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○なんせんす・さむしんぐ○

美術や音楽の感想とか、動物中心のイラストのブログ。

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アカデミア美術館所蔵 ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち展感想 前編

アカデミア美術館展の感想、というより自分メモ。自分メモすぎてあんまり人様が読めたものではなくなりました。(大体いつもだけど)
 しかもまさかの前編、後編。


 ルネサンスの初めから、バロックの入り口まで、時代順に並べた展示です。

 章立ては直球で、1440年代のヴェネチアにもたらされたルネサンスに始まり、ヴェネチア派を頂点に導いたティツィアーノとその周辺、それからティツィアーノの後継者、特にティントレット、ヴェロネーゼ、バッサーノの3人に焦点を当て、最後に3人の息子世代、ほとんどバロック化した作品と進みます。
 とても明快に分けてあって、ヴェネチア派の流れを整理しながら体感出来ました。

 ヴェネチア派そのものは多分18世紀まで続くけど、「ヴェネチアのルネサンス」の下限はその辺りまで、ということなのでしょう。
 となると、ヴェネチア・バロックというのも、どんなものだろうとふと気になるけど 、不勉強でティエポロの時代まで、あまり聞くことないのよね。

 とはいえ、この展示の最後の方を見ると、一見「ほとんど普通のバロック」って感じで、こう、ヴェネチア派に安直にイメージされる華やかさとか、祝祭感とか、そういうものが薄かったです。それがこの展示の固有の癖なのか、もっと一般化してもいいものなのか、私には判断が出来ないけれど。(今のとこ前者だと思ってる。)


 総括終わり。
 以下、個々の作品の感想メモになります。

●第1章 ヴェネチアの初期ルネサンス
 ともあれ、フィレンツェにやや遅れて、フィレンツェ美術の影響を受けながら始まったヴェネチア・ルネサンス美術。
 ヴェネチア派の祖、ヤコポ・ベリーニは、合理的な空間構成と、人間の人間らしい感情表現を描き出すことを目指したそうです。

 展示そのものは、彼の息子ジョヴァンニ・ベリーニの聖母子像から。

ジョヴァンニ・ベッリーニ<聖母子(赤い智天使の聖母)>
 解説によれば、ヴェネチアの油彩は1470年代にアントネロ・ダ・メッシーナによってもたらされたとのことで、ベリーニ作品は既に板に油彩でした。

 正直に言って、何人かいるベリーニという画家を、まだ全部ごっちゃにしている(笑)ベリーニ一族展とかもやってほしい。是非。

 この聖母子の上に舞い飛ぶ、真っ赤なケルビムが、お土産でピンズになってて、要らないけど欲しかったです。あと、ヴェネチアのシンボル、聖マルコの有翼ライオン。欲しい。

 聖マルコのライオンは出てきませんが、次のヒエロニムスの死の場面で、早速お付きのライオンが出てきます。こちらはテンペラ画。

 ライオン、飼い主に先立たれてこれからどうなるんだろう。

 結構、ライオンぽい。画家はちゃんとライオンの本物見れたのかなー。
 ライオンは画面の左隅で大人しく伏せをして、葬送のミサを眺めている。ライオンの向こうには線的な遠近法で、回廊が奥まで続いている。



 アントニオ・デ・サリバの受胎告知は印象的でした。

アントニオ・デ・サリバ<受胎告知の聖母>
 アントネロ・ダ・メッシーナの模写と見られるそう。物語の説明は一切なく、黒背景の中央にマリアだけが、読んでいた聖書から顔を上げて、こちらを見ている。青い布を被ったマリア様の美人な顔立ちを引き立てるシンプルな黒い背景。
 光は自然で、驚いたように宙に浮く右手の、指先の短縮法が鑑賞者を画中に引き込みます。

 隣のマレスカルコの受胎告知も、マリアだけのガブリエルなし。こちらは背景があり、場面を室内に置いています。繊細に描かれた書見台の、黄色い唐草装飾が華やかで、壁や書見台、窓など垂直と水平に区切られた褐色の画面に彩りを添えます。柔らかい光に照らされたマリアの顔は、アントニオ・デ・サリバより空想的。


