナールが、AKB的というのは、まあその辺りの、市場への露骨な受け狙いが共通しているのでしょう。違いは、前者が「サブカルチャー」は決して狙っていなかったのに対し、後者は「端からサブカルチャー狙い」ということではないでしょうか。
ロココだけじゃなく、いつの時代だって絵画は「あらゆる種類の」人の欲望を描いてきました。
産業革命だの、科学革命だの、そういった時代を経て、例えば人間の「特に脂ぎった」欲望を満たす為だけの芸術と、そうでない芸術が、時を追うごとに乖離していきます。
ええと、とりあえずフランスを想定して言うけど、18世紀前半までは、まだまだおおかた両者渾然一体だったものが、18世紀をすぎたあたりから、おそらく、画家たち自身も、需要・消費する側もきっぱりと分けるようになったのだと思います。
で、その後、消費目的の一方は「芸術」というご高尚な分野から離脱し、日本でいえばサブカルチャー的なものとして、時折歩み寄ることもあるけれど、独自の道を歩んできたのではないかと。
で、「芸術」を需要する人たちは、結局やっていることは変わらなくとも、「芸術」が「芸術的」であるためのレトリックを要求するようになっていったし、「芸術家」たちもそれを意図的に身につけていった。
なんだか、もどかしいよね。
あの時代、ただただ欲望を満たすために最高の才能を消費したし、たのしみ・快適さを追求して色々とやんちゃな絵を描きました。18世紀では、社会的なメッセージ性のある絵画や、宗教・歴史画に交じって、それも芸術だったし、そもそも今のような芸術と芸術でない絵の別はそれほど重要なことではなく、いや、それらの間にヒエラルキーはあったものの、現代になって、一括りに現代的な意味での「芸術」と呼ばれるに過ぎないと感じます。
(独特で一時代を築いたとはいえ、ロココが美術史から外されがちなのは、この辺に理由があるのではないでしょうか)
まあ、つまり、こんな事いいな、出来たらいいなということを仮初にも叶えたいという目的からいえば、根本は一緒なのですが、現代の我々が、むきになって分けようとしているだけで、18世紀の面白いところの一つは、そういう現代の面倒くさい乖離を軽々と、いとも軽々と飛び越えていくところです。
鹿の園は・・・多分、春になったら雌を求めて鹿が鳴く、それでいいと思います。私も詳しい訳じゃないけど、というかその教科書とやらに、その辺りの参考文献書かれていませんか? 読みたい。
上野の西洋美術館のギリシャ展と六本木の新美術館の印象派展行って来ました。
そんな訳で、かいつまんでの感想を。
まず、ギリシャ展。大英博物館所属の古代ギリシャ各時代の彫刻、壺絵、古代ローマ時代の古代ギリシャのコピーなどで、アメリカにも巡回していくのだそう。
とにかく、どの展示品もまるで2千年の経年を感じさせない美しさ。本気の修復の賜物なのか、初めからそうだったのか、まろりーには分かりませんが、古代の生活や価値観の一端を伺わせる彫像や、壺絵の生き生きした物語、構図や描線を堪能出来ます。
実はギリシャの壺絵って、それほど沢山は見たことがない。だから、今回見た壺絵が、当時のギリシアでポピュラーな画題、構図だったかは分からない。まだまだ違いの分かるレベルには無いのが私の勉強不足ポイントでした。
さて本題に入る前に諸注意を。各ギリシャ的固有名詞などの表記揺れは、これを全く気にせず、場合によっては、ギリシャ風、ローマ風、英語、日本の慣用などと入り交じり、また、長母音、短母音の別も特別に注意を払わない。非常に無造作な文章になることをご了承下さい。
最初を飾るのは、小像ながら堂々たるゼウス。長い杓を右手に立て、雷を左手に掴み玉座に座るギリシャの主神です。冠を頭に乗せ、豊かな髭を波打たせて、決して若者ではありませんが、いわゆる理想化された肉体で表現されて、主神としての威厳たっぷりです。
