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○なんせんす・さむしんぐ○

美術や音楽の感想とか、動物中心のイラストのブログ。

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上野の古代ギリシア展の感想つらつら。

 上野の西洋美術館のギリシャ展と六本木の新美術館の印象派展行って来ました。
 そんな訳で、かいつまんでの感想を。
 
 まず、ギリシャ展。大英博物館所属の古代ギリシャ各時代の彫刻、壺絵、古代ローマ時代の古代ギリシャのコピーなどで、アメリカにも巡回していくのだそう。
 とにかく、どの展示品もまるで2千年の経年を感じさせない美しさ。本気の修復の賜物なのか、初めからそうだったのか、まろりーには分かりませんが、古代の生活や価値観の一端を伺わせる彫像や、壺絵の生き生きした物語、構図や描線を堪能出来ます。
 実はギリシャの壺絵って、それほど沢山は見たことがない。だから、今回見た壺絵が、当時のギリシアでポピュラーな画題、構図だったかは分からない。まだまだ違いの分かるレベルには無いのが私の勉強不足ポイントでした。
 
 さて本題に入る前に諸注意を。各ギリシャ的固有名詞などの表記揺れは、これを全く気にせず、場合によっては、ギリシャ風、ローマ風、英語、日本の慣用などと入り交じり、また、長母音、短母音の別も特別に注意を払わない。非常に無造作な文章になることをご了承下さい。
 
 最初を飾るのは、小像ながら堂々たるゼウス。長い杓を右手に立て、雷を左手に掴み玉座に座るギリシャの主神です。冠を頭に乗せ、豊かな髭を波打たせて、決して若者ではありませんが、いわゆる理想化された肉体で表現されて、主神としての威厳たっぷりです。
 しかし美術館の説明に笑いました。曰く「ギリシャには様々な空想的な生き物がいた。筆頭はゼウスなどオリュンポス十二神である。」
 …主語が可笑しい…!オリュンポスの神様捕まえて生き物呼ばわり(笑)
 ゼウス小像の次は、赤い地の上に黒い釉薬をかけて、その黒を引っ掻いて模様を出す黒像式の2つの壺絵。因みに、アンフォラだのクラテルだの専門用語は使い分け出来ないので、全部「壺」でまとめちゃう。
 
 叡智の女神メティスとの間に子供が出来たゼウスですが、その子が将来ゼウスから王座を奪うと予言されたので、お腹の子供ごとメティスを呑み込んだゼウスさん。すると、頭がとても痛くなったので、手先の非常に器用な息子、ヘパイストスに斧で上手いこと頭を割って貰ったところ、そこから武装した姿で知恵の女神アテネが生まれました、というお話。
 ギリシャの黒像式の壺絵はいつもそうですが、半ば図案化・記号化された洗練された黒い像と、均一に細く、きっぱりと引かれた赤い線と、繊細にしてリズミカルな構図が大好きです。
 余談ですが、ユピテル(ゼウス)様が、女の子や男の子のお尻をいつも追い掛けているあほな子になったのは、このエピソードのせいだと、まろりーは信じて疑いません。
 裏側には、おそらくライオンの革鎧を被ったヘラクレス。脈絡はよく分かりません。強いて言うなら、ヘラクレスとアテネが仲良しなくらい?
 壺絵の裏表で、絵の関係がよく解らないものが多々ありました。何かの習慣なのか、本当に関係がないのか、それも知らない。
 
 ろばに乗ったヘパイストスとディオニュソスの壺絵。
 ゼウスと正妻ヘラの生まれつきの高貴な(笑)子供だけど、非常に醜かったため、ヘラ様にオリュンポスから投げ落とされてしまった可哀想なヘパイストス。しかもその時、怪我をして足に障害を負ってしまいました。
 なので、オリュンポスへ帰還するヘパイストスは、ろばに乗っているのだそう。そのろばの歩く先々に葡萄のつるを這わせて先導する葡萄と葡萄酒の神様、ディオニュソス。壺絵では、ろばでぱかぱかしているヘパイストスの裏側でライオンを従えています。二柱の神様の周り、壺としては両耳の把手の下で、デュオニュソスの従者、山羊の足のサテュロスがいて、葡萄のつるを引っ張ったり、アウロス(古代のリード楽器)を吹いたりしています。
 何だか牧歌的でとてもよい図柄です。取り敢えず、ディオニュソスという神様はクレイジーなのに牧歌的で大好きです。まろりーも大きくなったらマイナスになりたい!(問題発言)でも、致命的なことに、お酒飲めないんだよね、えうほい。
 それにしても、ヘパイストスとディオニュソスって結構仲が良かったんだ(笑)物造りの神と農耕の神、どちらも人間の営みに直接関わるからでしょうか。デュオニュソスも生まれたての頃は新興宗教として人間に侮られて苦労していたようだから、ちょっと親近感があるのかも。
 物語には関係無く、四方に向けて4つの大きな目がぎょろりと描かれています。削り出しの黒像ではなく、さらに上から白く盛り上げてある。後で展示されていた、見る人を石にするゴルゴン(メデューサ)の瞳と同種のものです。悪名高いゴルゴンですが、その恐ろしい力は逆に悪い物を退けるとされ、世界各地に目玉の魔除けが存在しているように、この壺の目にも人を益する呪術的な力を感じます。
 
