1430年代にドイツのライン川上流地域で発生した銅版画。
多作の銅版画家イスラエル・ファン・メッケネムの生きた当時、銅版画は開発されたばかりの新しいメディアでした。
その発生の起源は、彫金の技術に由来すると考えられています。
金、銀、その他金属に微細な彫刻を施す工芸の技が、銅の板に絵を彫りつける技術に応用されたのでした。
その黎明期の銅版技法がどんどん発達していった時代を生きたのがメッケネムでした。
メッケネムも金銀細工師と銅版画の修行をしました。
金や銀といった高価な素材を使う金銀細工師は、アーティストの中でも地位が高く見なされていたらしく、もっぱら銅版画をよくしたメッケネムも、時折金銀細工師を名乗りました。
メッケネムは大量のオリジナル、
コピー作品を作り、銅版画の普及に貢献。
初期には、逸名の版画家「E.S.の画家」に師事したとみられる。そして、彼が亡くなると、その原版を相続したとされるそうです。
推定お師匠E.S.の画家。
久し振りに見た、E.S.の画家!
本名は残っていなくて不明だけれど、銅版画作品にイニシャルの「E.S.」だけが署名されているから、こうあだ名される。
解剖学的には古風だけど、繊細な線刻で柔らかな陰影。顔もおだやかで綺麗で上品で素敵だ。
E.S.の画家ってメッケネムのお師匠(推定)だったんだ!
推定お師匠E.S.の画家をコピーするメッケネム。同時期のメッケネムは初期でまだぎこちない。
メッケネムや推定メッケネムの父、E.S.の画家が並ぶなか、10作品め位で、マルティン・ションガウアー出てくる。
少し古風なE.S.の画家と、ぎこちないメッケネムの後に見るので、うまい!超画力と思う(笑)
メッケネムも、ションガウアーをコピーして頑張るけれど、至らず。逆にションガウアーの旨さが際立ちます。
適格で魅力的な深い陰影。メリハリのある線刻。画面には奥行きもある。人物は力強く、かつ優美な表情。 足の血管まで的確に描く細密さ。
例えば、聖母の死の場面。
マルティン・ションガウアー〈聖母の死〉
描かれた本の文字まで、本当に読めそうな文字らしい描写です。
同じ絵をコピーしたメッケネムですが、再現率は高いものの、文字などの細部にも省略化が多く、全体で詰めが甘い。(多分、完全コピーを目指していた訳ではないと思うけれど。)
メッケネムの聖アグネスの絵とか。
メッケネム〈聖アグネス(ショーンガウアーに基づく)〉
羊を連れた聖女のシンプルな構図です。タイトルに「ションガウアーに基づく」とかあって、これもションガウアーのコピーだと分かる。
アグネス、もとのションガウアーは展示されていないんだけど、原作はもっと格好いいんだろな~と思ってしまう。ごめんなさいメッケネム。
さて、ドイツ銅版画といえばデューラー。
デューラーはまた別格です。
一本の線の出力、線の表現力が違うと思いました。
メッケネムのがおおむね均質な線だけど、デューラーは、画力はもちろんのこと、一本の線の中に、太い部分と細い部分が幅広く自在に変えてある。
ちょうど歌手で、強い音と弱い音を的確に歌い分るける人と、音は外さないけど一生懸命に一本調子で歌う人とがいるようなのと似ているかも。
このメッケネム展における重要人物が、ハートマン・シェーデル。同時代のコレクターです。
彼はメッケネムの版画を多数蒐集し、そのコレクションがそのまま(だったと思う…)現代に受け継がれて、こうして展示されているそうです。
彼には不思議な癖があって、なぜか版画に描かれた女の子、天使など人物の唇を赤で塗るという…。髭面の東洋人まで、紅さしてて…何なんだろう、このこだわり。
メッケネム〈東洋人の頭部〉(↑これは展示には来てない別の刷り)
服とかは塗らない。他に同じ赤で屋根とか、退色してるっぽいけど、青で塗られた形跡があったりとかもした。
大人の塗り絵というか、何か色を塗りたくなっちゃう本能というか(笑)
正確な意図は分からないけど、ちょっとその時代の一般人のこだわり?の行動が垣間見れて、ほほえましく思いました。
メッケネムの宗教主題の版画は、美術品より礼拝用という実用的な性格が強かったようです。
全部集めて一つの作品になるものや、免罪機能が付与された作品とかもありました。商売上手。
免罪機能付きの聖グレゴリウスの絵は、後の時代に、免罪されると記述された一番下の文字の部分だけが切り取られているらしい(笑)
