三郎丸氏>
知識いい加減はまろりーの方です。
何というか、先に言ったことは、荒っぽくて、自分でも気に入らないです。
芸術の為の芸術と、サブカルチャー的なものの乖離は、大きな目で見ればそうかな?とも思うのですが、昔から大衆狙いのアーティストだっていたし、住み分けもしていたはずなのです。その辺り詰めが甘いなーと。
大体、まろりーもサブカルチャーという言葉を安易に使いました。
どうも、私にはサブカルチャーなるものは、マニエリスティックで、独特の言語と内輪でのみよく伝達する記号を発達させた閉ざされようとする世界という風に見えます。それを語るには、それに浸からないと十分な理解は得られないし、しかし、そうするとなかなか他との関わりなど全体像が掴み難くなる、というような気がします。
ああ、ブーシェのマリー・ルイーズ・オミュルフィ(だったかな苗字は…)・・・。あれは、一応「オダリスク」なんてトルコのハーレムに住む人という空想のヴェールが掛けられてあだ名されてたりします。 さすがに、昔は本当に存在する一個人の裸身なんて、生々しかったのでしょう。
あの絵は、でも朗らかだと思う。欲望に忠実ではあるけど、そういう罪悪感のかけらもないので、(笑)ポージングの妙もあって、一瞬卑猥に見えません。かといって、例えば19世紀の裸婦みたく、卑猥にならないための余計な小細工もしないし。
子犬と戯れる少女は、多分ブーシェではなく、フラゴナールだろう。本当にブーシェのだったらまだ見たことないから是非見せて♪
一応、上記2人とも当ブログに登場済みだったりします(笑)
もっとも、子犬と戯れる少女は2種類あって、一応はばかって(笑)より表現が大人しい方を掲げてあるけどね・・・。
あの子犬の構図は、天才的だと思います。あんな絵なのに、あんなに闊達で恬とした絵、フラゴにしか描けません。
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