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○なんせんす・さむしんぐ○

美術や音楽の感想とか、動物中心のイラストのブログ。

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山種美術館の古径と土牛展

古径と土牛はほとんど知らない。名前は覚えていて、素敵だなあと思って作者を見ると古径だったとか、まあそんなところ。

 一言で言って、癒される。古径の18歳ごろの絵が展示されていて、十代の男子とは思えないほど、歳の割に悟った感じのする画風。俗気がなく、なんというか清廉潔白な感じ。
 そして、その画風の清々しいこと。

 説明文によれば、古径のお師匠の教えは、絵に卑しいところがあってはならぬ、というものらしいのですが、本当に卑しいところがない。しかし師匠の言い付けというよりは、多分そもそもそういう性格なんじゃないだろうかと思ってる。

 土牛も古径を評して「高潔な人」と言っているし、人間臭さが無い。
 期待している訳ではないけど、少なくとも表面的には全くプライベートな生活感が垣間見えない。(見る人が見れば、あるんだろうけど)

 もちろんそれが悪いというのでなく、ただ常人離れしているなあと。こういう生まれ持っての非人間性は天才と言えるのかも。

 いや、「非人間性」というのは悪い意味でなく、まあ卑俗なところがないという意味で、全くの人間性がなければさすがに芸術表現として成り立たないと思うからね、冷血だとか共感が湧かないとか、そういう意味ではない。

 そして、デザインセンス。
 ヨーロッパの絵画の影響を新しく受けた時代の人らしく、油絵で静物画を描いてみたり「写実」を模索していたようで、日本画の枠の中で西洋的な立体感、遠近感、質感表現を研究しているらしいことが伺えます。

 が、日本画の例に洩れず?、追い求めているものは、単なる現実の形や質感の模写ではない。という事は展示中の古径語録で繰り返し説明してある。

 そこで、描く対象の目に見える以上のものを描くためのデザインセンス。
 デフォルメの仕方や色彩の取り合わせの妙や余白とか。

 それらがあいまって清々しくて(二回目)、デトックスというか、俗世から逃れて清浄な空気のうちにいるような気にさせて、癒されるという訳です。


 さて、展示では古径をリスペクトする弟弟子の土牛と、そんなセンス=画風の違いをダイナミックに見ることが出来ます。

 というか、師匠が病に倒れて、齢い23歳で画塾の講師として弟弟子たちを教えたという古径が、天才すぎる。…まろりーの脳内でもう20代にして人間出来上がってるかのようなイメージが、すっかり着いています。

 さて土牛の方は、ずっとおおらか。

 絵の具の表面を盛り上げたり、色むらを作ったり雲母がきらきら光っていたり、古径が専ら「線」がいかに生き生きと命を宿すかに心を傾けるように見えたのに比べて、土牛はそうした面の部分の効果も追究しているようです。

 白眉の鳴門の渦潮は、下書きも無しに色面だけで描き上げた絵で、ひたすら格好いい。

 動物の表現は面白く、古径の牛や犬は人の目をしていた。例の有名な猫はきちんと猫の目。

 土牛の犬と猫は、くしゃっとした形になっていて、ちょっと偕謔的。古径のがはるかに律儀な感じ。


 実際のところ、2人がどんな人柄だったのか、具体的なことは知らない。

 でも、絵は人なり、というか、ああ2人ってそれぞれこの絵の通りの人だったんじゃないかな、と思った展示でした。
 こうした画風の全然違う2人の画家を排出したお師匠梶田半古がどんな絵か気になりました。


 脱線。あくまでも空想ですが、古径が宇宙人に思えてきます。常人離れしてて(笑)

 ちなみに私の脳内で、実は宇宙人設定の筆頭はヤン・ファン・エイク。…油絵の技法を完成させた、ってそれ以前の油絵画家なんて思いつかないし、創始者にしてその完璧さは突然変異過ぎだろう。宇宙から油彩技術を持ってきたっていうのが、一番説明がつくんだけど(笑)

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ブリヂストン美術館のカイユボット展感想

  一番の感想は、このお金持ちめ…!

 とにかく、展示を通して分かること。
 資産家に生まれ、画家になるも、絵で生計を立てる必要が無かったために、積極的には自作の絵を売らず、仲間の印象派の作品を買ったり、展覧会開催の資金を提供するなどして金銭的に援助し、夏になるたびに別荘へ行き、趣味のボートに熱中し、大会にも出て、果ては大きなヨットを自分で設計・制作し、また田舎に別荘を買い趣味のガーデニングに没頭し、弟も音楽家になったが、あまり活動せず、兄と趣味を共有していた…という。

 …兄弟でお金稼いでる気配が無い…!?
 そんなんだから、絵も趣味の一環で画家というよりは、印象派のパトロンとして先に評価されてしまった、というのがカイユボットさんのようです。
 画家としての評価が高まったのは本当に最近のことらしく、「芸術家と言えば周りからなかなか理解されず社会の価値観と戦い常に貧乏で金銭的にも精神的にも苦労する」みたいなイメージ像からかけ離れてしまっては、無理もない。(過言)

 さて、そんなカイユボットの自画像で展示の幕は開きます。
 …育ちが良さそうな顔立ちだな。
 晩年の肖像画もあって、セザンヌの自画像と比べることが出来ます。印象派に組するカイユボットは、セザンヌに比べるとより現実をリアルに写そうとする傾向があるのが分かります。

 家族の食事の様子を描いたものには、早速に金満家ぶりが発揮されています。
〈食卓〉
 広い室内、陽光がレースのカーテンに透ける大きなフランス窓、見事に磨かれた高級感溢れるテーブルに映る窓の光と食器、ナイフとフォークでお行儀良く食事する弟、かしずく執事。