 後ろから彫像を見る。女神かと思いきや、正面に回るとデュオニュソスでした。体つきも顔つきも女性的です。葡萄の神様なので、葡萄の木にもたれて立っています。葡萄も酒神に擦り寄っています。というのも、その葡萄の木は擬人化されていて、ちょうど変身中のダプネのように、半ば木、半ば女性の樹木のニンフ。名もない木までギリシア人は擬人化するのがとことん好きなのでしょうか。足元にはデュオニュソスが好んでつれ歩く小さな豹か獅子。
 
 大きなヘラクレスの頭部。
 何でもハドリアヌス帝の為に作られたものだそうです。気のせいかハドリアヌス帝本人にちょっと似ているような?まさか、あのハドリアヌス帝の特徴的な髭はヘラクレスイメージ?いや、よく分からないけど。
 色々あって10の冒険を課せられたヘラクレスですが、何だかんだいちゃもんつけられて、結局12に増量してしまったうち、3つ程のエピソードの黒像式の壺がありました。
 ディオニュソスは女性的に表現されることも多いですが、ヘラクレスはそういう事はあまりイメージ出来ない人間です。決して脳みそ筋肉という幸せな男ではないのですが、己の並外れた身体能力で苛酷な試練を乗り越えてしまう、果てはそれで神様にまでのしあがる、説明では「古代ギリシアのアスリートの理想の姿」だったそうです。
 エリュマントスの猪狩り。
 ヘラクレスに冒険を命じるミュケナイ王エウリュステウス王は、内心彼の死を願いつつも狂暴な大猪の生け捕りを命じました。死ぬだろうと思っていたら、ヘラクレスは見事生け捕って帰ってきてしまいました。次は自分の番かと、恐怖に身を震わせながら大甕に隠れる王様。甕の淵に足をかけて、高々と掲げた猪を、今にも頭から甕の中に投げ入れるかに見えるヘラクレス。今すぐ逃げ出したいと思いつつ、実は逃げ場がない王様は、首だけ外に出して、手の平をヘラクレスに向けながら両手を突き出し、必死で制止する身振りです。大甕の口から王様の首がぴょこんと出ていて、均一で無表情で、様式化された動きもちょっとコミカル。逆にあんまり良いところの無いエウリュステウス王の一番の見せ場です(笑)
 
 スフィンクスの像。テーブルの天板を支える足だったと思われるとのこと。
 女性、獅子、鳥の合成された姿のスフィンクスですが、翼など多分、本物の観察に基づいていて、かなり精緻な作りです。といっても、体はライオンというよりは、何か猟犬めいたもっと細身の生き物で、女性の首と非常に上手くバランスよく連結しています。各パーツリアリティに富んで、まるで骨格と筋肉を備えて本当に動き出しそう。合成獣の醍醐味ですね。
 そして、うっかりお箸とか落としたら、嫌な感じに目が合いそう。
 程近くに展示されていた山羊の脚のパン神の小像もそうですが、人体と動物の一部を融合させるバランスが絶妙なのです。
 
 ベッドの脚だったシレノスの像。デュオニュソスの愉快な仲間の一人、太った中年・老人の陽気な下級の神様がシレノス。大きなお腹な上、いつもへべれけ、自力で歩きづらいのでよくろばに乗っています。
 家具の脚なので、シレノスの姿は自由気儘に歪められて、家具の脚らしく、下半身はライオンの手になっています。家具の脚なので、上に乗る重量を支えねばならない要求から、くびれたところの無い、ずんぐりした三頭身。かつてはこのグロテスクでコミカルな奴が4体ベッドの下に生息していたかと思うと、ちょっと楽しい。
 
 デルフォイの神託所の鼎を奪おうとするヘラクレスと、それを阻止しようとするアポロンの壺絵。ヘラクレスの背後ではヘラクレスの守護神アテネが、アポロンの背後ではアポロンの姉のアルテミスがやはり対峙しています。アルテミスはえびらの矢に手を掛けていて、殺る気満々。一体、何故こんな展開になったのか、その経緯を知りたい(笑)
 
