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○なんせんす・さむしんぐ○

美術や音楽の感想とか、動物中心のイラストのブログ。

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チェンバロを買う!

 暗い日記をいつまでも上にあげておく訳にはいかないので、今日は馬鹿な話でも。

 ということで、上のタイトル。実は、幼少から密かに欲しかった、チェンバロ。この楽器を買う決意を日々固めています。
 まあ、それには無茶な論理が色々あるのだけどね。飛躍を承知で申せば、ゲーテが自著で「我もまたアルカディアに!」とか言って、疾風怒濤に傷ついた心を癒すため、イタリアへアルプス越えしてしまったのなら、まろりーだってチェンバロを所有したっていいじゃない!という。
 アルカディア人は楽器を能くする。アルカディアは調和の世界だ。楽器は調和する。だから楽器はアルカディアと繋がる。
8ed79d2c.jpegヤン・ミーンセ・モレナール<家族の肖像>
描かれたのは音楽大好き一家というよりは、家族にみんなに調和を体現する楽器を持たせることで、「よく調和した家族」という意味を暗示していると思われます。モレナールという画家は楽器描くの好きだった(あるいは楽器を描くので評判だった)みたいだけどね。

鍵盤楽器の蓋の部分に下図のようなアルカディア風景を描くのは、伝統的なスタイル。
roran.jpgクロード・ロラン<踊る人のいるアルカディア風景>

 et ego in Arcadia.のために!(笑)
 買うといっても、まだまだ具体性を帯びてはいないけど。

 念のため、簡単にチェンバロを説明します。まろりーの内輪は耳にタコでしょうが、一応ね。
 16世紀から18世紀、バロック期のヨーロッパで盛んに使われた大型の鍵盤楽器。形はピアノに似るが、ピアノが弦をハンマーで「叩く」のに対して、チェンバロは鳥の羽軸など薄片で「爪弾き」ます。一般に、「金属質で華やかな音」とか、よく説明されてる気がします。
  で、(10年くらい前の)学校の音楽の授業では、「バロック音楽の伴奏の楽器」としてチェンバロを習ったはずだ。かの有名なヅラおやじ、ヨハン・ゼバスティアン・バッハがチェンバロ時代の最後期の人。彼が無くなる頃に、初期のピアノが使われ始めています。バッハもピアノの音色改善のために(初めは音が美しくなかったらしい)、一言二言、ピアノ制作者に要望を出したしたのだそうです。
 ああ、簡単にとか言って、だんだん脱線するな・・・。いやいや、それくらい語らせてよね!(笑)
 さて、チェンバロは18世紀までは極めてポピュラーだった鍵盤楽器ですが、ピアノの発明&発達によってだんだんピアノに取って代わられるようになりました。
 因みに、まろりーはチェンバロ=ピアノの前身説は支持しない。形は似てるけど、代用できるものでは決してない。むしろ、クラヴィコードの後継がピアノなのでは。
 おっと、また脱線。
 まあ、この古楽器と呼ばれるチェンバロが、まろりーの「標準の楽器」な訳です。ピアノのレパートリーは全く持っていないし、聞くのは大好きだけど弾きたいピアノ曲はない、という酷い有様でして、今現在はヤマハの電子ピアノでもっぱら後期バロックなレパートリーばっかり弾いています。因みに、電子ピアノなのでチェンバロ音も出るけど、チェンバロ=音の強弱が出ないという特質を忠実に守ってしまって・・・そんなに使い物にはならない。あと、あのチェンバロの音、何をサンプリングしたんだか、変。
 強弱が出ないんじゃないんだよ、「出にくい」だけだよ・・・。
 さて、楽器の機構上の問題で、音の強弱が自在には付けられないので、鍵盤を上下に二つの段にして、上は弱く音の出る弦を弾く鍵盤、下は強く音の出る弦を弾く鍵盤と、そんな工夫で音の強弱をつけます。
 チェンバロって、ピアノのように規格やモデルが一定という訳ではないので、一段鍵盤のもの、小さなもの、イタリア様式を模したもの、フランス様式を模したものなどなど、結構色々な選択の幅があったりするのです。
 ピアノだって、制作会社や楽器の大きさを選ぶでしょう。とりあえずヤマハとか、やっぱりプレイエルだとかスタンウェイがいいとか、ベーゼンドルファーだとか。ただ、それらピアノは「性能」に関していえば、チェンバロにあるほどの違いはないのです。ヤマハだから日本の近現代の曲しか弾けないって訳ではないし、あたり前だけどバッハの曲だって普通に弾ける。けど、チェンバロは、音域の差、鍵盤の段の数差、があって、その違いで弾ける曲そのものに制限が出てくるのです。
 初期のチェンバロは、鍵盤は一段で音域も広くないのですが、まろりーの主要なレパートリーが、後期の形のチェンバロ曲で、楽器の上下段をめいっぱい駆使して、音域ももっとも広く使う、なんていうものだから、さあ大変。
 つまりは、二段鍵盤で、最大級の、一番派手な、場所をとる、ついでにいえば高価な、チェンバロでないと主要なレパートリーが楽譜通りに弾けなくなるのです。
 専門的?な言葉でいうと、「最低でもフォルクレが弾けなきゃ駄目」。フォルクレ←ものすごく派手でヘヴィな曲が多い人。個人的にも上下二段を連結させて、同時に上下分の音を出すのがふさわしい曲が大好きで。フォルクレが弾けるチェンバロなら、音色はともかく、性能的にはその他たいていの曲は弾けると思う。というか、それをもってしても弾けない曲があるとすれば、まろりーにはそんな曲は技術的に弾けない。あと、バッハのイタリア協奏曲も弾けたい。←チェンバロの上鍵盤と下鍵盤の音の対比を最大限に利用した曲。
 そんなチェンバロ。幅はピアノよりは音域が狭いので1メートル弱だけど、長さは2メートルを軽く超す巨大な楽器になるから、置き場所を必死で考えています。我が家自体は古い昭和の香り高い?一軒家で、狭くはないのですが、もっとも広い部屋は、和室なんだよねぇ。床の間があるような部屋にチェンバロなんて、チェンバロ漆塗りにするしかないね!ジャポニスムも大概にしろー。(実在します。漆塗りのチェンバロ。漆塗りは西洋にとって高価な舶来品だった。チェンバロも贅沢な家具だった。故に漆塗りのチェンバロはかなり贅沢。)小さな客間(洋室)がいいんだけどな。あるいは二階の自室。しかし、2メートル超えの物体が階段を登れるのか。

