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○なんせんす・さむしんぐ○

美術や音楽の感想とか、動物中心のイラストのブログ。

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ゴーギャン展の思ひ出

 ゴーギャン展滑り込みで行ってきました!以下感想。

 まろりー、ゴーギャンさんについて、誤解していたよ…。
 もっとどうしようもなく我が強くて、自己主張の激しい人だと思っていました。強い色彩、きっぱりした線、熱帯の雰囲気とか、見る方に自分の価値観の新しさとその正当性をがんがん訴えるタイプだと。
 だから、当初まろりは、彼の絵を見続け、主張を読み取っていく内に、体力を削られて見終わったらくたくたになる、そんな展示になるものだと思っていたのです。

 さて、このゴーギャン展、出展数は少ないながら、ゴーギャンさんの画業を初期から晩年まで通してみせるという直球スタンダードな展示。実は、私、意外にゴーギャンの絵を通して見たことってなかったの。

 初期、といっても本格的に絵を始めたのは30代。それにしてはやたらめったら絵が上手いけど(笑)そんな初期は印象派然とした風景画だったり、もっと「ゴーギャン」らしかったり、色々と模索している感じ。
ゴーギャン<オスニー村の入り口><オスニー村の入り口>
 ちなみに、ポストカードで買ったこの絵は、ちょっと色が変わっているけど、最初期の絵。坂道感が素敵で買いました^^坂道の上にたって、下っていく道を遠くまで眺めるというのは、やっぱり良い景色です。まろりーの好む「ここに行きたい」系の絵。

 彼が自分の理想を求めてタヒチに行ったことは有名ですが、この一連のタヒチな絵がいわゆる「ゴーギャンな絵」と言っていいと思っています。

 画風は「野生的」な感じなんだけど、芸術として洗練されたって印象でした。意外と紳士というか(笑)
 図版で見ると、きついオレンジにどろどろの緑と濃厚な肉色!でくっきりぱっちり、みたいな絵になりがちだけど、実物は案外薄塗りなためかそんなに重くない。あと、意外にピンク使いが好きでした。

 ゴッホとの共同生活の末の耳切り事件がかなり衝撃的なものだから、もっと一緒に暮らすのは無理!みたいな人かと思ったのだけど、それはどうやらゴッホの方(笑)ゴーギャンはきっと話せば分かる人で、ゴッホが話しても分からない人だったんじゃないかと思えてきます。
 ゴッホは生涯通して貧乏で、いっつも肉体的にも精神的にも崖に逆さ吊りされているみたく追い詰められていて(最終的には自分で吊る下げられた綱を切ってしまったけど)、ゴーギャンは画家になる30歳くらいまでは、結構普通に稼いでいたらしく、多少の余裕というか、芸術家として感性は普通じゃないけど(普通の人間はタヒチまで行かないだろう…)常識の範囲内にも戻ってこれるゆとりがありそう(笑)
 勝手な空想だけど。


 で、今回の展示の目玉が
ゴーギャン<我々は何処から来たのか、何者なのか、何処へ行くのか>
<我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか>

 絵のタイトルです。代表作ですが、タイトルが長すぎるので、大抵「ほら、ゴーギャンのアレ」とか呼ばれます。
 
 タヒチからフランスへ帰って来たゴーギャン。しかし、パリの人の多くはゴーギャンの絵が理解できませんでした。
 無理解に苦しむ中、体調を崩して遺書のつもりで描いたというのが上の作品。
 自分が本当に皆に伝えておきたいこと、今までも繰りかえし描いてきた是非分かって欲しかったこと、人生全てを注ぎ込んだ絵。ゴーギャン自身「言葉によらないで、絵で伝えている」と言う、言葉には訳せないものです。ので、この絵自体の解釈云々はまろりー程度が言う代物ではありません。

 この絵を描いて、色々などろどろを吐き出してしまったためか、肩の荷が降りて心が自由になったためか、それ以降の絵が問答無用で良い絵だと思いました。5点しか展示されていないけど、そのうち4点がポストカード化されていたってことは、美術館側も同意見と見ています(笑)というか、今回、ポストカードがかなり的を射ていたというか、アレンジ版がお洒落で可愛くて素敵ですごいテンション上がりました。是非見せたいけど、これはきっと著作権に触れるので…。

 ファア・イヘイヘ(タヒチ牧歌)
ゴーギャン<ファア・イヘイヘ>
 なんかもう仙人の境地というか。言い尽くしてしまったので、心が理想郷に行ってしまったというか、そんな印象。
 すごく穏やかで、かつ力強い大地の豊かさが好き。

 で、死の4年前に描いた晩年の絵が、最初に見た初期の絵と似た雰囲気があったと思うのです。ちょっと図像色変わってるけど(特に初期の坂道)
ゴーギャン<路上の馬:タヒチの風景><路上の馬:タヒチの風景>
 まろりーはこの絵を見た瞬間、「あ、戻った」と思ったものです。場所はタヒチで、最初のように印象派的だという訳ではないのだけど、心に留めた描きたい風景は変わっていないのでは…。
 どういう積りで描いたのか知らないけど、なんの気も無く昔と同じになってしまったのか、ふと自分の来し方を振り返ったのか、瞬間、病気がちで死を前にしての追憶かと、そう想像して、自分の空想でちょっとじんわり泣きそうになった(笑)

 という訳で、最後の一枚。死の年の作品。
ゴーギャン<女性と白馬><女性と白馬>
 こういう絵を展示の最後に持ってくるのが、心憎い(笑)
 人物たちは絶妙な距離感なのです。近くに居ない。少し離れたところで向こう側の白い人たちを眺めている。けど、すぐに追いつける。遠くない。
 ずっと遠景に白い十字架。多分、目的地。きっと赤く色づく森林を通り抜けて、行くつもり。

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