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○なんせんす・さむしんぐ○

美術や音楽の感想とか、動物中心のイラストのブログ。

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西洋更紗 トワル・ド・ジュイ展感想

トワル・ド・ジュイ(=ジュイの布)

それは18世紀に、ヴェルサイユ近郊の町、ジュイ=アン=ジョザスで生産された布で、コットンに木版や銅版で色々な模様がプリントされた素敵な布。

 ごめんなさい!参考図版はトワル・ド・ジュイ展のホームページで願います(>_<)
http://toiledejouy.jp
 いや、正直…ネットで拾える図像が、18世紀のオリジナルの布なのか、現代の普通の製品なのか、見分けがつかなくて(笑)


 以下、細かい内容メモと、展示の感想です。

 この展示の出発点は西洋にも日本にも、エキゾチックかつ馴染みのある、インドの布地。
 洋の東西を問わず、いつだって、外国のエキゾチックな文物は大いに歓迎され、珍重されるものです。
 トワル・ド・ジュイの源流には、そんな憧れと神秘の土地、東洋があったのでした。

 インドでは古来から染められてきた木綿の染め物=更紗ですが、17世紀になって、それに目をつけた東インド会社が大量に商うようになりました。

 展示資料は……うまいところ目を付けたなぁと思います。なぜなら、近世のインド更紗は、日本にも博物館資料が残っているから。海外から持ってくるより、展示物が集めやすいのではないかしら…。

 赤毛人、つまり西洋の商人が貿易で日本にもたらしたインド更紗は、もちろん日本でも大人気。

 西洋人の姿を描いた掛軸の表装が、西洋人のもたらすインド更紗だったり。(イメージぴったり!)
 貿易記録として残してある端切れサンプル帳や、コレクション、また、襦袢に仕立てられ、棗入れや巾着となった形でも、その昔西洋人を魅了した18世紀辺りのインド更紗が、大事に保管されて沢山残っている。
 豆本の形の端切れ見本とか、繊細な出来栄えにかなり感動した。趣味の極みって感じ。

 インドの柄は、たしかにエキゾチックだけれども、繊細な唐草模様や花鳥文は、普通に、今すぐスカートにでもカーテンにでも、なんでも使えそう。
 しかもエスニック調とかそういう癖のある感じじゃなく、日常生活にそこそこ馴染む形で。
 生地屋さんで今も買えそうな親近感。(笑)

 それもそのはず、制作者たるインドの側でも、輸出用に外国人好みの模様をプリントするようになったということです。
 いや、今そのまま売っても普通に売れるって。

 多分、18世紀のフランスでも「外国のセンスが素敵で、しかも使いやすい。コットンだから洗濯も楽ちん。」という感覚は、あまり変わらなかったんじゃないかと思える。

 さて、この「ウォッシャブル」という機能は、それまで羊毛や絹で服を作っていた西洋人にとって衝撃だったとか。
 …えーーなんとかして洗ってるものと思ってたけど、上着は洗ってないの…! いや、その辺の洗濯事情気になるよ? 


 さて、東インド会社が交易するインド更紗は、フランス国内で余りに売れすぎたため、1686年から1759年まで、「インド更紗禁止令」が出されてしまいます。作るのもだめ、輸入もだめ、服に仕立てて着るのもだめ。

 外交戦略なのかな。東インド会社をぼろ儲けさせ、国内の他生地産業が駆逐されてしまう恐れがあったのでしょう。

 が、素人目に見ても、良策とは思えないこの法令は、結局、関連産業の技術の発展を妨げ、密輸を増やし、国内自給率を下げてしまったそう。
 ついに解禁されたときは、産業革命を迎えた18世紀後半。
 早速、みんな大好きなインドの更紗っぽいものをフランスで作ることにしたものの、長らく禁止されていたため、フランスには技術者がいなくなっていました。

 そこで、更紗工場に投資しようと目論んだ銀行家コタンは、スイスから若き染色職人のクリストフ=フィリップ・オーベルカンプを招聘します。
 技術はあれど資金のないオーベルカンプは、コタンの出資により、1760年、わずか5人の従業員とジュイ・アン・ジョザスで工場を始めました。

 そこはヴェルサイユ近郊の村。染料を洗う豊富な水があり、布を乾かす広い草原があり、そして華やかな顧客たちからも近い土地だったそうです。

 当時の工場の様子が伺える資料が2点。
 ナポレオンが工場を視察しに来たときの様子を描いた絵と、製造過程がデザインされた柄の製品。
 製造工程柄って面白い。色々な職人さんたちが働いている生き生きとした模様でした。