メッケネム〈聖グレゴリウスのミサ〉
あーやっぱり後世に免罪ってヤバいよ、みたいな感じになったんでしょうかね…どうだろう。
さて、メッケネム版画展なのに、一番好きだったのが、こうした礼拝用のメッケネム版画を上から水彩絵の具でがっつり塗ってしまったもの。一見全く版画作品には見えない(笑)
磔刑図で、中央にキリスト、左右にマリアとヨハネ、天使たち。
左:メッケネム〈磔刑〉右:ドメニクス・ロッテンハマー彩色
やっていることは大人の塗り絵なのですが、まあプロの画家の塗り絵は、すばらしい出来映えで、雲母のきらきらの(高級そうな)青い絵の具のマリア様が美しい。
鮮やかな赤、緑、黄色。金と銀(黒ずんでいる)で施される後輪や輪郭やハイライト。
鮮やかな天使の極彩色の翼、薔薇色の天使の衣。この衣も、金でハイライトが施してある。
もともと線刻を重ねて暗くされていた背景は、鈍い紺色で塗られ、鮮やかな人物たちを引き立てています。
とても丁寧な仕事。保存は良好、本当に礼拝対象として、いわば色彩によって荘厳して大事にされたんだなぁ。
多作のメッケネムは、宗教画以外にも、もちろん世俗主題も手掛けます。
同時代の油彩に比べて、銅版画の方が世俗主題は豊富だそうで、油彩より容易に複製できる銅版画の性格が影響しているものと思われます。
(とはいえ、現代人が考える印刷物よりは高価だったらしいけど、展示でははっきり書かれていなかった。)
もちろん恋愛主題は人気でした。
中世のミンネザング(貴婦人と騎士の宮廷恋愛)主題も取り扱われました。が、15世紀のメッケネム当時は、宮廷恋愛=不倫=社会通念に反する=教訓や警告を表す図像として、華やかながらも皮肉な感じに描かれることも多いそうです。
指輪を持った美女の周りで、滑稽に躍り狂う伊達男たちとか。彼らの中に、舌を出した道化師も紛れ込んでいます。
メッケネム〈モリスカダンス〉
因みに、モリスカとはムーア風のという意味の由。
こうした多くの世俗主題の版画は、宗教画と違って元絵が分からず、もしかしたらメッケネムのオリジナルかも知れないそうです。
聖人のお守りやお祈り用の一枚絵以外にも、聖書の物語連作なんかも描くメッケネム。
メッケネムとションガウアーが並べてあって。(時々、デューラーの木版)
ほぼ同時代ながら、はっきりと構図上の哲学の違いが顕れていました。
メッケネムは説明的です。一つの画面に複数の場面を詰め込む、異時同図法。だから物語の時間の流れを追うことが出来ます。
ションガウアーはある目立つ一時点に集中して、1枚1場面の単純な構図。こっちの方がスタイリッシュに見えるのよねぇ。
でも、どっちもそれぞれの画風に合ってる気がする。
油絵とは違って、同じ絵を何枚も複製出来る銅版画。
油絵より格は低いとされるものの、より多くの人の目に触れ、メディアとしての影響力は大いにありました。
そんなメッケネムの版画の伝播力は、絵画の世界だけでなく、見本や図案として工芸品にも及びます。
例えば、メッケネムの装飾イニシャルが本の装飾として張り付けられたりしたらしい。やっぱり実用的。
個人的には…メッケネムってこうしたオーナメントなどのデザイン方面の方が素敵だと思う。
メッケネム〈大文字アルファベットR、S、T、U〉
この手の装飾図案で、狩人とうさぎのモチーフは、お茶目でお気に入り。
中世から写本の端っこに描かれてきた「狩人を狩るうさぎ」
立場逆転で、うさぎが狩人を狩ってしまう図柄です。
手足を枝に縛られローストされている狩人。鍋で煮込まれる猟犬たち。
人間がうさぎにそうするのは、ただの食事風景なのに、うさぎが人間にそうすると、可愛い顔して何て残虐なうさぎだ!となってしまう皮肉。
さて、今回の展示の花形、メッケネムとションガウアーとデューラー。
活動場所はドイツ国内でそれぞれ北と西と南と、見事に遠く離れているのですが、著作権侵害の概念が微妙なこの時代、お互いにコピーしたりされたり、参考にしたりされたりと、しっかり影響しあっていて、同じ画像を何枚も印刷できる版画の伝播力の強さに、やっぱり版画って面白いなあと思ったのでした。
この伝染力が、版画の醍醐味の一つよね。
でも一番の感想は、ごめんなさい、ションガウアー格好いいわ~メッケネムよりションガウアーだわ~ションガウアー展もぜひ……!でした(笑)