DNPのフランス国立図書館、地球儀・天球儀展へ、最終日に滑り込みで行ってきました。
超楽しかった。
博物的資料たる実物は、西洋で地球儀が作られた始めた16世紀のものから、19世紀のものが5点。
たった5点だけど、その他のデジタルを駆使した展示が、すごく面白かった。(無駄にお金かけてる、とも言える←誉め言葉)
資料の展示ケースの前には、モニターが設置されていて、3Dデータ化された地球儀や天球儀を、指先でくるくる回して自由に動かしたり、注目ポイントにタッチすると細かい説明出たりして、情報量が多い。
年代毎に地球儀を見ると、伝聞だけで曖昧だった地図が、大航海時代の経験や貿易の発展で、世界全ての正確性がだんだん増していく。
併設のシアターでは、日本の描かれ方の変遷を特集してました。
初めは、マルコ・ポーロの「黄金の国ジパング」的な言説を鵜呑み(笑)にして、ほとんど楽園のような、円形の島として地球儀上に表れた日本。
きちんと本州四国九州が書かれ始めるのは、南蛮貿易で伝説の島が現実の商売相手に変わってから。(蝦夷は後の方まで不明瞭)
鎖国してからも、意外と調査船が日本の周りを航行してたりして、そうした冒険が世界地図の正確さに寄与したそうです。
一個の地球儀が出来るまでに、一人の人間だけでは足りない膨大な知識の蓄積と、球体への再構築が必要で、地球儀本当ロマン。
さて、地球儀より天球儀が好きです。
展示は啓蒙時代の〈ヴォーゴンディの天球儀〉。
ディディエ・ロベール・ド・ヴォーゴンディという大層な名前の地球儀制作家が人気だったそうです。
当時最新の、同時代の天文学者ラカイユが観測、設定した南天の地味~な(笑)星座も書かれている。
あと個人的に好きな、今は亡きケルベルス座がまだ存在したのに感動。
描かれ方は犬というより蛇で、ヘラクレス座に蛇の胴体を捕まれて描かれていました。
それとたまたま目についた祭壇座。
もちろん沢山のあらゆる祭壇座の図像を見尽くした訳ではないですが、ぜんぜん祭壇に見えない。
煉瓦を四角く積んだだけで、キャンプ場にあるかまどに近い(笑)一体どういうつもりだろうと。やはり答えは無いし、大した理由でもないのかもしれないけど。
考古学ブームの啓蒙の時代だし、考古学的にありそうな現実的なイメージにしたのかなぁ。とか仮説。
そういえば、ギリシアやローマの生け贄を捧げる祭壇って、実際どんな感じなんだろう。今後、壺絵とかなんとなく注意してみようかな。
ああ、天球儀本当に欲しい。手のひらサイズさえあれば…。
最悪、星座図をダウンロード、印刷して、ちょうどいい大きさの球体に張り付けるだけで、結構それっぽいもの出来そうだけど…。やるしかないのか!?
そんな天球儀の作り方メモ。
紙粘土や石膏で中空の球体を用意
表面は滑らかにしておく。中は木の梁を渡して補強。
舟形図に作図。球体にするため、笹の葉っぱのような紡錘形の枠を12枚横に並べ、そこに星座図を書きます。ものによっては、北極星などの北と南の天極を描く用の丸い枠も用意。
天文学者が赤道と黄道を引き、星を配置、版画家がイラスト担当。……分業だったのね…!
