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○なんせんす・さむしんぐ○

美術や音楽の感想とか、動物中心のイラストのブログ。

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クラヴィコードとの出会い

 クラヴィコード触った☆(とっても自慢げ)

 そもそも、クラヴィコードという楽器について、簡単な説明が必要でしょうか。
 チェンバロという楽器については、普段何かしかの楽器に触れていなくても、この日記を恒常的に読んで頂いている方には普通に浸透していることと思われますが(その昔、まろりーの周辺だけいつの間にかクープラン知名度100%なのが驚いたぜ(笑))、さて、クラヴィコード。
 クラヴィコードは、一言で言えば、打弦鍵盤楽器です。単語的にはピアノと一緒ですが、ピアノがハンマーで弦を叩くのに対して、クラヴィコードは薄い金属片で弦を突き上げます。
 そんな機構がずらっと箱に入っているので、見た目はヴァージナルにやや似ます。
 つまり、同じ打弦楽器だからって、音も形もピアノに似ているとかとはとてもじゃないけど言えません。
 しかし、打弦楽器なので、鍵盤を打つ強さで音の強弱が付けられるという、その上ヴィブラートまで掛けられるという、とっても画期的な楽器なのです。ある意味ピアノを超えています(笑)「弱点」は圧倒的に音量が出ないという点で、コンサートホールとか大勢の前で演奏が出来ないという、まろりーには大して関係の無いところです。

 で、クラヴィコード。
 まろりーはメトロポリタンの楽器室でもあんなものは見なかった(ように思う)。
 まろりーのクラヴィコードのイメージは、もっと小さくて、机の上にちょんと乗っけて、オランダの奥様が弾くような、もっと言えば、ヘリット・ダウの絵が標準イメージだったのですが、
9d5aa81a.jpegヘリット・ダウ<クラヴィコードを弾く女性>
 まろりーが先日触ったものは、体長170cmを越すチェンバロより広い音域を持つそんな大型の最後期のクラヴィコードなんだって。例えば、エマヌエル・バッハ(大バッハの息子)が弾いたような。脚もちゃんとついています。
 その巨体にも関わらず、びっくりするくらい小さな音を出します。多分、測ってないけど、普通に弾いて普通に聞こえる範囲は2、3メートルほど。壁を隔てた隣の部屋とか絶対無理、どころか、最弱音はまったく演奏する隣で息を殺して耳をそばだてて聴く感じ。
 さらにぴっくりポイントは、ぴっくりするくらいまともな音が出せないこと。
 強弱をコントロールする上、ヴィブラートまで掛ける細やかな技術を要求するとは知っていましたが、その難しさは想像以上でした。
 鍵盤楽器は鍵盤を押せば上手い下手関係なくそれなりに音が出るものだと思いますが、クラヴィコードは何の気もなく押すと、ぷつっと金属片が弦に当たる音が出るだけです。
 ともかくも上手く押せば、よく持続する儚くも美しい音が出るのですが、そうするには左右の親指から小指まで一音一音トリルに至るまで相当な集中力が必要です。ちなみに、まろりーが左利きであることを換算しても低音より高音の方が音が出にくい。
 この難易度で、ピアノで正しく弾くのも難しい曲も多々あるようなので…バッハ(父)は息子にどれだけ鍵盤操作の技術を叩き込んだのか・・・。音楽家って厳しい(笑)
 まあ、そんな訳で、クラヴィコードに触りました。よく知る数曲を弾いては見たものの、演奏というよりは、修行といったところ・・・。座禅を組むよりよっぽど心を無に出来ると思います。強弱をつけるとか、ヴィブラートを掛けるとか、そういうクラヴィコード的な演奏をするには、まずは50%の確率ででもまともな音を出せるようになってから・・・。ここぞという大事な音でぴこって鳴るとちょっと悲しいし(笑)しかもそういう音ほど不発に終わりがち。
 でもね、その弾くも難しいヴィブラートが掛かると、すんごい格好良いの。で、息詰まる、か細い音が素敵なの。
 まさか、こういう博物館の硝子ケースの向こう側で、見られるために置いてあるような代物に触れる日がこようとは夢にも思わなかったな。噛み締めるように感謝甚大です。


