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○なんせんす・さむしんぐ○

美術や音楽の感想とか、動物中心のイラストのブログ。

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浜松楽器博物館の思い出

 まろり、高校生の頃から学生時代通して行ってみたいってずっと言っていたよね♪念願叶ってついに行ってきてしまいました、浜松楽器博物館!!

「遠くに高名な彫刻家の美術館があったとして、それがそこにしか無く、しかし自分がその彫刻家大好きだったら、君はその為だけにそこへ行かないだろうか(いや、行くだろう)」

 地方の美術へこの誘い文句で付いてきた友人こそは、マイナー画家ニコラス・ベルヘムただ一枚を見る為にイギリス旅行中3日間、毎日ロンドン・ナショナル・ギャラリーに通うという暴挙を為した人です。反対しなかったのもまろりーですが。
 あの時は展示の流れ的に次が17世紀オランダ風景画の部屋だと分かるのに、連日閉まっていて「この部屋はいつ開きますか」「たぶん明日」という会話を毎日監視員と交わした末、最終日にベルヘムが見られたのでした。--ぴったりと閉まった扉に張り付いて「やばいよ、ベルヘム絶対この中だよ!正面ホッベマーだもん。」と、僅かな隙間から僅かに見えた正面の壁のホッベマー(17世紀オランダ風景画の傑作。ベルヘムと絶対同じ部屋にあるべき絵画)は忘れません(笑)
ベルヘム<廃墟の傍らの農民>ホッベマー<ミッデルハルニスの並木道>
左;ニコラース・ベルヘム<水道橋の廃墟の傍らの農民>
右;マインデルト・ホッベマー<ミッデルハルニスの並木道>

 閑話休題。と思わず学生時代の思い出が蘇るほどの学生時代と勢いの変わらぬ旅行でした。
 お互い仕事を終えて深夜夜行バスで寝たか寝ないかのうちに浜松へ。着いたのは日もまだ昇りきらぬ早朝6時すぎ。
 街がどうにか起き出す時間まで、凍えない程度に暖かい、つまりは寒い待合室で待ち、それから早起きな喫茶店でモーニングセットなどを優雅に聞こし召し(というかそれ以外出来ることがない)、鍋島焼についてなど語らいながら、のろのろと目的地に向かい、結局は開館を10分ほど待つ。

 さて中に入ってとりあえず手近な日本の楽器を見ていると「鍵盤室で10分ほどの解説&演奏があります。」と呼ばわう声があり、いそいそと参加し、そのまま大はしゃぎで1時間毎にある鍵盤楽器の解説と演奏をごく自然に3度聞くという満喫振り。
 その間何をしていたかというと、もちろん楽器を見て写真を取ったり関連あることないこと話して楽しんでいた訳です。
 以下そんな一部の鍵盤楽器の写真と感想を紹介します。
 先にはっきり言っておきますが、まろりーの感想&解釈はまろりーのファンシーであり妄想であり、楽器たちにとっての雑音であり、読者様方はこの雑音に決して惑わされてはいけない、ということです。信用度はウィキペヂア程度だと思っていい。プライドも僅かばかりあるからウィキ以下だとは言わないけど(笑)
 「そのもの」の持つ声とそれ以外の雑音を聞き分け、真に自分の目で観、観たと断言出来ること。自分の雑音と「そのもの」の声とを聞き違えないこと。この能力が痛切に欲しい。
 --雑音は雑音として楽しむ寛大さを我が読者様には一心に期待します(笑)

 要約すれば、感想はともかく写真だけでもどうぞ♪
 

○チェンバロ(英語でいうハープシコード、仏語はクラヴサン)
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 形はグランドピアノに似ますが、ピアノのように弦をハンマーで叩くのではなく、大型の鳥の羽軸片(プレクトラムといいます)でつまびく楽器。最近は扱い易いプラスチック製プレクトラムも。
 主に18世紀末まで近現代のピアノのポジションにあった楽器。
 大きく高価な楽器であり、インテリアを左右する家具でもあったので、華やかに装飾されたりする。