ちなみに、地球儀の場合、作図はは、地理学者と数学者の仕事になるそうです。
銅板に線刻して印刷したら、舟形図を切り離し、緯度経度がずれないように球体に張り付け。
着彩後、ニス塗り。
地平環と子午環を取り付け、指物師による台座に設置。
以上のことを綺麗な冊子と動画(日英仏3か国語)で説明してくれました。手元の冊子をめくると、スクリーンに写し出された動画も「次の説明」に切り替わるのでした。
展示された実物は5点だけなのだけど、データ化された地球儀・天球儀は他に15点くらいはあって、やはり細かい解説とともに、モニター越しに回すことが出来ます。
どうやら、展示の前期には、フェルメールの絵に描かれた天球儀とその対の地球儀がやってきていたようだ。
フェルメール<天文学者>
地球儀と天球儀が、対になっていることに意味があるらしい。
あっ、そういえばフェルメールの地理学者と天文学者でもそんな解説あったなぁ。
人間の住む地球と、地球を取り囲む天球。世界の全て。
ともあれ、後期は天球儀のデータのみです。
こうしたフランス国立図書館の地球儀、天球儀を、大日本印刷が(←ここ大事な展示の主張)3Dデジタル化して、フランスの電子図書館gallicaガリカで、つまりインターネットでどこでも誰でも閲覧可能だそうです。
ついに夢の天球儀がご家庭で
バーチャルに…!
古い地球儀や天球儀を、誰でも気軽にぺたぺたぐるぐるして劣化させてしまう訳にもいかないので、データ化して皆がバーチャルで眺められるって、本当にいい事だと思う!
もっとも凝った展示物は、立体映像の流れるゴーグルをかけて、これもバーチャルに天球儀の中に入る、というもの。
天球儀の中心、すなわち地球の位置に浮かんで、内側から眺める設定。
天動説世界における宇宙旅行の趣で(それにしては狭いか(笑))、ゴーグルを着けたまま上を向くと乙女座や牡牛座などお馴染みの星座が、下を向くと南天の星々が足の下に広がります。
これ、天球儀を作った当時の人たちに見せたら大熱狂だろうな…(笑)大ウケしそう。
さて、この展示の一番の主張。多分。
大日本印刷は、フランス国立図書館と手を組み、そこの歴史的地球儀と天球儀コレクションを高精細3Dデータ化します! フランス国立図書館は、そのデータをネット公開します! 文化振興頑張ってます! どうだDNPすごいだろ。
いや、素直に大日本印刷すごいと思いました。好感度上がった。
以下の3枚は、まったく脈絡はありませんが、純粋にギリシア文字が書きたかった、格好いいから。という英語習いたての中学生みたいな動機が主な成分です。ひょっとして時折転記ミスってるかも(笑)
○捕虜になったラッパ手。
古典ギリシャ語の教科書に載ってたイソップ寓話です。
敵を征服したある兵士たちが、一人のラッパ手を捕まえた。 まさに殺そうとしたとき、ラッパ手が言った。「ああ皆さん、どうか私を殺さないで下さい。私はあなた方の誰をも殺しませんでした。ご覧の通り、何も武器は持っていないのです、このラッパのほかは。」 兵士たちは彼に言った。「それゆえ、お前は死ぬのが相応しい。お前自身は戦わないのに、他人を殺し合いに駆り立てるのだから。」
残念ながら今夜はうさぎ鍋です。
自分は行動しないで煽るだけのやつも同罪、むしろそれ以上という話。意外と深い。
○スフィンクスとサルピンクス
~ンクス、という語感が好き。あとスフィンクスの字面が好き。
そんなスフィンクスさんは、猫パンチ強そうな感じにしたかった。
σαλπιγξ(サルピンクス)はラッパのこと、因みに、さきほど登場したラッパ吹きは、σαλπιγκτης(サルピンクテース)といいます。
ローマ字に直すとsphinx kai salpinx
ギリシア文字の“Γ”はローマ字のgのことなんですが、古典ギリシア語で“ΓΞ”(gx)と続くと鼻音化してnxになるんですね。
