百三さま>
ご訪問、拍手ありがとうございました!
お返事遅くなりまして大変失礼いたしました。ここ一月ネットを見る暇もなく働いておりまして…昨日ようやくこのブログを更新、本日、百三さまのコメントを拝見した次第です。普段、あまり流行ってないブログなもので、お言葉を頂戴することを想定しておりませんでした。
と、長い言い訳から入ってしまい重ねてお詫びします。
確かに、学校の授業に出るようなエポックメイキングな絵じゃなくても、純粋に感動を呼ぶものがありますね。
むしろそういう絵の方が、有名じゃないぶん見つけたときの喜びは大きいかも知れません。
難しい思想のこもったご高尚な絵ではなくても、一瞬で素敵だと思える絵との出会いは、いつも嬉しくて、やめられません。
トマス・ジョーンズ、お気に入りの画家です。
一番有名な<ナポリの壁>を初めて見たときに、余りの正直さ、こだわりのない清々しさ、シンプルさに衝撃を受けました。
また、聖書やギリシア神話の絵や、わざと綺麗に描いた風景の絵が主流の18世紀において、観光名所とか景勝地とか特別なものではなく、普通の壁を馬鹿正直に描くという発想も新鮮な驚きでした。
もしかして、印象派の描く何の変てつもない風景の絵を初めて見た19世紀の人達の、斬新な驚きにも匹敵するかも知れません。というのは大袈裟ですが(笑)
ジョーンズの素描は、これだけシンプルで絵らしい要素が何もないのに、南イタリアの陽光や空気を感じられるのが、魅力です。
とにかく、こうした後付けの理由抜きに、トマス・ジョーンズが大好きです。
さて、かねてより予告していましたフラゴとロベールのコラボ(
あらすじ〉
ロベールの素晴らしいエステ荘の噴水素描と、
左:ジャン=オノレ・フラゴナール、右:ユベール・ロベール
ひょっとして仲良し2人の夢のコラボ!?
建築好き(後に)庭園デザイナーのロベールと、情感豊かな風景画でさりげなくロマン派を予告するフラゴナール。
素描の名手ロベールと色彩の天才フラゴナールの夢のコラボなの!? だったら楽しいけど実際どうなんだろう。
何故フラゴとロベールで、油彩と素描で同じ絵を描くのだろう。
っていうか何で反転しているんだろう。
とりあえずカラー版フラゴナール誰か見せろ!
どうやらブザンソンの美術館が、
取り敢えず、最悪のことが分かりました。
88年のカタログでは個人蔵となっていたフラゴナールの油彩が、
ぎゃー。
ものが無いのでは話にならない。しかも一番大事なタブローが。
一応、どの文献でもフラゴナールとされているようなんだけど、「
何だろう、保存状態が悪いのか、そもそも絵が拙いのか。完成度が低いのかな?
ものが無いので何にも言えません。
そして、頑張って最後まで解説を読んだ結論は。
よく分からん。
だそうです。
ああ、読んでる途中でいやな予感はしてた。
反転している理由も分からん。
事実として、ヴァリエーションのデッサンの一枚にインクで「frago.Romae1760」と書いてあるらしい。フラゴ・ロマエ、ローマ(在住)のフラゴねぇ。
定かには書かれていないけど、このデッサンの署名があるから、
結局は、沢山のコピーが残っているということで、
フラゴナールの行方不明のタブローが全ての鍵を握る!…
どうか世界のどこかで無事でいて…!(>_<)
Jean-Honore Fragonard: Life and Work 1988 著:Jean-Pierre Cuzin 出版社:Harry N Abrams
上記のフラゴナールの図版をつらつら見ていたら、ある一点の4cmほどの白黒図版が気になりました。
<View of an Italian park, called The Great Fountain at the Villa d'Este or The Fountain of Arethusa>
c.1762-63(?) 58 x 72cm 個人蔵
油彩カタログの中の276ページ。
あれ、これって・・・
ユベール・ロベール<The Oval Fountain in the Gardens of the Villa d'Este, Tivoli>1760 National Gallery of Art(Washington, D.C.)
