バロック美術の素晴らしいコレクションを誇るボルゲーゼ宮の、横手の小さな庭には実のなるオレンジとレモンの木が交互に植えてある。木々の間から珍しい鳥の声がする。
奥のいかにもな人型の彫刻だの、植物の幾何学な模様だの、丸く刈り込んだ木だの、イメージに描くイタリアそのまま。
美術館に入る前に、このボルゲーゼ公園の前の小さな売店で、冬が旬という赤いオレンジの生搾りジュースを飲む。ホテルの簡単な朝食後は飲まず食わずなので、コップ一杯オレンジ4つ分ほどを一息に飲んでしまいました。それもあって非常に美味。因みに、午後1時頃。これが結局この日の昼食。
さて、玄関口の古代彫刻の断片に迎えられながら中に入ると、そこは広いホールになっていて、入り口の正面には、この期間だけ特別に他の場所から貸し出されている祭壇画が置かれていました。
フラ・アンジェリコ<受胎告知>
フラ・アンジェリコの受胎告知…! まさか、受胎告知の画家(だと私は思っている)フラ・アンジェリコの受胎告知が見れるなんて? わざわざ、本来この美術館にないのに? 彼の絵そのものを鑑賞する前に、そんな運命的な偶然に心踊るのでした。つまりは、既にこの時点でフラ・アンジェリコに対して、まっすぐな目線は持てず、初めから「素晴らしい」というバイアスがかかっているということ。
プレデラの部分は飛ばしますよ(笑)
極めて美しいアーチの建築空間と金の翼の天使が降りてきた閉ざされた庭園。奥でアダムとイヴがエデンを追放されている。その原罪とは無縁の中庭で、原罪の贖い主が金の言葉でマリアの体内に宿る。
バチカンの聖ニコラスの光はそのままに、より見やすい遠近方のアーチの連なり。ゴシックの名残とも見れる金の豪華さ、本当、2枚目にしてフラ・アンジェリコはすっかり私を虜にしてしまいました。
ボルゲーゼは写真撮影禁止でしたので、写真はなし。
個人コレクションが核になった美術館は、どれもその個人の趣味が反映されて個性的で面白いものです。カラヴァッジョを始めとする数々のバロック美術、何といっても、ベルニーニの代表作にしてバロック彫刻の傑作を所蔵するボルゲーゼ美術館。ベルニーニといいコレッジョといいクラナッハといい真面目な顔して全体的にちょいちょいエロティックなものを混ぜて来ます。
展示の手法もバロック風で、小部屋などは中央に置かれた彫刻に合わせて装飾が組み立てられています。作品そのものだけでなく、天井から壁から、装飾の粋を尽くした館全てが美術館というやつで、有体に言えば、昔のヨーロッパの豪奢な貴族っぽい歴史的な雰囲気を楽しめます。天井画などは余りに綺麗で、どこがオリジナルかひょっとして全て復元なのか知れない。
例えば、アポロンとダフネ。天井画も、壁に掛かる絵もアポロンが主題。
(彫刻なので、もしでしたら外部リンクで画像を確認して下さいな。)
http://en.wikipedia.org/wiki/Apollo_and_Daphne_(Bernini)
この名高いアポロとダフネ。翻るアポロンの衣が螺旋に渦を巻いて、女性のように滑やかで細く引き締まった彼の足――それでもダフネの足よりは十分男らしい――その片足が後ろに投げ出されて、今の瞬間まで走って来たことを物語ります。ダフネはまさに月桂樹となろうとするところ。仰け反る体と、根や葉と化して細く枝分かれしつつある指先、足先のほのかな痛々しさ。
体を覆い始めた木のざらざらした質感が、滑らかなダフネの肌を強調します。この女性の柔肌というものに、どれだけベルニーニが執着したかが知れます。
例えば、ミケランジェロとカラヴァッジョ(どちらもミケランジェロなのだけど…)は、多かれ少なかれホモっぽいところがある。どれだけホモかはここでは論じないことにして(あれ、友よ、ひょっとしてそういう話を期待しますか(笑))、でも一方でベルニーニは、全くそちらの方面には縁がなさそうで、まあ、女性が大好きだったことは確かでしょう。
女性に対するとんでもない観察眼は、サトゥルヌスとプロセルピナに多いに発揮されています。
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Rape_of_Proserpina
冥府の王の武骨なごつい指が、持ち上げた乙女の脇腹や太ももに食い込んでいる。プロセルピナの方は泣きながら目一杯に抵抗して身体を捻り、結局鑑賞者は、一番形が混み入って目立つところ、サトゥルヌスの手のあたりに目が行くという訳です。
この視点、発想。それが、大理石とは思えない弾力、柔らかさで確かに実現されているのですから、やはりベルニーニの着想だけでなく、技巧にも感嘆せざるを得ません。
ダイナミックにポーズを決め、お互い攫おうとしたり抵抗したりで鑑賞者を気にする余裕のない神々の足元で、ざらついた毛並みのケルベロスが彼らを支えながら鑑賞者を見ているのが、ちょっとユーモラスで個人的に好き。本来物語には登場しない三つ首犬が、彫刻の重心という目的の為に冥界からわざわざ連れ出されている。あの世のセキュリティが少し疎かになってもペルセポネを略奪したかったのです。
もっと前に作られたという同じくベルニーニのダヴィデは、今、宿敵ゴリアテに向かって投石しようと全身に力を溜めたところ。顔も不細工なほど唇を噛んでそれを強調します。このブサイクを恐れないデザインセンスがバロック!
