昨日は、ピアノを弾きに行きました。まろりーのは古い電子ピアノだけど、そこは立派なグランドピアノ。ほとんど、別の鍵盤楽器と言っていいので、ギャップが大きくてあんまり上手く弾けない…。
でもピアノの先生にはとっても褒められました。
「……バロック時代の人を無理やりピアノの前に連れてきて、いきなりショパンを弾かせたら、多分そう弾くと思います。」
この上もなく褒められたのです。
どうも、拍子の取り方がまだまだ訛っているらしい?
「さあ、ペダルをもっとちゃんと使おうね。」
違うんだよ、このグランドピアノのペダルが非常に重くて、とても力を入れて踏み込まないと、踏んだつもりが踏めてなかったりするだけなんだよ。まろりーはこのような立派なピアノは殆ど弾いたことが無いのだけど、グランドピアノというのは皆そうなのかしら?
まろりー「何だか踏むと音が濁るのが嫌です。」
先生「濁らすのではなく、ぼかすのですよ。ピアノにはね、ぼかしの美学があるからね。」
ふむふむ、ぼかすのですって!そうか、ダンパーペダルの役割は、色をそのものを平面で混ぜるのではなく、色と色との境目を柔らかく滑らかにするためのものなのね。
遊びでデュフリを弾かせてもらった(笑)他にラモーのミュゼット。・・・ちゃんとペダル付きでね!さすがにデュフリは既にフォルテピアノが発明されている時代なので、曲によっては違和感がない。でも曲によっては、鈍重かもしれない。
しかし、すごく疲れました。足が。
先生「明日、足が筋肉痛になっちゃってたりして(笑)」
見事に予言は当たりました。右足のつま先を上下させる筋肉が・・・。左足(ソフトペダル)はほとんど使う技術的余裕が無かったので無事です。
グランドピアノって弾きすぎると足が筋肉痛になるものなのかしら?比べるべき基準を持たないので、よく分からないけど。
そういえば、グランドピアノでの演奏なんて、遥か昔に3、4回しかないな。もちろん、学校の音楽室で触ったことはあるけれど、まともに曲を弾いたのは、これで約5回目か。
家で再び、いつもの電子ピアノで弾いてみた。
電子ピアノのなんと寡黙なこと・・・!
電子ピアノでチェンバロの曲を弾くよりも、電子ピアノでピアノの曲を弾く方が、なまじ同種だけあって落差が大きい…!出来ないことが多すぎる。
電子ピアノや普通のピアノでチェンバロの曲が思うように、チェンバロの通りに弾けないのは、当然のことなのです。が、ピアノの曲もこんなに弾けないとは…。多少、愕然とした。
まろりー自身の普段使う楽器は、昔から電子ピアノ。まろりーとピアノ曲との関係が希薄なのは、この楽器に長く慣れ親しんでいた、というのも遠因かと思います。
8割は、バロック時代の曲そのものの魅力によって。残りの2割は、電子ピアノによるピアノ曲がその魅力を多いに減ぜられていたため。
大人にならなくては、気付かないことも多いものです。
音楽それ自体は「もの」じゃないけど、結局は「もの」に縛られなければならない。「もの」に縛られるというのは、ある意味で哀れな事だけど、その「もの」を作るのも必要なのも究極は人間。ものを作る人間は哀れにして偉大だ・・・。せめて「もの」と調和することを。
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