 館内、一番派手で一番豪華なのが、ブランシェ製作の後期フレンチ・チェンバロ。1765年製。
ブランシェ
 ブランシェの美脚といったら!(←楽器製作者じゃなく指物師の仕事では。そして楽器の本質関係なし)

ブランシェの脚47424407_277000705.jpg47424407_2861831315.jpg47424407_704819663.jpg
 おおはしゃぎで脚ばっかり激写です☆
 自在な曲線と愛らしい植物モチーフが左右対称を崩さず配され、華麗さと均整を併せ持つ、最末期ロココ様式かなー。生粋の最盛期のロココ様式は、もっと気まぐれで非対称、それも容赦なくかなり意図的に非対称なので、もう次の流行感覚(装飾過多を嫌い、無駄の無い、つまり直線的なすっきりとした均整美を追求する。下のウィーン製ピアノの図を参照のこと)がちょっとずつ現れてきた、ように見えます。
ドルーエ<家族の肖像>フランソワ・ユベール・ドルーエ<家族の肖像>
 見づらいけど、右上の壁掛け時計が非対称の典型的なロココ=ルイ15世調。これはブランシェのクラヴサンよりほんの少し前の絵。ついでに言えば、こういう家族の肖像画の「親密さ」は、それ以前のバロックには無いロココ的発想の絵だったりします。
 革命に象徴される新しい時代がだんだんと迫っている時期の、誰かの邸宅、それもちょっとずつ流行遅れとなり始めたロココ様式で統一された部屋に置かれたのかな。こんなドルーエみたく。
 ロココ様式はその華美で貴族的なイメージから革命期には敵視され、破壊の的となりました。また奢侈品のクラヴサン自体も貴族的なものを彷彿とさせるので、ブランシェをはじめロココ調のクラヴサンは当然多く壊されてしまいましたが、これは良く生き残ったものです。

○ウィーン製のピアノ
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 1800~10年ごろ。まだまだ楽器として未完成だった初期のほうのピアノ。
 かっきりとした古代ローマ風の意匠。ルネサンス期とかにもこんな模様流行ったっけ。左端の鳥類の王たる鷲がなんだかウィーンぽいです(笑)
 ちょうどナポレオン時代の制作。多分、この時代のウィーンはナポレオンのおかげで色々と大変だっただろう。(←とても曖昧な歴史認識)
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 先細りの真っ直ぐで角ばった脚がとっても新古典様式。
 華美なロココ調の強烈な反動として、簡素こそを最良とする新古典主義。最低限の点だけで、全体が支えられるという無駄を削った脚。

以下余談
(もう少し前は、同じく先細りの円錐の脚に、しばしばギリシャ神殿の柱イメージな溝が彫られたりした、直線ながらも、もうちょっと円やかな印象の脚が流行ったものです。)
fc7546b7.jpegマリー・ルイーズ・エリザベト ヴィジェ・ルブラン<読書する女性>
 椅子が少し前のルイ16世調。

 新古典は華奢で繊細ですが、ブランシェの猫脚のような優雅な遊びは許しません。
 無駄を省いてしまうからか、意外と細身で軽くなる新古典。服装なんかも、女性が風邪で死ぬほど軽くなりました。
81531292.jpegヴィジェ・ルブラン<初めの一歩>
 みんなで軽やかな古代風ドレス。絵の内容は、子供の愛らしさと子育ての楽しさを描くことで、社会の皆様に立派に子供を育てることに目覚めてもらって、荒れた社会を良くするよう訴えるもので、そんなに軽やかではありませんが。
 そうそう、「古典(クラシック)」というのは、本来古代ギリシア・ローマを指す言葉で、美術でいう新古典(ネオ・クラシック)は、古代っぽいイメージ、精神のものを当世仕様に復活させようという運動です。だから服装まで古代っぽくなる訳です。
 それにしても、ヴィジェ・ルブランってば、どの絵をとっても「当世風」な気取りがあって楽しい。女の子だからか、ファッショナブルな視点があります。わざとらしいとか言わない(笑)

