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○なんせんす・さむしんぐ○

美術や音楽の感想とか、動物中心のイラストのブログ。

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西洋美術館のカラヴァッジョ展感想

会期終了を翌週に控えた日曜日、ようやく西洋美術館のカラヴァッジョ展へ行けたのでした。
 カラヴァッジョとカラヴァッジョの追随者たち50点あまり、十分な間隔を空けて。

 今回、展示全体でちょっと感じたことは、少し個人的な体験に基づくことでした。

 前にカラヴァッジョの洗礼者ヨハネが来たとき。
 
カラヴァッジョ〈洗礼者ヨハネ〉
 他のカラヴァッジョ以外の同時代の作品が、どちらかといえば理想化強めの、甘美な方向の作品が多かったためか、カラヴァッジョの写実は、聖人の人体が普通の人っぽくて――なるほど同時代の人が聖人なのに高貴さがなく卑近だと言ったように――少しどぎついものに感じたのでした。

 今回は、ほとんど真逆の印象を受けました。

 カラヴァッジョ前後の、カラヴァッジョ追随者たちと比べたら、ジプシーの娘も、肩を出した少年たちも、上品に見えた。

 全くものの見方は相対的で、定まらないものだなぁ(笑)

 たとえば、冒頭のカラヴァッジョとシモン・ヴーエ。
 どちらも占い師の絵。どちらも、大きめの画面に人物が腰辺りまで描かれ、画中の物語をクローズアップしている。
  
カラヴァッジョ〈女占い師〉、シモン・ヴーエ〈女占い師〉

 若いジプシー娘の占い師が、客の男の手を懇ろに取り、指先で手の皺をなぞったりして手相を見ている。
 カラヴァッジョのは身なりのいい紅顔の若者。ブーエのは歯を剥き出しにして、いかにも下卑た笑いを浮かべるおじさん。
 若い女の子に手相を見てもらうこの間に、青年は指輪を抜かれ、おじさんは仲間のジプシーおばあちゃんに後ろから財布を取られる。
 
 若い女性に男が騙される物語は面白く、好色が身を滅ぼすという、ちょっと教訓めいところもあります。
 こういう話の枠は演劇のストーリーによくあるもので、この絵の物語は、演劇の反映との由。

 カラヴァッジョのは貴族?の若者で、ブーエのはその辺の酔っ払いと、騙され役のお育ちの違いが、絵全体の見た目の上品さも左右している。
 ヴーエのは、現実の庶民の暮らしを強調して描いているのかな? 現代でもこういう窃盗犯イタリアにいそう(笑)
 

 それから、カラヴァッジョの蜥蜴に噛まれる少年。それとその次の蟹に鋏まれる男。
 
カラヴァッジョ〈蜥蜴に噛まれる少年〉
 本当に、思いもかけず蜥蜴に噛まれてびっくりしている瞬間の人の様子が良く描かれている。
 カラヴァッジョ好み?のむっちりした肩をはだけた少年の、びくりと跳ね上がる肩、驚いて半分身を引く動作、反射的に強張った両手の指、軽く悲鳴をあげる口元、驚いて怖がったり痛がったりしている顔。
 それと硝子に透ける水だとか、激烈に背景からくっきりと浮かび上がって見える輪郭とか。

 実際に蜥蜴に噛まれた人を観察したのだろうか?
 およそ現代の東京人には、花瓶に活けられた花の中から蜥蜴が出てきて噛まれるなんてことがあるとは、とても信じられない(笑)
 でも、蜥蜴に噛まれた人がこういう動作をするかどうかは、実見してないから、この絵が「現実」かは分からないけど、蜥蜴に噛まれるってこんな感じに違いない。

 それに対応するのが、ピエトロ・パオリーニ帰属の蟹に鋏まれる少年。
 
ピエトロ・パオリーニに帰属〈蟹に指を挟まれる少年〉
 そもそもの画力の差は置いといて。

 こちらは、分かりやすいというか、わざとらしいというか。
 カラヴァッジョのようなリアリティは薄く、これみよがしに蟹を手に持ち、蟹に指先を鋏ませて、カメラ目線で痛そうにしている。「挟むよ…挟むよ…アーッ挟んだ!ご覧ください痛い!」みたく、ちょうどリアクション芸人みたい(笑)

 きっとカラヴァッジョは絵の中の人が動き出さんばかりの臨場感や現実感、目騙し的な効果を大切にして、一方で、対する蟹少年は、カンバスの向こうは現実の投影ではなく、あくまでも絵であって、記号としての「痛み」とかを表現したかったのかな。

 
 楽器の絵はだいたい好きだ。
 カラヴァッジョとカラヴァッジョ追随者の辺りには、楽器の絵が多い。
 それは、カラヴァッジョのパトロンが音楽好きだった影響なんだとか。
 確か、バロック絵画に楽器や音楽の絵が多いのは、この時期に楽器と器楽が発達したことの影響、と言っているのを見たことがある。(それまで最も正確な音程が出せる楽器は人間の声だったという)
 パトロンの音楽好き、楽器の発達、そしてカラヴァッジョの楽士の絵。全部まとめて繋がっているのだろうな。

