煉獄山を再登攀する気になりました。果たして地上楽園に至れるのか、などと思っていたのですが、図書館で「バロック」という直球なタイトルの歴史の本を見かけ、魅力を感じ、借りてしまった。
地上楽園は遠く・・・
地獄はウェルギリウス先生と一緒にすごく楽しく巡れるのですが!(笑)
蔵書の整理をしなければ。大幅に減らさねば・・・。しかし要らない本は殆ど所有しないから、手放すものを選ぶのはなかなか難しい。
人はしばしば物に縛られます。自由のために、何も一切を持たない、必要すら感じない、そんな自由な境地に憧れます。しかし、同時に、俗を生きる享楽者ですので、全てを所有したい。
常に、正反対の両立しない欲求が1つの魂に同居します。おそらくは、大抵の人間がそうだろうと思っています。
まろりーの解決策としては、ごくごく当たり前のこと。それは本当に必要か、それは持つに値するか、それは購う値段と価値が吊り合うか、吟味すること。
ものを所有するということは、殆ど自分と自分の価値観との対話です。長考に及ぶこともあれば、瞬時の直感に頼ることもある。
そして、信仰じみて思うことは、本当に必要なものは、自分に相応しいものは、適宜ものの方から眼前に現れるだろう、という漠とした確信のようなもの。それは一度手放したものも、また必要になれば、何かの形できっと戻ってくると思うのです。
欲しいと思っても結局手に入らなかったものは、本当は必要なかったものなのだとも。
結果、ものには自分が投影されてしまう。逆に、どのような自分でいたいかをものでコントロールすることも出来る。
ものとコンセプト。
自堕落に成り行きで所有しない。
コンセプトが見出せなくなったものは迷わず捨てよ。
・・・しかし、大抵のものは自分がそれまで所有していた意味を保っているので、問題はその上で何を手放すかなんだ・・・。
ああ、「必要」というものが無くなればな!(ふりだしに戻る)
6月7日、拍手お返事>
遅くなりました!ちょうどようやく更新する気になりました。
最近は構想だけ(まろりーは創意と呼びます)はあるのですが、それを顕現させる技量が圧倒的に足りず、(そして技量は日々低下の一途を辿る&基準が日々上がる・・・)自分が良しとするものに至らず、それでこの場の更新が滞りがちになる、という訳です。
そして、インターネットの世界は自分の足枷になるべきではない(自分に決定的な影響を与えてはならない)、と考えていますので、その状態を改善させるための特別な努力はしないことにしています。
そんなのんびり超マイペース一方通行サイトですが、当面はそんな感じで進めていこうと思っています。
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