ほかに言うべきこともないので役にも立たない豆知識でした。
○ぶらんこに乗るプルチネッラ
世界は舞台、人生は花道
君は来て、見て、去る。
多く引用される一節ですが、やっぱり名句だなーと思います。意味としては、「男も女も人はみな役者、登場したり、退場したり」といった感じらしいです。
格言的にぎりぎりまで削がれた表現もいいし、少し哀調のある余韻もいいし、トリコロンで畳み掛ける語感もいい。
ほ こすもす すけーねー ほ びおす ぱろどす えーるてす えいです あぺーるてす
うん、語感がいいなぁ。
さて、ギリシャ文字ほぼ関係ない絵柄の方ですが、描かれたるものはプルチネッラという道化師の役柄の一つです。たしかナポリ出身設定。
原画はジョヴァンニ・ドメニコ・ティエポロ、18世紀ヴェネツィアの画家。
ティエポロ<プルチネッラたち部分>
部分でごめんなさい!フルサイズ(円形の絵)は拾えなかったのです;;
わらわらしてる道化師たちの滑稽味と軽やかさと、それとほんのちょっぴりの気味悪さがいい味出してる。そんな道化師と、ぶらぶらしてるぶらんこが、よく合っていると思います。
いつも思うのですが、この縄だけぶらんこって結構おしり痛そう…だし、バランス崩して後ろに落っこちちゃいそう…。そこで落ちないのが道化師のアクロバットパワーなんでしょうか。
ぶらんこも18世紀になかなか流行ったモチーフでして、有名どころはフラゴのあれです。
ジャン・オノレ・フラゴナール<ぶらんこ>
雨が降ったら激しくしみこみそうだけど、安定感と座り心地は抜群。
アントワーヌ・ヴァトーの素描
ヴァトーの背中はひたすら格好いい。何でしょうね、この背中で語るヴァトー。誰か背中で語る美術史―ヴァトーを中心に―みたいな本下さいお願いします。
ユベール・ロベール<戸口の下のぶらんこ遊び>
フラゴやヴァトーと比べて、鄙びた風情。廃墟にロープ吊るして板を揺らすタイプ。危ない。現代人やったら怒られる。面白そう。
ユベール・ロベール<ぶらんこ>
でも、これはいじめだと思う。
最終日に滑り込みしてきました。
ヴェスヴィオ山の噴火は、ポンペイなど周辺の町に甚大な被害をもたらしました。
降灰、火砕流によって、ポンペイやヘラクラネウムは、町の建物と一緒に古代ローマの生活まるごと埋もれてしまった。
それが、18世紀になって地面の下から新たに発掘されると、この発見はヨーロッパ世界に大きな衝撃を与え、一大社会現象となり、古典古代ブームを巻き起こし、新古典主義の隆盛に一役かったのでした。
その18世紀の人々も驚かせたような美しい壁画の数々、それを「古代ローマはこんな優雅な生活水準でしたよ」みたいな歴史資料ではなく、あくまで絵画としての視点で光をあてた展示でした。
だから、注目されるのは、歴史や社会背景云々より、様式や描かれたるもの。
美術史大好きな歴史弱いめ人間なので、ポンペイの壁画の様式の変遷の詳しい説明は、大好物でした。むしろこういうの求めてた…!
およその時代順に第1様式から第4様式まであって、一通り実物を見ることが出来ました。(ただ、ポンペイ周辺だけに的を絞った展示なので、この第1から第4までの様式が、ナポリ限定なのか、ローマの壁画美術全体に言えることなのかまでは、分からなかった。これは要勉強です。)
一応様式の見分け方メモ。
●第1様式 前2世紀~前80年くらい
漆喰に色大理石風の模様を描いたもの。
これはギリシアの宮殿建築の模倣で、本物の大理石で化粧張りすると非常に高価になるので、漆喰で安価に再現しようようという意図。
●第2様式 前80~前15年くらい
建築モチーフをだまし絵的に描く。
後のルネサンスほど、正確な遠近法を用いる訳ではないが、現実世界と壁画の世界がひとつながりとなるよう描かれている。
