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○なんせんす・さむしんぐ○

美術や音楽の感想とか、動物中心のイラストのブログ。

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シャルダン展の感想…というかロココ愛。


 シャルダン展について、十八世紀が拠点とかいいつつ、何も感想を書かないのかと問われると、はて、どう書いたものか、感想がない訳ではないけれど、どうもはっきりしなくて躊躇われる。

 ジャン・シメオン・シャルダンは、好きな画家です。もちろん大好きな十八世紀ものだからという義務的なものでなく。
 でも実をいえば、シャルダンに正面から取り組んだことはない。あの時代の静物画全体に大いなる興味を持っているものの…、偉大なるシャルダン先生は歴史画を描かなかったからか、手軽に読めるがっつりした文献がなく、放置しっぱなしという。
 そしてそのために、私はシャルダンに対する自分の立ち位置を決めかねている、という次第です。
 自分に関わりが深いと感じているものほど、かえって慎重になります(笑)

 立ち位置の迷いポイントは主に以下。
「〈食前の祈り〉において、シャルダンは家庭の日常の何気ないひとこまを切り取って描いた。」
ジャン・シメオン・シャルダン〈食前の祈り〉
 ……本当に?
 そんなに十九世紀くさい見方で大丈夫?
 あるいは、それで正しいのかも知れない。でも、まろりーは確かにそうだと言える証明を、まだ見ていない。

 まあ、いいでしょう、難しい話はなしにして、うろ覚えのシャルダンのエピソードを一つ。これがまろりーのシャルダンイメージ。

 美術批評家のディドロ氏が「サロン」と呼ばれる唯一の権威ある官展に訪れたときのこと。
 案内役を勤めるシャルダンがディドロに向かって言うのです。
「どうかお手柔らかに! この展覧会じゅうで最も拙い画家だって、全ての画家の間では最高の部類なのです。皆、血を吐くような努力をして、それでも日の目を見ない輩も大勢いる中で、ようやくサロンに出品しているのです。だからどうか、お手柔らかに!」
 格好良いぞ、シャルダン。そしてなんて良い奴なんだ、シャルダン。

 イケメンではないが、シャルダンと奥さんの肖像。奥さんと似てるよね。

 シャルダンの絵の素敵なところは、この情の深さが反映している(のかもしれない)描写の柔らかさ。シャルダンが描こうとした静物と特別な心を交わしているかのような、静物を取り巻く空気と情感。 
 だからといってひたすら軟弱なだけではなく、どんなに小さな絵でも確かな存在感がある。

〈コップの水とコーヒーポット〉(日本語タイトル分からない…)
〈葡萄といちじく〉
 (全てがシャルダンの絵画という贅沢で稀有な展示なので気付きにくいけど、かつて外国のコレクションで他の有名な絵に混じって何気なく飾られたシャルダンの、はっとするような存在感は忘れません。)
 圧倒的に地味だけど、本当に染み入るような存在感。
  フランソワ・ブーシェ〈ユピテルとカリスト〉
同僚のブーシェがロココを地で行く一方、シャルダンは何て誠実で地に足ついてることか。
 でも、シャルダンの風俗画に満ちている光は、やっぱり「ロココ調」といった感じの、ハレーション気味で、ああやっぱり純粋に綺麗
だなあ。

シャルダン〈良き教育〉
 啓蒙主義の匂いがぷんぷんするけど、光がひたすら綺麗だなあ。(2回目)

 以下はあくまでも好き勝手な空想。
 おそらく、シャルダンは静物画を描くことを心から愛して、大家の自負もあったけれど、一方でその画題が当時最も格が低いとされていたことを弁えていて、多分、人物画や歴史画を描けないちょっとした劣等感もあった。
 後の時代に、写実の歴史画にも劣らない価値を世に認めさせようとしたクールベや、りんごで絵画の価値観を変えたセザンヌのように、国家転覆(笑)の野望はさらさらなく、本当にただ愛していたので、だから穏やかで情のこもった、斜に構えたところのない真っ直ぐな美しさがある。のではないでしょうか。クールベやセザンヌのような腕力は確かに無いかもしれないけど。


 晩年、〈良き教育〉のような、より稼ぎのいい風俗画のヒットと、裕福な奥さんとの結婚で、金銭的に余裕が出ると、ひたすらまた静物画に専念したのだそうな。
 歴史画家や、まだしも風俗画家の方が格上なのに、無理に名声を求めたりしないで、自分の好きな道を貫く。やっぱり格好良いぞ、シャルダン。
 でも、多分、もっと貧乏だったら風俗画とか肖像画とかをいっぱい描いてた気はする。社会から認められなくても自分を貫く呪われた画家街道には乗らないで、バランスよく。で、くそー俺は静物画描きたいのに!とか苛々しだしたら面白い。という妄想。
 