 まあ、そんなお金持ちっぷりのことは一旦忘れましょう。うん。
 食器の乗るテーブルの描き方がちょっと変わっていて、テーブルの手前側は真上から見下ろしているけど、奥に向かうにつれ視点が下がって斜め上からの視点になっている。
 つまりオランダ絵画とかのような単純な透視図法ではないようです。多分、このテーブルに座っている人=カイユボットの視界を再現しているらしい。そこでは自分のお皿は真上から見るけれど、向かいに座る人は横から見ることになる。
 この絵の真の主役は、人間たちというより丁寧に描写してある窓からの光線で黒光りするテーブルの輝き。

 この時期に、こうした反射光を研究したようで、先のドビュッシー展でも展示されていたピアノを弾く弟の絵も、一風変わった遠近感とピアノに映りこむ窓からの陽光と白い鍵盤とピアニストの手が、食卓の絵と共通している。
〈ピアノを弾く男〉
 ドビュッシー展のとき、このピアノのロゴに見覚えがあるなあと思っていたら、エラールのピアノだと明記してありました。
 で、この絵の傍らには本物の時代物のエラールが鎮座していたのでした。
 おー、絵の中のピアノと、その大体同じようなモデルのピアノを見比べられるのは面白い。脚の形やロゴが絵と一緒。

 そういえば、カイユボットといえば床を削る人の絵。あれも窓からの陽光とそれを反射する床、削りたての反射しない床とを描いていて、食卓やピアノと同じ興味なのかも。
 〈鉋をかける男たち〉

 かなり面白かったのは、観覧者の参考にと掲げられている画家の年表。
 こういう事実は調べたければあとで調べればいいし、と普段はそんなに見ない。
 でも、このカイユボット年表、液晶パネルで出来ているのです。
 数秒ごとに年表の文字がマーカーされたように緑に光り、年表中央の余白に次々とその時期の関連する作品が現れる。年表に別荘地を購入、とあったらその別荘地の庭園の風景を写し出したり。やっぱり動画というのは見てしまうように人間出来ているのでしょうか。

 続く順路は都市の風景。この頃のパリは、狭くて暗くてごみごみして汚いと大評判だった街並みから、今見るような美しい街並みへと大改造をしていたのでした。
 カイユボットの弟(確か)が撮った写真には、屋根を架けている最中らしいモンマルトルのサクレ・クールも映っている。
〈ヨーロッパ橋〉
 目玉のヨーロッパ橋。室内画で見せた何だか凝った遠近法が顕著です。
 多分、カイユボットは光の反射とちょっと凝った遠近法に興味があるんだなあ。
 〈パリの道、雨〉
 雨の日のパリ。幾つにも放射状に枝分かれした例のパリ的な大通りの景観。建物の水平線もあちこちに伸びています。
 黒いこうもり傘を差して歩く人々。曇天の白い光を反射する石畳の道。

 真上からみた街路と街路樹とか。きっと最新式のアパルトマンの上階から見下ろしたんだ。
 臨場感のある視点へのこだわりは、趣味の船の絵でも発揮されています。

 二人乗りのボート? 視点は低く、ちょうど船に座った高さ。目の前でおじさんが漕いでいる。
 
左:〈ボートを漕ぐ帽子の男〉右:〈イエール川でボートを漕ぐ人〉
 色も面白くて、低く視点に広がるターコイズブルーの川面に、鮮やかなオレンジ色のオール、その波立つ反射。殆ど補色同士でお互いの色を引き立てあっています。

 パリ近郊の田舎に土地を買ったカイユボット。
 その近くの風景を描いた絵が、こういうの超好きです。
 晴れ渡る空の下、とってもフランス的な平原、お花の絨毯が広がっている。

 お花が好きというガーデニングの趣味も、作品に反映したようで、壁紙のように装飾的な花の絵は、どうやら別荘の壁を飾る目的かと思います。
 折り重なって伸びる緑の葉と、ちょうど良く配置された白い菊の類の花、透明感のある青の影。僅かなな違いのバリエーション4枚かかっていました。 
 これは、やっぱり純粋に趣味かも知れない。
 何か凝った遠近感を構成する今までの画風とは全然違う。ずっと奥まで見通せたヨーロッパ橋と違って、遠近感は極めて浅く、お花と葉っぱの重なり方が分かる程度。
 もちろんいつもと違って壁を飾るという目的が第一にあって、視覚の実験的なものではないけど、こういうのもイイネ!

 はてさて全体的に…カイユボットさんの絵をこんなに沢山初めて見て、彼の裕福な人並み以上の暮らしには嫉妬を禁じ得ないが、結構面白い絵じゃない。もう一回、別のカイユボット展第二段とかあったら、リピートしちゃう。
 そして、今は公園として一般に開放されてるというカイユボットの広大な庭をもつパリ近郊の別荘もちょっと行ってみたい。

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イタリア旅行記 サン・ピエトロ、コロッセオ、フォロ・ロマーノ、街歩き

 さて、この記事でおしまい。
 ティヴォリに比べてこの4日目がかなり短くてバランスを欠くとか。。。いや、もう少し書こうとしたけど、コロッセオとフォロ・ロマーノのあたりで延々廃墟写真になるので、カットしました(笑)

 さてさて。ついにサン・ピエトロ寺院に行く時が来ました。
 第一日目に美術館は行ったけど、諸事情により聖堂と別々に行くことにしたのです。
 ベルニーニの列柱の腕に囲われた楕円形の広場。
 その列柱の間を通り抜けいよいよ中へ。

 さあ、右手に見えるのがかの有名なミケランジェロのピエタです。


 遠いよ…!  