しかし美術館の説明に笑いました。曰く「ギリシャには様々な空想的な生き物がいた。筆頭はゼウスなどオリュンポス十二神である。」
…主語が可笑しい…!オリュンポスの神様捕まえて生き物呼ばわり(笑)
ゼウス小像の次は、赤い地の上に黒い釉薬をかけて、その黒を引っ掻いて模様を出す黒像式の2つの壺絵。因みに、アンフォラだのクラテルだの専門用語は使い分け出来ないので、全部「壺」でまとめちゃう。
叡智の女神メティスとの間に子供が出来たゼウスですが、その子が将来ゼウスから王座を奪うと予言されたので、お腹の子供ごとメティスを呑み込んだゼウスさん。すると、頭がとても痛くなったので、手先の非常に器用な息子、ヘパイストスに斧で上手いこと頭を割って貰ったところ、そこから武装した姿で知恵の女神アテネが生まれました、というお話。
ギリシャの黒像式の壺絵はいつもそうですが、半ば図案化・記号化された洗練された黒い像と、均一に細く、きっぱりと引かれた赤い線と、繊細にしてリズミカルな構図が大好きです。
余談ですが、ユピテル(ゼウス)様が、女の子や男の子のお尻をいつも追い掛けているあほな子になったのは、このエピソードのせいだと、まろりーは信じて疑いません。
裏側には、おそらくライオンの革鎧を被ったヘラクレス。脈絡はよく分かりません。強いて言うなら、ヘラクレスとアテネが仲良しなくらい?
壺絵の裏表で、絵の関係がよく解らないものが多々ありました。何かの習慣なのか、本当に関係がないのか、それも知らない。
ろばに乗ったヘパイストスとディオニュソスの壺絵。
ゼウスと正妻ヘラの生まれつきの高貴な(笑)子供だけど、非常に醜かったため、ヘラ様にオリュンポスから投げ落とされてしまった可哀想なヘパイストス。しかもその時、怪我をして足に障害を負ってしまいました。
なので、オリュンポスへ帰還するヘパイストスは、ろばに乗っているのだそう。そのろばの歩く先々に葡萄のつるを這わせて先導する葡萄と葡萄酒の神様、ディオニュソス。壺絵では、ろばでぱかぱかしているヘパイストスの裏側でライオンを従えています。二柱の神様の周り、壺としては両耳の把手の下で、デュオニュソスの従者、山羊の足のサテュロスがいて、葡萄のつるを引っ張ったり、アウロス(古代のリード楽器)を吹いたりしています。
何だか牧歌的でとてもよい図柄です。取り敢えず、ディオニュソスという神様はクレイジーなのに牧歌的で大好きです。まろりーも大きくなったらマイナスになりたい!(問題発言)でも、致命的なことに、お酒飲めないんだよね、えうほい。
それにしても、ヘパイストスとディオニュソスって結構仲が良かったんだ(笑)物造りの神と農耕の神、どちらも人間の営みに直接関わるからでしょうか。デュオニュソスも生まれたての頃は新興宗教として人間に侮られて苦労していたようだから、ちょっと親近感があるのかも。
物語には関係無く、四方に向けて4つの大きな目がぎょろりと描かれています。削り出しの黒像ではなく、さらに上から白く盛り上げてある。後で展示されていた、見る人を石にするゴルゴン(メデューサ)の瞳と同種のものです。悪名高いゴルゴンですが、その恐ろしい力は逆に悪い物を退けるとされ、世界各地に目玉の魔除けが存在しているように、この壺の目にも人を益する呪術的な力を感じます。
後ろから彫像を見る。女神かと思いきや、正面に回るとデュオニュソスでした。体つきも顔つきも女性的です。葡萄の神様なので、葡萄の木にもたれて立っています。葡萄も酒神に擦り寄っています。というのも、その葡萄の木は擬人化されていて、ちょうど変身中のダプネのように、半ば木、半ば女性の樹木のニンフ。名もない木までギリシア人は擬人化するのがとことん好きなのでしょうか。足元にはデュオニュソスが好んでつれ歩く小さな豹か獅子。
