忍者ブログ

○なんせんす・さむしんぐ○

美術や音楽の感想とか、動物中心のイラストのブログ。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

廃墟のロベールと廃墟になったルーヴルへの妄想

ユベール・ロベールの話題が出たので、彼について最近考えていたこと。
 知ったかぶっているけど、あくまでも根拠のない妄想なので、お信じになられぬよう。。。

 そもそもユベール・ロベール(1733-1808)誰って人のために。
 18世紀、アンシャンレジーム末期から革命期に活躍したフランスの画家。

エリザベト・ヴィジェ=ルブラン<ユベール・ロベールの肖像>

 建築画、とくに古代ローマの廃墟を描いた風景画、或いは廃墟や古代モチーフを自在に組み合わせた空想画が得意。
  
左:ユベール・ロベール<コートを着た男と僧侶たちのいるティボリのシビュラ神殿>
右:<ローマの廃墟>
 ポンペイなどの発掘によって古代・古典がブームになり、ローマの廃墟が流行していた時代。その流行に画家自身も賛意を表明している数々の作品が魅力。そんな訳で、その絵は当時の趣味が透けて見える感じで、めっぽう面白い。というかその趣味の為に画想を尽くして、皆の好きなもの全部ねじ込んでくる辺り本当に面白い。
 個人的には、気合いの入った油絵より、力の抜けた素描のが上手いと思うのだけど、ともかく「廃墟のロベール」の異名をとるほど廃墟の画家だったとか。
 かつては貴族やお金持ちがパトロンだったその一方で、革命期に投獄されながらも、がっつり生き抜く堅実さを併せ持つ。
 晩年は未来のルーヴル美術館の絵画コレクションの管理人としても活躍。
よろしければロベール展の感想もご参照ください。

で、私のお気に入り、「ルーヴルの廃墟」再び。
   
左:<廃墟となったルーヴルのグランド・ギャラリーの想像図>
右:<ルーヴルのグランド・ギャラリー改造計画案>

 ロベールがルーヴル美術館の学芸員(的な仕事)をしていた時、建物を改修するなら右の絵みたいな感じがいいなって描いた絵の対作品として、何故か描いて見せたのがこの左の廃墟ルーヴル。

 彼が得意としたローマの廃墟のように、崩れてしまっている近未来?のルーヴル。
 そこでは、すっかり廃墟に馴染んで煮炊きする人がいたり、物見高い観光客が、あちこちに転がるルーヴルの展示品だったと思しき彫刻を眺めていたりします。
 まるで、ロベール自身が得意としたローマの廃墟と、その周辺にいる地元人や観光客たちがいるというイタリアの風景画の自己パロディみたい。
 
左:<廃墟の下でスケッチする画家のいる川辺の風景>
右:<廃墟の奇想画>

 廃墟のルーヴルの中には、一つだけ完全な状態で残っている彫刻があって、それがかの有名なベルヴェデーレのアポロ。その足元にはラファエロの胸像(だそうです)が置かれていて、画家が地面に座り込んでデッサンをしています。
 これによって仄めかされるあるメッセージ。
 即ち、近代の建物ルーヴル宮が廃墟と化して滅びたあとも、光を浴びる古代彫刻、ベルヴェデーレのアポロが屹立するという「古典芸術は不滅だ!」っていうのが一般的な解釈。


 以下恣意的な解釈です。解釈というか、ただの遊び。

<今日までのあらすじ>
その1、廃墟についての反省
 廃墟っていうと、こう、「時の流れの無常さ、破壊されつつも遺されたものの偉大さ、自然に還りゆく美しさ」みたいな趣を誘うものだと思うのですが、でもこの絵って、ちょっと廃墟ラヴなあまりのおふざけじゃないの? モダンな建物を廃墟化したいだけっだたとか。登場人物のんびり暮らしてるし、ミケランジェロの有名な彫刻がぶっ壊されて悶えて転がってるのがちょっとコミカルかも。
 廃墟=無常=確実な死みたいなそんな悲壮感がこの絵には表わされているんだろうか?
 ……とはいえ、廃墟から無常感を排除する解釈も、無理があるよね。