ウィキペディアで、ロベールの素描として載っているこの絵…
…反転させた構図じゃないか!?
念のため反転させたフラゴ画像と横並びにしてみる。
因みに実物。まろりー撮影。←無駄に自慢げ
フラゴナールとロベールは大の仲良しで、イタリア留学中に一緒になって素描して回った間柄です。
特に素描作品についていえば、しばしば混同されてしまうほど画風が似通っている程です。
もちろん、ティヴォリのヴィラ・デステへも連れだって出かけていき、素敵な絵の数々を今に遺してくれいています。
だから、同じような構図の絵があっても全くおかしくないし、逆に仲良しエピソード妄想して、楽しくなってきます。
仮説という名の妄想いろいろ
1、フラゴとロベール2人で並んで噴水を素描した。で、フラゴの方が油彩にした。
2、ロベールの素描が気に入ったので、その構図いただき!とフラゴが反転してぱくった。
3、反転しているから、版画作品を模写?
4、フラゴの油彩を羨ましがってロベールが模写。って、一応制作年はフラゴ油彩のが後のようです。
5、まさかの帰属間違い。いやいや。
1番や2番だったら仲良しエピソードいいなぁ。という妄想。
え、だって生き生きとした素描の名手、ロベールと色彩の天才フラゴナールの夢のコラボだよ。夢すぎる。←とりあえず夢です。
ロベールとフラゴの共作ドリーム…(二度目に言いますが妄想です)
なぜなぜ、どうして同じ構図なの?どこかでこれに言及してる研究書とかないの!?絶対どこかにあるだろう。
と思って、ウィキペディアに「さらなる情報は美術館のサイトで!」ってリンク先をのぞいたら、 ローザンベールさん著の「Les Fragonard de Besançon」って本に言及あるよ、ってさ。
おや・・・なんと偶然、この本フランス土産とて持ってる☆読んでない☆
これは運命だね。
読んでなくても図版は見てるから覚えていていようよ自分…という忸怩たる自己つっこみが自分で痛いです。…いや、まあ記憶なんてそんなもんだよね。かなり前に買った本で、エステ荘画像もそんなに熱心に見てなかったし…言い訳言い訳。
後者カタログはフランス語で書いてあるから、気合い入れないと読めないので(英語だってすらすら読めるわけでは決して…)、今度読むよ。
答えが書いてありそうかも知れない。
図版だけちらちら見ると、作者不詳となっているけど、いくつか同じ構図でヴァリエーションがあるようだ。
やっぱり人気はあったようです。このロベールの素描、綺麗だもんなー。いいよね、この絵。大体、ロベールのこの飛ぶようなライヴ感あふれるチョーク使いが素晴らしい。
もうエステ荘がピクチャレスクで素敵過ぎる。
あー1988年のカタログでは、フラゴナールの油彩は個人蔵となっている。どこの個人かしらないけど、ネットでもいいからカラーで公開して下さいこの野郎ー!カラーで見たいよ。
あるいは、どこかの美術館にすでに収蔵されてるとか。
という訳で、エステ荘の庭園をめぐる妄想でした。
Bunkamuraにて、シャヴァンヌ展。副題は、水辺のアルカディア。
これは珍しいし、今後二度とあるとも知れないし、第一アルカディアと聞いて見逃せるか、なんて思って行ってきました。
ピエール・ピュヴィ・ド・シャヴァンヌ。
私は彼のことを大いに誤解していました。
そう、誤解。
実を言えば、どちらかといえば悪い方にアカデミックに過ぎて、説教臭くて面白くない、なーんて思っている節もありました。
その時に、頭の中で想定していたのは、以下の二枚。
左:<貧しき漁夫>、右:<希望>
地味すぎる渋い灰色の画面に、痩せこけて量感に乏しい人物たち。アカデミックな絵に付き物の理想化さえ半端に足りなくて、説教だけ垂れてきて色気もないし、生気を吸われる感じ…。
これらの絵の説明によれば、「シャヴァンヌの組するアカデミーに反逆している印象派にも尊敬され、非常に人気が高く、影響力もあった。静謐で瞑想的な世界観や、例えば遠景を一色で塗り潰したような単純化は、ゴーギャンや象徴派をも予告する。」
ふーん、そうなんだ。(←感想)
極端に言ってしまえば、感想すら持っていませんでした(笑)