以下、本文とは余分な考え。
 それにしても上のダウの絵の楽器って、正直言って、クラヴィコードなのか卓上ヴァージナルなのか本当のところは良く分からないと思いませんか。一応、まろりの知るタイトルは「クラヴィコードを弾く女性」なんだけど。箱の中身のすっきり具合がむしろヴァージナルに見えなくもない。なんだか、クラヴィコードの弦にはフェルトの帯が格子状に絡まっていたのが特徴的でした。多分、弦の余計な振動を抑えている?が、ヴァージナルは箱にもっと厚みがありそうな。
 まあ、画家自身、テル・ブリュッヘンやディルク・ハルスのように楽器をよく知らなかった可能性もあるし、そもそもヴァージナルとクラヴィコードを誰でも分かるように描き分けようなんて思っていない、というのが妥当な気がします。

 さて、ダウなイメージだったクラヴィコート、つまりまろりーにとっては、オランダ絵画で弾くような、古風なイメージの強い楽器だったのですが、意外とチェンバロよりもクラシック時代以降まで生き残っていたのですって。
 あれかな、音の強弱への要求が生き残らせたのか、チェンバロほどフランス革命の素敵な恩恵を受けなかったのか、弾くに難しいところがよかったのか。
 とにかく、エマヌエル・バッハなど、かの大バッハの息子たちが好んで弾いたと聞きます。
 そうなると、イギリスのバッハさんも弾いていたのかなー。イギリスのバッハさん(ヨハン・クリスティアン・バッハ)といえば、飼っている犬が可愛すぎるヴィオル奏者カール・フリードリヒ・アベルの同僚にして、ゲインズバラのご友人。ゲインズバラの手になる肖像画だってちゃんと残っています。
 つまりは、ゲインズバラもバッハの音を聴いたという訳で、そんな感じで、ほぼ自動的にゲインズバラを連想する末期的な次第です。
 まあ、ゲインズバラのBGMはヴィオラ・ダ・ガンバがメインだろうけどね。
 フォルクレの穏やかな曲を色々無視してゲインズバラっぽく弾いてみたい今日この頃です。「デュ・ブリュイユ」って曲なんて、ちょっと「ハレット夫妻」みたいだと思いませんか(誰に同意を求めているんだ(笑))
d6fc2a40.jpeg<朝の散歩(ハレット夫妻の肖像)>




 さて、フォルクレの話題に戻ったところで、ユーピテル様関連で一言。
 アエネーイス読み終わった!
 終わり方が意外に意外でした。ローマ人らしく、「俺はやったぜ!」みたいな誇らしげな締めじゃなくて、寸止めみたいな終わり方。宿敵の胸に剣を突き刺して終わり。敵が倒れるシーンもなければ、剣を抜く動作もない。映画みたいな格好良さです。
 それにしても、やっぱりウェルギリウスの神様って素敵。
 ラスト手前で、ユピテルとユノが会話をするのだけど、そこでの会話が感動的なほど物語を締めています。こういうの大好きです。最後の1シーンで、物語のピースをぱっちり嵌めてくる構成。
「お前の憎むトロイアはラティウムとの戦に勝とうとしているけど、他にお前がやれることはもうないだろう。」
「せめて、トロイア人が支配することになるイタリアの土地で、元ラティウム人がトロイア人と呼ばれることのないよう、ラティウムの言葉・習俗もそのまま維持して、トロイアはギリシアとの戦争で既に亡んだし、亡んだことにしておくよう、お願いします。」
「では、これから未来にトロイア人はイタリア人に溶け込んで、トロイアの名が表に出てこないように計らおう。」
 だって!
 神様のこの一言で、トロイアはとっても前向きに滅びました。だから、ローマ人はギリシア語でなくラテン語を用いるのだそうです。
 アエネーアスは色々冒険してきて、新しい国も手に入れるけど、彼自身の故郷は既に滅んだし、滅んでいたし、滅びてしまう。ちょっと切ないハッピーエンドです。
 しかし、ユノ様を力で捻じ伏せておいて最後は優しい。この夫妻楽しいな(笑)

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