その2、廃墟のロベールへの妄想
 まてよ、この絵は1796年、つまり革命の後に描かれたもので、王侯貴族にもパトロンを持っていたがためにサン=ラザール監獄にもぶち込まれていたロベールの自己弁明なのかしら。
 王宮(=王権)壊れちゃってるよ! それでも古代ローマ(王制を打倒し共和制を始めた)の偉大な遺産は光り輝くよ! っていうのはどうかな。
 これは恣意的な過剰解釈。


 で、今日はこれまでの妄想に、やはり恣意的な新妄想を重ねます(笑)

 この画家によってスケッチされている古代の傑作ベルヴェデーレのアポロ。
 現代の建物が時の作用によって廃墟となることと、古代の彫刻がなおも立っていることと、そのコントラストを狙っているのは確かでしょう。
 その現代と未来のコントラストの中で、同時代の普通の人々が、まるで古代の遺跡の観光客みたいに、あるいは観光地で暮らす現地人みたいに、ナチュラルに歩き回っていて、ルーヴルが廃墟とならざるを得なかった何かしかの悲劇になんら関わりなく存在しているのが面白い。

 で、この準主役ともいえる特別に有名なローマの彫刻。本物はもちろん18世紀当時もローマにあって、今もヴァチカン美術館に鎮座しています。
 ここで描かれているのは、色からいって大理石ではなく等身大にコピーしたブロンズ像でしょうか?
 …それとも、ベルヴェデーレのアポロは、古代ギリシアのブロンズ像を、その後のローマ人が大理石で模刻したものなので、ローマより古い本当に本物のギリシア時代のオリジナルのブロンズ像のつもりだったりして。

 はて、ロベールがこの絵を描いた1796年。
 この年、ナポレオンはイタリアを制圧。イタリア遠征の戦利品としてベルヴェデーレのアポロを筆頭に古代美術コレクションをフランスに渡すように要求します。
 で、例のアポロ像は、ナポレオンがルーヴルに持ってきちゃった後、1798年から1815年の間、ルーヴルに収蔵されていました。(そしてナポレオン失脚の後、イタリアに返還されます)
 おそらくは、1798年にはこの絵の通りにルーヴルへやってきたアポロ像。ちょうどこの時期だけはフランスにあったのでした。

 ナポレオンのイタリア征服から、戦利品がルーヴルにもたらされるまでおよそ2年……。
 ルーヴル美術館の絵画管理人をしていたロベールと、或いはこの絵を見る同時代の人達は、1796年の段階で、ベルヴェデーレのアポロがフランスのものになるって事をどれだけ意識していたのかな。
 もし知っていたとしたら、とたんにナポレオン万歳感が出てくる気がするんだけど……。

 はっ、まさか「ベルヴェデーレのアポロ、ルーヴルのコレクションに是非欲しいな~~(お願い!ボナパルト☆)」っていう願望の表れ? ――多分無い。ふざけて考えすぎました(笑)

 むしろ、まろりーはこの絵に描かれたアポロが、何で今現在一般にイメージされる(と思しき)白い大理石でなくて、緑のブロンズ像?なのかの方が気になってきました。っていうか、何で緑なの?錆びてるの?
 こういう素材違いのレプリカが実際に王室コレクションにあったとしてもおかしくはないかな。でも古代彫刻といったら白だろ!(考古学的には違うらしいですが)

 ちなみに、本物っぽい白いベルヴェデーレのアポロが描かれたルーヴル図もあります。さり気なくラオコーンもいるし、これも後々イタリアからかっぱらって来るのかなー?

ロベール<ルーヴルのグランドギャラリーの想像図>

 さて、同時代でもナポレオンのこの「蛮行」に眉をひそめる人もいたそうです。
 ローマ彫刻はローマにあるから魅力的なんであって、パリに移すことでローマ彫刻からローマという場を奪うのはいかがなものかって、現代にも通じる結構まともな意見。(詳細知らないので話半分に…しかしこの良識的な意見にはちょっと感動しました。)

 はてさて、ローマ大好きユベール・ロベール。
 フランスでも傑作が見られることを喜んだのか、ローマの遺産がローマを離れることを心配したのか、それとも何も考えていないのか、本心やいかに。


 しかし。上記妄想を覆しかねない気になる記述に出会いました。まあ、初めから根拠無しなので覆るも何もないのだけど(笑)

