Bunkamuraにて、シャヴァンヌ展。副題は、水辺のアルカディア。
これは珍しいし、今後二度とあるとも知れないし、第一アルカディアと聞いて見逃せるか、なんて思って行ってきました。
ピエール・ピュヴィ・ド・シャヴァンヌ。
私は彼のことを大いに誤解していました。
そう、誤解。
実を言えば、どちらかといえば悪い方にアカデミックに過ぎて、説教臭くて面白くない、なーんて思っている節もありました。
その時に、頭の中で想定していたのは、以下の二枚。
左:<貧しき漁夫>、右:<希望>
地味すぎる渋い灰色の画面に、痩せこけて量感に乏しい人物たち。アカデミックな絵に付き物の理想化さえ半端に足りなくて、説教だけ垂れてきて色気もないし、生気を吸われる感じ…。
これらの絵の説明によれば、「シャヴァンヌの組するアカデミーに反逆している印象派にも尊敬され、非常に人気が高く、影響力もあった。静謐で瞑想的な世界観や、例えば遠景を一色で塗り潰したような単純化は、ゴーギャンや象徴派をも予告する。」
ふーん、そうなんだ。(←感想)
極端に言ってしまえば、感想すら持っていませんでした(笑)
が、それは多少偏狭というか、ナノレベルでの薄皮一枚の表面しか見ていなかったようだ、と今回のシャヴァンヌ展で思い直した次第です。
さて、展示に入って。修行時代のごく普通の古典的な絵から始まり、シャヴァンヌは壁画の画家として頭角を表していきます。
公共施設を飾る壁画を描き、またそれを普通の油彩画のサイズに自ら縮小コピーして、その建物に足を運ばない人にも見てもらえるように、ご自宅に飾れるようにもしたのでした。結構堅実にお金稼いでる(笑)
このシャヴァンヌ展は、ほとんどが本物の油彩壁画ではなく、そんな自筆コピーや、下書きなどで構成されています。
ピエロ・デラ・フランチェスカ(ルネサンス期のフレスコ画家)に深く感銘を受けたシャヴァンヌ。絵からはその影響を強く感じます。ピエロ・デラ・フランチェスカ<キリストの洗礼>
ルネサンス絵画を彷彿とさせる、明確な輪郭線と、均質な光、禁欲的な静謐さ。
つやのないマットな白っぽい灰色とパステルカラーの色調は、白い漆喰に色を染み込ませるフレスコ画を意識しているのだと思う。
例えば展示されているのは、戦争と平和とか、労働と休息というテーマの壁画の縮小コピー。<休息>
人物はみな現実の人ではなく、ギリシア神話風。長い布を纏った人、或いは戸外で何も着ない人。
だからといってアポロンやらヘラクレスやらの神話がテーマではなくて、また豊穣とか平和とかの擬人像という訳でもない。
それは特定の時代、身分の人間ではなく、古代調のファンタジーを纏うことで、時代を越え普遍化した概念的な人間。
そうした人たちが合い戦い、平和を喜び、共に働き共に語り、日々を営んでいく、というのが壁画の趣旨。
一方で私邸を飾っていたという、<幻想>は神秘な青い色調で統一されていて、森の中でペガサスや裸のニンフ風の女性や少年が意味深に配置されている。幻想とタイトルが書かれた銘板もルネサンスのイメージを借りています。
左:シャヴァンヌ<幻想>、右:ドニ<イヴォンヌ・ルロールの3つの肖像>
なるほど、これなどは心象世界を象徴的に描くナビ派のモーリス・ドニがそのまま好きそうな感じ。もちろん、象徴派やナビ派と呼ばれる人たちはもっと後で、シャヴァンヌ本人がその思潮の音頭を取っていた訳ではない。
でも神話的でありながら神話ではないこういうのが、象徴主義の先駆というのはとっても納得。
シャヴァンヌ<伝書鳩>
気球を見送る女性と、伝書鳩を鷲から守る女性の絵は、見た瞬間、むしろ有元利夫みたいだなぁと思った。
この現代の画家もピエロ・デラ・フランチェスカに私淑していた人だから、やはり通じるものがあります。
一番の目玉は、リヨン美術館やパンテオンの壁画の縮小コピーです。
<諸芸術とミューズの集う聖なる森>