 で、ロココは精神が抜群に軽やかだったのだけど、(そしてそれが目に見える形になって出ても軽やかな傾向。)直後の新古典は、余計なものがなくて物体そのものが軽やか。変わりに古典は内に秘めた気高い精神が重いのです。
 この後、新古典がナポレオン仕様に変形して、国家の「威容」を表現するアンピール様式として見た目にも重厚さを増す、とまろりーは認識しているのだけど、詳しく知らないことに気がつきました・・・。今度、調べてみよう。

脱線終わり。
 うん、このピアノあたりにブランシェみたいなチェンバロ作ったら、ロベスピエールとかに処刑されそうだよね(←やっぱり適当すぎる感想)
 新古典主義を採用したこのピアノは、のちの時代を開く可能性を無限に秘めた楽器としては、前衛的なとんがりを持ちつつも、まだまだひ弱な感じがします。聞く話によれば、昔のピアノは鍵盤も今よりずっと軽いのだって。

○電子チェンバロ
 上記のブランシェの音をサンプリングしたという電子チェンバロなるものにも触れたのですが、弾き心地はいまいち…。
 確かに音はよく写して繊細華やかで綺麗なのですが、弦を3本も4本も同時に弾く重み、衝撃や反撥力、鍵を押してから音が出るまでの僅かなタイムラグが無くて鍵盤のあまりの軽さに違和感、でした。しかも一段鍵盤。
 チェンバロはピアノのように音の強弱をつけられないので、音量調節するのに、弱い音の出る鍵盤と強い音の出る鍵盤二段で、一度にはじく弦の数を変えるのが代表的です。下鍵盤を押すと上鍵盤も一緒に動くようにして上下二段分の音を出すことも出来ます。まあ、他にも音色を変える工夫は色々あるのですが、割愛。
 やっぱり、ブランシェの音が出るなら2段でないと!(笑)
 また、蓋に描かれた通俗的な宗教画が…。単体ではまあ綺麗な絵なんだけど、この電子楽器と組み合わさるとトイレや玄関をヨーロピアンに飾る天使の置物と同種のようで…(笑)
 この絵の当初の目的も、詳しくは知りませんが、扉の上を飾るか、衣装箪笥を飾るか、そんな感じだったように見えますので、かなり的を射ているとも思うのだけど、なぜこんなに違和感があるのだろう・・・。・・・電子楽器という現代様式の飾り気の無いフレームに、絵だけバロック調を貼り付けてしまったため?
 ああ、この通俗性は、現在のごく一般的な西洋趣味の室内には合う。この鍵盤のように軽い趣味。
 (記憶を頼りに図版を探してみました。多分、この絵だった。そうじゃないにしても、こんな絵です。)
奏楽の天使マルカントニオ・フランチェスキーニ<奏楽の天使>

○1750年のイギリス製のチェンバロ。
 ・・・と、写真撮ったと思ったのに、撮ってなかった。すみません、この項目、文字情報だけという無茶ぶりで・・・。
 イギリスでは産業革命を迎え、国力も増し、音楽の需要も増えていた時期。
 ちょうどゲインズバラ時代だね!
カール・フリードリヒ・アーベルヨハン・クリスティアン・フィッシャーヨハン・クリスティアン・バッハ
 楽器の写真が無いから、ゲインズバラの描いたゲインズバラのお友達でも。
左;ガンバ奏者アーベル、中央、オーボエ奏者フィッシャー、左;鍵盤奏者バッハ
 この交友関係、ゲインズバラの度を越した(笑)音楽好きが伺えます。
 フィッシャーさんの寄り掛かっているのは、多分、フォルテピアノであってチェンバロでは無い。ので、隣にチェンバロも弾けるバッハさん出しておきました。
 見事に全員ドイツ人。本国の情勢が不安定だったので豊かなイギリスに来ていたらしいです。またイギリスも芸術関係には自信がないのか、自国のものより大陸のものを珍重する傾向にあった。ゲインズバラなんかもそんなイギリスの芸術市場を相手に創意を凝らす訳ですが・・・

