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○なんせんす・さむしんぐ○

美術や音楽の感想とか、動物中心のイラストのブログ。

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ミュゼットの音に思うこと

かねてより本物の音色を聴いてみたかったので、ジャック・カロ展に際してミュゼットやバグパイプ、ハーディガーディといった音が途切れず持続するドローン楽器のレクチャーコンサートがあって喜んで行ってみたわけです。

イアサント・リゴー〈ミュゼットを弾くガスパール・ド・ゲダン〉

 ミュゼットの音を聞きに行って、素直な感想。。。

 何だか、多分、ミュゼットって奏者がステージに立って、聴衆が大人しく椅子に座って鑑賞するものじゃないのではないかなーと。

 何だろう、その田園楽器としての世界観を楽しむための記号論で成り立つ楽器であって、「芸術」というよりはサブカルっぽいというかコスプレっぽいというか。
 まあ定義のあいまいな芸術やらサブカルって言葉を使う時点で怪しいのですが。。。

 例えば、昔のゲーム風の素朴なピコピコ音で素敵な曲があるけれど、それをホールに「鑑賞」しに行ったりはしない、というような感じ。
 大事に棚に陳列して愛でるものでなくって、私的に消費されて真価を発揮するもの。

 うん、周り全員で羊飼いの格好をしてバレエを踊って、もしかしたら田舎風の舞台装飾の中で、あるいは本当に庭園とか人工的な自然の中で、お芝居とか美術音楽その他もろもろで総合的に、雰囲気全体で盛り上がるものなんじゃないかな、と。

 いや、鑑賞に堪えないとか言っている訳ではないのだけど。
 音楽というより田園というネタ先行な印象でした。

 このアルカディアンなねたが圧倒的に好きなんです。
 もうなんか、ウェルギリウスの変形の変形のなれの果て感が、グロい。(←これは褒め言葉)
 というか、それをさらに姿勢正して小ホールで拝聴してる自分のこの瞬間の方がちょっとグロい。(←褒め言葉ではない)
 「鑑賞」しているときに感じたのは……違う世界の住人的な違和感というか、自分のいる次元とミュゼットの音の鳴っている次元との間にいわく言い難い見えない壁があって、この神秘な防壁(笑)をどうしよう。。。というような感覚。

 さて、分かりにくくて誤解を招く恐れを承知で、敢えてグロテスクという言葉を使うことにしたけど、この場合のグロは、血とか死体とかゾンビとかでぐちゃーっていう生理的な意味でなくって、ラファエロ風文様方面のグロテスク。優美で軽快(じゃないこともあるけど)、不条理にして奇怪なあの愛すべきグロテスク模様。

 何がグロテスクかというと、素朴さを洗練するという錯綜。
 ミュゼットのドローン管は小さな円筒の中に繊細・高度な技術を駆使して折りたたまれているのだそうな。
 常に袋に溜めた空気が送られてくるので、基本的に音を途絶えさせることは出来ない構造で、つまり簡単に言うと休符が弾けない。
 しかしミュゼットは、旋律管の穴を全て押さえるとドローン管と同じ高さの音が鳴るようになっていて、旋律の音をドローンに紛れ込ませることで、旋律の音が途切れて聞こえるようになるという。
 これによって、より旋律を歌うことが出来る。頭いい!
 
ジャン=バティスト・ウードリー〈空気の寓意〉
 そして、見た目としても、皮袋を華やかな布で覆い、房を垂らして、明らかに素朴でない。絶対にこんなゴージャスな楽器持ってる羊飼いいないわ。って皆分かってて敢えて突っ込まないし、羊飼いは憧れるけど、現実の羊飼いどうでもいいっていうデザイン(笑)


 これは、時代を超えない。
 このねたが分かる人、共感してくれる人たちがいなくなってしまえば、一緒に滅びる。

 田舎のリード楽器にしては、かぼそく甘やかな音。小さな音というわけではないけど、弱くて、うん、甘い音。
 とても媚びてる。でもそれが使命なので、いやらしいところがない。
 それはもうブーシェの羊飼いのように。
 
フランソワ・ブーシェ〈ラ・ミュゼット〉
 この絵は酷い(笑)
 本物の羊飼いも楽器もどうでもよすぎだろう、ブーシェ。
 この絵を冒頭に持ってこようとしたけど、ミュゼット画像としてダメ過ぎたので…(笑)


 印象の域は全く出ないけど。
 ミュゼットがサブカルだと仮定すると。うわ強引。
 ヴァトーが田舎風の格好をしたミュゼット奏者を描き、やはり牧人風の踊り手(正体は本物の牧人ではない。)などを描くとき。

アントワーヌ・ヴァトー〈田園の愉しみ〉
 それって、やっぱりアヴァンギャルドなのかも。偉大にして古き、バロックの硬直化した古典主義と、暑苦しくて面倒くさいアカデミーの権威主義(100%言い過ぎ)とに対抗して、新しい芸術の潮流としてサブカルの力を投入する、なんて現代でもどっかで聞いたような。
 ちょっと単純化しすぎかな(笑)
 ・・・一瞬、自分で面白い考えだと思ったけど短絡的すぎだね(笑)

 そもそも念の為いえば、メインなカルチャーとサブなカルチャーが分化している時代でなく、サブカルって概念すら無いし。
 ・・・・・・より相応しくは・・・・・・リベルタンとか?
 ああ、うん。田園ってリベルタン的な場所だよね、確かに。個人の人間性を否定する絶対的な王権や宗教に対抗する、個人の人間的な自由を約束する場なんだ、田園って。つまりヴァトーが描いた革新は・・・とこれ以上言うと元々ふにゃふにゃの話の軸がどんどんぶれていくのでこの辺で。

 さらに念のため言えば、アカデミーがアート界に新風を起こそうと、新進気鋭のヴァトーを会員に迎えたので、印象派VSアカデミズムみたいに、ヴァトーがアカデミーと戦ったりとかそういうことはない。
ヴァトー〈ミュゼット奏者〉 

 ともかく、この時代に流行ったモチーフとしてのミュゼットの音に直に?触れてみて、もちろん現代人として、18世紀人と同じように聞くことは環境的にも精神的にも出来ないけれど、色々と思い巡らすよすがとなったのでした。

 というか、ミュゼットもっと現代でも流行れ!(笑)…無理かな。

 もちろん全部想像。特にサブカル云々は後々もっとこの楽器に触れる別の機会があったら、撤回するかもしれない印象に過ぎません。

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