左;シャルダン〈猿の画家〉右;〈猿の骨董家〉
こういう絵も描いたりします。
妄想に長く費やした。閑話休題。


 当時の人は、しばしば自分たちの時代を「人間的な世紀」と呼んだけれど、それは絵画にも言えることで、良くも悪くも芸術は人間的だったと思う。この盛期ロココの時代、恐らく一般的な芸術が人間を越えることは滅多になかったし、その代わり絵画は宗教や王侯の権威を離れて、今日有名な画家の絵はどれも、目の前のものに感動すること、逆に空想にふけること、描くこと、芸術することの悦びや幸福感が滲み出ています。画家それぞれの愛する分野で活躍し、しかもそれが流行や大勢の考えと大きく解離することがなかったように見えます。その裏の血を吐くような努力も、血は画面にべっとり付かない。それが芸術の目的ではないから。
 みんなが芸術家の血と犠牲と殉教を嬉々として求めるのはもっと先の話。
シャルダン〈画学生〉
それにしても、この貧乏画学生の絵大好き。この背中にシャルダンも共感していたのかな。きっとリアル。
ブーシェ〈アトリエの画家〉
 でも、経歴の華やかなブーシェにもこういう時代があった?

 ちょっとシャルダン通り越して大きな話になってしまった。しかも、上記はあれです、愛着故のえこ贔屓です。とっても肩入れして贔屓目に不当に褒めてます(笑)
 どんなことにも、一方から見れば、光のよく当たる部分や陰になって見えない部分がある。そしてもちろんはみ出した例外的な部分も。
 まろりーのブログは、基本的に一方面から見える一部しか書かれていません。何故なら、このブログは、主の愉悦や幸福や讃美を書くものだから。基本的に。もちろん人間的に例外も(沢山)ある。

 さて、いい加減シャルダンに話を戻さないと…ってこの記事が始まってから一度も話の中心がシャルダンにあった試しはない。

 例のデルフトの画家人気にあやかって、「十八世紀のフェルメール」などと謳い文句だったけど、確かに黄金時代のオランダ絵画とシャルダンを比すのは面白いと思う。必ずシャルダンが影響を受けているはずだし、(最近まで無名だったフェルメールの影響は多分無いと思うけど)一般の絵画購入者にも人気だったらしいから。
 あー、まろりーが学生とかだったら、十八世紀絵画におけるオランダ絵画の影響、とかレポート書きたい(レポートレベルかよ)
 「食前の祈り」にしても既にオランダ絵画に同様の主題があり、人気も高かった。
ヤン・ステーン〈食前の祈り〉
 でも「食前の祈り」は、保守派受けのする前時代の単なる踏襲ではなくて、当時啓蒙の世紀の時流にも乗ったテーマです。
シャルル・ルブラン〈聖家族〉
⬆大体同時代の人
 良き社会は良き家庭から、良き家庭は良き教育から、とフランス社会全体で子供の教育熱が高まり(とはいえ、現実は少しも理想に追い付けなかった訳だけど)、だからシャルダンの子供主題の絵画には子供の愛らしさをクローズアップしただけでなく、教訓もあり……
 ……あれ、「静物画のシャルダン」だと思っている割には、「食前の祈り」に興味を引かれているようです。この辺云々は直ぐに調べもつくから、個人ブログではなくものの本で読んでいただくとして。
 ひょっとして、シャルダンの戦略には嵌められたのかしら。言われてみれば保守派にも先進の思想家にも向く(つまり大体全員)絵なのかも知れない。
 にしたって、けれん味がないのは、シャルダン自身の考えと、きっと合致していたのかな。才能っていうのは得てして、大勢の考えと作者個人の考えが一致していることを言うものだ(過言です)。
 結局、いつもの通りに空想に転じる。
 やっぱり、十八世紀の静物画全体でどうだったのか、そこが曖昧だから喋りにくいのよね。
シャルダン〈カーネーションの花瓶〉
 きっとシャルダンに影響を受けたり与えたり、もっと繋がっているはずなんだ。

 比較対照が他の時代しか無いから、ざっくりシャルダン通り越した話になるんだ。
 考えてみたら、シャルダン以外の同時代の静物画を10も知っているかどうか?まあ、10は知っているかな?
 誰か! 何でも良いからそれなりのクオリティの十八世紀の静物画を100点いや、50でもいい、まとめて見せて!
 タイトルも画家の名前もマイナーすぎて忘れてしまった、オランダ絵画経由のロココ期のラピスラズリの花瓶の静物とか、光の散らし方や色彩がすんごい綺麗だったんだよ。もう一度見たいなぁ。

十八世紀は、シャルダンの時代だったが、静物画の時代ではなかったのでしょうか?

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