高島野十郎さん。
ポジションとしては、「孤高の画家」
緻密で写実的な静物画や、日本の風景を描いた画家。人とも画壇と交わらず、ただ自分の理想とする芸術のみを生涯追い求めました。
まだ著作権切れてないので、Google画像検索にリンク貼っておきます。ご参照下さい。
生まれは福岡、裕福な醸造家の四男坊で、長じては今でいう東大の水産学を首席で卒業し、将来を嘱望されていたにも関わらず、そこで独学で画家を目指してしまった、という。
すごい経歴(笑)
独学だからか、特に初期の絵には、独りよがりなところが大いにあって、執拗なまでに精緻で陰影の強すぎる写実と、画家の執着や怨念じみた何かを乗せたデフォルメの怪しいバランスの中で、自意識とか自尊心とかをもてあましているようでした。
微妙に歪んだヴァイオリン、のたうつ罌粟の花、死んだ鳥、枯れた草の繁る葉を落とした木の風景、暗すぎる紫と緑のうねうねした植物の鉢。
すごく雑に言うと、岸田劉生の麗子みたいな。それベースに、デューラーみたいな執念とゴッホみたいな情念とフリードリヒみたいなネガティヴを足したら、初期野十郎さんかなぁ…。←超乱暴
そして、印象深いのは自画像。
膝を立てて座る大学生の画家。そのわざと露出された脛と首には深々と傷が穿たれて、赤黒い血が流れ出している。
表情は歪み、険しく眉根を寄せて、目は据わって、鑑賞者をねめつける。口は何かを語るように半開き。
とにかく強いメッセージ性がある。
好きか嫌いか、好みで言ったら、この自画像かなり嫌いだけど(笑)これが一番初めの中学時代の絵の次にあって、こちらを睨み付けてたからどん引きした。
裕福に何不自由なく育ったはずなのに、この自分を取り巻く社会への怨念、自分以外みんな敵感なんなんだろう?
40才ごろ、何年間か本場欧米へ修行に行く。やっぱり師につかず独学みたい。
その頃の絵は、いかにも明治日本な重く執拗なぎこちなさは薄くなって、のびのびとして明るく、少し力が抜けた感じ。やはり、留学の開放感なのかしら。
相変わらずくせは強い。輪郭へのこだわり。
日本に帰ってきてからの風景画は、初期のエグさはかなり和らいでいる。…大人になったのかな(笑)
以後、展覧会は時系列を離れてテーマごとの展示。…なので、「高島野十郎の画風の発展」みたいなのはちょっと分かりづらかった。
私の主観だけど、一貫して「どこか日本ぽい」。
風景が、ではなく書き方がなんとなく。写実的だけど、輪郭へのこだわりや、デフォルメ。
花はみな決して裏側を見せない。岩絵の具で描いたみたいな質感と、輪郭をはっきり取ることで生じる、ある種の平坦さ。
晩年の、微妙な色合いの青地に薄黄色の月だけが描かれたものなど、全てを削ぎ落とした引き算式の画面など。
なんというか、もちろん写実的でかなり保守的な洋式の油絵なんだけれども、その画面にはっきりとは現れない根っこのところに、伝統的に日本人の魂に刻まれてきた、輪郭で世界を把握したり、簡略化したりする(その伝統が今のアニメや漫画の発展にまで繋がっていると言われる)遺伝子を感じる…。まあ、これは私の感覚でしかないけど。
泰西名画の模倣は絶対にしないと志していたけれど、西洋の遣り方、ものの見方では、自分がこう見えていると信じる視覚世界は描けないっていうことなのかな。
既存の絵画の模倣はしない、という強い意志は、残された手紙からも伝わってきます。
ある娘さんから、画集を送られた時の返事には、ざっと以下のようなことが書いてあった。
「私の芸術は、他の画家の模倣で到達出来るものではなく、ただ描く対象そのものに迫ることなのです。…中身が分かっていれば受け取りませんでした。」
大変厳しい口調で、相手の好意にありがとうの一言もなし。…大人気ないよ! 言ってることはもっともだが、もうちょっと書きようがあるだろうに…(笑)よほど孤高の画家のプライドを傷付けたのでしょうか。。。
いくつのときの手紙か、確認しなかったけど、大人の対応と思えない(笑)それとも当時の人の普通の手紙ってこんなに塩対応な文体が標準だったりするんだろうか? 絵文字が無いから冷たく見える、的な。
……でも近代の芸術家を一般常識で測っちゃダメなときってありますよね、前後の文脈とか、2人がどれだけ仲良しかも分からないしね、うん。
とりあえず、この手紙1枚では、好感度はすごい下がった(笑)
限られた展示品から垣間見た画家の人柄的なことは、事実ではなく、あくまで私の好感度と印象にすぎませんので、置いといて。
静物画は素敵で、とても真面目な絵だけれど、つまらない絵ではない。
柔らかい均質な光の中で、壺や果物、細かい模様のある布地など、画面のすべてに、やはりほとんど均等に、忍耐強く精確に筆が行き届いているように見えた。
初期にあった歪みや、ピリピリした傷みは消えて、すごく安定感がある。初期のグロテスクな罌粟の花も結構好きだったけど。
リアルなカラスウリの実のリズミカルな存在感。
このからすうりが一番好きかも。からすうりの朱い実同士の絶妙な遠近感と、背景の壁に落ちる影。枯れて軽くなったカラスウリの浮遊感と、モノとして重力に引っ張られている重さ・軽さ。
時々、いくつかの静物を並べるときに、一つのリンゴや、謎の小さな真珠なんかが、ちょうど中央に置かれたりする。ちょっと意味ありげな構図です。
割れた赤絵の皿は、素敵なモチーフ。
偶然割れたお皿を描いたものか、モチーフにするために割ったものか。。。
暗闇のなか火の灯った蝋燭一本、というモチーフは、生涯のどの時期にも描かれています。販売用ではなくて、私的に描いて親しい人に送っていたのだそう。
その蝋燭が初期から後期までずらり。
どれも殆ど同じような構図、同じくらいの大きさ、同じような色彩。
でも全くのコピーではなくて、ちょっとずづ違う。初期のは例の執拗さを以て、戦後はかなり様式化させて。
仏教に傾倒した方なので、宗教的な意味が強いのかも知れない。けど分からない。
他に、小さな煙草と煙草の煙とか、似たような性質を感じます。
割と画面を均質に、あまり絵の具を盛り上げたり筆触を派手に残したりしないで仕上げるのが好きな画家ですが、「光」を描くときは別で、蝋燭の炎は、かなり絵の具の盛り上げが目立っています。
この光そのものを盛り上げて描く遣り方は、林の間から放射状の強い光を投げる太陽にも使われていた。むしろ、それにしか使われていないような勢い。
何か光の持つエネルギーを表しているのでしょうか?
晩年の月の絵は、超シンプル。
雲一つないスモーキーな青緑色の夜空と、アイボリーの月。だけとか。
空と月を縁取るようにちょっとだけ黒いシルエットの枝葉があるだけ、とか。
これだけで絵の間が持つのだから、それはやっぱり孤独に積み上げてきた画業の、徳のようなものの為せることよね。
さて、思ったことだらだらと描き連ねてしまった。頑張って締めの言葉をずっと考えていたのですが、一向に思い付かないので、打ち切り感満載で筆を置きます。