 初期ヴェネチア派のコーナーで、一見画風のちょっと違う絵がありました。
 それはフランチェスコ・モローネの絵。解説によればお隣?ヴェローナ派。だそう。

 んー、ヴェローナって大体ヴェネチアの辺りじゃないのか…(超乱暴)
 イタリア美術は地方毎に色々あって、影響したりされたりで難しいなぁ。面白い。

 ジョヴァンニ・ベリーニの他に、マンテーニャとデューラーの影響もあるそうで。
 絵は、なるほど北方混じりの感じがする。光沢がある緑の布の質感のこだわりが、ちょっとエグい。
 マリアの顔は、たれ目の儚げな色白美人さん。
 この画家は、健康的な美女よりこういう蒼白い顔の女性が好みなのかしら(笑)
 全体少しヒビが入ってて、顔も傷みで少しぼんやりしてしまって、それがいっそう儚げに見える。


●第2章 ティツィアーノの時代

ロッコ・マルコーニ〈キリストと姦淫の女〉
 沢山の人物がひしめく華やかな画面。
 姦淫の罪で大勢の男たちに取り囲まれてしまった女。そこへキリストがやってきて、彼女を責めるなら、今まで罪を犯したことの無い奴だけにしろ!と言って女を助けてあげるキリスト。
 主役のセクシー担当(?) 、姦淫の女。ちょっと冷たい目付きで、横目に画面左を睨む。全然反省してませんね。
 一番手前の一番明るいところで、目立つように描かれています。
 身なりはゴージャス。金の髪に、真珠の鎖と青のリボンを巻き付けて、美しく結い上げる。緑と金の(当世風?)ドレス。
 背景の古代風の円柱に、唐突に紙切れが張り付けて描かれていて、画家の名前が超目立つように書き込まれています。自己主張激しいな。
 ふと画中、一人の男とバッチリ目が合ってぎょっとする。髭面4分の3正面。前にいる男の影になって、首だけが見える。こちらをじっと見つめているのはこの人だけである。



 初のティツィアーノ工房作品。

ティツィアーノ工房<ウェヌス>
 今まで全て宗教画だったけど、急に半裸のヴィーナス。……この顔、絶対他の絵で見たことある。同じ顔の使い回しだ(違)
 
ティツィアーノ<鏡を見るウェヌス>
 と思ったら、こういう絵も描いているので、人気の絵のコピー作品ってことなのかな。

 茶色い服が中途半端に肩からずりおちて、はだけてる。のを、例の恥じらいのポーズで押さえている。毛皮とウールの当世のドレスだろうか? 褐色の背景と溶けて曖昧でわからないけど、ギリシャのギリシャっぽいひらひらではない。
 ヴィーナスの傍らのゴシック調の宝石箱(?)で、場面はむしろヴェネチアの香気と色気。さりげなくルビーの指輪が意味深に置かれているのが素敵。


 後期ティツィアーノの聖母子像。

ティツィアーノ<アルベルティーニの聖母>
 金褐色の落ち着いた画面。悲しげにキリストを見つめるマリア。彼女の膝の上で、だらりと力なく垂れた赤子の右手は、来るべき死を暗示するそうな。
 確かに、十字架から下ろされ、墓地へと運ばれるとき、その死体はこのように重力に従っている。なるほどー。

 明るく照らされるキリストの体。その光のもたらす深い影が、人物を絵の中で浮かび上がらせます。
 判然としない風景。草木の生えた地面と、その境目の曖昧な空、金の光を受ける分厚い雲。
 マリアの顔は先のヴィーナスとは全然別人で、繊細でほそやかなかんばせをしている。

 美しい絵です。表面に一層、白いフィルターがかかったようになって、ワントーンパステル調に上がっているように見える。
 これは絵の傷みなんでしょうか。それとも当初から彩度低い色調気味に描かれたのでしょうか。ひょっとして、ティツィアーノの系統の絵って、ちょっとした傷みなら目立たない気がする(笑)


 そして、真後ろに目玉の「あれ」があるなぁとちょっとした圧力を感じつつ(笑)
 振り向くと「色彩の錬金術」。同時代にそう評されたとか。

 聖堂後陣風の半円の空間。一部屋まるごとで空間を盛り上げてくるVIP置き。高い天井に、緋色の壁紙。人が小さく見える。

 高さ4メートルを越えるティツィアーノの受胎告知!

