三菱一号館の「ルドンとその周辺-夢見る世紀末展」行ってきましたので感想を。
目玉のグラン・ブーケですが、想像以上の美しさ!!あまりの美しさに、その場にもし誰も居なかったなら、泣きだしていたところです。
オディロン・ルドン<グラン・ブーケ(大きな花束)>
私も幸運でした。この縦2メートルを超える絵がただ一枚掛けられた部屋に足を踏み入れた時、そこには壁に4人程が寄りかかってこの絵を眺めているだけで、この嘗て見たことのないグラン・ブーケの全てが、目に飛び込んできたのでした。
それは絵の内側から輝くようで、パステルという軽やかな素材のなせる技なのでしょうか、これがもともとは布と顔料だったことを忘れさせる程の衝撃でした。
さて、まろりーはこの感動を伝えるに、十分な語彙を持ちません。まろりーは何とか、この絵を言葉に置き換えようとしたけれど、とてもとても追いつくものではありません。
この絵さえ無ければ、もう少し展示を早く見終わることが出来たと思うのですが、なにしろ立ち去りがたくて、暫くはこの部屋を出る事が出来ませんでした。
この感動の一部は、きっと照明技術に捧げねばならないでしょう。
この信じられない程の巨大なパステル画の全てを均等に照らす、この絵のためだけに用意された照明の素晴らしさ。勿論この弱々しい媒体を守るためにその他の照明はなく、暗室の中でこの絵だけを輝かせている、この特別な照明。顔料は一部の光を吸収し、一部の光を反射して、絶妙な具合です。油絵だったら、ここまで輝くのかどうか?
三菱一号館のルドン展は、このグラン・ブーケを新規収蔵した記念で開催されたとのことですが、ええ、その喜びは並みのものではないようです。油絵より耐久性に欠けるというパステル画だから、いつでも見れることにはならないと思うけど、購入してくれてありがとう、ですこちらとしては。
そばにスフィンクスの絵があって、ちょうどソポクレスのオイディプス王を読んだ後のことで、タイムリー。ドラマとしては、オイディプス王が主人公だとは思うけど、絵としては、スピンクスの方が描きがいがある、と思うのは、個人的主観。
<翼のある横向きの胸像(スフィンクス)>
ある時期、ルドンは観衆に親しみやすいギリシア神話を元にした絵を描いていたとの事ですが、ちょうどソポクレスのオイディプスを読んだ後で(2度目)、ギリシア神話欠乏症を発症しているまろりーに(まろりーは時々ギリシア神話を読まないと欲求不満に陥る)、本当ちょうど良く。
<アポロンの戦車>
ちょうど、ちょっとアポロンがマルシュアスの皮でも剥がないかなーと思っていたおり、デルポイの怪蛇ピュトンを射殺しているらしいポイボスな太陽神の雄姿が。
意外な程、燃え盛っていてアポロンさん大丈夫かと思ったけど(←絵の見方が間違っている)、隣にアポロンの戦車から落ちるパエトンがいたり、オルフェウスがいたりと、神話画はいいですね、文字の連なりを時間をかけて読まずとも、一目で神話の色々が再生されます。って、ルドンの絵はそういう物語の挿絵的なものではないのですから、今の文章は聞き流して下さい。
このオルフェウスの死を題材にした油彩で(多分)、色彩が非常に美しく、色で酔えます。
<オルフェウスの死>
オルフェウスは、愛する妻を冥界から連れ帰ることに失敗し、以後、他の女性を拒むようになりました。その態度がトラキアの狂えるバッカスの女信徒たちの怒りを買い、彼は八つ裂きにされ、その首は歌いながら竪琴と共に川を流れて行った、そういう話が下敷きだけど、その為の絵画ではなく、オルフェウスの首は色彩の音楽的な効果というものを暗示しているらしい。
画面のあちこちで様々な色が響き合っていて、さていつまで眺めたらその響きを見終わったことになるやら、判断に迷う。
ぜひともバッカスの信徒になりたかったのに、バッカスからは生まれついて拒まれた身の上、美食も色事もこのまろりーを満足させないからには、あとはもうムーサたちに縋るしかないという訳で、このような色彩に酩酊するのは、何とも楽しい事です。
<青い花瓶の花々>
そんな色彩の響きを楽しませてくれるのが、ルドンのお花の絵。ポストカードとしてお持ち帰り出来たのは、これと例の大きな花束。他にもポストカードになってたら欲しかったなー。
さてさて、ここまで記事を書きまして、一向に黒い絵が出てこないのを訝る方もいらっしゃるかも知れません。ルドンといえば。代表して一枚を。
<夢の中で 第8葉、幻視>
若いころは、このようなグロテスクで一見難解な白と黒の世界で名を上げたルドン。
彼のような奇想を、多かれ少なかれ、人は誰でも持っているものと思います。だけど、彼のように紙の上に再現出来る人は極めて稀です。
不思議と、これだけ奇妙で突飛で、あまりにも現実的な脈絡のない絵、それにとりとめもない憂愁に満ちているのに、いやらしさや下品さ、独りよがりや無頼なところが無いと思うのです。明るい絵という訳ではないけど、社会や周りの環境や生きる事に対する恨みつらみとかがなくて。
これだけ思うさま空想を形に出来るというのは、ごくごく単純に羨ましい限りだ。
<我が友アルマン・クラヴォーの思い出に 第6葉、日の光>
時々、ちょっとわかりやすいのもある。無くなった友人への追悼。a la memoire de...(…の思い出に)という定型句が泣かせます。
何かが居る内側。外の新しい世界へ誘う日の光。窓の外には、まっすぐな、樹が一本。
冒頭でご紹介しましたグランブーケの前後には、その他の象徴派の様々面白い絵がありました。が、今回は割愛。モロー、ムンク、ベルナール、ドニ、ファンタン=ラトゥールなど。
<瞳をとじて>
展示の最後を飾るのは、何度かルドンのモチーフに現れる目を閉じる人。
展示の終わりにこれは、ちょっとくさいなーと思いつつも、ここは素直に、目を閉じてその空想に身をゆだねてみては。
もっとも、ブログのタイトルがこの結びをぶち壊しにしていますが(笑)