 1778年、ロベールにはルーヴル宮の一室を使用する許可が与えられました。そしてその後、彼はルーヴルにアトリエを構えます。

 で、その4年後、革命迫る時期のパリの様子を辛口活写した「ダブロー・ド・パリ(1782年出版)」によると。(十八世紀パリ生活誌―タブロー・ド・パリ―(上)1986年 岩波文庫 著:ルイ=セバスチャン・メルシエ 訳:原 宏より)

  まるで廃墟として建てられたかのような、あるいは蛮族の憤怒の手からやっと逃れたとでもいうような、このルーヴル宮……(p79、L.7)
  数人のアカデミーの画家が、ここでアトリエを構えているし、無数のねずみどももここを棲み家にしている。(p79、L.14)

 王宮とはいえ廃墟呼ばわり。
 ルイ14世が17世紀半ばに改築しようとしたら、何かやる気が無くなって、半分手をつけたまま18世紀末まで放置してたそうです。
 壁作ったけど屋根掛けなていとか。既に建てられた部分も修復されることなく。つまり半壊状態(笑)で、勝手に一般人がお店開いちゃったり、勝手に一般人が住みついちゃったり、勝手に一般人が増築しちゃったり。
 ロベールはちゃんと王様から許可貰って住んでますよ!念の為。

 ……きめつけは良くないけど、この廃墟ルーヴルで鼠と住む画家に廃墟のロベール含まれてるだろ。

 アレ。
 何だ、そもそも無理に廃墟化しなくても、この時代最初から結構廃墟だったんじゃん、ひょっとして。
 この絵って案外リアルだったの(笑)

 今までの妄想の前提テーマ(未来に廃墟になっちゃうルーヴル)が全部ひっくり返っちゃうよ。
 まあ…タブロー・ド・パリに出版された通り、ルーヴルと廃墟を結びつける発想は、どうやらロベールが描くより先にあったようではあります。

 歴史深いルーヴル宮殿があまりに廃墟でフランスの恥状態だったために、ロベールの18世紀、ルーヴルを今のような美術館にする計画とともに、数々の改修計画が立てられました。
 その一環で、改修後のルーヴル美術館の空想画を描いたロベール。そしてその空想が遥か未来にまで飛んで行ってしまったかのような廃墟のルーヴル。

 実際は、この想像図とは逆で、アポロはルーヴルに無く、建物はロベールの改修計画以上に綺麗になりました。ロベールにとっての未来は我々にとっての未来でもあり続けています。

 私の妄想はともかく、モナリザ級の名画ではないかもしれないけど、やっぱり面白い絵です。

拍手[0回]

PR

うらわ美術館 ルーヴル美術館の銅版画展 カルコグラフィーコレクション感想

うらわ美術館に行ってきました。

 テーマはルーヴル美術館の版画。……版画なの? ルーヴルってあんまり版画で主張している感じがないというか、版画のイメージがないというか。そりゃもちろんルーヴルだって、版画は沢山持っているだろうけど。

 写真の無い時代、あるいは今ほど鮮明でない時代。名画を一般の人に伝える主なメディアは、大量に印刷出来る銅版画でした。
 ルーヴルにはそんな版画や銅板画の原版を収集していて、その原版を使って今日でも印刷を行う「カルコグラフィー室」なる専門部所があるのだそうです。

 その名画の複製版画を、新たにこの展示の為に刷ったものを含め、130点を並べます! という内容です。
 そう、銅版画。
 百年前の原版で、現在も百年前とだいたい同じ画を得られるもの。
 大体というのは、本来柔らかい銅版はプレス機で刷る度に版が磨耗に潰れていくからで、現代ではそれを防ぐために、表面を薄く鉄でメッキしてあるのだそうです。へええ、そんなハイテク?な裏技があるんだなぁ。

 さて、版画というと多少マニアックかも知れませんが、展示されているのは、とてもポピュラーな名画の複製版画です。
 「創造性の無い」複製版画だと侮るなかれ、版刻師の詳細が分からないのが惜しいほどの本気な出来栄えで、モナリザだとか本物に似せるためのあの手この手の技法がものすごく楽しい。

 どれも素晴らしい再現率でしたが、銅版にしやすそうな名画もあれば、そうでなさそうな名画もある。
 常に油彩の元ねたと比べることで、制約の多いはずの銅版画が、油彩の技法にどのように挑戦するか、すごく良い対比になっていたと思います。


