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○なんせんす・さむしんぐ○

美術や音楽の感想とか、動物中心のイラストのブログ。

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ウフィッツィ美術館展感想

東京都美術館のウフィッツィ美術館展に行ってきました。

 内容は、ルネサンスが花開いたフィレンツェ。芸術を擁護したメディチ家の支配のもと、巨匠達はみな絵画製作の工房で活動してしたんだよ。で、政治的変動の多い時代で、為政者にも影響されながら製作しました。って感じかなぁ。
 …つべこべ言いつつ、とりあえずルネサンスの名画見ろや!って展示だった気もする(笑)

 日曜日の会場は予想外に空いていました。
 決して閑古鳥ではなかったです。押し合いへし合いは無く、並ぶこともなく、絵の前に出来る人垣には十分な隙間があって、どこから好きなように観ても殆ど誰の気に障る事もない、いわばちょうどいい混雑。その混雑具合と展示の中身が釣り合っていたと思います。

 時はルネサンス。中世の美術なんかより、ぐっと現実感は増したけど、現実を越えた理想の美を追い求めたい時代。
 そんなそれぞれの画家たちの理想美の饗宴。ってほど派手な展示ではないけど、こう、美とは何か、という問いに真剣に向き合う作品ばかり。
 大画面の宗教画や神話画が多く、綺麗なマリア様やスタイルの良い聖人のおじさまが沢山いました。
 さて、全体を言い終わったところで個々の細かい感想を簡単に。

 初期ルネサンスを代表する画家のフィリッポ・リッピ。
 彼は修道士でしたが、修道女と駆け落ちしてしまいました。そんな世俗の愛に生きる画家らしく?、色っぽいマリア様で有名。
 フィリッポ・リッピ〈聖母子と二天使〉
 ↑因みに、これは来ていないので。参考に。

 そしてリッピの弟子のボッティチェリ。
 リッピとボッティチェリを並べると、なるほど結構似ていて、時にはリッピに帰属されていたという作品もあったほど。
 サンドロ・ボッティチェリ〈聖母子と天使〉
 というか、これはぱくりレベル…。
 遠目から見たとき、まろりーもフィリッポ・リッピかと思った。

 さらにフィリッポ・リッピの弟子たるボッティチェリに師事したフィリッポ・リッピの息子のフィリッピーノ・リッピ。
 とても印象的なフレスコ画があって、一人の老人が描かれている。
 フィリッピーノ・リッピ〈老人の肖像〉
 誰の肖像かは分からないけれど、父のフィリッポ・リッピじゃないかと言われているそう。
 明るい光に満ちた中で、白い修道服を着て、笑みを浮かべている老人。フレスコながら、かなり真に迫った親密な表情は、フィリッピーノ・リッピがこのモデルを目の前にして、忠実に描いたと思わせます。
 この顔に深い皺を刻む老人は、前後をペルジーノやボッティチェリの理想化された美しい聖母に挟まれて、特にそのリアリティーが際立っていたのでした。

 ところでそのペルジーノも良かったなあー。ペルジーノ顔の聖母。そして、北方美術との関連が窺われる涙を流す黒背景の聖母。

 で、その後のボッティチェリ祭。ボッティチェリって……この展示でリッピの影響が強いとは感じたけれど、それでもやっぱり個性的。

 さて、目玉のミネルヴァとケンタウルス。
 ボッティチェリ〈ミネルウァとケンタウルス〉
 知性の女神ミネルヴァが、本能の化身たる野蛮なケンタウルスを髪の毛掴んで抑えつけているところ。
 結婚祝いに贈られたという説で、……浮気したら承知しないわよ! ってこと?(笑)
 それとも逆に、新婚うきうきラブラブで自分を見失うなよ、ってこと?(笑)

