前のページからの続き。
では、改めて我々の行き先、シテール島についてもう少し詳しいご説明をば。
フランス語でシテール、古代ギリシア語ではキュテラ。
愛と美の女神ウェヌス=ヴィーナスが海から生まれて流れ着いた島です。
ヴィーナスはときに「キュテレイア(キュテラの女神)」と呼ばれますが、つまりキュテラ島はウェヌスの土地なのです。
愛の女神の島なので、恋人たちの聖地とみなされ、シテール島へ行けば恋が成就すると言われます。
これがシテール島への愛の巡礼。
巡礼とは即ち、魂の救済を目的に、聖地へ旅立つこと。
つまり愛が魂を救済するのね! (っていうとロマン主義くさい(笑))
とはいえ、当時、恋愛結婚は滅多にありませんでした。
貴族はもちろんのこと、一般市民でも、お互いの家の利益が優先されました。
よく戯画にされるのが、貴族の地位が欲しい裕福な商人の家と、お金が欲しい貧乏な貴族の家の婚姻とか。
後継ぎが出来ればそれで夫婦の義務は果たされ、そいういう訳で、真実の愛を求めて(?)不倫に走る、と。
ですが、もちろん建前としては不倫は道徳上よろしくないこと。夫婦が相思相愛でお互いを愛情と友情と尊敬の内に支えあって、というのが理想の家族。
理想は理想で、あくまでも理想。
その一方で、反動のように、穢れない無垢な世界に絶大な憧れを寄せた時代でもありました。それを体現するとされたのが、羊飼いであったり、農民であったり、子供たちであったり。
農民や羊飼いなど素朴な人たちは、自由な恋愛を楽しみ、愛するから結婚をする、結婚と愛が直接に結びついている人種とされていたのでした。
フランソワ・ブーシェ〈音楽のレッスン〉
そして、羊飼いや農民のいる田園というのは、伝統的な牧歌の世界、つまり、異教の理想郷アルカディア、キリスト教ではクリスマスの羊飼いの礼拝の世界であり、無垢であるが故に罪がなく、虚飾で人間性を押圧する必要のない自由な世界です。
文明社会あるいは社交界の中にあっては、その維持の為に、人間の自己は抑制されなければならない。その抑制から開放されるのが、自然に抱かれつつ人間が暮らす場所、田園です。
(もっとワイルドな人跡未踏の自然だと命の危険があるので、田園や庭園といった人手の加わった場所が快適でちょうどいい。ロクス・アモエヌス(素敵な場所)ってやつです。参考:18世紀後半のアルカディアについて)
そうした田園的な世界観と、愛の女神の島というアイデアがいつの間にかミックス。
夢のような、というよりほとんど夢の中にしかない理想の愛の世界がシテール島となりました。
シテール島の愛は、現代人が思う以上に、当時の人にとって夢と現実の間のコントラストが大きかったんじゃないかなぁ、と妄想します。
さて、そんな愛の島をヴァトーはどう描いたか。
豊かに緑なす木々の中には何組かの男女。空には乱舞するキューピッド。丘の向こうには船が留まっている。その船の向こうは、薄靄に煙る雄大な景色。
茂みの中で語らう男女、木の下から立ち上がろうとする男女、立ち上がり船へ向かう男女、船に乗り込もうとする男女…。
いったいここは何処なのか、これからどこへ行こうとしているのか、今まで何をしていて、今何をしていて、これから何をするのか。
このヴァトーのシテール島は、描かれた当初から人々の想像力を掻き立て、さまざまに解釈されてきました。
この時代、画家本人が題名を付けるという習慣はなく、それなのに主題が曖昧で、この絵のタイトルを巡っては、同時代の人々さえちょっと困っていた様子がうかがわれます。
権威ある王立絵画彫刻アカデミーに入会するために、何度も提出期限をぶっちぎった末、1717年にようやく描かれたルーヴル版「シテール島」。
初めは、アカデミーの議事録で「Le pelerinage à l'isle de Citere(シテール島の巡礼)」というタイトルが付けられました。
その後、そのタイトルは打ち消し線で消され、よりニュートラルな「une feste galante(雅なる宴)」に修正されました。
その後も、「L'embarquement pour Cythère(シテール島への船出)」と呼ばれたり再び「シテール島の巡礼」と書かれたり、現在では……結局どんなタイトルになってるんだ?
シテール島を所蔵するルーヴル美術館のホームページを見てみました。
仏語→Pélerinage à l'île de Cythère
英語→Pilgrimage to Cythera
日本語→シテール島の巡礼
だそうです。
そしてもう一枚、自筆コピーの「シテール島」も存在し、ヴァトーの友人ジュリエンヌが注文したと推定され、その後フリードリヒ2世が買い、現在はベルリンのシャルロッテンブルク宮殿の所蔵となっています。
このベルリン版も、ほとんど同じ構図ではあるものの、船の形や、ヴィーナス像、人物の配置など、細部の大事なところがいろいろと変更されて、主題曖昧問題をより複雑にしています。
版画化され、一般の人が複写を見る機会の多かったのは、こちらのベルリンのシテールで、その版画のタイトルは、「L'embarquement pour Cythère(シテール島への船出)」だそう。このおかげで、最近までは「シテール島の船出」が優勢だったみたい。
もしかしたらヴァトーは、わざと曖昧にして空想の余地を残した、あるいはヴァトーさえ、そこまで明確なエピソードに基づく主題を考えていなかったのかも知れませんが、解釈を巡っては現在まで、
・一般的なタイトル通り、シテール島へ巡礼するために船に乗り込む場面だ。
・いやいや乗り込む前にカップルが誕生しているのだから、ここは既にシテール島でこれから船に乗って現実世界へ帰る場面だ(だからこの絵は儚い夢の終わりを描いているのだ)。←多分、現在一番人気。かな?
・いいや、2枚ある一方はこれからシテールに行く船で、もう一方が帰る船だ。
・つーか、シテールとかシテールじゃないとか、どうでもいいし。恋愛っぽい雰囲気を暗示してるだけさ。
とか、侃々諤々。
決定的な結論は、いまだ出ていないけれど、こういう研究史も含めてシテール島は面白い。
より詳細な来歴や研究史や解釈史などが気になる方は、インターネットで手軽に参照できるこちら纏まってるのでご参照ください。
ヴァトー『シテール島の巡礼』(ルーヴル美術館)再考 著:大野 芳材
ヴァトーの心、ひいては同時代の人たちのシテールへの考えを読み解く鍵は、文学にあるかもしれません。
次のページ>続ヴァトーのシテール解釈。結局シテール島へ行くのか、帰るのか。
-------目次-------
1、クープランの第14組曲<シテール島の鐘>への違和感。
2、そもそもシテール島とは。ヴァトーのシテール島の解釈いろいろ。
3、続ヴァトーのシテール解釈。結局シテール島へ行くのか、帰るのか。
4、クープランの第14組曲の鳥たち。鳥と愛の寓意。
※ 、カリヨンって何?2人は仲良し?ヴァトーの唯一の?チェンバロ絵が大好きだ、など。