 柵が張ってあって、十メートルは離れているでしょうか?
 豆粒のようなピエタ。
 ミケランジェロパワーが全然伝わらない。いや、離れていても傑作にはオーラがある、それは認めましょう。とはいえどんなに傑作だろうと、いくらなんでもこれは無理。この距離で感動するなんて、そんな眼力(と視力)は私にはありません。
 これだったら、パリのサン・ジェルヴェ教会の裏口にあったピエタの方が感動した。まあ、サン・ジェルヴぇもまたティヴォリ的な巡礼地だったこともあるのですが…。
(いや、確かピエタだったような気がするのだけど。人気のない裏口からそっと入ると、それが見下ろしていて、ゴシック建築の丈高い色硝子から降る光の粒が、マリアの頬に色とりどりに散っていた。)
 因みに、見せたいだけのサン・ジェルヴェの写真。
 
 さらにちなみに、そのピエタ(確か)が写真に収まっていないで、左の似たような別の写真を撮ってあるのは、その裏口の彫像の不意打ちに気圧されてレンズを向けるのが恐れ多く気が引けたからなのでした。
 さらに脱線すると、サン・ジェルヴェは20世紀に入って戦争で爆撃を受けて、半分くらい壊れてしまったので、このステンドグラスは新しいもの。その中で16世紀くらいのオルガンは残って現在パリ最古だというのが、きっとサン・ジェルヴェの歴代オルガニストの執念かも知れない(笑)

 で、イタリアにもどって。
 ピエタには微妙にがっかり……。これは見たうちには入れられない。
 それにしても屋内でこれだけ離れることが出来るのが凄い。というだけのことでも感動しておきましょう。悔し紛れに。
 ピエタ以外にも、いちいちの彫刻が無駄に躍動的で面白い。ドレーパリーが目に楽しいです。翻る衣紋は夢です。
  
ヴェロニカさん。そして後陣のごってりわらわら装飾が相変わらず好きだ。それを指さす彫刻も素敵だ。


 外は再び楕円形の広場。
 ある一点があって、そこに立って回廊を見ると、4列に並ぶ全ての柱が重なって一本に見える。おばけ煙突の原理で。面白い。

 それからツアー一同はコロッセオへ。
 壊れたというより、ローマが廃墟と化してから建築資材として切り出されていったけれど、結局使いきれずに遺ってしまったコロッセオ。

 石だけでなく、その石材を内部で補強していた鉄までも採りだされてしまって、あちこちに採鉱の穴が空いている。・・・補強材、抜いちゃうとか有り得ないだろ。

 発掘された装飾や、観客たちの捨てたごみ、暇潰しのいたずら書きなんかが、貴重な史料として大事に展示されています。

 関係ないけど、コロッセオに住んでいるらしい猫。

 中は大きく、ここで殉教した人々のため、十字架が立ててある。

 まさにこの場で、殉教した人々がいた…個人的には、どんな聖遺物より実感が湧きます。
 コロッセオなんて恰好の石材が、現代までこれほど遺ったのは、この為なのかも知れない?


 その後、やはりベタにフォロ・ロマーノなど。

 ローマの都は、テヴェレ川の土砂が堆積していくたびに、その上にその上にと新しい建物を建てていったのだそうで、つまり深く掘れば掘るほど古いものが出てくる。
 が、深く掘るには折角出土したより新しい時代の遺跡を壊さないとならない。もし今地上に出ている遺跡が歴史的に重要ならば、それを壊して堀り進むことは出来ない。
 また、都の衰退の後もなお今まで使われ続けているローマ建築もあり、当然その下を掘ることも出来ない。周りだけ掘ったものだから、教会の一つは入り口が見上げるばかりの場所になってしまっていたり。

 イタリアが統一されてから、より本格的、科学的な発掘・保存が始まった。それから現代までに、フォロ・ロマーノはすっかり周りの街からすり鉢状に低くなっています。

 今は全てあらわで各遺跡を根元から見ているけれど、ピラネージの時代は凱旋門も柱の残骸も半分まで埋まっていたのだそうです。
 クロード、ピラネージ、ロベールにフラゴ、そしてこの一連の記事の冒頭に無理やり呼び出したゲーテも、皆このはるか頭上を歩いていたのです。
 
 
 

 私は根本は歴史ではなく美術の愛好家なので、ローマの建築がクロードの廃墟のまま遺らないで、史跡になってしまったのが、本当に惜しい。

 関係ないけど、フォロ・ロマーノに住んでいるらしい猫。

 
 すり鉢状のフォロ・ロマーノを再び登って、そこを後にします。
 例の有名なローマのシンボル、雌狼を発見。

 なんだこの偽物感・・・(笑)とくに狼の足元の物体とか・・・。まあ、冬だからね。

 もう少し坂を登ると本物がありました。いや、本物と言うと語弊があります。野ざらしのこれもコピーで本当の本物は博物館にちゃんと収蔵されているそう。
 坂を登りきると騎馬像のあるカンピドーリオの丘に裏口から浸入します。

 ああ、ここ、先日の展覧会で出てた素描でロベールが描いてたとこだ…。

 さて、ゆるゆる街歩きです。
 テヴェレ川の方のマルセラ劇場、フォルトゥーナやウェスタ神殿など。
 ようやくイタリアカラスの写真を撮る。この地のカラスは黒と灰色の2色なのが珍しいです。
ウェスタ神殿の前は小さな公園のようになっています。

