三郎丸氏>
ミラクルなつぶやきって・・・(笑)
まろりーはただ、今のところ、主に、普通に日常的に心にうつりゆくつぶやきをその場その場で徒然つぶやいているだけですよー。
晩ご飯はカレーがいいな。断然、甘口派。・・・というのと同程度のことをね・・・。
ツイッターの世界というのは、どうも「大都会」といった様相です。個人個人が一つ所に集まって、その辺りの大通りだの路地だのをうろつきながら、ぶつぶつ好き勝手に呟く。で、その誰かの呟きが、たまたま耳に入ったら拝聴し、自分の呟きもたまたま誰かの耳に入ったりする。
翻って、ブログというのは、以前三郎丸氏が言ったように、「田舎の居城」といったところで、鄙びた領地の、好きな絵などがあちこちに掛けてあったり、自分好みの自分の城館で、まあ、時々にいらっしゃるお客さまをおもてなししよう、といったところ。
ひきこもりの田舎暮らしの方が、もちろん快適ではあります。
さて、三郎丸氏のブログにあった、ロココ問題だが・・・。むろん、受けて立つ(そういう話じゃない・笑)トラックバックにて、腐廉恥だよね、うん。っていう話をちょっとだけ語らせてもらうよ(笑)
あるいは、千葉市美術館で、酒井抱一を見ながら、ロココについての意見交換とか、どうでしょう(展示を見ろ!)
以下、あくまでも私の今現在考えたことね!明日には変わるかもしれない不安定な意見だ。
さて、ロココの絵画として、一体いつ辺りのものを見たか分からないけど、初期のヴァトーの時代と、その後のブーシェ、そしてフラゴナールの時代と、まあ、どんどん芸術を需要する側が変質していきます。
初めは、少数の王侯貴族たちに、次に加えて裕福な一般市民に、さらに新興の財力ある労働者層(ブルジョワ)も加わります。
この人たち、一応同時代的な共通の好みの傾向をもってはいるものの、今までのように洗練された人にぎりの連中だけでなく、新たに参入した(貴族たちに比べれば洗練を欠きがちな)新興層に受ける絵も生み出さねばならない、と。数も多いし、貴族相手だけでは、画家も食べられなくなってきたし。
ブーシェやフラゴナールが、AKB的というのは、まあその辺りの、市場への露骨な受け狙いが共通しているのでしょう。違いは、前者が「サブカルチャー」は決して狙っていなかったのに対し、後者は「端からサブカルチャー狙い」ということではないでしょうか。
ロココだけじゃなく、いつの時代だって絵画は「あらゆる種類の」人の欲望を描いてきました。
産業革命だの、科学革命だの、そういった時代を経て、例えば人間の「特に脂ぎった」欲望を満たす為だけの芸術と、そうでない芸術が、時を追うごとに乖離していきます。
ええと、とりあえずフランスを想定して言うけど、18世紀前半までは、まだまだおおかた両者渾然一体だったものが、18世紀をすぎたあたりから、おそらく、画家たち自身も、需要・消費する側もきっぱりと分けるようになったのだと思います。
で、その後、消費目的の一方は「芸術」というご高尚な分野から離脱し、日本でいえばサブカルチャー的なものとして、時折歩み寄ることもあるけれど、独自の道を歩んできたのではないかと。
で、「芸術」を需要する人たちは、結局やっていることは変わらなくとも、「芸術」が「芸術的」であるためのレトリックを要求するようになっていったし、「芸術家」たちもそれを意図的に身につけていった。
なんだか、もどかしいよね。
あの時代、ただただ欲望を満たすために最高の才能を消費したし、たのしみ・快適さを追求して色々とやんちゃな絵を描きました。18世紀では、社会的なメッセージ性のある絵画や、宗教・歴史画に交じって、それも芸術だったし、そもそも今のような芸術と芸術でない絵の別はそれほど重要なことではなく、いや、それらの間にヒエラルキーはあったものの、現代になって、一括りに現代的な意味での「芸術」と呼ばれるに過ぎないと感じます。
(独特で一時代を築いたとはいえ、ロココが美術史から外されがちなのは、この辺に理由があるのではないでしょうか)
まあ、つまり、こんな事いいな、出来たらいいなということを仮初にも叶えたいという目的からいえば、根本は一緒なのですが、現代の我々が、むきになって分けようとしているだけで、18世紀の面白いところの一つは、そういう現代の面倒くさい乖離を軽々と、いとも軽々と飛び越えていくところです。
鹿の園は・・・多分、春になったら雌を求めて鹿が鳴く、それでいいと思います。私も詳しい訳じゃないけど、というかその教科書とやらに、その辺りの参考文献書かれていませんか? 読みたい。
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