 さて、またいきなり話が脱線しました、このイギリスチェンバロ、外見も余計な飾りが無く簡潔で、貴族というよりは一般家庭で使われたのでしょうか?
 ピアノのように、ペダルを使って音を変えるのだそう。先程のブランシェは手元の栓や鍵盤を引いたり押し込んだりして音を変えるので、演奏途中は鍵盤から手を離して操作しなければならない。が、このイギリスのチェンバロなら足で操作できるので便利。
 便利だけど、優雅でないの(笑)
 ペダルの付け方も、今のピアノみたいに自然な感じでなく、釘で必要な場所にとりあえず打ち付けました、みたいな唐突な感じなのです。
 便利だけど、デザインが無いと取ってつけたようになってしまうペダルをいかに美しく本体に接続させるかという問題はデザイナー(楽器の形を決める人をデザイナーと呼ぶとして)の悩みどころだったようで、ピアノの発達史上、結構いろいろなデザインが試みられているようです。まあ、その辺の考察はまた長くなるから、スルーするけど。
 で、イギリスのチェンバロのペダルには、デザインが無い。特別な装飾はないのに、フランスと比べると、何だか格好悪いのがイギリスクオリティ。機能によって美しさが犠牲になるあたり、イギリスはやっぱり田舎紳士。・・・イギリスはフランスほど優雅な国ではなかっただろうし、優雅であることをフランスほど求めていなかっただろうと思いますが。昔から料理と芸術は苦手です。

 そして、イギリスクオリティの見た目が格好悪かったから、写真には収めなかったという・・・。ようするに、何らかの「資料」として以外は、見た目だけで訴えるものはなにもない、とも言える。

○17世紀イタリアン・チェンバロ
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 ちょっと古拙な感じのする装飾。上手くないけど、その画風は素朴な羊飼いの絵によく合っています。
 しかし反対側には可愛らしくも何だか不穏な絵が。
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 ・・・リスみたいなのが狼みたいなのに狙われている?(絵が下手うまでよく分からない(笑))

 さらには翼を付けたライオンが福音書を持っている。
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 まさかの聖マルコのライオン!
 
注;伝統的にエヴァンジェリストのマルコさんはライオンを連れている。
福音書記者マルコEmmanuel Tzanes<福音書記者聖マルコ>
 適当に典型的マルコっぽい図を探してみて、良い感じのがウィキペヂアで転がっていたから掲載するのだけど、17世紀のギリシアの画家の手になる絵らしいが、名前が読めない。ツァネス・・・?とか?
 それにしても、流石ギリシア人。ギリシャといえば、美術において、宗教的な理由で中世ビザンチンの伝統を厳格に受け継ぐギリシア正教。17世紀だというのに、今までの正教会の伝統からみれば、もの凄く写実的にはなっていますが(そしてそれは、多分、現代人が思う以上に衝撃的で革新的なことだったのではないかと思う。)、それでもなおとっても古風。ハルスやレンブラントが活躍した17世紀もこういう世界はあるのですね。

 しかし、何でしょう、今までのチェンバロの図像は宗教的な意味を持っていたのでしょうか。
 最初に見た羊飼いも、善き羊飼い=キリストの象徴だとか?狼とりすも寓話の視覚化で教訓が込められていたとか?…深読みが止まりません。
 チェンバロと宗教、ってあまり結びつかない。ただの先入観ですが、どちらかといえば、贅沢で派手な楽器のチェンバロが、宗教と相性が良いとはあまり思いません。チェンバロに宗教的なレパートリーが無いとは言わないけど、やはり世俗の楽器ではないかと。
 つまりは、チェンバロに宗教的な絵を描くというのは、宗教的な属性を付けるというのは、どういう意図なのか、と考えてしまいます。マルコさん、なんか音楽関係のいい言葉でも残してる?

