もちろん、新美術館でエルミタージュ美術館展とセザンヌ展を梯子。
セザンヌ展は…とりあえず会場が作品保護のためか寒すぎて、途中で意識が朦朧とした(笑)。途中で何を視ているかよく分からなくなりました。
しかし100%セザンヌとのキャッチコピーどおり。サント・ヴィクトワール山あり、エクサンプロヴァンスの石切り場あり、家々、人物、壺、皿、りんご、色々なセザンヌてんこ盛りで、展覧会のテーマはまろりーには難しかったけど、集まった絵はそれ単体で良かった。
一番の感想は…それにしても寒かった(まだ言うか)
エルミタージュ美術館展。
大体、後期ルネサンスから近代までの名画を時代順に並べる教科書のような展示です。
一応、美術史の時代区分ごとに章立てして、ざっくり教科書通りに説明してあるけど、それは単なる体裁で、とりあえず「大エルミタージュの泰西名画」を片っ端から持ってきたので、何でもいいから見とけ!といういテーマ。創造的ではないけれど、下手にぶれる軸もないので、かえって安心安定の美術展。
いちいち、バロックはこういう絵で、ロココと新古典が続いて、ロマン主義で印象派~という流れ、不覚ながら(笑)超落ち着く。
物語性の無い展示なので、流れで喋りにくいので、数点だけピックアップ。先に言っておきますが、偏りますよ。
何だか、あざとい絵の個性が光りました。
バルトロメオ・スケドーニ<風景の中のクピド>
イタリアのバルトロメオ・スケドーニという画家のクピド。目をきらきらさせて、人差し指を唇に当て、しなをつくり、横たわるヴィーナスさながらに甘美な肌艶を見せつける。あざとい!(笑)
見た目に反して年長の神だからいいけど、もし例の人気天才子役に同じポーズをさせたら、それをやらせる大人やそれで喜ぶ大人に失望と怒りを覚えます(笑)
調べてみて分かったけど、前にあったカラヴァッジョ展で、墓の前の三人のマリアの鮮烈で鋭く物を浮かび上がらせる光が冴えている絵を描いた人だと。あれは格好よかったなぁ。ポストカードを買ったはず。
スケドーニ<墓の前の三人のマリア>
もちろん、カラヴァッジョに比べて、「綺麗」とか「甘美」とか「優美」な方向を目指しているようです。
彼の隣の宗教画。画題は忘れた。何故なら、キリストの象徴の羊が、目が人間過ぎたので。明らかに人語を解し喋る羊。もののけ姫に出てきそう。それに気を取られて(ちょうど目線もそこだし)、絵は覚えていない。でも羊の目力が良かった。ヒトの目をした動物、不気味で格好いいな。
ヴァン・ダイクに(笑)
アントニー・ヴァン・ダイク<自画像>
彼の自画像と女の子2人を描いた肖像画が並んでいたのだけど、自画像の方がきらきらしてた。手を腰に、胸を張って、どや顔というのはまさにこういう顔で、っていうかこんな縦1メートル以上自画像描いて、やっぱりナルシストなんだろうか・・・(笑)
この顔に自信があるのは確かだと思う。他にもちょろちょろ描いているのを見ると…。
左;ヴァン・ダイク<自画像>、右;ヴァン・ダイク<自画像>
この顔が彼の決め顔であることは疑いないと思う。 っていうか、本当に他の人の模写じゃなくて、本人による自画像で良いんだよ…ね…? 同じ顔すぎる。
ナルシスト画像(酷)いっぱいになってしまったので、次。
ランクレ。
ニコラ・ランクレ<踊るカマルゴ嬢>
あ、れ。この絵、有名だけど、こういう絵だったっけ?何かが違う。と戸惑いつつ。少なくとも、こんなに黄色い印象の絵ではなかった。多分、白いドレスのヴァージョンがあるよね。・・・ほら、あった!