が、それは多少偏狭というか、ナノレベルでの薄皮一枚の表面しか見ていなかったようだ、と今回のシャヴァンヌ展で思い直した次第です。
さて、展示に入って。修行時代のごく普通の古典的な絵から始まり、シャヴァンヌは壁画の画家として頭角を表していきます。
公共施設を飾る壁画を描き、またそれを普通の油彩画のサイズに自ら縮小コピーして、その建物に足を運ばない人にも見てもらえるように、ご自宅に飾れるようにもしたのでした。結構堅実にお金稼いでる(笑)
このシャヴァンヌ展は、ほとんどが本物の油彩壁画ではなく、そんな自筆コピーや、下書きなどで構成されています。
ピエロ・デラ・フランチェスカ(ルネサンス期のフレスコ画家)に深く感銘を受けたシャヴァンヌ。絵からはその影響を強く感じます。ピエロ・デラ・フランチェスカ<キリストの洗礼>
ルネサンス絵画を彷彿とさせる、明確な輪郭線と、均質な光、禁欲的な静謐さ。
つやのないマットな白っぽい灰色とパステルカラーの色調は、白い漆喰に色を染み込ませるフレスコ画を意識しているのだと思う。
例えば展示されているのは、戦争と平和とか、労働と休息というテーマの壁画の縮小コピー。<休息>
人物はみな現実の人ではなく、ギリシア神話風。長い布を纏った人、或いは戸外で何も着ない人。
だからといってアポロンやらヘラクレスやらの神話がテーマではなくて、また豊穣とか平和とかの擬人像という訳でもない。
それは特定の時代、身分の人間ではなく、古代調のファンタジーを纏うことで、時代を越え普遍化した概念的な人間。
そうした人たちが合い戦い、平和を喜び、共に働き共に語り、日々を営んでいく、というのが壁画の趣旨。
一方で私邸を飾っていたという、<幻想>は神秘な青い色調で統一されていて、森の中でペガサスや裸のニンフ風の女性や少年が意味深に配置されている。幻想とタイトルが書かれた銘板もルネサンスのイメージを借りています。
左:シャヴァンヌ<幻想>、右:ドニ<イヴォンヌ・ルロールの3つの肖像>
なるほど、これなどは心象世界を象徴的に描くナビ派のモーリス・ドニがそのまま好きそうな感じ。もちろん、象徴派やナビ派と呼ばれる人たちはもっと後で、シャヴァンヌ本人がその思潮の音頭を取っていた訳ではない。
でも神話的でありながら神話ではないこういうのが、象徴主義の先駆というのはとっても納得。
シャヴァンヌ<伝書鳩>
気球を見送る女性と、伝書鳩を鷲から守る女性の絵は、見た瞬間、むしろ有元利夫みたいだなぁと思った。
この現代の画家もピエロ・デラ・フランチェスカに私淑していた人だから、やはり通じるものがあります。
一番の目玉は、リヨン美術館やパンテオンの壁画の縮小コピーです。
<諸芸術とミューズの集う聖なる森>
前者は美術館だけに、古代調の布を纏った芸術の女神たちが、神殿の建つ聖なる森の中に集うという図像。
これは普通に綺麗だなぁ。パルナッソス系の図像、すきすき。
後者は、フランスの偉人を祀るパンテオン=元はパリの守護聖人、聖ジュヌヴィエーヴ聖堂ということで、聖ジュヌヴィエーヴの主題。
さて、しかしそうした大作の展示を見て、なんともしっくり来ないもやもやした感じを抱いていました。
何もかもが何だか中庸で、突出した何かがない。
陰影は浅いし、人物の配置も水平的だし、色は全て白っぽく落ち着いた灰色とパステルカラーだし。
ギリシア神話的な雰囲気はあるけれど、特定の物語があるでも無く、平和とか労働とかいうテーマを扱えど、戦争反対とか労働礼賛とか、社会的・政治的なメッセージも無く、ましてやリアルな現実を鑑賞者に叩きつけるとか、逆に人生を生きる悲喜こもごもを描くとかアグレッシブなものも無く。
物凄く計算ずくの構成は冷ややかで、例えば画家の芸術的パッションのほとばしりとか、超絶技巧の見せつけなんかも無く。
アルカディアという伝統的なテーマから見たって、黄金時代の再来の願いだとか、田園趣味だとか、無垢への憧れだとか、空想に浸る幸福感だとか、景色の美しさとか、甘美な憂鬱とか、無い。
確かに個性的。独特の綺麗な色調に深遠で静謐な世界観。