夜に下から光をあてるため芝生にはえている照明器具の上に一羽のジョウビタキが止まっている。 カラスは白黒だけど、ジョウビタキは色も変わらず、尾を振りつつ、頭を下げつつ、時折さっと芝生の上に舞い降り、またすぐ見晴らしのいい照明器具の上に戻っていきます。

 イエズス会のイル・ジェズ聖堂に行きたかったのですが、3時頃になっても扉は開かない。 もう少し時を置いたら開くかしら、とまた周囲をぶらり。
 このままイル・ジェズ聖堂が開かない可能性が多いにあったので、埋め合わせにふと見かけた聖堂にふらりと立ち寄ってみる。
 サンタ・マリア・ソプラミネルヴァ聖堂は、超すっきりした入り口正面とは打って変わって、内部は身廊の天井が交差した尖頭ヴォールトで、その曲面は鮮やかな青一色、美しい星々がちりばめられている。

 おや、ミシェル・フイエの「イタリア美術」という本には「イタリアでゴシックの時代にゴシック建築はそんなに流行らなかった」と書いてあったから、こんなにステンドグラスもばっちりな、がっつりゴシックなのは結構珍しいのかも。いえ、いつ建てられたのか知らないけれど。
 そして、事前に調べることもしていなかったので、特に狙った訳ではないけれど、そこにはローマに来て以来俄かにファンになったフラ・アンジェリコが眠っているのだそうです。

 再びイル・ジェズ聖堂。開く気配は無し。
 もしだったら天井画が見られたはずだ。まろりーの見たかったジェズ聖堂の天井画はリンク先のウィキペディアでご参照ください。
 バロックなるものに多大なる影響を及ぼしたというイエズス会。イエズス会といえばバロック。その本拠地・総本山(たぶん)とも言えるイル・ジェズ聖堂。うーん、見たかったな。
 聖フランシスコ・ザビエルが祀られていて、彼は日本の守護聖人であるらしいよ。

 ぶらぶら周りの街並みと、さりげなく点在する遺跡を楽しみながら、女子な感じのガイドブックにあったお店など立ち寄る。
 イタリア旅行なんて銘打っているけど、ローマは多分、正確にはイタリアでないだろうと思う。これだけの保存すべき遺跡を抱えて、これで「近代的発展」なんて出来る訳ない。

 日も大分傾いて来て、最後に向かうはサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂。
 この旅の最終日の最後の観光地としては最高にふさわしい場所で、何故ならそこにはベルニーニの墓があるからなのです。

 入口正面の装飾はちょっと変わっている。
 2階がバルコニーのようになっていて、そのさらに上方を支える柱と柱、アーチの隙間から壁のモザイク(多分)のキリストが見える。そのバルコニーの両端に誰かいる、かと思いきや、天使の彫刻でした。

 左の天使さんが、こっち見てる…。若干、夜動きそうで不気味かもしれない。

 1日が終わろうとする時の、沈みかけの太陽の、赤みを帯びた光が、聖母子像を黄昏の暗がりから照らし出し、背後の古い金のモザイクを輝かせている。

 極美な! この旅行中見た、最もダイナミックな、ドラマチックな陰影でした。

 でも結局、ベルニーニの墓の場所はよく分からなかった。宿に帰って調べてみると、内陣の辺りの床だとか…。
 あっ、その辺で何かアルファベットの書いてある床石を踏んだぞ! あれだったのか、ごめんよベルニーニ!

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 追記。  最後の晩餐は、ふとドトール的なカフェで見かけたタルト。  
 友よ、なぜ私がこれを特に所望したか分かるかね。
 少し前に来日して素敵だったシャルダンの木苺の籠が美味しそうだったのをまだ引きずっていて、やあイタリアであの絵からこぼれたような木苺に会ったぞ、と。

 追記2。道端で買ったお土産。ファブリさん。

  18世紀のグランドツーリストを気取って、当時のお土産として大人気だったヴェネチア絵画(の画集)を買ってみたよ。
 ロンギとグァルディ。・・・ヴェネツィア行ってないのにね。
 商品に直にマジックで2ユーロとか書いてあるし。2ユーロでも高くないか…!? しかもあれです、読めもしないイタリア語です。
 しかし、小型とはいえロンギ単体の画集なんて初めて見たわ…。流石はイタリア。

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横浜 プーシキン美術館展感想


  横浜美術館プーシキン美術館展~フランス絵画の3百年~見てきました。

 プーサンからレジェまでどの絵も素晴らしく、本当に楽しかったです。
 概要は、副題のまま、スタンダードなフランス絵画をおよそ3百年くらい時系列で並べるもの。

 最初はプーサンのバロック古典主義絵画ですが、続く3点ほどは、カラヴァッジョ、ないしはオランダのカラヴァッジョ追随者風の絵。
 
 
シャルル・ル・ブラン<モリエールの肖像>
 モリエールのいつものもふもふの鬘も素敵なのですが、それ以上に額縁の左右非対称なロココ調装飾のが興味深い。←ただのロカイユ装飾が大好きな個人的関心です。
 額縁の上部中央に装飾された組み文字が彫られていて、誰のイニシャルなんだろう。額縁チョイスはこのイニシャルの人のセンスでしょうか。

 グリムーのリコーダーを持つ少年。こういう絵が単純に好きだ。…図版入手ならず。雰囲気こんな感じです。
グリムーのグーグル画像検索
 例えば、こういうオランダ絵画と同系統かしら。本来ならユトレヒトのカラヴァッジョ追随者が来るところを、ハールレムのモレナール。微妙に彼のファンなので、モレナールを見せたいだけです。
ヤン・ミーンス・モレナール<リコーダーを持つ少女>