そして壁画の遠近法の奥に、神聖な空間が続いていることを暗示している。
モチーフになるのは、舞台装置や祠(アエティグラ)。
たとえば、天井の梁や格子模様とか。描かれた柱と柱の間に、鮮やかな青空を背景に、見上げる視点で神殿を描いたり。柵が描かれて、その向こうには庭がある。とか。
●第3様式 前15~後50
うってかわって平面的で装飾的になる。
グロテスク模様や花綱飾りで平面を軽快に区切り、空想的で遊戯的な画面構成。
そうして出来た空間の真ん中に、画中画として、完結しら風景画や神話画を描く。
●第4様式 後50~
今までの第1~3様式までの美味しいところ総取り。全ての様式が一度に盛られるようになる。
第3様式の平面的な構図をベースとして、第1様式の色大理石模様と、第2様式のだまし絵的建築画が部分的に見られる。ネロの黄金宮がこの様式らしい。
全体の感想。
完全に倒錯した感想だけれども、ルネサンスのフレスコ壁画みたいだ、と思った。
もちろん、ローマ時代の壁画がルネサンスっぽいのではなく、ローマ時代の壁画を手本にしたルネサンスがローマっぽいのだけれど。
それから、バロック時代にも受け継がれた古典的な建築の要素とかが、古代ローマの壁画の中に描かれていた。
特に印象的だったのは、建物の屋根に謎の(笑)彫像が等間隔に並べられているものとか。ほら、バチカンの楕円の回廊の上とか、カンピドーリオの丘のカピトリーニ美術館の上とか、いっぱい人物彫像が立ってるじゃない、あんな感じのやつ。 (的確な専門用語で何て言うんでしょう?笑)
この倒錯した既視感。
いったい、どこでどう繋がっているんだろう?
目の前にあるポンペイの壁画は、ルネサンス時代にはまだ発見されていない。だから、例えばネロの黄金宮とか別のローマの壁画がルネサンスの装飾に取り入れられた。
他に具体的に何が手本なのか、私は知らないのだけど。
そのルネサンスの人達が見た古代ローマの壁画と、私が今見たポンペイの壁画が、どんな風にリンクしているのかは、私にはまだ分からない。
でもともかくも、古代ローマ時代の壁画は、ルネサンスに新たな解釈を加えて復興され、それが伝統となった18世紀に、またポンペイの壁画が当時の人達の前に姿を現し、再び古代ブームを呼ぶ。
このループ堪らないなあ(笑)
人間の背丈を超す大きさの壁画が、床に垂直に立てられ、当時を再現するように展示されたりして、そういう図版を見ただけでは分からない、大きさ、遠近感といったものが体験出来て、見に行ってよかったな、と思ったのでした。
一番好きだったのは、神殿のある風景が描かれた壁画。その名も「牧歌的神域風景と静物」。小高い丘に大きな門があって、その向こうに神殿がある。遠くにはイタリアらしく真っ直ぐ高く伸びる糸杉。←糸杉は私にとってイタリアへの憧れを掻き立てる存在なのです。
第3様式の画中画だけがそのまま切り取られたもの。発掘された18世紀の額装で展示されてる。それは装飾のないシンプルな茶色い枠で、他にも同じような額のものは当時の発掘物なんだろうか?
理想の庭園を描いたものの一部を切り取ったものなども。
鳥は種類が分かるように描かれ、エジプト趣味を反映したコブラvsアオサギ図などもあった。やっぱり異国情緒って大事な要素よね。
ナポリ王国主導で行われた18世紀の発掘というものは、多分に美的な判断が行われていたらしい。
というのも、枠にいれて絵になるように、壁画をトリミングしたり、同じ壁画の別の部分を綺麗に組み合わせたりして、ちょっと作ってしまう。
そして、不要な部分(!)は運が良ければ人手に渡り、しかし大半は砕かれて棄てられた、の由。
うわー現代からは考えられない発掘法(笑)
買ったポストカードでも。
踊るマイナス。テュルソス杖を片手に透ける衣を翻す姿。この透けてる感じが素敵!