 ところでいま読んでいる本に、カラヴァッジョの時代の約50年後ですが、ネタか本気か、1オクターブ32鍵という無駄に発達したチェンバロが紹介されていたりとか、バロック時代の楽器の発展興味深い。

「普遍音楽――調和と不調和の大いなる術」著:アタナシウス・キルヒャー(1650)、訳:菊地賞、工作社

 それはさておき。
クロード・ヴィニョンの絵がお気に入りです(笑)
 粗っぽく、がさついた筆触が目立つ。この展示中、もっとも下手な部類の絵。
 
クロード・ヴィニョン〈リュートを弾く男〉
 男がリュートを抱えて、机の上に平らに置かれた楽譜を覗き込みながら弾いている。
 その表情といったら!(笑)
 眉は深く皺が寄り、目を細くして、しかめっ面。たらこ唇からは唸り声とか、あっ違、とか言ってる声が漏れているのかも。
 この苦悶の表情。
 爪弾く右手は強張ってぎこちなく、それに呼応するように、筆遣いもどこかぎこちない。

 こんなに力いっぱい苦しそうにあっぷあっぷしながら楽器弾く人初めて見た(笑)
 彼が10分後にリュートを投げ出して、二度と弾かないんじゃないかと心配です。
 がんばれ、君の楽しい音楽ライフはここからだ…! なんて応援しちゃう。

 絵柄の不安定さと、リュート苦吟ぷりがよく合っていて面白い(笑)
 一番愛らしい、謂わばゆるキャラ的な共感を呼ぶ絵かもしれない。


 果物籠を持つ少年と、バッコスは素晴らしかった。
 
カラヴァッジョ〈果物籠を持つ少年〉
 解説には少年の顔はわざとぼやけていて、しっかり描かれた果物籠とその中身とを対比させているのだとか。

 とくに画面右下で、暗くなった背景に、光が当たってくっきりと浮かび上がる枯れかけの葉っぱ。青々としていなくて、傷んで黄色と緑とがまだらになったその葉っぱ。素晴らしい3D効果で、飛び出さんばかりです。きっと、この葉っぱは特に見て欲しかったに違いない。
 

 バッコスは、有名な絵で、しみじみ良い絵だなぁと。見ていて凄く幸せ。

カラヴァッジョ〈バッコス〉
 白を基調にした調和の取れた画面。白く滑らかな少年の肌と、白い服、白いクッション、白いテーブルクロス。暖かく穏やかなベージュの背景色。
 筋肉はあるけど、ほどよくむっちり肉付いた腕。その片腕でクッションに凭れた体重を支えている。その体重のかかった腕の固さと柔らかさ。
 もう片方の腕は平たい硝子の大きな杯を捧げ持ち、こちらに差し出している。なみなみと注がれた赤黒いワインの透明感と波紋。
 器に山と盛られた熟れた果物を前に、実った葡萄の大きな冠を被ったお酒の神様は、ちょっと語弊があるけれど、豊穣を言祝ぐおめでたい感じ。
 きっと、だから見ていて幸せなんだなぁ。
 良く見ると、少し垂れ目の気怠い目の、黒々とした下睫毛がチャームポイントでした(笑)

 
 アミンタの嘆きも結構好き。

バルトロメオ・カヴァロッツィ〈アミンタの嘆き〉
 牧歌的で、かつ物憂げ。リコーダーを吹く少年に、相槌を打つでもなくタンバリンに凭せた腕に気怠げに頬を乗せる少年。ちょっとこのポーズ格好いいし。転がる果物。誰も手に取らないヴァイオリン。

 楽器の絵も好きですが、牧歌的な絵も好きです。だから、牧歌的な楽器の絵はすごく好きです。
 タイトルの由来は、画中の楽譜から。タッソーの牧歌劇「アミンタ」を元にした歌で、主人公アミンタが恋する人が死んだと思って歌う嘆きの歌が書かれているそうです。


 オラツィオ・ジェンティレスキの聖カエキリアで、ようやく正統派?の美少女出てくる。

オラツィオ・ジェンティレスキ〈スピネットを弾く聖カエキリア〉
 カエキリアの弾く楽器の鍵盤の適当すぎるまっ平らな描写と、椅子が高すぎる(あるいは台が低すぎる)のが気になるのを除けば(笑)、展示中一番繊細で情緒的で綺麗な宗教画です。カラヴァッジョよりエグくない「綺麗」なタイプ。
 普通の意味での綺麗さで言ったら、これが一番綺麗でした。
 (あとはラトゥールの煙草飲みが全部の絵と比べても綺麗だった)

 このジェンティレスキさん。解説には、カラヴァッジョの友人とあったけど、カラヴァッジョの裁判記録には「ジェンティレスキは私に話しかけてこないので、友人ではない」という発言が残されている。どんな距離感なんだろう(笑)


 センセーショナルな斬首主題セクション。斬首だけで纏めてくるとは。
 バロックといえば残虐な流血場面ですね!(過言)
 これもカラヴァッジョの斬新な表現が、斬首の流行の起爆剤になった、という解説文。
 
 メデューサ格好いい!