 ええと、モレナールはおいといて。
 柔らかいレンブラント風の光。服装もちょっと古風でイタリアっぽく劇がかっていますが、顔がとっても当世風のロココ顔。モレナールのようなオランダのカラヴァッジョ風の絵より、やや灰汁が弱められているようです。いや、モレナールはモデルの顔が濃すぎるから比較しづらいけど。
 羽飾りの鍔なし帽子を被る紅顔の少年、その顔にかかる影や音楽には若さの移ろい、この世の儚さとか読み取れるかしら?
 そうでなくても、こういう単純な絵が単純に好きなのです。

 蝋燭の灯りの下で手紙を読む女性。これも上半身のクローズアップ。観者から中身の見えない手紙と蝋燭の一点放射の光がドラマチック。手紙の内容は、彼女の優しい表情から類推されます。蝋燭は背景を全て闇に沈めて、彼女の顔=心情だけを浮かび上がらせている。

 クロード・ロランの理想的神話的風景画。
クロード・ロラン<マルシュアスのいる風景>
  前景で小さく描かれているのは、木に縛られたマルシュアス。竪琴を持って座っているアポロンはマルシュアスの前で刃を研ぐ男に指差しで彼の皮を剥ぐよう指示している。
 技芸の神様アテネが作って捨てた笛(つまり最高の性能の笛)を拾ったマルシュアスが、その腕前はアポロンにも勝ると豪語したため、怒ったアポロンが音楽勝負を仕掛け、負かした罰ゲームが、この皮剥ぎ。
 かなり凄惨な神罰の背景で、それとは関係なしに、これでもかという美しさの穏やかな風景が広がり渡ります。
 謎の神殿の浮かぶ湖、崖の上にはドーム天井の古代の神殿、そこから流れ落ちる滝、道の奥まで続いていく巨木の森、それら全てを包んで金色に霞む大気。
 絵の中に首を突っ込んで白くけぶる大気を胸一杯吸い込んで肺の奥までもやもやにしたい。

 ブーシェのお師匠、ルモワーヌの素描の寓意。

 霊感を受ける画家とモデルの寓意画。画家もモデルも霊感の擬人像も、人物は全て可愛い?むっちりプットー(童子)で表されています。そしてこういう天使的な絵がポストカードの鉄板なのです。
 子供にしてはいやに目付きの鋭い画家は、ぼさぼさの髪がアーティストっぽい(笑)
 背景は古代調で、それによってデッサンの正統性をアピールしているのかなぁ。
 モデル役のプットーの被る布を除けようとするプットーと、ちょっと抵抗するモデル役のプットー。すんなりとはその姿を見せてはくれない真実を画家の眼力と技術が顕らかにする…! みたいな、画家がそういうように描くとちょっと含蓄があります。
 でも同時に画家とモデルという関係をちょっと思い出していたり。
 ブーシェも大人の職業や牧歌的な恋愛を子供の姿でという絵を良く描いた(注文が多かった)けど、お師匠さんも描いているのは、流行りの画題だからなのかな。

 次に続くのは、軽快な主題の室内画3点。
 ランクレ。間男が奥様にプレゼントを贈るために、その夫からお金を借りたので、返済を迫られたとき、奥様にお金払って貰う、というコントらしい。ありそう。ちょっと笑える。
 マルグリット・ジェラール、フラゴナールの義理の妹。オランダ絵画を当世風に焼き直したファッショナブル室内画。で、オランダの女性っぽい上着を来ている。まろりーはどうしてもこのジェラールにフラゴナールの面影を無駄に期待している…。
 プレリュード(前奏曲)と題された絵。
 
 もちろん何の前奏かって、その後にアルマンドやクーラントを弾くためではないのは、背後のベッドが物語る。二人とも、結局弾いてないしね。
 とりあえず、楽器(特に猫脚クラヴサン)の描かれた絵ということで脳内ストック。

 さて、ブーシェ!
フランソワ・ブーシェ<ユピテルとカリスト>
  この絵のために、何度プーシキンに行きたいと思ったことか!
 数あるブーシェの中でも最高傑作の1つじゃないかと思います。
 主題はユピテルとカリスト。とはいえユピテルは狩猟の女神ディアナに化けているので、画面には二人の女性が描かれることになります。
 ディアナに従うニンフのカリストは、全く警戒心もなくディアナに身を預けている。
 …ただ単純に美女二人を絡ませたかったので、ユピテルとカリストの神話はその口実と言われても驚きません。というか、そうでしょ。
 神話の使い方、本当に上手いな…! この後、カリストが毛むくじゃらの熊に変身してしまうのが信じられないくらい(笑)
 まあ、内容はさておき。
 やはりこの絵の神髄はその色彩、色調の美しさにあると思うのです。
 やや白濁した明るい水色とミントグリーン、真珠色と薔薇色の響き。
 その背景の森の人工的な青と緑の軽快な諧調は、奥へと空気遠近法で後退しつつ、人物の肌色を浮き立たせる。
 三角形の構図を取る人物、カリストのレモンイエローと鮮やかな青、ユピテルの赤。その強い不透明な赤が人物の輪郭など辺りに細かく反射して、ほとんど唯一の鈍い茶色のうさぎとともに、全体に中間色の画面を引き締めている。
 三角構図の固さを崩そうと空の水色の中に戯れ舞う薔薇色のプットー。
 この色の響き合いたるや…!
 背景のニュアンスに富む寒色のグラデーション、人物のみずみずしく煌びやかな暖色。
 多分、このユピテルとカリスト(女性二人)でなければ到達し得ない色と構図。ブーシェ特有のきらめく色彩は流行り廃りはあるものの、後にも先にも、この色彩センスはなかなか無い。