やはり第3様式の一部。18世紀の発掘品で、当時版画化され、広く知られることとなった。この図像はさっそく当時の建築モチーフに取り入れられたそうです。
お食事処の壁画。
フェニックスと孔雀が描いてある。第4様式の一部。
PHOENIX FELIX ET TUの文字があるのがすごく気に入った。
フェニックスは幸せだ、そして君も。
トワル・ド・ジュイ(=ジュイの布)
それは18世紀に、ヴェルサイユ近郊の町、ジュイ=アン=ジョザスで生産された布で、コットンに木版や銅版で色々な模様がプリントされた素敵な布。
ごめんなさい!参考図版はトワル・ド・ジュイ展のホームページで願います(>_<)
http://toiledejouy.jp
いや、正直…ネットで拾える図像が、18世紀のオリジナルの布なのか、現代の普通の製品なのか、見分けがつかなくて(笑)
以下、細かい内容メモと、展示の感想です。
この展示の出発点は西洋にも日本にも、エキゾチックかつ馴染みのある、インドの布地。
洋の東西を問わず、いつだって、外国のエキゾチックな文物は大いに歓迎され、珍重されるものです。
トワル・ド・ジュイの源流には、そんな憧れと神秘の土地、東洋があったのでした。
インドでは古来から染められてきた木綿の染め物=更紗ですが、17世紀になって、それに目をつけた東インド会社が大量に商うようになりました。
展示資料は……うまいところ目を付けたなぁと思います。なぜなら、近世のインド更紗は、日本にも博物館資料が残っているから。海外から持ってくるより、展示物が集めやすいのではないかしら…。
赤毛人、つまり西洋の商人が貿易で日本にもたらしたインド更紗は、もちろん日本でも大人気。
西洋人の姿を描いた掛軸の表装が、西洋人のもたらすインド更紗だったり。(イメージぴったり!)
貿易記録として残してある端切れサンプル帳や、コレクション、また、襦袢に仕立てられ、棗入れや巾着となった形でも、その昔西洋人を魅了した18世紀辺りのインド更紗が、大事に保管されて沢山残っている。
豆本の形の端切れ見本とか、繊細な出来栄えにかなり感動した。趣味の極みって感じ。
インドの柄は、たしかにエキゾチックだけれども、繊細な唐草模様や花鳥文は、普通に、今すぐスカートにでもカーテンにでも、なんでも使えそう。
しかもエスニック調とかそういう癖のある感じじゃなく、日常生活にそこそこ馴染む形で。
生地屋さんで今も買えそうな親近感。(笑)
それもそのはず、制作者たるインドの側でも、輸出用に外国人好みの模様をプリントするようになったということです。
いや、今そのまま売っても普通に売れるって。
多分、18世紀のフランスでも「外国のセンスが素敵で、しかも使いやすい。コットンだから洗濯も楽ちん。」という感覚は、あまり変わらなかったんじゃないかと思える。
さて、この「ウォッシャブル」という機能は、それまで羊毛や絹で服を作っていた西洋人にとって衝撃だったとか。
…えーーなんとかして洗ってるものと思ってたけど、上着は洗ってないの…! いや、その辺の洗濯事情気になるよ?
さて、東インド会社が交易するインド更紗は、フランス国内で余りに売れすぎたため、1686年から1759年まで、「インド更紗禁止令」が出されてしまいます。作るのもだめ、輸入もだめ、服に仕立てて着るのもだめ。
外交戦略なのかな。東インド会社をぼろ儲けさせ、国内の他生地産業が駆逐されてしまう恐れがあったのでしょう。