しかしなあ…展示されている絵そのものはすごい地味で皆が絶賛するほどそんなに面白くない、よ、…ね。
と、いう訳で見れば見るほどシャヴァンヌがよく分からなくなってきたので、椅子に座って傍らの美術展カタログを読むことしばし。
・・・・・・
シャヴァンヌが壁画を描いていた十九世紀後半のフランスは、フランス革命以後の度重なる内乱と、プロイセンとの戦争によるパリの破壊と敗戦、続く市民たちの最後の抵抗たるパリ・コミューンでの虐殺と、大変な激動の時代でした。
特に普仏戦争敗戦のあとのフランスは、身も心もぼろぼろ。
そこでの公共建築、つまり全ての国民のための施設を飾る壁画は、傷付いた人を慰め、希望を与えるものでなければならなかった。
その為のアルカディア。それは、調和した世界への祈り。なぜ祈るかといえば、世界は全く調和していないから。
そもそもアルカディアというテーマは、ローマの詩人ウェルギリウスの「牧歌」の舞台であって、そこは自然とその恵みを牧畜や農耕よって享受する人間とが調和する一種の理想郷として、ウェルギリウス以降、古典の復興を経て受け継がれていきます。
ウェルギリウスが牧歌を歌ったのは、ローマが内乱によって荒れていた時で、アルカディアのようなユートピアが存在感を増すときは、いつでもその反対側に思い通りにならない現実が有るのです。
しかし、ウェルギリウスの牧歌には、直接の反戦メッセージや、惨禍をもたらす文明批判や嫌悪や、社会はこう有らねばならないという政治的な主張は歌われません。
作中で直接に何か大事件が起こる訳ではないし(内戦とそれに伴う牧人たちの農地没収は物語の外です)ただ牧人達はそれぞれの感情を、淡々と優雅に歌っているだけです。
翻って、シャヴァンヌは。
戦乱続きの時代の状況はウェルギリウスと重なるところもある。
ウェルギリウスなどの古典に親しんでいた画家は、戦前からアルカディア的な神話世界に仮託して、人類共生などをテーマとした壁画を描いてきたけれども、公共建築の装飾壁画というのが、みそなんじゃないかと思います。
それは十九世紀のフランス国民全体のための絵画であって、ちょっとお部屋に飾って個人の個人的な願望を反映させる性質のものじゃありません。
誰でも気持ちよく見れるように、お色気は駄目(笑)そもそもそんな享楽してられる状況ではなく、意見の対立を生む政治も駄目、戦争反対とか言って戦争の悲惨さをアピールしてこれ以上傷を抉るのも駄目。
だから、徹底的に個人的な感情を抑制してあり、且つあからさまなメッセージ性は無く、卑近さのない格調高さで、悪く言うと突出したところが無くて平坦、という事になる、ということなのかなあ。
そういう絵が描けたシャヴァンヌは、公共建築に本当に向いていたのだろうなあ。
思えば、ウェルギリウスの牧歌も、このような何でも無さ、何も無さが美しいのではなかったか。
生気が吸われるように感じた<希望>は普仏戦争直後に描かれ、そもそも人民は生き生きなんてしていなかった。廃墟の中に咲く、一輪の小さな花。輝きすぎる希望は却って嘘っぽいから、本当に手の届きそうなささやかな希望を描いてこそだったのかしら。これは勝手な解釈。
壊された街の、パンテオンの新しい壁画。
厳しい現実から束の間逃避し、またそれだけでなく、清らかな理想世界を祝福して、傷付いた人に寄り添いながら優しく鼓舞し、前向きに人心を昇華させるようなシャヴァンヌのアルカディアは、確かに尊敬を集めてファンが多かったのだろう、と頷けます。
解説文によれば、シャヴァンヌもアルカディアの系譜にきちんと連なっていて、古典的な画風だけれども、カミーユ・コローのあの銀色のアルカディア的な「思い出」の世界に近いという解説。
左:コロー<モルトフォンテーヌの思い出>
右:コロー<カステル・ガンドルフォの思い出>
いまいち、古典派という程の理想化や透明感もなく、影響を大いに与えた象徴派というにはご老体すぎる(笑)ので、シャヴァンヌの立ち位置がよく分からなかったけど、そういう位置付けなるほど納得です。
こうして、美術史が繋がるのか~。
シャヴァンヌって、すごかったんだね!