 ブーシェの何が好きかって、時にこの絵みたいに甘くて艶めいた思想の無いインテリアを描くけれども、それにいささかも悪びれることもなく、恬淡としていることです。
 言ってしまえば、この物事に関する恬淡さが、理不尽な人生を快適に過ごす事を可能にする…いや、言い過ぎました。ブーシェの絵にそのような教訓は全くありません。ブーシェを弁護したいあまりに、大袈裟なこと言いました(笑)
 同時代の批評家ディドロは正しい! 逆の意味で。
「才能の浪費、時間の無駄。」「何という色彩、何という多様性、何という豊かな着想。ブーシェの絵には、全てがある。真実以外は。」
 この絵の前に真実なんて何であろう。

 そして、絵とぴったりのロカイユ装飾の額縁がひたすら格好いい。
 ロカイユ、それは絶対に左右対称になんかならないという強い意志(嘘です)。これですよ、十八世紀のロココの絵画にロカイユ…!

 割と本気で複製画(ポストカードや大判印刷でなく)が欲しいと思うんだけど、残念ながら自宅に飾るべき相応しい場所が無い(笑)

 カルル・ヴァン・ローのユノ。ヴァン・ローのサインが格好よくて好きだ。
 アイボリーと鈍い水色の色彩がいいなぁ。←だから圧倒的にこの時期の色彩センスが好きだというだけの話。
 落ち着いて大画面でどっしり構えているものの結構若々しく描いてあって、ブーシェのカリストにも引けは取らない。…まあ、少しは年増かな(笑)

 ヴェルネのサルヴァトル・ローザ風と銘打たれた風景画。

クロード・ジョゼフ・ヴェルネ<ローザ風の風景>

 …ヴェルネ、よくやった! 思わず笑っちゃったじゃないの。
 大岩のごろごろする険しい山や、滝川の急峻な流れ、兵士たちなどが描かれた空想の風景画を得意とするイタリアの画家サルヴァトル・ローザ。
 その荒々しいファンシーさが18世紀からロマン派に流行したのですが、それを正々堂々とぱくった…いやインスパイアされたヴェルネ。
 売る気満々だなぁ…(笑)18世紀の受け狙い絵画本当に大好き!
 ちょうど良い位置にある険しい岩のちょうど良い隙間から滝が流れ落ちています。岩場にいるのは武装した男達と、それに交じって女性が1人。その人たちによって、何かの物語の一場面のような、作為を感じます。

 崖の上には古代の廃墟と空気に霞む糸杉。この鉄板フレーズ、クロード・ロランでも使ったし…(笑)
 まあ、ヴェルネがローザをリスペクトしたのと同じ位かそれ以上に、クロードもリスペクトしていることは疑いない。
 ただ、ローザの絵をカラーでそんなに見たことがないのだけど、今まで見たのは暗いめの画面ばかりで、ヴェルネほど華々しい色彩ではなかった。これが、ローザのロココ的変奏と言えるのか、断言出来ないなあ。まあ、ヴェルネの見た大半のローザも白黒の版画だったのでは? いや、適当な感想。

 ヴェルネについていえば、ロマンチック&ドラマチックな月夜の風景などが比較的有名だと思っているのだけど、この手の何の変哲もないイタリア風も凄くいい。
 おそらく、次世代を予告しているのは、前ロマン主義的な月夜で、この展示のイタリア風の風景画は、ローザだのクロードだのの模倣や焼き直しに過ぎない、ということで注目されないのかも知れない。
 というか、ヴェルネってクロードとローザを混ぜこぜに出来る凄い風景画家なのかも知れない。

 で、ローザでヴェルネにテンション上がったところに、ユベール・ロベールのユベール・ロベールな廃墟画。ヴェルネ&ロベールセットもピクチャレスクでいいなあ。
 古代エジプトと古代ギリシアと古代ローマが一緒くたになったようなざっくり古代な遺跡の風景。 もう、この古代観は本当に共感します。古代は歴史的には詳しくないけどなんか好きって人にとって、直感的な古代ってこんな感じだよね。
 一番向こうに聳えるエジプトぽい四角錐の建物、中程にパエストゥムのギリシア遺跡ぽいドーリス式の廃墟、トーガを着た古代人ぽい視察の人(観光客?)とスケッチしているトルコぽい人。
 エジプトぽいスフィンクスの口から噴水が出ていて、ローマぽい浅浮き彫りがその池に浸かっている。
 岩にロベールのサインとイギリス人へ贈るとの英語のメッセージがあるけど、そこのアルファベットはわざと古代のギリシア文字にしてある。例えば、RがΡ(ロー)、DがΔ(デルタ)など。
 何この雰囲気付けのために字だけは旧字体で書きましたみたいな乗り。英語なのに。ださ可愛い。
 もう、本当にロベールには共感する。ロベール展2やって欲しい!