 因みに、輪郭線の無いぼかし表現が肝なモナリザはあんまり似てなかったけどね(笑)

 大胆な筆致のまさかのフランス・ハルスとか。
FransHalsTheGipsyGirl.jpgフランス・ハルス〈ジプシー女〉
 銅版画は、点と線の白黒で表現しなければならないので、油絵ならではの荒く分厚い筆致を再現するのは難しい訳ですが、ものすごいハルス感。
 これはかなり感動した。
 しかもあれです、版画というのは、左右が反転して印刷されるから、原版は逆に彫られている訳で、模写する技術力半端ない。どうやってやっているんだろう。

 ロココ絵画のハレーションぎみの輪郭の柔らかさだとか遠景のぼけ具合だとか。
 ヴァトーのルーヴル版のシテール島の船出(この絵はシテールに向かう場面なのかシテールから去る場面なのか議論の分かれるところ。版画のタイトルはシテール島にむけて出発してたように思う)とか、行き先の風景のファンタジックな雄大さがかえって分かりやすく強調されて格好良かった。

 近現代になると、そもそも絵画が平面的になってきて、ますますそっくりに(笑)
 レオナール藤田とか、本人が版画書いたとしか思えない。
 いや、もう写真印刷の技術とか使ったりするのかな? それとも完全に手描きの模写なんだろうか…分かりません。

 先に版刻師の詳細が分からないのが惜しいと言いましたが、何人かの名前が繰り返し出てきて、それぞれの人に得意分野があるみたい。
 1人名前をはっきり覚えて帰るほど気に入った人がいて、アルフォンス・ルロワさんというらしい。

 ルロワさんは、巨匠たちの数々の素描を銅版に再現しているのです。
 かなり銅版画離れした、本物とみまごうばかりの、チョークや淡彩の繊細な表現。
 書き直しの跡まで写している!

 気になって「Alphonse Leroy」などでグーグル検索を掛けてみたところ、オークションサイトで2,3の銅版画が当たりました。

 そうしたサイトによると、技法は「クレヨンマナー・エッチング」、「スティプル・エングレーヴィング」などと書かれていました。

 どちらも詳細は知らないのだけど、クレヨンマナー=maniere de crayonというのは、細かい点描により、チョークで描いたような効果を出す技法。
 スティプル・エングレーヴィング。。。やはり細かい点描によるハーフトーンでぼかした陰影を出す技法。(だと思う)
 どちらも多分、細かい棘のたくさん付いたビュランやローラーで、細かい点々を付けていくもの(だと思います←超曖昧な認識)。

 この展示でも多分、これらの技法で刷られたものだろう。

 割に安価で不特定多数の人に向けたメディアたる銅版画。
 そのような大衆的なメディアとしての役割は、写真やテレビにとって替わられたけれど、現代人がテレビをより現実に近付けようとしたがるのと同じ気概で、銅版画の時代の人たちも、技術力を磨いて来たのかも知れない。
 より表現力を増すための数百年の工夫というか執念の一端が複製版画に見ることが出来ます。って大袈裟言った(笑)

 しかし銅版画って本当に奧が深い。
 銅版画に不可能は無い。
 銅版画の無限の可能性を感じられました。

拍手[3回]

ウフィッツィ美術館展感想

東京都美術館のウフィッツィ美術館展に行ってきました。

 内容は、ルネサンスが花開いたフィレンツェ。芸術を擁護したメディチ家の支配のもと、巨匠達はみな絵画製作の工房で活動してしたんだよ。で、政治的変動の多い時代で、為政者にも影響されながら製作しました。って感じかなぁ。
 …つべこべ言いつつ、とりあえずルネサンスの名画見ろや!って展示だった気もする(笑)

 日曜日の会場は予想外に空いていました。
 決して閑古鳥ではなかったです。押し合いへし合いは無く、並ぶこともなく、絵の前に出来る人垣には十分な隙間があって、どこから好きなように観ても殆ど誰の気に障る事もない、いわばちょうどいい混雑。その混雑具合と展示の中身が釣り合っていたと思います。

