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○なんせんす・さむしんぐ○

美術や音楽の感想とか、動物中心のイラストのブログ。

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1、クープランの<シテール島の鐘>をヴァトーの<シテール島の巡礼>で考える。

名画で読み解くクープラン。なんて言えれば格好いいのですが、これもただいつもの習慣通り、自分の空想の断片を好き勝手に積み重ねたものであります。

 ただ純粋に、あーーーシテール島素敵だわ~という乙女心の所業です。ではありますが、ご興味の方はお聞きくださいますとうれしく思います。

 長くなったので目次。
1、クープランの第14組曲<シテール島の鐘>への違和感。
2、そもそもシテール島とは。ヴァトーのシテール島の解釈いろいろ。
3、続ヴァトーのシテール解釈。結局シテール島へ行くのか、帰るのか。
4、クープランの第14組曲の鳥たち。鳥と愛の寓意。
※ 、カリヨンって何?2人は仲良し?ヴァトーの唯一の?チェンバロ絵が大好きだ、など。

 はい、そうです。シテール島といえば、ヴァトー。
 ヴァトーを手掛かりにクープランを読みといてみたいという、ありがちな(笑)誘惑に勝てませんでした。
 また、ところどころの※印は蛇足でして、注…ではないけど、ちっとも話が進まなくなるために本文には入れられなかった脱線です。真面目に読むと確実に本文を見失うので、読んでも読まなくてもご随意にどうぞ。

 はて、能書きはこれくらいにして。

 クープランの名曲「Le Carillon de Cythère シテール島の鐘」。

 愛の女神ヴィーナスの島、シテール島へ巡礼にやってきた恋人たちの為に高らかに鳴らされる祝福の鐘。
 (※0)
 と何かのCD付属の解説書にはあった。他に解釈があるかどうかは知りません。
 今回は、まず前提としてこの解釈から始まります。

 ちょっと甘いかな? でも良い曲だよねぇ。

 ですが、私はそのタイトルにほんのりした違和感を持っていました。

 なぜって、カリヨン=メロディを奏でる鐘は、イメージ的にキリスト教の教会に設置されるものと思われたのです。(※1)

 なぜキリスト教世界の鐘が、異教の愛の女神の信徒たちを祝福して鳴るのだろうか?

 むしろ、清廉潔白が大好きなキリスト教と、愛欲の女神ウェヌスの相性がいいとは思えないのです。

 しかも時はロココ。
 クレヴィヨン・フィスの不倫小説とか、ラクロの危険な関係とか、実の無い恋愛で、まるで賭け事に興じるように、人の心を弄んで楽しむなんてテーマの作品を生み出した時代。
 人工的な美しい田園風景の中で、男女の戯れ合う雅宴画の時代。
 紋切り型に言えば、道徳フリーダムで、風俗紊乱で軽佻浮薄で、恋愛遊戯だの不倫上等だの、そういう野放図に浮気なヴィーナスの大活躍した時代。

 そんな愛の女神のお膝元シテールで雅宴画よろしくいちゃつく恋人たちはキリストの気に入るものだろうか。

 とはいえ、曲を聴けば、高らかな鐘の音が島じゅうあちこちに反響して、穏やかで幸福感に満ちた、どこか高揚感もあって、甘やかで軽やかで、背徳感なんて全くない、愛の喜びに満ちた胸きゅん曲。
 標語は「Agréablement, sans lenteur」
 心地よく、とか快適にとかそんな意味。で、遅くなく。悦楽境の風情です。

 そんな頭でっかちな違和感を抱くことさえ申し訳ない。。。

 そういう訳で、私は自分の見当違いな違和感と折り合いを付けるために、逆算して考えたのです。
 つまり、このシテールの島で繰り広げられる愛は、言ってしまえば聖なる愛なんだ。
 遊びなんかではなく、ましてや体目的でもなく、もちろん姦通ではなく、キリスト教も認めるような真っ当な真実の愛。
 世間的には認められない愛を女神に頼って成就させるため、巡礼と称して逃避行している訳ではない。

 そうじゃないと、教会が恋人たちを祝福するはずないもの。

 古くからヴィーナスには、天上のヴィーナスと地上のヴィーナスがいるとされています。

ティツィアーノ<天上の愛と地上の愛>
 で、この天上の愛は、キリストの父なる神様のいるイデアの領域に属する全き愛であって、地上の世俗的な、つまり一般人の知覚出来るごく一般的な愛を通して、人は至上の愛に至るという。この愛の力は人間が神と合一出来る原動力なんだとか。(って感じのことをエドガー・ウィントが言ってた気がするけど、こういう意味で言ってたか自信ない!(笑))

 シテール島のウェヌス神殿が、ただのウェヌスではなく天上のウェヌスに捧げられたものだとすれば、禁欲的なキリスト様だって文句言わないでしょ・・・。

 と、ネオプラトニズムがうんぬんかんぬんなんていえば、結構エッセイとして格好つく気はするのですが、ロココ調のクープランで、そういうルネサンス話に持っていくのも過剰解釈な気もしないでもないし、私本人もよく分からないし(この理由が大きい)。

 ま、異教とキリスト教の世界観が無理なく融合してるのに、新プラトン主義の影響を指摘出来るんじゃね?(←投げやり)


 それはともかく。

 絵画の世界で、このこじつけを援護してくれる論が存在しました。

 ヴァトー《シテール島への船出》情熱と理性の和解 三元社 著:ユッタ・ヘルト 訳:中村俊春

 ほぼ同時代の、同じシテール島がモチーフの作品です。(※2)

 ユッタ・ヘルトの解釈によると。
 ざっくりいうと、この絵に表わされているのは、「幸福な結婚」であるという。

 愛し合う二人が揃ってウェヌスを詣でることで、気まぐれな恋が終わり、調和のとれた愛によって結ばれる理想的な婚姻関係に至る、と。

 シテール島へ巡礼に行くこと=社会的に認められる結婚なら、キリスト教会がカリヨン鳴らしても問題ないよね!

 いいのかな、こんな私に都合のいい本が出版されて(笑)
 もちろん、これは1人の研究者の解釈であり、この論が確実に正しいとは言えないし、全ての研究者の賛同を得ている訳でもない。
 私には、この解釈の確実性や妥当性やを判断することは出来ませんが、素人としては、ほーなるほどなーと素直に感心しているものです。


 ということで、ヴァトーの絵の解釈とは。
 以下、都合のいいところをピックアップし、今回にこじつけます(笑)

次のページ>そもそもシテール島とは。ヴァトーのシテール島の解釈いろいろ。

-------目次-------
1、クープランの第14組曲<シテール島の鐘>への違和感。
2、そもそもシテール島とは。ヴァトーのシテール島の解釈いろいろ。
3、続ヴァトーのシテール解釈。結局シテール島へ行くのか、帰るのか。
4、クープランの第14組曲の鳥たち。鳥と愛の寓意。
※ 、カリヨンって何?2人は仲良し?ヴァトーの唯一の?チェンバロ絵が大好きだ、など。

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