 続く古典主義とロマン主義の時代。
 十八世紀から受け継いでロマン主義にも流行ったオリエントの異国趣味、ヴェルネやロベールの夢から覚めたイタリア、ローザの空想より荒々しく致命的な自然の猛威。
 それと同時に、非現実なほど理想的に滑らかな古典主義絵画。
 もちろん、女性を描くには柔らかくてうってつけで、話の内容は分からなかったけど、王様の前で服を脱いでいる女性の後ろ姿が彫刻みたいで素敵だったな。

 ミレーはいつものミレーで、コローはいつものコロー。
 仮面舞踏会のだらけた様子の絵。ピエロのだぶついた服で卓に座る人が可愛い。

 大目玉のルノワールの肖像画。
 いい絵だね…!ハッピーな絵。
 とてもハッピーな背景色がおしゃんてぃです。
 こんなピンクにしちゃったら、やはり暖色系で中間色の人肌を殺して台無しにしちゃうんじゃないかと思いきや。
 一体どこから背景色をすごい勢いのピンクにするという発想がわくのだろう。

 ドガのパステルとロートレック好きでした。ルソーのミューズはマツコデラックスにしか見えない。しかも目が怖い。清らかっぽい「詩人に霊感を与えるミューズ」なんてタイトルなのに、異様な植物の茂る背景にグロテスクな肉厚の赤い花。

 シャガールの哀切極まりない絵。故郷が戦争で破壊され、奥さんも亡くなってしまった頃に描かれたという。画面からは激しい喪失感が滲み出ています。
 緑色の夜空、歪んだ三日月の下で街はひっそりとして、しかし燃えるように破滅的な赤に縁取られています。
 空には、馬に導かれる白いドレスの青い顔をした花嫁と、その先にいくつも枝分かれした輝けるユダヤの燭台。

 最後のレジェの絵は戦争が終わって、新しく高層ビルを建てる男たち。天高く組まれた鉄骨の上で槌音を響かせる人間讃歌。
 全体は黄、赤、青、緑の原色で平面的に塗られていて、無機質で直線的な黒の鉄骨や人物の輪郭線が力強い。
 鉄の隙間から見える白い雲が高さと解放感を醸します。
 おそらくシャガールの街は壊されてしまったが、再びレジェは天に向かって建築する。
 壊すのも人間なら、創るのも人間。また新たに再生が始まります。

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イタリア旅行記 オルヴィエートとオルヴィエートの大聖堂

次なる目的地はオルヴィエート。
 道々、展望ポイントからオルヴィエートの外観を臨む。
 
 やはり、チヴィタ・バーニョレージョと同じく崖の上に乗っている街です。  でも閉ざされたような村ではなく、司教座も置かれ、いつかの法皇が滞在するような立派な街だということです。
 ガイドさんのお話によれば、このような崖の上の町は古代エトルリア人の集落が起源となっているのだそうで、高い所に家々やインフラを築くために、土木技術を磨いてきたのだそう。古代ローマの長大な水道橋とかの建築技術もエトルリア人に学ぶところなのだとか。

 オルヴィエートの手前に、墓地がある。そこには糸杉が植えられているようです。これが音に聞く墓場の糸杉!
 糸杉という樹は素敵だなぁ。とても心惹かれる異国の樹。何というか、殆ど白秋の邪宗門的な憧れかも知れない。
 庭には植わらないから盆栽にならないかな。

 さて、街に入ってお昼を食べて、早速オルヴィエートの大聖堂へ向かいます。  いい雰囲気の街並み。程よい狭さで古げな感じ。お店は日曜日で、道々殆どのお店がお休み。明かりの消えたショーウィンドウにセール中の文字が賑やかに貼られています。時々観光客向けのお皿だのなんだのを売るお店が開いている。
 路地を抜けると広場の脇に出る。斜めに見える大聖堂。白と黒の石で出来た縞模様の壁が面白い。

 少し黒い雲が出てきた。まだ陽射しはあるものの、ほんの少しだけ天気雨。
 しかしその暗い空の色を背景に、我々の背後から冬の低い太陽が、そのゴシック建築の正面のモザイクを黄金に輝かせていました。
 ゴシック建築というガイドさんの解説だったけれど、視界に収めたとき、何となく違和感を感じていたのですが、中に入ってみてその違和感の正体は直ぐに思い当りました。
 身廊の天井は平らかで、典型的ゴシックの尖ったアーチはなく、いわゆるロマネスク様式。
 つまりは、このゴシック聖堂とはいえ、ゴシックの構造をしていないのでしょう。
 でも奥の後陣や礼拝堂は確かにゴシック様式。
 尖頭アーチを持たない身廊の天井は、ゴシック建築みたく横に広がる力が加わらない。そのために、パリのノートルダムのような控え壁だのフライング・バットレスだので、外側から改めてごてごてとつっかえ棒する必要もないのでしょうか、オルヴィエートの聖堂の外見は非常にすっきりしていました。
 一面モザイクの正面装飾も、尖ったところの無い半円と、素直な幾何学的な直線で構成されていました。

 参考。パリのノートルダム。ゴシック建築の代表。
 オルヴィエート大聖堂と比べると、外見のごてごて具合の違いが分かります。そしてオルヴィエート本当にシンプル。勿論、中身のごてごて具合も同じくらいの違い。
 壁の全面で荷重を支えるため、窓を大きくとれないのがロマネスク建築。  強度を保てるよう縦に細長い小さな窓が数メートルおきに開いていて、でもその窓は一応ゴシック風に尖頭アーチ。
 小さな薔薇窓から、白い光の筋が細かく別れて幾条か伸び、身廊上部の壁に丸く陰を映していました。

 ところで、旅行のお伴にと一冊の本を携行していて、それが白水クセジュ、ミシェル・フイエ著作の「イタリア美術」。
 といっても観光中は結局見る暇もないのですが、帰りの飛行機で暇つぶしに読み返してみたら、このオルヴィエートの大聖堂の事もきちんと書いてありました。
 いわく。

 そもゴシックなるものは、アルプス以北で生まれ発展した建築であり、イタリアへは発生からやや遅れて伝播した。
 またゴシックの先進技術がもたらされた後も、イタリアでは前の時代のロマネスク建築への愛着が強く、ゴシックをもっぱら装飾要素として部分的に取り入れることも多かった。
 オルヴィエート大聖堂はそうしたロマネスクとゴシックの折衷様式の典型である。