 時はルネサンス。中世の美術なんかより、ぐっと現実感は増したけど、現実を越えた理想の美を追い求めたい時代。
 そんなそれぞれの画家たちの理想美の饗宴。ってほど派手な展示ではないけど、こう、美とは何か、という問いに真剣に向き合う作品ばかり。
 大画面の宗教画や神話画が多く、綺麗なマリア様やスタイルの良い聖人のおじさまが沢山いました。
 さて、全体を言い終わったところで個々の細かい感想を簡単に。

 初期ルネサンスを代表する画家のフィリッポ・リッピ。
 彼は修道士でしたが、修道女と駆け落ちしてしまいました。そんな世俗の愛に生きる画家らしく?、色っぽいマリア様で有名。
 フィリッポ・リッピ〈聖母子と二天使〉
 ↑因みに、これは来ていないので。参考に。

 そしてリッピの弟子のボッティチェリ。
 リッピとボッティチェリを並べると、なるほど結構似ていて、時にはリッピに帰属されていたという作品もあったほど。
 サンドロ・ボッティチェリ〈聖母子と天使〉
 というか、これはぱくりレベル…。
 遠目から見たとき、まろりーもフィリッポ・リッピかと思った。

 さらにフィリッポ・リッピの弟子たるボッティチェリに師事したフィリッポ・リッピの息子のフィリッピーノ・リッピ。
 とても印象的なフレスコ画があって、一人の老人が描かれている。
 フィリッピーノ・リッピ〈老人の肖像〉
 誰の肖像かは分からないけれど、父のフィリッポ・リッピじゃないかと言われているそう。
 明るい光に満ちた中で、白い修道服を着て、笑みを浮かべている老人。フレスコながら、かなり真に迫った親密な表情は、フィリッピーノ・リッピがこのモデルを目の前にして、忠実に描いたと思わせます。
 この顔に深い皺を刻む老人は、前後をペルジーノやボッティチェリの理想化された美しい聖母に挟まれて、特にそのリアリティーが際立っていたのでした。

 ところでそのペルジーノも良かったなあー。ペルジーノ顔の聖母。そして、北方美術との関連が窺われる涙を流す黒背景の聖母。

 で、その後のボッティチェリ祭。ボッティチェリって……この展示でリッピの影響が強いとは感じたけれど、それでもやっぱり個性的。

 さて、目玉のミネルヴァとケンタウルス。
 ボッティチェリ〈ミネルウァとケンタウルス〉
 知性の女神ミネルヴァが、本能の化身たる野蛮なケンタウルスを髪の毛掴んで抑えつけているところ。
 結婚祝いに贈られたという説で、……浮気したら承知しないわよ! ってこと?(笑)
 それとも逆に、新婚うきうきラブラブで自分を見失うなよ、ってこと?(笑)

 慈悲を乞うように痛々しげなごめんなさい顔の馬のおじさんに対して、上からのミネルヴァさんが無表情なのがまた怖い(笑)……理性的だから感情に流されないのね。
 女神の着物の柄が、ダイヤモンドの指輪を3つ組み合わせた模様で、そのダイヤはピラミッド型の古風なポイントカット。(←先の西美の指輪展で覚えたばかりの事を早速知ったかぶってみる)

 この目玉作品はお土産でも気合いが入っていて、グッズも個人的にはかなり素敵だった。
 お土産の惹句が「本能を押さえ込む学問の女神様なので、受験のお守りに!」みたいな感じで(笑)
 あれ、ちょっと説得力がある。
 テーマが知性VS本能だから、応用が超利きます。アテネも色々な物事の神様だし。
 あと組んだ指輪模様の布を使ったバッグ素敵だった。

 その隣にやはりボッティチェリの東方三博士の礼拝。
 東からやってきた偉い3人の賢者が、産まれたばかりのキリストを拝みに来る、という主題。
 ボッティチェリ〈マギの礼拝〉
 主要人物以外の人たちが、四方八方ところ狭しとキリストのもとにすごい勢いで駆け付けます。先のミネルウァの落ち着きとは違った一面です。

 この熱狂は、一時期メディチ家に変わって、実権を握ったサヴォナローラという過激にストイックなお坊さんの影響かも、ということです。
 預言者みたいなサヴォナローラに心酔して、神秘思想的傾向が深まったというボッティチェリ。結局、サヴォナローラは余りに信仰が厳しすぎて、逆に教皇から破門され失脚したそうです。