ニコラ・ランクレ<踊るカマルゴ嬢>
やっぱりこっちの方が見慣れているからか落ち着くなあ。しかし、いい絵だから自筆コピーもあったのね。
それにしてもこの絵はやっぱり面白い絵です。白いヴァージョンの方が好きなんだけど、短いスカートから覗く足首が命(笑)
いいや、ポストカードになっててほくほく。(でももう持っている気がする。いや、何かのCDのジャケットやも…フランスもののCDジャケットといえば、これかシテール島だよね)
ブーシェもポストカード化してあってほくほく。多分、目つきが悪いとはいえ天使(プットー)の絵だから。これが羊飼いのいる風景とかだったら、ことごとく外されちゃうのがブーシェ。田舎にこんな小綺麗な羊飼い居ねぇよな開き直ったきらきら妄想が楽しいのに。
左;フランソワ・ブーシェ<絵画の寓意>、右;<詩の寓意>
昔からブーシェのポストカードは、どんな適当なものであれ、見かけたら必ず買う、という個人ルールがあるんです。並べてみると、やっぱり綺麗だな。
某という画家の描いたヴォルテールの二枚の絵。
朝、ベッドルームで着替えながら手紙を口述筆記させている老ヴォルテール。ズボンを履こうとして白いパジャマから細い太ももがちらり。いらないから、そんなサービス!(笑)っていうか真面目に手紙を書け、ヴォルテール。
何故か杖を片手に木を植えているヴォルテール。何人か引き連れて張り切って指図をしている。絵はそんな様子をちょっとだけ遠くから描いていて、「木を植える人」みたいな偉大さや感動的なところは少しもなく、あのおっさん何やってんのかなーとばかり冷ややかな目線。
ヴォルテールはよほど風刺のしがいがあるのか、画家の悪意こもりまくりで笑った。
今展示中、一番か二番のあざとさを見せるのが、ジョシュア・レノルズ。そもそもレノルズ時代は全体であざとい絵が好みだと思う(笑)
ジョシュア・レノルズ<ウェヌスの帯を解くクピド>
当世風のハイウエストの白いギリシア風ドレスを来たヴィーナス。胸元の青いリボンを解こうと引っ張るキューピッド。それを止めるでもなく、片腕で半分顔を覆い、鑑賞者の好色な目線に横目で笑みを浮かべます。
モデルは、イギリスのナポリ大使ハミルトンの若い妻エマ・ハミルトンと言われているそう。ハミルトンは内側を黒くし額縁を取り付けた箱に彼女を入れて、絵画風のポーズを取らせ、それを見たりお客さんに見せたりして楽しんでいたらしい。彼女は完璧で、まるで古典美術から飛び出てきたようだったとか。
この人がエマ・ハミルトンだとすると、本人も極めてのりのりだったんだろうな。
レンブラントが、若いお姉さんの肖像だったら看板になっただろうに、素晴らしくもお婆ちゃんだったからこんなあざといレノルズなんかにリーフレットの表を取られてしまった。この辺とか、もやっとして笑った。
レノルズと同時代の画家、ゲインズバラは負け惜しみで言うのです、「レノルズが美術会のトップとは、イギリス美術は終わりだ。」
まあ、あのヴィーナスの絵じゃな(笑)
でもゲインズバラもそれなりにあざといことがあるよ。
ライト・オブ・ダービーやヴェルネのロマンチックな月光を見るも、ジョヴァンニ・パオロ・パニーニのイタリアの光の方が、ゲーテ的イタリア病のまろりーには楽しい訳です。
来た! パニーニ、ロベールセット。これも西洋美術館とかぶってるけど。
相変わらずローマの廃墟。そこで説教をする使途聖ペテロ。……ペテロがローマで布教していた頃は、ローマの都市は現役ではないかしら…(笑)適当なこと描きやがって(誉め言葉)小さな事は気にしない。
またロベール。やっぱりローマの廃墟なお風呂で入浴している。
ユベール・ロベール<古代ローマの公衆浴場>
…多分、水浴かなぁ。でもそうだよね、ローマのお風呂は夢だよね。しかも露天混浴。入浴しているのは、現代人かローマ人か判然としない。空も思いっきり開放的な廃墟状態だから、現代人かしら。でもローマっぽい服の人もいる気がする? まあ、そのどちらか分からない効果を狙ったのかどうか、廃墟でお風呂に入りたかっただけかな。
そして隣のティヴォリ。断崖、瀑布、遺跡、そして牛と牛飼いのお決まりの夢のイタリア方程式ににやにやします。ベタな定型大好き。
図版のご用意がないので(まあ、ティヴォリでさえあれば、この種の絵に図版は不要かと)、別のティヴォリ図版で。
クロード・ロラン<ティボリの幻想風景>
おっと、間違えたー(わざとらしい)これは、クロードのティヴォリっぽい妄想。クロードって、本当ロマンチストさん…!
クロード・ジョゼフ・ヴェルネ<ティボリの大瀑布>
この絵ではないけど、こんな感じの絵でした。
因みに、ゲーテ的イタリア病が酷くなると、イタリアの絵すら本物が見れないジレンマに心が痛んで見れなくなるそうです(ゲーテ談)
さて、いい加減長くなってしまったな。
すみません、一時代に偏った自覚がある。いえ、書かれなかったものが興味ないとか嫌いとかいう訳では決してなく。何というか、ティボリを書いたら筆が満足して、次に続かなくなった(笑)
他、ティツィアーノ、レオナルド派(ブンカムラとかぶった)、ホントホルスト、セザンヌ(やっぱりかぶった)、ルノワール、ラトゥール、ルソー、デュフィ、ピカソ、マティスとか。