大きなヘラクレスの頭部。
何でもハドリアヌス帝の為に作られたものだそうです。気のせいかハドリアヌス帝本人にちょっと似ているような?まさか、あのハドリアヌス帝の特徴的な髭はヘラクレスイメージ?いや、よく分からないけど。
色々あって10の冒険を課せられたヘラクレスですが、何だかんだいちゃもんつけられて、結局12に増量してしまったうち、3つ程のエピソードの黒像式の壺がありました。
ディオニュソスは女性的に表現されることも多いですが、ヘラクレスはそういう事はあまりイメージ出来ない人間です。決して脳みそ筋肉という幸せな男ではないのですが、己の並外れた身体能力で苛酷な試練を乗り越えてしまう、果てはそれで神様にまでのしあがる、説明では「古代ギリシアのアスリートの理想の姿」だったそうです。
エリュマントスの猪狩り。
ヘラクレスに冒険を命じるミュケナイ王エウリュステウス王は、内心彼の死を願いつつも狂暴な大猪の生け捕りを命じました。死ぬだろうと思っていたら、ヘラクレスは見事生け捕って帰ってきてしまいました。次は自分の番かと、恐怖に身を震わせながら大甕に隠れる王様。甕の淵に足をかけて、高々と掲げた猪を、今にも頭から甕の中に投げ入れるかに見えるヘラクレス。今すぐ逃げ出したいと思いつつ、実は逃げ場がない王様は、首だけ外に出して、手の平をヘラクレスに向けながら両手を突き出し、必死で制止する身振りです。大甕の口から王様の首がぴょこんと出ていて、均一で無表情で、様式化された動きもちょっとコミカル。逆にあんまり良いところの無いエウリュステウス王の一番の見せ場です(笑)
スフィンクスの像。テーブルの天板を支える足だったと思われるとのこと。
女性、獅子、鳥の合成された姿のスフィンクスですが、翼など多分、本物の観察に基づいていて、かなり精緻な作りです。といっても、体はライオンというよりは、何か猟犬めいたもっと細身の生き物で、女性の首と非常に上手くバランスよく連結しています。各パーツリアリティに富んで、まるで骨格と筋肉を備えて本当に動き出しそう。合成獣の醍醐味ですね。
そして、うっかりお箸とか落としたら、嫌な感じに目が合いそう。
程近くに展示されていた山羊の脚のパン神の小像もそうですが、人体と動物の一部を融合させるバランスが絶妙なのです。
ベッドの脚だったシレノスの像。デュオニュソスの愉快な仲間の一人、太った中年・老人の陽気な下級の神様がシレノス。大きなお腹な上、いつもへべれけ、自力で歩きづらいのでよくろばに乗っています。
家具の脚なので、シレノスの姿は自由気儘に歪められて、家具の脚らしく、下半身はライオンの手になっています。家具の脚なので、上に乗る重量を支えねばならない要求から、くびれたところの無い、ずんぐりした三頭身。かつてはこのグロテスクでコミカルな奴が4体ベッドの下に生息していたかと思うと、ちょっと楽しい。
デルフォイの神託所の鼎を奪おうとするヘラクレスと、それを阻止しようとするアポロンの壺絵。ヘラクレスの背後ではヘラクレスの守護神アテネが、アポロンの背後ではアポロンの姉のアルテミスがやはり対峙しています。アルテミスはえびらの矢に手を掛けていて、殺る気満々。一体、何故こんな展開になったのか、その経緯を知りたい(笑)
ウェヌスの像。水浴のアプロディテが、ふと人の気配に気付いたかのように、脇を見遣り、体から落とそうとしていた衣を腿に挟んで、咄嗟に例のヴィーナスの有名なポーズを取ろうとする、その瞬間。
何でも、古代ギリシャでこの像を神殿に設置したところ、艶美ささで評判になり、観光客が増えて街の財政が潤ったのだそう。今も昔も人間あまり変わりません。