○ヴァージナルとスピネット
 小型のチェンバロ。大型化したのがチェンバロというべきか。現在は一般に、弦が平行に張られているのがヴァージナル、斜めがスピネットと呼び分けされます。
 チェンバロより小さく安価なため、一般市民の家庭にも置きやすい。
 オランダの中上流階級の室内画によく描かれたことで有名。
モレナール<スピネットを弾く女性>ヤン・ミーンセ・モレナール<スピネットを弾く女性>
 普通ならフェルメールにお出まし願うところですが、あえてのモレナールで。
 フェルメールの方が絵が上手いのだけど、遠近法で像を歪ませねばならない中、ピンや弦の一本一本まで描こうとする、その細部へのこだわりと忍耐に敬意を表して。弦が斜めに張られたスピネットの仲間かと思うのだけど、この絵と同じ型と思われる楽器があったら是非見てみたい。
 ちなみに、フェルメールは意図してか偶然か、中身は決して描きません。フェルメールはいつも椅子に座った高さに絵の目線があるから、複雑な中身までは覗けないのね。・・・ずるいぞ(笑)!
 私のイメージでは、チェンバロより「生っぽい」音がする気がします。個人的には、音が鳴ったあと、鍵盤を戻し、ジャックが弦に触れたときに出るノイズが格好いいと思う。←フレットノイズとか好きな人。リュートやガンバのフレットノイズといったら!

○クラヴィコード
 クラヴィコード
 弦を薄い金属片(タンジェント)で叩き上げる楽器。
 ピアノみたく音の強弱を変えられるうえ、鍵盤を押し込むと、下からタンジェントが弦の張力を上げて、ピッチを上げることが出来る。つまり、音を鳴らしたあと、鍵盤を強く押さえたり、緩めたりしてヴィブラートがかけられる。
 チェンバロは革命以後衰退しましたが、クラヴィコードはその後も19世紀くらいまで普通に使われたそうです。写真は最後期のもっとも大型のもの。
 バッハ一族が好んだ楽器として知られ、鳴らすに難しい分、表現力はチェンバロやピアノを越えると言われます。
 音色の繊細さはずば抜けていて、瞑想的で甘く、ロマンチック。とにかくロマンチック。非常にロマンチック。
 低音部は渋みがあって意外に力強いですが、音量は出ないので、暖炉の火の燃える部屋で窓の外の雪が積もる音を聴く気がする、そのような音だという勝手なイメージ。
 と、大型のものは、バッハファミリーのおかげで私にとって完全に「北方」のイメージが定着してしまいました。・・・例えば、明快で陽気なイタリア人がこんなファンシーで自分の心象風景とかを語るに優れた楽器を弾くとはとても思えない!というやはり勝手なイメージ。
 この写真の楽器なんか、1788年に作られたそう。
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 脚は・・・古典主義系。形的には、上のウィーンのピアノと同じ形の脚。直線的で簡潔な、だけどウィーンみたく金の飾りの無いところが「市民的」って雰囲気。実際の持ち主は知りませんけど。
 本体は無装飾ですが、色は朗らかで穏やかな軽い薄緑。17世紀の邸宅よりも、もっと市民的な、現代日本人でも快適に暮らせる程の室内装飾にあうでしょう。
 カスパー・ダーフィット・フリードリヒ(1774-1840)の絵に出てきてもおかしくない。
 というか、ドリヒ自身好んで弾きそうな・・・(しかも蝋燭や月明かりの下とかで、トンボーとか中世ドイツの曲を弾いたりして死ぬほどロマンチックに)
 この人↓はクラヴィコード持っていると思う。
ドリヒ<窓辺の女>カスパー・ダーフィット・フリードリヒ<窓辺の女>
 そしてこの人はこれも持っていると思う。