 そして、ボッティチェリから飛んでブロンズィーノのコーナーへ。
 この両者の間にはレオナルドやミケランジェロやラファエロが入っているのですが、そしてブロンズィーノたちの時代はその巨匠を前提にしているのですが、その辺は文字だけで登場です(笑)
 有名人だもんね、おいそれと来ないよね。この人たちが来ちゃったら、ボッティチェリ展じゃなくて、ミケランジェロ展とかになっちゃうもんね。

 で、マニエリスムの巨匠、ブロンズィーノ。美しいが、小っさって思いました(笑)もうちょっと大きなのも見たかったな…。
 ブロンズィーノ工房のメディチ家歴代の人たちの小さな肖像画とか……きちんとした歴史は苦手なので、ロレンツォとかコジモとかメディチ家の名前、さっぱり覚えられません。

 目玉を通り過ぎると、割とあっさり終わった感じがします。
 個人的に中でも印象的だったのは、ブロンズィーノの2代くらい前の先輩、アンドレア・デル・サルトの死せるキリスト。
 アンドレア・デル・サルト〈ピエタのキリスト〉
 格好いいじゃないかデル・サルト。
 このキリストのポーズは、最初の方に展示された同一主題と一緒のようです。(←誰の作品か忘れた。何かこう…キリストを中心に、おじいちゃん(ニコデモさん?)が後ろから抱えてて、マリアとヨハネと何かヒエロニムスとか聖人がいたやつ。あ、ダメだうろ覚え。)
 その時は合理的にイエスの体を観衆によく見せようと、遺体を垂直に支える人たちが居たけれど、あとの時代のデル・サルトは一種抽象的な岩に寄りかかるような形で、同じポーズを取らせています。
 マリアもキリストを抱えるニコデモも居なくなって、背景さえもモノトーンになり、シンプルにキリストだけなので、主役のぐったりうなだれて顔に影を落としている痛ましさと、この時代の追い求めた堂々たる理想的人体に集中できます。
 理想的な裸体の追及は変わらねど、初期ルネサンスの頃の硬い輪郭から、より柔らかく肉々しい表現になっています。

 と、ここまで書いて、収まりを良くする締めの言葉が一向に思い付かないので、取り敢えずはこの辺りでぶった切って終わりにしちゃいます。

 総括すると…ボッティチェリ沢山良かったなあ~ブロンズィーノはもっと見たかった!個人的MVPはフィリッピーノ・リッピの肖像画かな。

拍手[0回]

10月13日拍手お返事♪

ライネ様>
 ご返信有難うございます!
 新美はコレクションを持たないから、なんでもありと言えばありですが、西美は西美の個性をしっかり持っていて、他館との住み分けもしてるし、古典的なものは強いですね。
 あと、案外、ときどき高飛車だと思います(笑)人気なかろうが価値あると思うから地味にマニアックな展覧会やってやるぜ! みたいな。
 そんな西美のロベール展。いやあ、思い返すも良かったです。クロード、ブーシェ、フラゴら豪華ゲスト陣に挟まれてロベール本人に残念感はありましたけど(笑)

 フランス革命周辺はドラマチックですもんね。昔から人気は高い時代だけど、また多少のブームなんでしょうか。
 イノサンという漫画、聞いたことあります。そういえば、小説フランス革命みたいな小説も最近出てたきがします。
 (本当は私はルイ14世晩年からルイ15世くらいが一番研究したかったのですが(摂政時代とか超気になります。が、あまりに手軽な文献が無くて仕方なく革命期を嚼っている)、まあ18世紀フランス全体が注目されたら、チャンスも増えるかなと。。。)
 印象派は不動の鉄板ですねぇ。もはやブームというより普通に有名というか(笑)今は、フェルメールが誰かの思惑でブーム作られてると思えて仕方ありません。フェルメールもその周辺も好きですけど。