ジャン・バティスト・ユエ〈ジュイ=アン=ジョザスのオーベルカンプの工場〉

 (少し気になったのは、どちらの図像にも息子を伴って描かれていたことで、多分現実にいつも息子と一緒の場面が見られたのだろうけれど、親父と幼い息子だけが仲良く登場ってちょっと珍しいかも、と。母親と子供セットはよくあるけど、それに比べると父親とセットって少ないように思うのよね。
 時代が時代だけに、ルソーの教育論(イクメン推奨)にでもかぶれたんだろうか、とそぞろ思った。ま、完全に当てずっぽうで(笑)考えても答えは出ませんけど。)


 インド更紗を模倣して、木版プリントから始まったトワル・ド・ジュイ。

  東洋イメージは得意分野です。
 創業者手ずから版木をデザインしたという、当時流行の中国風東屋の間に中国人風の人物がいる図柄が愛らしい。
 また中国人の優雅な魚釣り図とか。素朴味のある木版と、中国のファンタジーがよく合っている。

 「中国の瓦屋根型文様」という柄が、大好きだった。かなり不規則に鱗や瓦のような区切りがぐちゃっと重なっているデザインで、その瓦の間に鳥や草花が描かれている、賑やかでややテンションの高い図柄。
 こういう非対称に崩れた幾何学?模様ってやっぱりいいなー。私が何でロココが好きって、こういう容赦なく非対称なセンスにもある訳です。

 素朴な木版、とはいえ、細かいドットで装飾的な中間色を作ったり、遠近感を出したり。
 木版でドットって…版木はひたすら点々を残して周りを彫ったってことだから、結構版木作るの大変そう。


 そして後に、デザイナーとして王立絵画彫刻アカデミー会員、実力派の動物画家、ジャン・バティスト・ユエを起用。ユエはブーシェの孫弟子だそう。
 目の肥えたヴェルサイユの客たちに対する、ジュイ製品のデザインの高い意識が伺えます。

 トワル・ド・ジュイというと、代表的な模様は、そんなユエがデザインした、銅版印刷による、いかにもロココ調な廃墟に羊飼い、農民の暮らしや田園の楽しみやp優雅なお散歩など、繊細な陰影がより写実的で、ストーリー性のある単色の模様。

 だけれど実は、インド更紗を模した木版印刷の方が、もっと図案化された柄が多いそう。
 いわれてみれば、そういう柄の方が使いやすい。

 一連の黒地に小さなお花の模様は、大ヒットした図柄だそうで、同じようだけれど、少しずつ違うデザインがいくつもありました。

 その名も「グッド・ハーブス」(何で愛称は英語なのかな?)
 何がグッドかというと、お金的にグッド=よく売れる、という意味らしい(笑)

 黒い地によく馴染む暗い緑色と、小さなお花の鮮やかな赤や黄色。
 色彩としては、ウィリアム・モリスの可愛いやつ、みたい。


 その隣に展示されているのは、グッド・ハーブス柄の生地を用いた黒いケープ。
 可愛い! 手縫い! 一体何メートル手縫いでフリル寄せてるの!(笑)

 なるほど、派手からず地味からず、結構使いやすそうな生地だなぁ。

 さらには、ジュイ布の軽快なローブ・ア・ラングレーズが展示されていました。

 記録から、マリーアントワネットがこのような感じのドレスを持っていたと推測されるそうです。
 一国の王妃が、木綿のプリント生地という質素な装束を纏うのは、革新的なことだったということです。

 王妃らしからぬ、臣下のものと大して変わらない格好。長らく見た目で身分を表す機能を担ってきた衣服が、快適性に道を譲ったってことかなー。人間的な世紀だもの(笑)、美しく装うことは人間的なことだけど、人体が服に押し込めらてしまっては人間的ではないものね、うん。

 同じ空間に、キルティングのスカート。それと、赤い薄手の綿布を用いたアンピール様式の軽やかなドレス。これなら、あと一歩で現代にも着れそう。

 和服の襦袢もだけど、服飾ねた、大好きです。
 具体的にものがジュイ布で作った服が遺っているっていいな。どれくらいの値段で作れたのかな。

 さて、いかにもジュイ布という感じの繊細な銅板印刷柄。

 廃墟に羊飼い模様とか、いやもう、廃墟に羊飼いって最強でしょ。

 伝統的な主題だった牧人のいる風景。この展示ではそうした「田園趣味」を一応のテーマとして、それがファブリックという、公共向けの商品にどのように展開されたかを追います。

 過去に何度も書いているけれどもまた繰り返すと(飛ばしていいです、この下り・笑)
 ざっくり田園というのは、理想郷・悦楽境を想起させる記号です。

 そこは人間と自然が理想的に調和した美しい場所で、無垢で満ち足りた人達が暮らしているとされるのでした。
 大切なのは、彼らは家畜の世話や農作業の合間に、自由に恋愛をし、笛を吹き歌を歌って過ごしていることです。