が、素人目に見ても、良策とは思えないこの法令は、結局、関連産業の技術の発展を妨げ、密輸を増やし、国内自給率を下げてしまったそう。
ついに解禁されたときは、産業革命を迎えた18世紀後半。
早速、みんな大好きなインドの更紗っぽいものをフランスで作ることにしたものの、長らく禁止されていたため、フランスには技術者がいなくなっていました。
そこで、更紗工場に投資しようと目論んだ銀行家コタンは、スイスから若き染色職人のクリストフ=フィリップ・オーベルカンプを招聘します。
技術はあれど資金のないオーベルカンプは、コタンの出資により、1760年、わずか5人の従業員とジュイ・アン・ジョザスで工場を始めました。
そこはヴェルサイユ近郊の村。染料を洗う豊富な水があり、布を乾かす広い草原があり、そして華やかな顧客たちからも近い土地だったそうです。
当時の工場の様子が伺える資料が2点。
ナポレオンが工場を視察しに来たときの様子を描いた絵と、製造過程がデザインされた柄の製品。
製造工程柄って面白い。色々な職人さんたちが働いている生き生きとした模様でした。
ジャン・バティスト・ユエ〈ジュイ=アン=ジョザスのオーベルカンプの工場〉
(少し気になったのは、どちらの図像にも息子を伴って描かれていたことで、多分現実にいつも息子と一緒の場面が見られたのだろうけれど、親父と幼い息子だけが仲良く登場ってちょっと珍しいかも、と。母親と子供セットはよくあるけど、それに比べると父親とセットって少ないように思うのよね。
時代が時代だけに、ルソーの教育論(イクメン推奨)にでもかぶれたんだろうか、とそぞろ思った。ま、完全に当てずっぽうで(笑)考えても答えは出ませんけど。)
インド更紗を模倣して、木版プリントから始まったトワル・ド・ジュイ。
東洋イメージは得意分野です。
創業者手ずから版木をデザインしたという、当時流行の中国風東屋の間に中国人風の人物がいる図柄が愛らしい。
また中国人の優雅な魚釣り図とか。素朴味のある木版と、中国のファンタジーがよく合っている。
「中国の瓦屋根型文様」という柄が、大好きだった。かなり不規則に鱗や瓦のような区切りがぐちゃっと重なっているデザインで、その瓦の間に鳥や草花が描かれている、賑やかでややテンションの高い図柄。
こういう非対称に崩れた幾何学?模様ってやっぱりいいなー。私が何でロココが好きって、こういう容赦なく非対称なセンスにもある訳です。
素朴な木版、とはいえ、細かいドットで装飾的な中間色を作ったり、遠近感を出したり。
木版でドットって…版木はひたすら点々を残して周りを彫ったってことだから、結構版木作るの大変そう。
そして後に、デザイナーとして王立絵画彫刻アカデミー会員、実力派の動物画家、ジャン・バティスト・ユエを起用。ユエはブーシェの孫弟子だそう。
目の肥えたヴェルサイユの客たちに対する、ジュイ製品のデザインの高い意識が伺えます。
トワル・ド・ジュイというと、代表的な模様は、そんなユエがデザインした、銅版印刷による、いかにもロココ調な廃墟に羊飼い、農民の暮らしや田園の楽しみやp優雅なお散歩など、繊細な陰影がより写実的で、ストーリー性のある単色の模様。
だけれど実は、インド更紗を模した木版印刷の方が、もっと図案化された柄が多いそう。
いわれてみれば、そういう柄の方が使いやすい。
一連の黒地に小さなお花の模様は、大ヒットした図柄だそうで、同じようだけれど、少しずつ違うデザインがいくつもありました。
その名も「グッド・ハーブス」(何で愛称は英語なのかな?)