今でさえ博物館に鎮座し、クラシックな美の体現として珍重されて、現実からは離されているヴィーナス像ですが、現役時代はきちんと俗世界に密接して「機能」していたと思うと、何だか嬉しいものです。芸術かくあるべしです。
それにしても、目に楽しい衣紋の襞の波。美しく襞を取りながら重力に垂れる布。水浴のウェヌス像だけでなく、その他の像も同様です。まろりー自身は、襞の表現そのものの為に、その下の人体を犠牲にすることは大いに結構ですが、古代は人体を覆いながらも、体の線を感じられるようにします。ルネサンスの人たちはこういう所を見て復活させようとしたのですね。
演劇用の滑稽な仮面を被った役者の像がさりげなくロマンチックでした。
おそらくは、先天的に小さな体のまま大人になった人。昔はそういう人は多く芸人として活躍しました。体の小さい人=取り敢えず芸人になるというようなレールが敷かれていたようにも思います。…この辺の文化史はその気で調べれば深められそう。
ともあれ、顔よりも大きく口を開けて大笑する仮面の下に、本人の口元が見えます。その口元は、笑っていない。
目玉の円盤投げの像。横文字ではディスコボロスさんといいます。階段を降りて、一端説明書きの壁に遮られる。道なりに曲がると、程よい狭さの円形に組まれた黒い壁の中央に、胸辺りまである高い台が設置されていて、その上にある白い大理石の大きな像。空間でも傑作感をアピールしているというか、多少鑑賞者を煽りたてようとしているというか、古代ギリシャ、ヘレニズム彫刻の傑作を最大限引き立てようというVIP待遇が素敵です。
今にも円盤を投げようと身を大きくひねる人。片足に重心を集中させて、力をかけないもう片方の大きな足の裏がすべすべ(←何処を見ているんだ)
普通の人が実際にやったら、バランスを崩して円盤を投げるどころではなさそう。鍛えられた筋肉の賜物なのか、全くの虚構なのか知りませんが…。それなのに、ディスコボロスはぴたりと危なげなく静止していて、倒れそうだなどと不安感は全く与えません。
このポーズを左右10回くらいやったらエクササイズになりそう。どうでしょう、古代ギリシア彫刻エクササイズ。他にラオコーンのポーズとか。
それにしても古代ギリシア人ほど全裸の似合う人種はいません(笑)
もし仮に、中世以降の男性ヌードしかない展覧会があったとしたら、多分かなり凹むけど、今回は皆で露出度高いのに、まるで違和感のない不思議…。
ニンフを抱き止めようとするサテュロスと、サテュロスから逃れようとするニンフの等身大ほどの像。二つの人体が絡まりあって、これが元々は単なる石の塊だったとは信じられません。どこから見ても様になるよう作られています。
このような主題を、バロック彫刻の巨匠ベルニーニも作っていたけど、古代ギリシアとは思えない程のバロック。この修辞はちょっとおかしいけど(笑)お互い渾身の力を出す端正とは言い難い大袈裟なポーズや、現実そのままではないのに存在する迫真の動感とか。 ベルニーニのは図版で親しむに過ぎませんが、古代のサテュロスに比べればベルニーニの方がまだしも抑制されていて、上品かと思います。でも、サテュロスとニンフは微笑を誘う朗らかさ。文字に還元すれば、サテュロスは女性に乱暴を働いている訳ですが、駄目男感があるだけで(笑)、人間の欲望の持つ「黒さ」がない。クラシックはやはり朗らかで健康的です。まろりーが古典主義者だとすれば、単なる見た目の様式ではなく、この精神をこそ規範としたいものです。
なんかいい感じに段落が終わったから、まだ言いたいことは残っているけどこの辺で切り上げよう。
若干、展覧会カタログ欲しいかも知れない。でも壺絵や彫刻という立体ばっかりだから、本当は図版でも足りない。隣に大英博物館越してこないかな!