○ポータブルピアノ
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 とても小さな、ピアノ。1800年頃制作されたそうで、やっぱりフリードリヒ時代。
 裁縫台を兼ねているそうで、引き出しには裁縫道具が入ります。
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 蓋の鏡や、中央のロマンチックな絵といい、こんな小さな箱の中に「女の子らしさ」を満載してくる、ピアノとしても裁縫台としても実用性がいまいち無くなってしまうメルヘンぷりがドイツっぽいと思います。
 このロマンチックな絵、自然と廃墟の中を歩くカップル、その心は「広い世界に愛を語らう二人きり。」かな。「いつかは過ぎ去るこの時、二人で歩む幸せと留まらぬ時間への哀愁」とか、そういう、ね・・・。
ドリヒ<月を眺める男女>フリードリヒ<月を眺める男女>
 なんて甘々な…。しかもロマンらしく、ちょっと不健全。音色も微かで甘いのでしょうか。
 

 で、その隣が「ツィンバロン」。「ダルシマー」だったかも。まあ、どちらも似た楽器です。全体写真上手く撮れなかった。今度行ったら(行ってもいいと思っている)また撮ろーっと。
 弦を撥で叩いて音を出す楽器で、中東のサントゥール、中国の楊琴と同系統。ハンガリーとかの民族楽器で(多分)有名。
 ヴェネツィア製で、音も聴いてみるとヴェネツィアっぽい気がします。若干先入観入っていますが(笑)音の丸さは打弦楽器って感じです。
47424407_3130453831.jpg 模様が雅やかな宴で良いので気に入った。
47424407_546773201.jpg 雅やか。
47424407_1694328042.jpg …雅?

○タンジェント・ピアノ
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 一応、ピアノと同様、打弦楽器。だけど、ハンマーでなく、木のタンジェントで弦を打つ楽器だそう。ハープに似た音だとか。
 蓋の絵は、当世風の格好をした人が、自然界の縮図のような雄大な風景の中で聞き手もなく演奏している。
 現代生活の暮らし易さはあるけど、人間関係や都会暮らしのしがらみはなく、変化に富んだ大自然の中、屋根があって、心の慰めの音楽もある、のびのびとした快適な場所。この楽器の装飾はそうした場所と音楽を結び付けようとしています。しかし、絵が上手くないのがいいよね!
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 時代は飛んで。
○エラール社制作の1900年のピアノ。
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 エラール可愛い!
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 白地に描かれたロココ混じりのアールヌーヴォー調の軽やかなリボン模様。
47424407_2619070928.jpg もったりした脚が愛らしく見えます。
 かつて聴いたエラールピアノの音は、曲の影響もあろうが、ロートレックな音色に感じました。
ロートレック<ジャルダン・ド・パリのジャンヌ・アヴリル>ロートレック<ジャルダン・ド・パリのジャンヌ・アヴリル>
 このピアノはロートレックより見た目お上品そう。じゃあ、ボナールかヴュイヤールかな(適当)
ボナール<散歩>ヴュイヤール<ピアノのレッスン>
左;ボナール<乳母達の散歩、辻馬車のフリーズ>
右;ヴュイヤール<ピアノのレッスン(アルテュール・フォンテーヌ夫人と娘)>
 よく見ると、右のヴュイヤールのピアノも、ひょっとしてエラール・ピアノ・・・。形が似てる。
 しかし、ボナールって、本当、時々格好良いよな!ヴュイヤール的なもしゃもしゃした絵も沢山描くけど、
36648217_1927738295.jpgボナール<白い猫>
 上みたくジャポニスムを採用したきぱっとした輪郭の絵が物凄い格好良い。上の絵は、日本の屏風を意識したリトグラフ。というか、もともと屏風そのものだったかも。灰色使いがとっても格好良い。個人的には、アングラ味の強いロートレックよりお洒落で好き(笑)