前者は美術館だけに、古代調の布を纏った芸術の女神たちが、神殿の建つ聖なる森の中に集うという図像。
これは普通に綺麗だなぁ。パルナッソス系の図像、すきすき。
後者は、フランスの偉人を祀るパンテオン=元はパリの守護聖人、聖ジュヌヴィエーヴ聖堂ということで、聖ジュヌヴィエーヴの主題。
さて、しかしそうした大作の展示を見て、なんともしっくり来ないもやもやした感じを抱いていました。
何もかもが何だか中庸で、突出した何かがない。
陰影は浅いし、人物の配置も水平的だし、色は全て白っぽく落ち着いた灰色とパステルカラーだし。
ギリシア神話的な雰囲気はあるけれど、特定の物語があるでも無く、平和とか労働とかいうテーマを扱えど、戦争反対とか労働礼賛とか、社会的・政治的なメッセージも無く、ましてやリアルな現実を鑑賞者に叩きつけるとか、逆に人生を生きる悲喜こもごもを描くとかアグレッシブなものも無く。
物凄く計算ずくの構成は冷ややかで、例えば画家の芸術的パッションのほとばしりとか、超絶技巧の見せつけなんかも無く。
アルカディアという伝統的なテーマから見たって、黄金時代の再来の願いだとか、田園趣味だとか、無垢への憧れだとか、空想に浸る幸福感だとか、景色の美しさとか、甘美な憂鬱とか、無い。
確かに個性的。独特の綺麗な色調に深遠で静謐な世界観。
しかしなあ…展示されている絵そのものはすごい地味で皆が絶賛するほどそんなに面白くない、よ、…ね。
と、いう訳で見れば見るほどシャヴァンヌがよく分からなくなってきたので、椅子に座って傍らの美術展カタログを読むことしばし。
・・・・・・
シャヴァンヌが壁画を描いていた十九世紀後半のフランスは、フランス革命以後の度重なる内乱と、プロイセンとの戦争によるパリの破壊と敗戦、続く市民たちの最後の抵抗たるパリ・コミューンでの虐殺と、大変な激動の時代でした。
特に普仏戦争敗戦のあとのフランスは、身も心もぼろぼろ。
そこでの公共建築、つまり全ての国民のための施設を飾る壁画は、傷付いた人を慰め、希望を与えるものでなければならなかった。
その為のアルカディア。それは、調和した世界への祈り。なぜ祈るかといえば、世界は全く調和していないから。
そもそもアルカディアというテーマは、ローマの詩人ウェルギリウスの「牧歌」の舞台であって、そこは自然とその恵みを牧畜や農耕よって享受する人間とが調和する一種の理想郷として、ウェルギリウス以降、古典の復興を経て受け継がれていきます。
ウェルギリウスが牧歌を歌ったのは、ローマが内乱によって荒れていた時で、アルカディアのようなユートピアが存在感を増すときは、いつでもその反対側に思い通りにならない現実が有るのです。
しかし、ウェルギリウスの牧歌には、直接の反戦メッセージや、惨禍をもたらす文明批判や嫌悪や、社会はこう有らねばならないという政治的な主張は歌われません。
作中で直接に何か大事件が起こる訳ではないし(内戦とそれに伴う牧人たちの農地没収は物語の外です)ただ牧人達はそれぞれの感情を、淡々と優雅に歌っているだけです。
翻って、シャヴァンヌは。
戦乱続きの時代の状況はウェルギリウスと重なるところもある。
ウェルギリウスなどの古典に親しんでいた画家は、戦前からアルカディア的な神話世界に仮託して、人類共生などをテーマとした壁画を描いてきたけれども、公共建築の装飾壁画というのが、みそなんじゃないかと思います。
それは十九世紀のフランス国民全体のための絵画であって、ちょっとお部屋に飾って個人の個人的な願望を反映させる性質のものじゃありません。
誰でも気持ちよく見れるように、お色気は駄目(笑)そもそもそんな享楽してられる状況ではなく、意見の対立を生む政治も駄目、戦争反対とか言って戦争の悲惨さをアピールしてこれ以上傷を抉るのも駄目。
