かねてより本物の音色を聴いてみたかったので、ジャック・カロ展に際してミュゼットやバグパイプ、ハーディガーディといった音が途切れず持続するドローン楽器のレクチャーコンサートがあって喜んで行ってみたわけです。
イアサント・リゴー〈ミュゼットを弾くガスパール・ド・ゲダン〉
ミュゼットの音を聞きに行って、素直な感想。。。
何だか、多分、ミュゼットって奏者がステージに立って、
何だろう、
まあ定義のあいまいな芸術やらサブカルって言葉を使う時点で怪しいのですが。
例えば、
大事に棚に陳列して愛でるものでなくって、
うん、周り全員で羊飼いの格好をしてバレエを踊って、
いや、鑑賞に堪えないとか言っている訳ではないのだけど。
音楽というより田園というネタ先行な印象でした。
このアルカディアンなねたが圧倒的に好きなんです。
もうなんか、ウェルギリウスの変形の変形のなれの果て感が、
というか、
「鑑賞」しているときに感じたのは……
さて、分かりにくくて誤解を招く恐れを承知で、
何がグロテスクかというと、素朴さを洗練するという錯綜。
ミュゼットのドローン管は小さな円筒の中に繊細・
常に袋に溜めた空気が送られてくるので、
しかしミュゼットは、旋律管の穴を全て押さえるとドローン管と同じ高さの音が鳴るよう
これによって、より旋律を歌うことが出来る。頭いい!
ジャン=バティスト・ウードリー〈空気の寓意〉
そして、見た目としても、皮袋を華やかな布で覆い、
これは、時代を超えない。
このねたが分かる人、共感してくれる人たちがいなくなってしまえば、一緒に滅びる。
田舎のリード楽器にしては、かぼそく甘やかな音。
とても媚びてる。でもそれが使命なので、いやらしいところがない。
それはもうブーシェの羊飼いのように。
フランソワ・ブーシェ〈ラ・ミュゼット〉
この絵は酷い(笑)
本物の羊飼いも楽器もどうでもよすぎだろう、ブーシェ。
この絵を冒頭に持ってこようとしたけど、ミュゼット画像としてダメ過ぎたので…(笑)
印象の域は全く出ないけど。
ミュゼットがサブカルだと仮定すると。うわ強引。
ヴァトーが田舎風の格好をしたミュゼット奏者を描き、
アントワーヌ・ヴァトー〈田園の愉しみ〉
それって、やっぱりアヴァンギャルドなのかも。偉大にして古き、
ちょっと単純化しすぎかな(笑)
・・・一瞬、自分で面白い考えだと思ったけど短絡的すぎだね(
そもそも念の為いえば、メインなカルチャーとサブなカルチャーが分化している時代でなく、サブカルって概念すら無いし。
・・・・・・より相応しくは・・・・・・リベルタンとか?
ああ、うん。田園ってリベルタン的な場所だよね、確かに。個人の人間性を否定する絶対的な王権や宗教に対抗する、個人の人間的な自由を約束する場なんだ、田園って。つまりヴァトーが描いた革新は・・・とこれ以上言うと元々ふにゃふにゃの話の軸がどんどんぶれていくのでこの辺で。