 とかそんな感じ。
 おおお、鮮やかな解説。
 やっぱり、実物見る前と後では、この手の解説本も頭への入り方が違うよね。
 このフイエ氏の「イタリア美術」は、図版はほぼ皆無で、時には1ページに数人ものイタリア人の名前が並ぶこともありますが、にもかかわらず、辞書的な羅列にはなっていなくて、とても分かりやすく、簡潔で、互いの画家の影響関係なんかも記述されていたりする、結構な新書です。
 薄くて軽いので旅行に持ち出しやすいし、またイタリア行くならまた持っていこうかな。

 さて、聖堂の中に戻りましょう。参考にウィキペディアどうぞ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Orvieto_Cathedral
 柱などは外観同様の白と黒の縞模様。時々、とても傷んで殆ど剥落した壁画がある。
 いよいよハイライトの礼拝堂。
 北側の礼拝堂はルネサンス以前の壁画で埋められていて、何やら聖人伝が描いてある。薄暗い中で鮮やかな青がまだ残っていて、厳かです。お金を入れると電気が付くやつ。
 そして派手な南側。

 ルカ・シニョレッリの最後の審判が縦横無尽に描かれています。
 もっともシニョレリの絵だと知ったのは、やはり帰国途中のフイエの本だった訳ですが、この時は素直にミケランジェロの追随者の手だと思いました。  事実は逆のようで、「後のミケランジェロを予告する(byフイエ)」 作品だそうです。
 解剖学的な人体に、線遠近法。テクノロジー最先端って感じが熱いです。  騙し絵で描かれた丸窓から半身飛び出る人。目の前で繰り広げられる光景に驚き慌てふためいて身を乗り出している。
 現代まで続く飛び出る画像への欲求は、きっと人間の本能なんだろう。

 ヴォールト天井の曲面に、地上の審判のあれこれを超越して、金字を背景に諸聖人が雲に乗って泰然と浮かんでいます。
 四面の合理的な遠近法を駆使した空間で、地獄に落ちる人々、肉体を得て立ち上がる人々と面白い対比になっています。
 金の背景は、何の説明もしないし、物語りません。だから無限で永遠。

 さて再び飛行機の中に時を進めて、フイエの本。
 この美しい天井画の作者はフラ・アンジェリコだという。
 あー、フラ・アンジェリコだったんだ! もっと良く見ておけば良かった(←禁句・笑)
 つい二日前にフラ・アンジェリコに俄かに目覚めたばかりで、全然画風とかで気付くことは無かったわ。あんな絵も描くのだなあ。
 きっと、この大仕事が完成した後、フラ・アンジェリコも礼拝堂の真ん中に立って自分の仕事を見上げたことでしょう。恐らく同じ場所で同じく天井画を見上げた、そのロマンでも齧ってよしとしましょう。

 肝心の祭壇画は、じつは絵そのものはどんなだったか忘れてしまった。  絵の枠はバロック風で、放射状の光の筋の彫刻が絵を縁取っている。
 さすが現役の礼拝堂は色々な時代の色々な様式が交じりあっていて、時の流れと歴史と、その間じゅう愛されていたことを感じます。

  礼拝堂を堪能して少しだけ周りの路地を一周。異国情緒満喫です。ツアーなので余り多くの時間は許されていません。本当はもっと街中を散策してみたかったものです。


 それから十六世紀に作られたという、井戸に降りてみます。
 水を得るためには相当深くまで掘らなくてはならなかったようで、百段もの(実際は何段かは知らないがとにかく沢山の)螺旋階段をひたすら降り続けます。
 上方の丸い穴からの光が、一周する毎に段々弱く暗くなっていく。わずかな光の届く井戸の水底は青く、観光客の投げ入れた硬貨がきらきらと反射しています。
 そしてもちろん降りた分だけ昇ります。

 それで何が観光かというと、この井戸は二重の螺旋になっていて、この狭い階段で、昇る人と降りる人がすれ違うことがありません。これは当時は画期的なプランなのだそうです。
 よく分からないけど、ルネサンスの人って二重の螺旋階段好きだよね。

 井戸の入場料は5ユーロ。5ユーロで足の疲労物質を買ったようなものですが、これも旅の貴重な思い出です。

 帰り道。再び朝に羊たちの放されていた平原を走ります。
 先ほどのオルヴィエートの黒雲が、ついに我々のミニバスの上空にやってきて、バケツをひっくり返したような大雨。大きな雨粒が狂った勢いでフロントガラスを叩き、殆どワイパーも役に立たない。
 が、それも長くは続かないで、あっという間に西の方から晴れていきました。
 空の真ん中でちょうど黒雲と空の二色に別れ、強い西日がまだ暗い東側を照らしだしたとき。
  
――虹!
 それも大きな虹が、暗く湿った空を背に輝きだしたのでした。
 遮るものの無い平らかな大地の端から端に、完全な半円を描く二重の虹。
 大地から生えて大地に消える、完璧なスペクトルのアーチ。完璧な虹!

 ヴァランシエンヌの虹。
 それはこのような雨とこのような虹でしょうか? 
 
ピエール=アンリ・ド・ヴァランシエンヌ<ピラミッドと虹>
 イタリアで実見したものを組み合わせたこの空想風景を思い出していました。
 恐らく、この現象は珍しい事ではないのだろうと思っています。

 世の中に、完璧なものは滅多にありません。が、これはその滅多に無い例外。
 どこの美術・博物館にも飾られていないこんな「珍品」まで見られたなんて!
 幸運な旅路で、雨に降られたのはこの車中のこの時だけでした。

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なんせんす・さむしんぐ

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