ピクチャレスクすぎて良い。
ピラネージの絵はこんな感じ。
http://www.google.co.jp/images?um=1&hl=ja&tbs=isch%3A1&sa=1&q=piranesi+roma&aq=f&aqi=&aql=&oq=&gs_rfai=
一群のティボリの絵がとくにピクチャレスクでお気に入り。
http://www.google.co.jp/images?um=1&hl=ja&tbs=isch%3A1&sa=1&q=piranesi+tivoli&aq=f&aqi=&aql=&oq=&gs_rfai=
ピラネージをこう呼ぶ人もいるらしいです。
「ロマン主義的古典主義者」と。・・・そうだよね、ローマの廃墟はロマンだよね。
ユベール・ロベールを探しているのだけど、ピラネージの方がインパクト&影響力が強く、資料が遥かに多いのでついついピラネージ。
ローマの廃墟。
廃墟と、避けられない死と滅びの感覚とは、容易に結びつくだろうけど、それではあまりに短絡的過ぎる。最終的にそういう結論にいくにしても、洒落ている方が好みです。
つまりは、避けられない死と滅びの悲愴な感覚を味わいたいがために廃墟を求めている訳ではないと思うのです。
まさか、ローマに居てアルカディアを夢見たウェルギリウスも、後世、荒廃して葡萄畑と牛の放牧場になっていたローマそのものにアルカディアが夢見られるなんて、思いもしなかっただろうな。
しかし、まろりーの親しむローマの廃墟は、いまや考古学的に発掘され、草木も生えぬ史跡と成り果ててしまっているのでしょう。廃墟ではなく、史跡に。
ピラネージの廃墟すら失われた現代、呪うべきは科学の明晰さ!というのがロマン主義の論調かな(笑)
そのローマの遺跡には、ローマの時代の壮麗だけでなく、そのローマを夢見る17、18世紀の廃墟と田園の夢も詰まっているのです。
廃墟はファンシーなものに限ります。未来のメメント・モリより、流れ去った時への甘美な哀惜を(笑)
・・・論点がずれました。つまり、単純に廃墟はピクチャレスクな点で良い。