だから、徹底的に個人的な感情を抑制してあり、且つあからさまなメッセージ性は無く、卑近さのない格調高さで、悪く言うと突出したところが無くて平坦、という事になる、ということなのかなあ。
そういう絵が描けたシャヴァンヌは、公共建築に本当に向いていたのだろうなあ。
思えば、ウェルギリウスの牧歌も、このような何でも無さ、何も無さが美しいのではなかったか。
生気が吸われるように感じた<希望>は普仏戦争直後に描かれ、そもそも人民は生き生きなんてしていなかった。廃墟の中に咲く、一輪の小さな花。輝きすぎる希望は却って嘘っぽいから、本当に手の届きそうなささやかな希望を描いてこそだったのかしら。これは勝手な解釈。
壊された街の、パンテオンの新しい壁画。
厳しい現実から束の間逃避し、またそれだけでなく、清らかな理想世界を祝福して、傷付いた人に寄り添いながら優しく鼓舞し、前向きに人心を昇華させるようなシャヴァンヌのアルカディアは、確かに尊敬を集めてファンが多かったのだろう、と頷けます。
解説文によれば、シャヴァンヌもアルカディアの系譜にきちんと連なっていて、古典的な画風だけれども、カミーユ・コローのあの銀色のアルカディア的な「思い出」の世界に近いという解説。
左:コロー<モルトフォンテーヌの思い出>
右:コロー<カステル・ガンドルフォの思い出>
いまいち、古典派という程の理想化や透明感もなく、影響を大いに与えた象徴派というにはご老体すぎる(笑)ので、シャヴァンヌの立ち位置がよく分からなかったけど、そういう位置付けなるほど納得です。
こうして、美術史が繋がるのか~。
シャヴァンヌって、すごかったんだね!
って、分かりにくいよ!
これがアートだ、見て感じろ! とか無理。
何だか色々と惜しい…。
絵には戦争の惨禍なんて描いてないから世界史とリンクしにくいのに、激動の歴史背景と照らさないと、いまいち尊敬ポイントが分からないし、尊敬ポイント上げるためにすんごい時間かかったわ…!
大体、今見たものは自筆とはいえ縮小コピーや下書きであって、壁画そのものではない。パンテオンの聖ジュヌヴィエーヴも、実際は縦5メートル、横10メートルほどの巨大さらしい。
なんか、本物というか、きちんと立派な建物の中で、本番の壁画だったらもっと迫力あるんだろうな。縮小コピーや下絵では、どうしても100%は伝わりきらないのではないでしょうか。しかし実物を見るにはフランス各地に散らばるその場所へ足を運ばないとならない。
うわあ、ハードル高い。
でも、もしパリに行く機会があったら、シャヴァンヌを見にパンテオンは行ってみようかな。
で、展示の落ちは。
ちょうどヨーロッパの絵画を貪欲に吸収しようとしていた日本が、フランス当代随一の画家として君臨していたシャヴァンヌに邂逅する。
壁画や例の〈貧しき漁夫〉など日本人画家が模写していたり、こうしてシャヴァンヌは黒田清輝ら日本人に影響を与えていきます。
貧しき漁夫…一連の壁画の方が、シャヴァンヌの代表作だったようなのに、何だかこの陰気な絵のイメージが一番にあります。あれかな、やっぱり西洋美術館がコピーを持っているからかな。
シャヴァンヌは確かに当時の日本人の好みにも合致しているとは何となく想像します。
輪郭線がはっきりしていて、清潔な画風。奥行きも無いからモチーフ一つ一つが見やすい。当時の洋画は、写実の技法だけでなく、精神性というものも重視していたらしいから、この静謐な世界観は好きそう。
そういう訳で、シャヴァンヌは後の世代だけでなく、日本の洋画にも大きな影響を残したのです。
ワア、シャヴァンヌって、すごかったんだね!(やや棒読み)
画像検索でなんとなく眺めてみると、結構良さげな画像も発見した。やはりアルカディア系は綺麗かも。こういう絵描いてたんだ。っていうのが発見。
ともかくも、シャヴァンヌの絵には描かれていないことが多くて、見ただけで判断してはいけないな、と勉強になりました。