 下手の横好きってやつなのですが。あくまでも、アマチュア(愛好家)で、一番派手な楽器を買ったとて、とてもじゃないけど、その性能を最大限引き出せる弾き手ではないのです。
 自分の所有物は、いわば君主と家臣の関係であって、自分の支配・管理できないもの、そして真心と敬意を持てないものは持つべきでないと思う。まろりーはものを手足と使うけど、隷属させて使役する訳じゃなく、かといって、使わせて頂くものでもなく、そんなちょうどの関係が理想。
 自分は最上の君主ではないので、世の中には自分の格を上回る「もの」が沢山存在します。そんなものは持ってはいけない。
 さて、チェンバロは三顧の礼をもってして迎えるような代物。それで自分の格に釣り合わない立派すぎるものはお互いを不幸にするだけ。
 かといって・・・まろりーの求める一番音域の広い二段チェンバロって、立派になりがちなのです。駄物じゃなく、最上のものでもなく、ほどほどの二段チェンバロ、なんてあるといいんだが!


*12月1日追記。
et ego in Arcadia.がチェンバロへのきっかけとか言って。。。
それで楽器の条件が「最低でもフォルクレが弾ける」っていうのは、なんだか矛盾しているなぁ?
フォルクレの曲には理想郷を求める気持ち、調和しようとする気持ち、アルカディア感覚なんてほとんど無いのに。
しかし、どちらもまろりーの正直な気持ちなのだけど。
「悪魔的」とも評されるフォルクレの曲。特徴はかなり頭のおかしい不協和音と突然の転調。それと、ドスの利いた低音。最初の一音で最低音を弾くとか。マチエール?は重い。けど、意味は割と軽い。
 一言でいえば、高貴にしてバイオレンスな曲です。バロック的なバイオレンスさ。人間の暗い側面をえぐろうとするバイオレンスではなくて、人生のスパイス的な演出的なバイオレンス。さりとて、乱暴でもなく。あんまりロマンチックでも無い。かといって、淡々としている訳でもなく。
 こう、音楽と人間の距離感がまろりーにはちょうどいい。あまり、過度に感情移入する曲、奏者自身が音楽に浸ることを強要する曲、自分の情緒を乗せる必要のある曲は、正直それほど得意でない。こうね、強制参加型の芸術って、認めない訳ではないけど、根本的にはそんなに好みでないのね。

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