その後、上野から地下鉄一本で直ぐに六本木へ。上野→六本木美術館はしごコース、結構いいかも。1日美術に浸かりたい人にお薦め。
六本木のワシントンナショナルギャラリー展は、型通りの教科書のような展示でとても良かった。でも後期印象派が絵自体はいいのに何だか薄い客寄せパンダだったので、「これを見ずして印象派は語れない」のキャッチコピーなら、むしろがっつり盛期の印象派に特化しても良かったのではないかな。で、シスレーとかシスレーとかシスレーを増やしてくれれば。(←単にシスレーが見たいだけ)ピサロと区別出来ないくせにシスレーファンを名乗ります。
鵁鶄さんの記事にて、貴重なご意見を頂きました!当ブログモレナールについてを見て下さった、こうせいさんが思い出したもの。
日本にも、有名な怪物シリーズがあったじゃないか!という。
その名こそ、麗子。
そうだ、麗子がいたじゃないか。岸田劉生の麗子像。
リンク先のグーグル画像検索で見ていただければ分かる通り、夥しい数の麗子たち。絵によっては、一枚に二人麗子が描かれたりしている麗子シリーズ。
…というか、これだけ麗子像があったなんて、今検索して初めて知りました。日本の洋画壇は全くのノーマーク!
いや、このリンク先、圧巻ですね、夢に出そう。
モレナールの怪物たちより、こっちの方がよっぽど怪物めいていますよね・・・。怪物というより、妖怪。
モレナールを超えた怪物シリーズは日本にあり(笑)いや、これに比べたら、モレナールの方が薄いというか、軽いというか。まあ、モレナール自身、深みは求めていなさそうだけど。
しかし、この麗子への執着心。岸田劉生としては、愛情込めているのだろうけど、愛情こもり過ぎて怖い(笑)
人が何かに執着するあまりに、人の域を超えて魔性を帯びるパターン。このパターン自体は大好物ですが、麗子はとりあえず怖いだろう。
デューラーの影響を強く受けたという岸田劉生。画風だけでなく精神性も似通ったところがあると思います。多分、通じるところがあったんだろうなぁ。共感というか。
比べるには余りに隔たった、モレナールと岸田劉生の東西の妖怪児たちですが、モレナールの怪物には、がちゃがちゃとした、お上品でなくとも、人間の域を超えない人間性が備わっており、高尚には見えなくとも、生き生きとはしている。ただ、可愛くないだけで(笑)
岸田劉生の麗子には大真面目な思い入れだけがあって、ユーモアというものがまるでない。だから怖い。モナリザも意識しているのか、モナリザ・スマイルがまた怖い。尤も彼のことは余り知らないけど(多分、調べれば麗子像の深い理解も得られそうではあるけど)、麗子本人ではなく、現実の麗子を超えた、イデア的な「超」麗子の姿を追い求めたのかなぁ。抽象的な、記号としての麗子像。
そんな麗子像が怖いのは、何だか妙な親近感や既視感があるからにまろりーは思えます。
上手く言えないけど、確かに今我々がいる日本という世界と、麗子像の絵の世界は陸続きになっていて、決して遠い異国の昔の話ではないという、時間的・距離的な近さ。麗子像のような明治(大正?)の子供を、もはや現代人は見たことはなくとも、確かに居たという親近感。多分、麗子という「概念」のようなものが麗子像だとして、古き日本の特定ではない子供という形象を写した日本人形と似ているという既視感。・・・不幸なことに、日本人形といえば、テレビでよくみる有名な怪奇現象を直ぐに連想出来る。
で、その二つが絶妙にブレンドして、この人にして人ならざるものが、夜に動いても絶対おかしくない、という気持ちにさせるような気がします。その意味で、「生き生き」しているのかしら、麗子像(笑)
麗子像が不気味なのは、テレビの心霊特番のせいですね(過言だ)
あと、岸田劉生のユーモアの無さ(やっぱり過言だ)