 古代ギリシアやローマで「快適な場所」として謳われた田園。その後、キリスト教的な意味でエデンの園や無垢な羊飼いというイメージが乗っかり、古典復興のルネサンス以降、西洋世界で絶大な憧れを掻き立てて止みませんでした。

 18世紀までは、まだ大規模に発掘されてなかったローマのフォロ・ロマーノで、半分土に埋もれ、草木にまみれた廃墟の間に、牛が放牧されていたそうです。まさにリアル・アルカディア。

 18世紀初頭でも憧れであり続けた美しく自由な田園。

 世紀後半にかけては、抑圧された人間関係や環境汚染で暮らしにくい「都市」は悪で、そういう人間の手の余り加わらない「田園」は善という対比が鋭く強調されて、田園趣味に磨きをかけます。

 さて、1738年に古代ローマの町ヘルクラネウムが、1748年にポンペイが新たに発見されると、それで巻き起こった古代ブームやら、イタリア旅行ブームやらが、伝統的な田園趣味に合流します。


 この時代の田園趣味って、18世紀の夢が全部詰まってるよね。
 それは、アルカディアの夢をもはや見られなくなった現代人にとっても、まだ十分(現代人なりにも)通用する夢だと思うのよね。

 脱線した。


 気球柄は、時事ねたを盛り込んだ柄。水素式熱気球の有人飛行に初めて成功した事件を受けてのデザインです。
 面白いのが、地面に降りた怪しい物体(潰れた気球)に、地元の農民たちが襲い掛かっているシーン。本当のエピソードなのかな~。襲ってる農民の啓蒙されてない感じに滑稽味があります。

 興味深い、アメリカ独立に関連する柄など。
 自由の擬人像が描かれた古典調のメダイヨンと、その周りに田園柄が配されている。田園=人間らしく自由に暮らせる心地よい場所ってメッセージと受け取っちゃう(笑)


 こうした銅板のデザインには、しっかり時代の流行が反映されていました。

 いかにもロココ調な、庭園の木々が不規則気まぐれに図柄を縁どるような模様から、展示の最後の方は、メダイヨンや古代のモチーフが垂直水平に配される、幾何学的なデザインへ。

 ユエさん、きっちり時代に乗るいい仕事してる!

 とはいえ、誤解なきように言えば、そもそも、ジュイ布発祥の時代って、ロココの盛期は過ぎようとして、既に新古典が興っているあたり。
 革命を経た1800年代に入ってもなお、ロココ味強いめの田園風がデザインされたりしているので、もちろん上記のデザインの変遷は厳密なものではありません。

 田園モチーフは、もとはギリシア・ローマの古典由来のものなので、ロココの時代のあとの新古典主義の時代でも、需要はあったのだと思う。本当、田園趣味ってこの時代を貫く価値観で面白いなあ。
 やはり、今でいうレトロ好きもまだいたのかも? ちょっと流行遅れ?の田園柄で古き良き時代を懐古するなんて人もいたのかなぁ。


 とりあえずは、全体に感じたこと。

 トワル・ド・ジュイって、わざとユルいめを狙っているんじゃないか、と思った。
 デッサンや技巧が完璧すぎてはいけないような気がする。

 不細工な鳥だったり、おもちゃみたいな空想の中国だったり、崩れたヴァトー風だったり、現実味のない田園趣味だったり、時事ネタに飛びついてみたり。

 大事なのは、技巧より遊び心。色彩と形の戯れ。芸術的崇高より、愛想のよさ。

 崇高な完璧さは、人を圧倒しある意味引かせてしまう、一方で、どこか不完全なものの方が愛らしく、共感を呼ぶ。毎日一緒に人間と快適に暮らせるのはこういう愛らしいやつらなのです。

 最後の方で、関連事項として、ジュイ更紗と同じ、木版印刷のテキスタイルたるウィリアム・モリスが展示されていたけど(確かに似ている!)、両者比べても18世紀のジュイ布の方が、ゆるくて、甘い。

 やっぱり、時代全体の好みとして、18世紀ってちょっとゆるい寛いだスタイルが好きなんだろうなぁー、と改めて思ったのでした。

 それにしても、トリで一緒に飾られていたデュフィのデザインは本当、感動的にうまい。フォーヴな線の躍動感と色の調和と、それが繰り返されても煩くない心地よさと、お洒落な遊び心たっぷり。いや、ほんと、どこかとぼけたところがあるけど、かつスタイリッシュ。なんてお洒落。

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