 貴重な文献情報ありがとうございます!
春秋社『ローマが風景になったとき』>
 これは既読です! やーこれは名著ですね。まさにロベールの世界。もうトマス・ジョーンズがやばすぎる。皆がイタリアに夢を乗っけてくるから、イタリア病が酷くなりました。本当にグランドツアーしたい。
ありな書房の『フランス近世美術叢書Ⅲ 美術と都市』>
 私としたことが! というのは思い上がった言い方ですが(笑)
 こんな素敵なシリーズが刊行されてたなんて、知りませんでした。ロベール以外にも色々どんぴしゃすぎて既刊全部アマゾンで大人買いしそうでしたよ。というかやってしまいたくて堪らないのですが、どうしよう。やっちゃおうかしら(笑)
 創元社の『ルーヴル美術館の歴史』>
 監修が高階秀爾。なるほど。図書館にあったので、早速借りてみました。
 まだ全部読んではいないのですが、綺麗な図版豊富でいいですね。ロベールたちあの辺の美術家と新ルーヴルの関わりも面白いものです。
また、今月発売される美術出版社の『マンガ西洋美術史 01』>
 漫画西洋美術史… たしかにヴィジェ・ル・ブランの生涯はドラマチックで回想録もあるから漫画でも面白く出来そう。
 時系列なんでしょうか、だとしたら第1巻でヴィジェ・ル・ブラン登場だと、ロベールは期待出来そうもないですね…。いや、いくらなんでも一冊で新古典までぶっとばさないか(笑)女性画家というテーマでの特集と勝手に推察しました。
 前に立ち読んだ別シリーズの漫画西洋美術史では、ロココの時代でいきなりゴヤからだった記憶があります。ロココ代表がゴヤなんて!(笑)まあ漫画向きの人は有名人にいませんから…。
 ヴィジェ・ル・ブラン出してくるなんて、どこまでマニアックにする積もりなんでしょうね。これでより重要なヴァトーやフラゴナール外したら、ヴァトー的なカツラを投げてやりたくなります(笑)

 本当に貴重なお話を有難うございます!
 やっぱり現役にいる方は入ってくる情報量が違います。

拍手[1回]

10月2日拍手お返事!

ライネ様>
 初めまして!
 このような辺境に何度もお越しくださり感謝至極にございます。
 ユベール・ロベールを調べてらっしゃいましたか…!
 やたら大好きです、ユベール・ロベール。
 ただあまり人気がないので、手軽に読めるような文献があまり無いので妄想が多いのですが(笑)、この拙ブログが、ライネ様のお考えの何かの足しになったとしたら、嬉しい限りです。(かえって邪魔になっているなんて可能性も拭えません(((゜∨゜;))
 むしろ、他にお調べになった中で、良い文献などありませんでしたか? 
 最近、美術展などでグランドツアーネタとロベールが、じわじわと来ている気がしています。私の願望からの贔屓目かもしれませんが…(^^; フェルメールまでとは言わないまでも、もっと流行らないかな…(笑)
いや、ユベール・ロベール、タブロー画は弱冠アレでも、素描は素晴らしいし、当時の社会と歴史と文化の関わり的にもすごい面白いと思います。
 ともかくロベールに興味を持たれてる方からコメント頂けて、とても嬉しく思っております!

 美術展記事については、すごく偏った感想を書き散らしています(笑)こういう感想の人もいるんだなぁと話し半分に、退屈な部分は遠慮なく読み飛ばして下さいね。
 結局展覧会のチョイスも偏ってしまいますね…。概ね大型展覧会は行きたがりますけれど、最近あったバルテュスも何だか食指がそそられなかったし、ヴァロットンも何だかんだで見逃してしまいました。色々見逃しますよね…。美術の特別展も一期一会ですね。

 更新はのろのろペースですが、忘れた頃にいらっしゃると、また有ること無いこと喋ってると思います。またお好きなときに読んでいただけますと、これほど嬉しいことはございません。

 国立新美術館で、ルーヴル展ですか、早速ホームページに飛んでみましたが、……超楽しみなラインナップですね!!
 新美ってあまりテーマ性のある展示が得意じゃないイメージがあるのですが(言い過ぎ)、でもこれはすごい期待しちゃいます。2回行くことも視野にいれる勢いです(≧∇≦)

拍手[1回]

なんせんす・さむしんぐ

なんせんす・さむしんぐ
お越し頂き有難うございます
美術・音楽の話題を中心に 時々イラストを描く当ブログ
お楽しみ頂ければ幸いです。
道に迷われましたら、まずは
「ご案内」にお進み下さい。

忍者ブログ [PR]