 金色の雲から舞い降りる鳩と天上から降りる天使たち。わずか隙間に見える青空と、雲の黄色の対比。
 左からの強い光を受けるガブリエル。近づけば衣は、白や灰色、桃色やブルーグレイの何色ともつかない……明るい色。
 翼を広げたガブリエルは、マリアの方へ一歩踏み出し、身を乗り出したところ。
 マリアはそれに呼応して、恐れか謙譲か、一歩身を引く。そこは少し暗くなった場所で、さらには頭のベールとそれを摘まむ手で、顔に影を作っている。
 ガブリエルの光が眩しくて、遮光してるのかな?って思ったんだけど、説明書き曰く、この身振りはガブリエルの声をよく聞こうとするポーズ、とのことです。

 マリアの手前の、目の高さにあるガラスの花瓶には、窓枠越しの外からの光が映り込んでいます。これだけが、この超現実な画面において、我々の現実世界との接点に思える。
 その花瓶に刺さるバラのようなピンクのしみ。多分、お花だと思うんだけど、筆触が荒すぎて判別不能です(笑)

 そういう訳で、場面はおそらく室内なのかしら?とも思うのだけど、天上から漏れてくる神秘のもやが、背景の柱と床以外の建築要素を覆ってしまい、むしろ遥か遠くまで霞んで見える屋外に見える。いや、屋外にしか見えない(笑)

 そのまま近い位置で上を見上げる。最も明るい部分を改めて見てみると、雲が筒状に立ち上がっている。遠くからは、明と暗、黄色と褐色のグラデーションだった色彩が、奥行きをもって立ち上がっているのです。

 地上に満ちて暗い影を作っている金褐色の雲は、高みに昇るにつれて、暗い朱鷺色から、輝くクリーム色 、そしてアイボリーへと明るくなっていく。その先は黄色と対称の、遥か遠くに見える小さな青空。
 その遠くの青空から金色の光を受けて鳩が降りてくる。

 絵の真下に立って見た方が、遠くから全体を眺めた時よりも、円筒の雲の高さ、立体感が出てる。
 空を舞う天使たちの遠近感や立体感や浮遊感も、真下からの方が迫力があるように見えました。
 遠くの雲間に舞うケルビムたちは明るい天上の光を浴びて、より地上の近くを飛ぶ天使たちは、地上の強い光に照らされて、くっきりとした影を作って浮かんでいる。
 画面右上の天使の、こちらに足の裏を見せて浮かぶもの、画面左上を飛ぶ天使の、翻る赤い衣の辺りがお気に入りです。

 この天上世界はこうやって視界に収まりきらない近くから見上げるのが、私は好きでした。
 現地の本来の設置場所ではどれだけ近寄れるのかな。美術展では1.5メートルくらい?の下から見上げられました。


 そして気になる、最下部の格調高い署名、TITIANVS FECIT FECIT.ティツィアーノが作ったり、作ったり。

 なぜ、二回繰り返す!(笑)

 正直、近寄って一番最初に目に入ったけど、敢えて突っ込まなかったんだけど。
 いや~描くも描いたり、ティツィアーノよくやったよね~って気持ちなのかな、やっぱり。
 ちょっと図版を覗いたところ、このFECIT FECITの部分は、元々はFACIEBATとあって、後世に直されたらしい。
 fecitは完了形ですが、faciebatは未完了過去形です。
 faciebatの教科書的な意味としては、作っていた、作りつつあった、作ろうとした。とか。……うん、これだとまだ未完なのかな?作っていたけど駄目だったのかな?って感じがしてちょっと不安になりますね。

 ティツィアーノ本人の気持ちとしてはfaciebatだったのかしら。どんな意味をこのシンプルな言葉に込めてたのかな。

まさかの後編へ続く

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