カラヴァッジョ〈メデューサ〉(ごめんなさい!メデューサには他にバージョンがあって、この図版がこの展示に来たやつかどうか分からないです)

 凸型の木の板にカンバスを貼ったものに、血の滴るメデューサの首が描かれている。それでメデューサの、人を石にする首のついた神話のミネルヴァの盾をイメージしている。
 かっと目を見開き、口を大きく開けて叫び声をあげてる。髪の毛の蛇がうねうねとのたうって、不気味なことこの上なし。

 凸型の画面! その自ずとこちら側に飛び出してくるフォーマット。
 カラヴァッジョ本人の着想なのか、こんな感じのものをカラヴァッジョに描かせようと思ったパトロンのセンスなのか、ナイスセンスです。

 お土産にこれの缶バッジとか、ペンダントとかなってたけど、ちょっと欲しい! けど要らない! 魔除けになりそう。


 聖カタリナの首。
 暗い背景の中に、白い生首がごろりと転がされてある、小さな絵。

マッシモ・スタンツィオーネ〈アレクサンドリアの聖カタリナの頭部〉

 小さいというより、描かれた首は現実の人間の大きさくらい、その人間の頭だけを収めるのにちょうどの画面。
 血の気を失った白い肌が目立つ。真珠で飾られ綺麗に結われた髪、虚ろに少しだけ開かれた瞼と唇。目鼻立ちは、まだ死の間際の苦悶の表情をわずかに残していつつも、美しく高貴に描かれている。
 まだ乾かない首の、見えない断面からは生々しく血が流れる。傍らにティアラとこの首を斬った剣。そして殉教者を表す棕櫚。
 残虐だけれど、美しい。
 殉教した聖人の首を描くという陰鬱なシリーズの一枚だそうで、他のもちょっと見てみたい。


 新発見されたというカラヴァッジョのマグダラのマリア。隣にアルティミジア・ジェンティレスキのマグダラのマリア。
 どちらも殆ど、あるいは完全に気を失った状態で、重力に従って首を仰け反らせて倒れ込んでいる。
 
カラヴァッジョ〈法悦のマグダラのマリア〉
 これ、図版では背景真っ黒ですが、もっと繊細な背景でした。左端に、かすかに細い十字架が見える。

 アルティミジア・ジェンティレスキは、先のカエキリアを描いたオラツィオの娘。
 当時にしては珍しい女性画家(画家は本来男性の職業)です。
 
アルティミジア・ジェンティレスキ〈悔悛のマグダラのマリア〉

 荒野で修行をしているマグダラのマリアは、上半身には何も着けておらず、意識を失って仰け反る無防備な上体を晒している。
 彼女は首を後ろに垂れて、顔が良く見えない。そのために特に明るく描かれた裸身に目線が集中する。

 解説によれば、マグダラのマリアを口実に、女性の裸体を描きたかったのだろうということです。
 確かに、生身の女性の体に少しびっくりするくらいの生々しさで、それは隣のカラヴァッジョ以上だったと思う。本当に目の前のモデルにこの人がいて、その人の体をそのまま忠実に写したのかも知れないと想像するほどです。

 
 グエルチーノの聖ヒエロニムス。
 
グエルチーノ〈手紙に封をする聖ヒエロニムス〉

 とてもダイナミックなポーズと半裸の格好で手紙に封蝋をしている。
 なんか状況としては不自然だけれど(笑)、この間の展覧会でとても気に入ったばかりで、グエルチーノかなり好きだわ。
 グエルチーノって、カラヴァッジョみたいにぱりっとした陰影で、本当に画面から飛び出してきそうなんだけれど、カラヴァッジョほど苛烈でない上、甘ったるくもないから、凄くちょうどいいです。

 グエルチーノもカラヴァッジョ並のリアリティと3D感なんだけれど、美術館の解説では、グエルチーノが直接カラヴァッジョに影響を受けたというよりは、初期カラヴァッジョに影響を与えたボローニャ派の自然主義を、ボローニャ派のグエルチーノも共有していたのだろう、ということです。
 カラヴァッジョもいいけど、ボローニャ派もいいなー。ボローニャも行ってみたい。

 やっぱりバロックって良いものですね。


次ページ余談。

 カラヴァッジョ展の後で見た常設展で、新規収蔵作品がすごく好きだという話。
 埃を被ったリュートの絵が素敵すぎる。それの埃の話。
 このリュートが、カラヴァッジョ展のちょっとしたお気に入り、苦しそうなリュート弾きさんの放り出したリュートの末路じゃないこと願う(笑)

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