Et ego in Arcadia!
イタリア旅行記を書くにあたっては、この言葉から始めないとなりません。
18世紀に大流行したイタリアへの旅行は、まさしくこの言葉がテーマだったように思います。少なくとも、私にそうだと錯覚させるには十分なほど、18世紀の私の愛する人たちはみんな、絵なり文章なり音楽なり、それぞれのやり方で口ぐちにイタリアを褒め称え、イタリアへの愛を表明しています。
イタリアこそが愛と詩と美と夢の神話の地アルカディアであると。
素晴らしい「イタリア紀行」をものしたゲーテ氏も、その一人でした。
イタリア紀行の記述によると、彼は悪魔とロマンの北国(笑)ドイツにいて、夢のイタリア行きたい病に感染し、ついには夢のイタリアに自分がいないジレンマに一葉のイタリアの版画さえも見られなくなり、この病を治すにはイタリアに行くしかないと決心した、ということです。
ゲーテのイタリア紀行の素晴らしいところは、人間の情念の塊であるロマンに疲れていたゲーテが、イタリアの旅行を通して、何か新しい自分へと「再生」していく、そんな様子が(おそらく意図的に)追体験できるように描かれていることです。
そもそもゲーテはイタリアこそが自分を再生へと導く、そんな国だと思い定めていたのでした。
ゲーテだけでなく、旅行者はみんなイタリアに対して、初めから先入観としてアルカディア色のフィルターを掛けています。
そのアルカディア・フィルター、あるいは現実の風景をわざと理想風景画風に映し出すというクロード・グラス的なものが余りに美しかったので、いつのまにか私自身もすっかりちょっとしたイタリア病には掛かっていたのでした。
参考:ゲーテにイタリア病を感染された過去記事
さて、イタリア旅行の記事を書くにあたって、とりあえず書き出しだけは壮大にしておこうと思って、このような能書きをでっち上げてみましたが、この書き方を100倍に希釈したのが、実質4日の当イタリア滞在記録でございます。
イタリアが美術に与えた影響は今更言うまでもないし、言うには大きすぎる問題なので言わないけれど、ようするに、西洋の美術が好きな人間は、イタリアを避けては通れない訳で、イタリアであるというだけで、旅行に出かける動機になるという訳です。
ポケットにいっぱい遺跡や美術のかけらを詰め込んで、なるべく沢山持って帰りたいの。その断片で、庭にフォリーやグロッタを作るわ。その庭園の真ん中にはローマの噴水盤を。
カミーユ・コロー<ローマ、アカデミー・ド・フランスの噴水盤>
目次~~~~~
1、第1日目―ヴァチカン編
2、第1日目―ボルゲーゼ編
3、第1日目―バルベリーニ編
4、第2日目―ヴィラ・アドリアーナ(ハドリアヌス帝の廃墟)
5、第2日目―ヴィラ・デステ(エステ荘)前編・邸内
第2日目―ヴィラ・デステ(エステ荘)後編・庭園
6、第2日目―カラヴァッジョ、ベルニーニ、ボロミーニの為のバロック聖堂巡り
7、第3日目―ボマルツォ怪物公園
8、第3日目―チヴィタ・バニョレージョ、
9、第3日目―オルヴィエート
10、第4日目―サン・ピエトロ大聖堂、コロッセオ、フォロ・ロマーノ、気ままに町歩き、サンタ・マリア・マッジョーレ
予め言っておかなければならないのは、上の記事はすべて主観のみの産物だということです。正確な観光情報などは全く含みませんので、ご了承くださいませ。