 慈悲を乞うように痛々しげなごめんなさい顔の馬のおじさんに対して、上からのミネルヴァさんが無表情なのがまた怖い(笑)……理性的だから感情に流されないのね。
 女神の着物の柄が、ダイヤモンドの指輪を3つ組み合わせた模様で、そのダイヤはピラミッド型の古風なポイントカット。(←先の西美の指輪展で覚えたばかりの事を早速知ったかぶってみる)

 この目玉作品はお土産でも気合いが入っていて、グッズも個人的にはかなり素敵だった。
 お土産の惹句が「本能を押さえ込む学問の女神様なので、受験のお守りに!」みたいな感じで(笑)
 あれ、ちょっと説得力がある。
 テーマが知性VS本能だから、応用が超利きます。アテネも色々な物事の神様だし。
 あと組んだ指輪模様の布を使ったバッグ素敵だった。

 その隣にやはりボッティチェリの東方三博士の礼拝。
 東からやってきた偉い3人の賢者が、産まれたばかりのキリストを拝みに来る、という主題。
 ボッティチェリ〈マギの礼拝〉
 主要人物以外の人たちが、四方八方ところ狭しとキリストのもとにすごい勢いで駆け付けます。先のミネルウァの落ち着きとは違った一面です。

 この熱狂は、一時期メディチ家に変わって、実権を握ったサヴォナローラという過激にストイックなお坊さんの影響かも、ということです。
 預言者みたいなサヴォナローラに心酔して、神秘思想的傾向が深まったというボッティチェリ。結局、サヴォナローラは余りに信仰が厳しすぎて、逆に教皇から破門され失脚したそうです。

 そして、ボッティチェリから飛んでブロンズィーノのコーナーへ。
 この両者の間にはレオナルドやミケランジェロやラファエロが入っているのですが、そしてブロンズィーノたちの時代はその巨匠を前提にしているのですが、その辺は文字だけで登場です(笑)
 有名人だもんね、おいそれと来ないよね。この人たちが来ちゃったら、ボッティチェリ展じゃなくて、ミケランジェロ展とかになっちゃうもんね。

 で、マニエリスムの巨匠、ブロンズィーノ。美しいが、小っさって思いました(笑)もうちょっと大きなのも見たかったな…。
 ブロンズィーノ工房のメディチ家歴代の人たちの小さな肖像画とか……きちんとした歴史は苦手なので、ロレンツォとかコジモとかメディチ家の名前、さっぱり覚えられません。

 目玉を通り過ぎると、割とあっさり終わった感じがします。
 個人的に中でも印象的だったのは、ブロンズィーノの2代くらい前の先輩、アンドレア・デル・サルトの死せるキリスト。
 アンドレア・デル・サルト〈ピエタのキリスト〉
 格好いいじゃないかデル・サルト。
 このキリストのポーズは、最初の方に展示された同一主題と一緒のようです。(←誰の作品か忘れた。何かこう…キリストを中心に、おじいちゃん(ニコデモさん?)が後ろから抱えてて、マリアとヨハネと何かヒエロニムスとか聖人がいたやつ。あ、ダメだうろ覚え。)
 その時は合理的にイエスの体を観衆によく見せようと、遺体を垂直に支える人たちが居たけれど、あとの時代のデル・サルトは一種抽象的な岩に寄りかかるような形で、同じポーズを取らせています。
 マリアもキリストを抱えるニコデモも居なくなって、背景さえもモノトーンになり、シンプルにキリストだけなので、主役のぐったりうなだれて顔に影を落としている痛ましさと、この時代の追い求めた堂々たる理想的人体に集中できます。
 理想的な裸体の追及は変わらねど、初期ルネサンスの頃の硬い輪郭から、より柔らかく肉々しい表現になっています。

 と、ここまで書いて、収まりを良くする締めの言葉が一向に思い付かないので、取り敢えずはこの辺りでぶった切って終わりにしちゃいます。

 総括すると…ボッティチェリ沢山良かったなあ~ブロンズィーノはもっと見たかった!個人的MVPはフィリッピーノ・リッピの肖像画かな。

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