チェンバロが欲しいとか本気で言っているまろりーですが、色々な理由から、ショパンを数曲弾くことになった。
ショパン生誕200周年はあと十数日くらいだけど!(笑)滑りこみでショパン祭り!
というか、多分ショパン生誕201周年誕生日じゃない日おめでとう、になると思われる。
もっともピアノっぽいピアノレパートリーのショパン。
まろりーとショパンの関係は極めて希薄です。曲としては決して嫌いな部類ではないけど、他のピアノの曲と同様に、自分から弾く気にはならない。まあ、ベートーベンやドビュッシーの曲と同様の希薄さ。というより、ピアノとまろりーの関係がもともと希薄なんです。
嫌いだから、じゃないのですよ、ただバッハやクープランのが優先なだけ。バロック音楽はバロック以降の音楽の影響を受けないので、バロック以降の音楽はたまたま勉強する必要がなかった、というだけの話。
美術史はバロック止まりとはいかないけどね。
そんな感じで、「ピアノ」を弾くのは実に数年ぶり。
ディミヌエンド久しぶりに見ました(笑)だんだん弱くで良かったはずだ。標語の「ラルゴ・マ・ノン・トロッポ」っとかてどういう意味なんだろうな?あと、「ラレンタンド」とか「ストレット」なんて記号初めてみたよ、何これどう弾くのだか!
簡単な部類なら、ショパンくらい弾けるさ!おれとてロマン主義者だもの!(強がり)ただし、ロマン恐怖症の。
さて、「ピアノの先生」の前で、ショパンの小さなマズルカをご披露してみる。
「椅子がもっと高いほうがいいみたい。・・・あれ、調節できない?」
「椅子の上で正座しましょうか?(笑)実際、高さが欲しいときは正座して弾いたりしますよ、私。」
「へー。・・・ってそれだとペダルが踏めないじゃない!」
「・・・あ。・・・・・・そう、ですね・・・ペダルがあるんでしたっけね・・・。」
チェンバロ曲にペダルを踏むという発想はありません。いきなり暗雲が立ち込めますが、このペダルというものが本当に戸惑いの的。ペダルを上げ下げするたびに、笑ってしまうほどがたがたと邪魔な音が入ってしまう。
とりあえず、ショパンの前に「ペダルの踏み方」を教わりました。(ひどい・・・)
鍵盤の弾き方も、指の動かし方もある程度知っているけど、足のほうは習得出来そうもない。
もう一つの注意ポイントは、装飾音のバロック訛りを消すべし。
バロック時代は装飾音を拍の頭と同時に弾き始めるけど、ショパン時代は拍の前に装飾するんだって。これが意外と難しい。どうしてもタイミングが遅れます。
ショパンのマズルカも弾いていてなかなか楽しいものだ。けど、やっぱり音楽において自分の帰る場所はバロックにある、と確信します。まろりーの居場所はショパンじゃない。
まあ、チェンバロを本当に入手してしまったら、ピアノの曲は全く弾けなくなるから、これで「さらばピアノよ」となるのでしょうか?
ピアノが弾けなくなることに全く抵抗も未練もありません。不思議なほどに。いちいち不統一な自分ではあるけれど、ここは確信を持って統一できる。ここだけでも綜合しなければ。
「私は今までの自分を否定せざるを得ない。しかし、その否定はかくも嬉しいことだ。」byゲーテ。
12月13日拍手お返事>
koyo様
教えを乞いたいだなんて・・・!koyo様の小説のイメージイラストだけでなく、お遣いネタなどラフなイラストも拝見しますと、その線の自由さに、実はイラストにおいても相当の手練れであることが伺えます。私こそ教えを乞わねばなりません。
巨嘴鳥先生は、もうちょっと大胆に嘴を大きくすべきでした・・・!現実のオオハシのアンバランスさは出しきれないデザインになってしまっているのが、実は心残りです。が、気に入っていただけて光栄でございます^^
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