次の瞬間には、放たれた弓弦みたく、全ての力を石に注ぐのでしょう。素晴らしいものですが、アポロとサトゥルヌスと比べてしまうと、やはり野郎は地味です。
ナポレオンのイタリア人主席彫刻家、カノーヴァのギリシア風の薄衣を着けた半裸の婦人肖像。
http://it.wikipedia.org/wiki/Paolina_Borghese_(Canova)
生身の人間を写したコスプレ肖像で、ガイドさんによれば、当時は上流の女性をこのように露出度の高い格好で表現するのはけしからんと批判されたのだとか。…そういえば、似たようなダヴィッドのレカミエ夫人も何か同じような不興をかっていた気がします。
ダヴィッド<レカミエ夫人>
動きの一瞬を捉えたベルニーニと、びっくりさせる事はないけれど、不動に落ち着いたカノーヴァと、芸術上の目指す理念の違いを見比べることが出来る。だろうと思います。…このような言い方をするのは、実際現地で見比べていた訳ではないので(笑)
正直に白状すれば、カノーヴァよりベルニーニが見たかったので…。
ヘルマプロディトゥスが背中を向けて横たわっている。部屋の奥へは入れないので、言われなければうつ伏せに横たわる女性に見えます。後ろ向きのヘルムアプロディトス。言葉の上ではやや詩的な感じさえします。そして、やはりボルゲーゼ美術館はこういうねたが好きなのではないでしょうか…。
シンバルを持って踊る古代のサテュロス像の部屋。最も部屋の内装と彫刻が同調した部屋だったと思います。
中央にシンバルを打って踊る荘重なサティール像、天井画は陽気な山羊足の粗野な仲間達が縦横無尽に手すりによじ登ったり、梁のメダイオンや柱に青いリボンをかけながら、部屋の人々を見下ろしています。現実以上にくっきりした輪郭のサテュロスたち。絵画のイリュージョンの力をもってして、神話の世界から現実の邸宅に空想の生き物を呼び出す昂揚感はいつでも面白いものです。
現地に行かないとそのイリュージョンの力を体感出来ない図版にも再現されない(そもそも図版にならない)こういう天井画が、まさに旅行の醍醐味です。
絵画について。いちいち言うと本当ににきりがない。以前、日本の特別展で見たものと再会したり、再会ならず残念だったり。密かな大ファン、ホントホルストのスザンヌ見たかったなあー。やはりボルゲーゼ好み(?)の。
初期(多分)と後期と見比べることの出来るティツィアーノ。予想以上に聖愛と俗愛は綺麗だった。
そしてカラヴァッジョ。
本当、カラヴァッジョがごろごろしている。
美術館のショップで、「Il Liuto der Caravaggio(カラヴァッジョのリュート音楽)」というタイトルでにやりなCDを購入。
こういうタイトルを関するCD、ついつい集めちゃったりしてます。血眼になって探さないけど、見かけたら買っちゃう。ちなみに、他に「ゲインズバラの為の音楽」「ヤン・ステーンの音楽」「フランス・ハルス周辺の音楽」など持ってます(笑)
で、このCDも素敵だった。
ひたすらカラヴァッジョ時代のリュート曲を独奏しているものですが、黒背景的な雰囲気がいい! リュート曲の詳しいことは分からないけれど、やっぱりチェンバロには無い、フレットノイズが生っぽい音で格好いいのよね。わざと立てるものなのか、立ってしまうものなのか知らないのだけど。
さて外へ。
外は一帯公園で、ボルゲーゼの公園は地図で見ると、とても広大です。その中にも興味を惹くものはありました。しかしもちろんのんびり回っている時間はありません。こんな場所も、まだ見ることが出来るのでしょうか?
ベラスケス<ヴィラ・メディチの庭>
ボルゲーゼ公園のそばにあるということです。
丘の上にある庭園から長い坂道を降りて、次はバルベリーニ宮殿へ。
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