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○なんせんす・さむしんぐ○

美術や音楽の感想とか、動物中心のイラストのブログ。

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ロスコを観に佐倉の美術館へ

 人によっては浴びるように酒が飲みたいときがあると思いますが、とりあえずまろりーは浴びるように絵を見たくて、矢も楯もたまらず、遥かなる佐倉市は川村記念美術館にマーク・ロスコ展を観に行ってしまった訳です。
 簡単に言えば、赤や黒の塗ったくられた大きな絵がひたすら壁に掛かっている、そしてそんな絵の掛けられた空間そのものも味わう、そんな展示です。

 以下感想。

 結論から言えば、60点かな(上から目線)
 どちらかといえば具象画を好むまろりーですが、抽象画のロスコが悪いとかじゃなくって、ただ単に、美術館側とまろりーの解釈違い。
 まろりはもっと狭くて暗くて、例えば、小さなゴシック聖堂のような、親密でちょっと厳粛な空間をイメージしていたのですが、実際は広くて、高い位置に絵が掛けられていて、思ったより明るくて、がっかりとかではないのですが、ちょっと寂しかったかな。ただ単純に、もっと近くで、真っ直ぐ歩けない程に見たかったのです。

 そんな感じで、絵はもちろん具象画のように意味は成しませんが、傍らに置かれたカタログに載っていたロスコ本人の言葉を頼りに絵を見ると、分かるような分からないような(笑)
 ロスコさん、現代美術っぽい芸術家なのに、結構まともで面白い事おっしゃっています。(「芸術家」に対するあからさまな偏見)

 彼の絵は、いくつかの構成要素があって、一読しただけではそれほど覚えていないのだけど、人の注意を引くため、絵の持つ力を増幅させるだけの「大きさ」とか、人間だから「遊び・ユーモア」も必要とか、そんなものどもの配分を考えて絵を塗っています、とかそんな感じだったような・・・・・・結局うろおぼえです。
 中でも、まろりーが共感を覚えたのは、「希望」っていう要素。たとえ暗く沈んだ色調でも、10%の希望が必要だという。
 そういう幸せな考えかたは好き。絵を見て、判断するときに、どれくらい希望(とか夢とか幸福感とか、そんな肯定的なもの)が込められて見えるか、というのは、まろりにとっても大切なことだったりします。無意識的にね。
 なんというか、作者自身が作品に10%の希望を込めているなんて言って、確かに100%でも50%でもなく、きちんと10%くらいの希望を感じられて、絵に対してそういう抽象的な匙加減すらコントロール出来るんだな、って思いました。
 1つ学んだ。絵の見方が1個増えたな。

 まあ、ようするに、抽象画でただなんとなく赤く塗ったような絵に見えますが、適当に描いている訳ではないということなのですが、絵を見る限り、結構それが納得できたりします。絵から、結構な思慮深さを感じる……ような感じないような。物言わぬ絵画の味は今が旬の筍みたく淡く…まろりは卑怯にも断言を避けるよ(笑)
 
 で、さらにロスコさん曰く、自分の作品は自己主張じゃなくて、自分の価値観を喧伝するものではなくて、世界や人に対するコミュニケーションの手段みたいなものなんだって。だから、完成してしまえば、自分から離れて、自分とは切り離されたものだそう(とか、言っていたような)
 言葉ひとたび放たれば、取り返しがたく飛んで行く、といったような感じでしょうか。
 そういう訳で、ロスコの絵は、意味を読み取れないのに、穏やかに、愛想が良いのだろうと思います。

 面白かった。
 

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