さて、約一ヶ日の間、節電の為お休みしていた当ブログでございます。
…普段からそれ程の更新頻度でもないし、本人も一日中パソコンを使う人間でもないので、あまり貢献はしなかったかと思う。
駅やお店など、とても暗くなりました。でも、常々、明るい昼間から蛍光灯の光を浴びせられて、ほとほと嫌気がさしていたところなのです。ましてや自然の光が入ってくるのに、それをかき消すように付けられた電灯は、ほとんど暴力的で、うんざりしていました。
明かりというのは、本来贅沢なものです。かつては蝋燭の現物支給が給料代わりになることもあったといいます。
電車の本数が減るのも、お店が品薄なのも、我々にはもはや代替品が沢山あるのだから、別に問題ありません。昔の人が、人を歓待するために、上質の牛肉を手に入れようと、従僕に町中の肉屋を探させたが、ろくなものが手に入らなかった、などという日記を残していたのを思い出します。そうです、毎日溢れる商品は本来有限で、必ずあるものではなかったのです。
満足する為には欲望を少なくすることだ、少なくして質を高めるべきなどと今更まろりーがジャン・ジャック・ルソーと同じ事を言う必要はありますまい。よくいうように、今までが異常に便利で贅沢だっただけで、贅沢は嬉しいことですが、贅沢にどっぷりつかるのも食傷します。今までまあ、自分もよくぞ飼いならされていたものだと、多少自己嫌悪ですが、今後電力供給が旧に復することがあっても、このままの薄暗さでいって欲しいものです。
Sed nos inmensum spatiis confecimus aequor,
et iam tempus equum fumantia solvere colla.
--P. Vergilius Maro, Georgicon
だが、我々はというと、
(サトゥルヌスの黄金時代からは)計り知れないほど遠くまで来てしまった。
今こそ湯気立てる馬の首を緩める時だ。
さて、この一月は、活字中毒を発症しまして、さらに例の事のおかげでロマン主義っぽいものばかり読んでしまいました。
フリードリヒ<海辺の修道士>
自然に対して人間は小さく非力なものだ、というのはロマン主義のよくあるテーマ。追悼を。
で、最近ずっとノンフィクションばっかりだったし、ロマーンに飢えてがっついてしまった。
・ハムレット(新約古典文庫の)
・トリスタンとイズー(許されざる二人の愛と死の中世ロマン。そもそもトリスタンの生い立ちと名前が「悲しみ」という意味からして痛い系ロマンチック)
・若きウェルテルの悩み(爆)
・狐物語(中世の小説。イギリスはキャクストン版。フランス版は痛快悪漢小説だけど、イギリス版は教訓色が強い。一見「たのしい川べ」風だけど、悪がのさばり、善玉も弱者も陥れられる案外殺伐とした話。とりあえず、19世紀の木口木版挿絵が癒し。うさぎの首とか食いちぎられているけど。)
次は乗りで「オシアン」読むよ!(荒涼たる戦いと滅びの古代ケルトの詩…だと思う)
上記、全部ロマン主義時代に流行ったものです。…悪狐以外、主人公皆死んでるのがテンションあがりますね…!
Die Welt muß romantisiert werden.
世界はロマン化されねばならない!byノヴァーリス
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