何がグッドかというと、お金的にグッド=よく売れる、という意味らしい(笑)
黒い地によく馴染む暗い緑色と、小さなお花の鮮やかな赤や黄色。
色彩としては、ウィリアム・モリスの可愛いやつ、みたい。
その隣に展示されているのは、グッド・ハーブス柄の生地を用いた黒いケープ。
可愛い! 手縫い! 一体何メートル手縫いでフリル寄せてるの!(笑)
なるほど、派手からず地味からず、結構使いやすそうな生地だなぁ。
さらには、ジュイ布の軽快なローブ・ア・ラングレーズが展示されていました。
記録から、マリーアントワネットがこのような感じのドレスを持っていたと推測されるそうです。
一国の王妃が、木綿のプリント生地という質素な装束を纏うのは、革新的なことだったということです。
王妃らしからぬ、臣下のものと大して変わらない格好。長らく見た目で身分を表す機能を担ってきた衣服が、快適性に道を譲ったってことかなー。人間的な世紀だもの(笑)、美しく装うことは人間的なことだけど、人体が服に押し込めらてしまっては人間的ではないものね、うん。
同じ空間に、キルティングのスカート。それと、赤い薄手の綿布を用いたアンピール様式の軽やかなドレス。これなら、あと一歩で現代にも着れそう。
和服の襦袢もだけど、服飾ねた、大好きです。
具体的にものがジュイ布で作った服が遺っているっていいな。どれくらいの値段で作れたのかな。
さて、いかにもジュイ布という感じの繊細な銅板印刷柄。
廃墟に羊飼い模様とか、いやもう、廃墟に羊飼いって最強でしょ。
伝統的な主題だった牧人のいる風景。この展示ではそうした「田園趣味」を一応のテーマとして、それがファブリックという、公共向けの商品にどのように展開されたかを追います。
過去に何度も書いているけれどもまた繰り返すと(飛ばしていいです、この下り・笑)
ざっくり田園というのは、理想郷・悦楽境を想起させる記号です。
そこは人間と自然が理想的に調和した美しい場所で、無垢で満ち足りた人達が暮らしているとされるのでした。
大切なのは、彼らは家畜の世話や農作業の合間に、自由に恋愛をし、笛を吹き歌を歌って過ごしていることです。
古代ギリシアやローマで「快適な場所」として謳われた田園。その後、キリスト教的な意味でエデンの園や無垢な羊飼いというイメージが乗っかり、古典復興のルネサンス以降、西洋世界で絶大な憧れを掻き立てて止みませんでした。
18世紀までは、まだ大規模に発掘されてなかったローマのフォロ・ロマーノで、半分土に埋もれ、草木にまみれた廃墟の間に、牛が放牧されていたそうです。まさにリアル・アルカディア。
18世紀初頭でも憧れであり続けた美しく自由な田園。
世紀後半にかけては、抑圧された人間関係や環境汚染で暮らしにくい「都市」は悪で、そういう人間の手の余り加わらない「田園」は善という対比が鋭く強調されて、田園趣味に磨きをかけます。
さて、1738年に古代ローマの町ヘルクラネウムが、1748年にポンペイが新たに発見されると、それで巻き起こった古代ブームやら、イタリア旅行ブームやらが、伝統的な田園趣味に合流します。
この時代の田園趣味って、18世紀の夢が全部詰まってるよね。
それは、アルカディアの夢をもはや見られなくなった現代人にとっても、まだ十分(現代人なりにも)通用する夢だと思うのよね。
脱線した。
気球柄は、時事ねたを盛り込んだ柄。水素式熱気球の有人飛行に初めて成功した事件を受けてのデザインです。
面白いのが、地面に降りた怪しい物体(潰れた気球)に、地元の農民たちが襲い掛かっているシーン。本当のエピソードなのかな~。襲ってる農民の啓蒙されてない感じに滑稽味があります。
興味深い、アメリカ独立に関連する柄など。
自由の擬人像が描かれた古典調のメダイヨンと、その周りに田園柄が配されている。田園=人間らしく自由に暮らせる心地よい場所ってメッセージと受け取っちゃう(笑)
こうした銅板のデザインには、しっかり時代の流行が反映されていました。
いかにもロココ調な、庭園の木々が不規則気まぐれに図柄を縁どるような模様から、展示の最後の方は、メダイヨンや古代のモチーフが垂直水平に配される、幾何学的なデザインへ。
ユエさん、きっちり時代に乗るいい仕事してる!