 ウェヌスの像。水浴のアプロディテが、ふと人の気配に気付いたかのように、脇を見遣り、体から落とそうとしていた衣を腿に挟んで、咄嗟に例のヴィーナスの有名なポーズを取ろうとする、その瞬間。
 何でも、古代ギリシャでこの像を神殿に設置したところ、艶美ささで評判になり、観光客が増えて街の財政が潤ったのだそう。今も昔も人間あまり変わりません。
 今でさえ博物館に鎮座し、クラシックな美の体現として珍重されて、現実からは離されているヴィーナス像ですが、現役時代はきちんと俗世界に密接して「機能」していたと思うと、何だか嬉しいものです。芸術かくあるべしです。
 それにしても、目に楽しい衣紋の襞の波。美しく襞を取りながら重力に垂れる布。水浴のウェヌス像だけでなく、その他の像も同様です。まろりー自身は、襞の表現そのものの為に、その下の人体を犠牲にすることは大いに結構ですが、古代は人体を覆いながらも、体の線を感じられるようにします。ルネサンスの人たちはこういう所を見て復活させようとしたのですね。
 
 演劇用の滑稽な仮面を被った役者の像がさりげなくロマンチックでした。
 おそらくは、先天的に小さな体のまま大人になった人。昔はそういう人は多く芸人として活躍しました。体の小さい人=取り敢えず芸人になるというようなレールが敷かれていたようにも思います。…この辺の文化史はその気で調べれば深められそう。
 ともあれ、顔よりも大きく口を開けて大笑する仮面の下に、本人の口元が見えます。その口元は、笑っていない。
 
 目玉の円盤投げの像。横文字ではディスコボロスさんといいます。階段を降りて、一端説明書きの壁に遮られる。道なりに曲がると、程よい狭さの円形に組まれた黒い壁の中央に、胸辺りまである高い台が設置されていて、その上にある白い大理石の大きな像。空間でも傑作感をアピールしているというか、多少鑑賞者を煽りたてようとしているというか、古代ギリシャ、ヘレニズム彫刻の傑作を最大限引き立てようというVIP待遇が素敵です。
 今にも円盤を投げようと身を大きくひねる人。片足に重心を集中させて、力をかけないもう片方の大きな足の裏がすべすべ(←何処を見ているんだ)
 普通の人が実際にやったら、バランスを崩して円盤を投げるどころではなさそう。鍛えられた筋肉の賜物なのか、全くの虚構なのか知りませんが…。それなのに、ディスコボロスはぴたりと危なげなく静止していて、倒れそうだなどと不安感は全く与えません。
 このポーズを左右10回くらいやったらエクササイズになりそう。どうでしょう、古代ギリシア彫刻エクササイズ。他にラオコーンのポーズとか。
 
 それにしても古代ギリシア人ほど全裸の似合う人種はいません(笑)
 もし仮に、中世以降の男性ヌードしかない展覧会があったとしたら、多分かなり凹むけど、今回は皆で露出度高いのに、まるで違和感のない不思議…。
 
 ニンフを抱き止めようとするサテュロスと、サテュロスから逃れようとするニンフの等身大ほどの像。二つの人体が絡まりあって、これが元々は単なる石の塊だったとは信じられません。どこから見ても様になるよう作られています。
 このような主題を、バロック彫刻の巨匠ベルニーニも作っていたけど、古代ギリシアとは思えない程のバロック。この修辞はちょっとおかしいけど(笑)お互い渾身の力を出す端正とは言い難い大袈裟なポーズや、現実そのままではないのに存在する迫真の動感とか。 ベルニーニのは図版で親しむに過ぎませんが、古代のサテュロスに比べればベルニーニの方がまだしも抑制されていて、上品かと思います。でも、サテュロスとニンフは微笑を誘う朗らかさ。文字に還元すれば、サテュロスは女性に乱暴を働いている訳ですが、駄目男感があるだけで(笑)、人間の欲望の持つ「黒さ」がない。クラシックはやはり朗らかで健康的です。まろりーが古典主義者だとすれば、単なる見た目の様式ではなく、この精神をこそ規範としたいものです。
 
 なんかいい感じに段落が終わったから、まだ言いたいことは残っているけどこの辺で切り上げよう。
 若干、展覧会カタログ欲しいかも知れない。でも壺絵や彫刻という立体ばっかりだから、本当は図版でも足りない。隣に大英博物館越してこないかな!
 
 
 その後、上野から地下鉄一本で直ぐに六本木へ。上野→六本木美術館はしごコース、結構いいかも。1日美術に浸かりたい人にお薦め。
 六本木のワシントンナショナルギャラリー展は、型通りの教科書のような展示でとても良かった。でも後期印象派が絵自体はいいのに何だか薄い客寄せパンダだったので、「これを見ずして印象派は語れない」のキャッチコピーなら、むしろがっつり盛期の印象派に特化しても良かったのではないかな。で、シスレーとかシスレーとかシスレーを増やしてくれれば。(←単にシスレーが見たいだけ)ピサロと区別出来ないくせにシスレーファンを名乗ります。

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