って、分かりにくいよ!
これがアートだ、見て感じろ! とか無理。
何だか色々と惜しい…。
絵には戦争の惨禍なんて描いてないから世界史とリンクしにくいのに、激動の歴史背景と照らさないと、いまいち尊敬ポイントが分からないし、尊敬ポイント上げるためにすんごい時間かかったわ…!
大体、今見たものは自筆とはいえ縮小コピーや下書きであって、壁画そのものではない。パンテオンの聖ジュヌヴィエーヴも、実際は縦5メートル、横10メートルほどの巨大さらしい。
なんか、本物というか、きちんと立派な建物の中で、本番の壁画だったらもっと迫力あるんだろうな。縮小コピーや下絵では、どうしても100%は伝わりきらないのではないでしょうか。しかし実物を見るにはフランス各地に散らばるその場所へ足を運ばないとならない。
うわあ、ハードル高い。
でも、もしパリに行く機会があったら、シャヴァンヌを見にパンテオンは行ってみようかな。
で、展示の落ちは。
ちょうどヨーロッパの絵画を貪欲に吸収しようとしていた日本が、フランス当代随一の画家として君臨していたシャヴァンヌに邂逅する。
壁画や例の〈貧しき漁夫〉など日本人画家が模写していたり、こうしてシャヴァンヌは黒田清輝ら日本人に影響を与えていきます。
貧しき漁夫…一連の壁画の方が、シャヴァンヌの代表作だったようなのに、何だかこの陰気な絵のイメージが一番にあります。あれかな、やっぱり西洋美術館がコピーを持っているからかな。
シャヴァンヌは確かに当時の日本人の好みにも合致しているとは何となく想像します。
輪郭線がはっきりしていて、清潔な画風。奥行きも無いからモチーフ一つ一つが見やすい。当時の洋画は、写実の技法だけでなく、精神性というものも重視していたらしいから、この静謐な世界観は好きそう。
そういう訳で、シャヴァンヌは後の世代だけでなく、日本の洋画にも大きな影響を残したのです。
ワア、シャヴァンヌって、すごかったんだね!(やや棒読み)
画像検索でなんとなく眺めてみると、結構良さげな画像も発見した。やはりアルカディア系は綺麗かも。こういう絵描いてたんだ。っていうのが発見。
ともかくも、シャヴァンヌの絵には描かれていないことが多くて、見ただけで判断してはいけないな、と勉強になりました。
コウセイ様>
ヅラトークが熱くなってしまってすみませんでした(笑)
昨日、録画しておいたパイレーツ・オブ・カリビアン(の何作かめ)をだらだら見ていたのですが、もふもふの鬘に髪粉を振りかけていると思しき人が出てきてほっこりしました(まだヅラトーク・笑)
そもそもお風呂自体ほとんど入らないし…痒そうですね。
猫は、たまには可愛く書こうかと(笑)
日本画家、わたしもあんまり詳しくなくて、絵と名前が全然一致しません…。古径さんとか土牛さんとか、ああそういえば見たことあった、これって古径なんだーっていうの、多いです。
ところで、コウセイさんの日記ログにもあったスキャナに紙が収まらないって、本当どうしようもないですよね。私も時々あって…(笑)画像自体がなんとか収まっても、原稿台から浮いちゃうから影が出来ちゃったり。