○同じくエラールのアップライトピアノ。
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 繊細にして華美な装飾。
 先に見たエラールの白いピアノもそうだったので、曲線的であることを旨とする19世紀末のアールヌーヴォー系かと一瞬思ったけど、実はもっと早くて1820年頃のもの。時代的にはルイ18世、王制復古の頃。
 この年代が、こんなに繊細で曲線的なものを好むとは知らない。というか、この時代のピンポイントの個性ってよく知らないなぁ。
 ひょっとして、このロココを引用した装飾が王制復古の気分なのかしら。
 革命時、断頭台の露と消えたルイ16世の弟たるルイ18世が王位につき(と今にわかに調べてみた)、かつての「貴族調」が復活したという王制復古時代。服飾史でも、胸の切り返しから布が自然に真っ直ぐ下に落ちるアンピール・スタイルから、18世紀のように胴をコルセットで絞めてスカートを膨らませる形に戻り始めた境目の時代。
 この時代の流行した装飾様式は寡聞にして知りませんが、かつての「古き良き時代」に思いを馳せた装飾なのかも。
 試しにブランシェ・チェンバロと比べて見ると……より18世紀っぽい要素が意識的に取り出されている感じがするかな。激動の時代を過ぎたからか、ブランシェのような穏やかさ、おおらかさは無くなって、その曲線は鋭く洗練されている。故にむろんブランシェのが古くして雅やかだけど、エラールのがスタイリッシュ。近現代特有の毒っぽさがある。

 一応、鍵盤楽器。
○フランス語でヴィエル、英語でハーディガーディといいます。
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 ハンドルを回すと、弦に触れている旋盤が回転して音を出すしくみ。鍵盤で弦を押さえる位置を変える、擦弦楽器。
 鍵盤で音の高さを変えられないドローン弦をもっており、常に一定の高さの音を鳴らし続けて伴奏とします。バグパイプの、肩に乗せている3本の管と同じ役割です。
 バグパイプといい、ふいごでバッグを膨らませる(バグパイプよりは上品に見えた)ミュゼットといい、このハーディガーディといい、ドローンを持つ楽器は「田園属性」にある楽器です。
 音を聴けば、きぃきぃがぁがぁと雑音の多い騒がしく賑やかな音。しかもそれが鳴り続ける。先に見てきたチェンバロやピアノのようなお上品な楽器ではありません。
 農民や乞食、門付けが奏するものでしたが、後世、どんどん夢が膨らんでいきます。
07hurdyg.jpg ジョルジュ・ラ・トゥール<ヴィエル弾き>
 ハーディーガーディーを抱える乞食。ハーディガーディはこんな風に構えるようです。
 それにしても、彼の奏でるヴィエルは、あの騒がしい音のするヴィエルは一体どんな音、どんな曲を奏でるというのでしょう。
 悲愴さ、荘重さ、崇高さ、そういった目には見えない美しさが、みすぼらしい姿の中に込められているヴィエル弾き。人生山あり谷ありの人間として、そういうものが感じられる方が、「真実」らしく見えるだろうけど、(そして、ある意味では真実ですが)、「心貧しきものは幸いである」とか「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」的な、1つの理想の心の在りようが投影されている絵に描いた乞食。そして、その境地に実際に立つことは、らくだを針穴に通すくらい難しい。(だから、この絵を見ると享楽者はその心を少しでも思い出せるような気がしてくるだろう)
 どうしても、ヴィエルの気取らない愉快な音、その日その日を楽しく摘み取る田園の音と、この深遠なる作為的な絵がイメージで結びつかない。
(補足;作為的という言葉は悪いけれど、もっとニュートラルな意味で受け取って欲しい。描きたいものを描きたいように描いたものではなく、何がしかの(真面目な)意図を込めた絵、といったほどの意味。)
 まあ、ヴィエルの曲なんて殆ど知らないので、探せばラ・トゥールっぽいレパートリーもあるのでしょうか。あれば聞いてみたい。物悲しくて、しかし芯のある、耳を逆撫でする不協和音に心揺さぶられるような音楽なんだ、きっと。

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