とはいえ、誤解なきように言えば、そもそも、ジュイ布発祥の時代って、ロココの盛期は過ぎようとして、既に新古典が興っているあたり。
革命を経た1800年代に入ってもなお、ロココ味強いめの田園風がデザインされたりしているので、もちろん上記のデザインの変遷は厳密なものではありません。
田園モチーフは、もとはギリシア・ローマの古典由来のものなので、ロココの時代のあとの新古典主義の時代でも、需要はあったのだと思う。本当、田園趣味ってこの時代を貫く価値観で面白いなあ。
やはり、今でいうレトロ好きもまだいたのかも? ちょっと流行遅れ?の田園柄で古き良き時代を懐古するなんて人もいたのかなぁ。
とりあえずは、全体に感じたこと。
トワル・ド・ジュイって、わざとユルいめを狙っているんじゃないか、と思った。
デッサンや技巧が完璧すぎてはいけないような気がする。
不細工な鳥だったり、おもちゃみたいな空想の中国だったり、崩れたヴァトー風だったり、現実味のない田園趣味だったり、時事ネタに飛びついてみたり。
大事なのは、技巧より遊び心。色彩と形の戯れ。芸術的崇高より、愛想のよさ。
崇高な完璧さは、人を圧倒しある意味引かせてしまう、一方で、どこか不完全なものの方が愛らしく、共感を呼ぶ。毎日一緒に人間と快適に暮らせるのはこういう愛らしいやつらなのです。
最後の方で、関連事項として、ジュイ更紗と同じ、木版印刷のテキスタイルたるウィリアム・モリスが展示されていたけど(確かに似ている!)、両者比べても18世紀のジュイ布の方が、ゆるくて、甘い。
やっぱり、時代全体の好みとして、18世紀ってちょっとゆるい寛いだスタイルが好きなんだろうなぁー、と改めて思ったのでした。
それにしても、トリで一緒に飾られていたデュフィのデザインは本当、感動的にうまい。フォーヴな線の躍動感と色の調和と、それが繰り返されても煩くない心地よさと、お洒落な遊び心たっぷり。いや、ほんと、どこかとぼけたところがあるけど、かつスタイリッシュ。なんてお洒落。
西洋美術館の常設の新規収蔵作品が、死ぬほど気に入った。
エヴァリスト・バスケニス<楽器のある静物>
楽器のある静物。←とりあえず楽器萌え
見てよ、この左側のリュート!
埃をかぶったのを、机の上に運んだ時についた指の跡まで描写してる…!
ああ、私の携帯カメラの画質の悪さとカメラスキルのなさよ……この写真では分かりにくいですが…(もうみんな本物見て…!(笑))
先のモランディ(1890-1964)の展覧会に行ったとき、モチーフに積もる埃も静物の大切な要素なのだ、と解説にあった。
ものに積もった埃は、色彩の微妙な変化をもたらすだけでなく、そのものに毎日少しずつ埃が積もるだけ流れた時間をも表す、のだそう。で、格好いいじゃないか、と感心してきたばかりです。
つまり、バロック時代のこの埃をかぶったリュートの絵も、この埃が積もるまでの時の流れが描かれている、と言うことが出来るのです!
(画家にモランディと同じ意図があったか定かでないが…!)
リュートの上の埃。
この埃が積もる間、このリュートは誰に弾かれることもなく、前面を下にして置きっぱなしにされていた。
本来、楽器は人間が触れて音を出すもの。埃が積もることで、人間の不在を感じられます。
これには、ある建築物が、人間が使わなくなったために廃墟と化す、廃墟の美学に通じる詩情がある。
時の流れと、人との関係の希薄さ。
時間ばかりではなく、楽器と人間の関係性まで語りだす埃。
裏返しの楽器。消え去った音楽の時間。控え目に漂うヴァニタスの気配。
そればかりか、埃にくっきり付いた手形は、放置されたリュートを画家が手に持って台に運ぶ、という動作まで物語っている。
埃すごい! そして、埃を完璧に描写するバスケニスの腕前。バスケニス大好きになった。
バスケニス以外にも埃を描く人っているのかな? これだけ面白いモチーフなんだから、他にも描いてる人がいそう。
……他にもこの静物画には要素いっぱいあるのに、埃だけ語りすぎた(笑)
埃の積もったリュートは、この画家のお気に入りのモチーフだったみたい。
もしかしたら、画家はこの埃を「育て」ていて、誰かが掃除してくれようとしたらば必死の形相で止めに入って、誰かが掃除してくれてしまったならば殆ど泣きそうになって、この世の無常と存在の儚さを噛み締めたのかも知れない。
というのは妄想です。