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○なんせんす・さむしんぐ○

美術や音楽の感想とか、動物中心のイラストのブログ。

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ダフニスとクロエとか

 今度滑り込みでゴーギャン見に行くんだから!ゴーギャン見て癒され・・・ないだろうなぁゴーギャンは・・・。
 今の癒しは「ダフニスとクロエ」です。いや、ダンテは地獄篇だから…(ウェルギリウスがいちいち格好いいけど、あくまで地獄篇)
 ダフニスとクロエね、死ぬほど田園で甘すぎるほど甘々で挿絵がシャガールでかなり癒される。牧人の素朴でうぶで何にも汚されていないっぷりが色々と突っ込みたくもなるけど癒し。田園に論理は不要です(笑)いや、シャガールの挿絵もなかなか良い。好きだ。シャガールの境地に行きたいものです。

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ゲインズバラの犬

 っていうタイトルの洋書を見つけた!やばい読みたい!これは読みたい(笑)

http://www.amazon.co.jp/Gainsboroughs-Dogs-Diane-Perkins/dp/0946511519/ref=sr_1_109?ie=UTF8&s=english-books&qid=1252673350&sr=1-109

 すんごい気になる!英語だけどラテン語よりは読めるぜ。

 ゲインズバラの、アーベルの肖像画に描かれたあの犬。でっかいポメラニアン。ゲインズバラの他の絵でも描かれているのだけど、それは当時のイギリスの流行の犬だったのか、はたまた単純にゲインズバラのお気に入りだったのか。気になるのです。書いてあるかな。図版が多いと嬉しい。
36648217_2539207356.jpg 
 だいたい、このガンバ抱えたごっつい低音万歳なドイツ人がこれだけ可愛い犬を飼っているのが反則なんだよ。
 バラ氏はこの友人に会う度、その飼い犬をもふもふしていたに違いないと思っています。
 あとでこの犬単体の肖像画を描いてしまうくらいの気の入れよう。
 多分、普通の人間のお客さんより好きだったと思う(笑)可愛いし、尊大でないし、変な注文も付けてこないし、出来栄えに文句も言わない。




http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_ss?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Denglish-books&field-keywords=gainsborough

とにかく、これらの洋書の内容を2、3日中には把握する。
なるべく図版の多そうなものを。美しそう(印刷が新しい)なものを。
中古を買うなら、値段相応の品質で届くか信用できるか十分に判断を。(海外取り寄せの可能性大)

ゲインズバラのモノグラフ、本気です♪(←フラゴナールさえ持っていないのに!)
しかし、どれがゲインズバラの画業をより詳しく満遍なく辿れるかが一目では分からないので、英語の説明を丁寧に(誤訳率を低く)読まねばならない。
一枚の絵について、一つのテーマについての研究論文はドボン。

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クラヴィコードとの出会い

 クラヴィコード触った☆(とっても自慢げ)

 そもそも、クラヴィコードという楽器について、簡単な説明が必要でしょうか。
 チェンバロという楽器については、普段何かしかの楽器に触れていなくても、この日記を恒常的に読んで頂いている方には普通に浸透していることと思われますが(その昔、まろりーの周辺だけいつの間にかクープラン知名度100%なのが驚いたぜ(笑))、さて、クラヴィコード。
 クラヴィコードは、一言で言えば、打弦鍵盤楽器です。単語的にはピアノと一緒ですが、ピアノがハンマーで弦を叩くのに対して、クラヴィコードは薄い金属片で弦を突き上げます。
 そんな機構がずらっと箱に入っているので、見た目はヴァージナルにやや似ます。
 つまり、同じ打弦楽器だからって、音も形もピアノに似ているとかとはとてもじゃないけど言えません。
 しかし、打弦楽器なので、鍵盤を打つ強さで音の強弱が付けられるという、その上ヴィブラートまで掛けられるという、とっても画期的な楽器なのです。ある意味ピアノを超えています(笑)「弱点」は圧倒的に音量が出ないという点で、コンサートホールとか大勢の前で演奏が出来ないという、まろりーには大して関係の無いところです。

 で、クラヴィコード。
 まろりーはメトロポリタンの楽器室でもあんなものは見なかった(ように思う)。
 まろりーのクラヴィコードのイメージは、もっと小さくて、机の上にちょんと乗っけて、オランダの奥様が弾くような、もっと言えば、ヘリット・ダウの絵が標準イメージだったのですが、
9d5aa81a.jpegヘリット・ダウ<クラヴィコードを弾く女性>
 まろりーが先日触ったものは、体長170cmを越すチェンバロより広い音域を持つそんな大型の最後期のクラヴィコードなんだって。例えば、エマヌエル・バッハ(大バッハの息子)が弾いたような。脚もちゃんとついています。
 その巨体にも関わらず、びっくりするくらい小さな音を出します。多分、測ってないけど、普通に弾いて普通に聞こえる範囲は2、3メートルほど。壁を隔てた隣の部屋とか絶対無理、どころか、最弱音はまったく演奏する隣で息を殺して耳をそばだてて聴く感じ。
 さらにぴっくりポイントは、ぴっくりするくらいまともな音が出せないこと。
 強弱をコントロールする上、ヴィブラートまで掛ける細やかな技術を要求するとは知っていましたが、その難しさは想像以上でした。
 鍵盤楽器は鍵盤を押せば上手い下手関係なくそれなりに音が出るものだと思いますが、クラヴィコードは何の気もなく押すと、ぷつっと金属片が弦に当たる音が出るだけです。
 ともかくも上手く押せば、よく持続する儚くも美しい音が出るのですが、そうするには左右の親指から小指まで一音一音トリルに至るまで相当な集中力が必要です。ちなみに、まろりーが左利きであることを換算しても低音より高音の方が音が出にくい。
 この難易度で、ピアノで正しく弾くのも難しい曲も多々あるようなので…バッハ(父)は息子にどれだけ鍵盤操作の技術を叩き込んだのか・・・。音楽家って厳しい(笑)
 まあ、そんな訳で、クラヴィコードに触りました。よく知る数曲を弾いては見たものの、演奏というよりは、修行といったところ・・・。座禅を組むよりよっぽど心を無に出来ると思います。強弱をつけるとか、ヴィブラートを掛けるとか、そういうクラヴィコード的な演奏をするには、まずは50%の確率ででもまともな音を出せるようになってから・・・。ここぞという大事な音でぴこって鳴るとちょっと悲しいし(笑)しかもそういう音ほど不発に終わりがち。
 でもね、その弾くも難しいヴィブラートが掛かると、すんごい格好良いの。で、息詰まる、か細い音が素敵なの。
 まさか、こういう博物館の硝子ケースの向こう側で、見られるために置いてあるような代物に触れる日がこようとは夢にも思わなかったな。噛み締めるように感謝甚大です。


以下、本文とは余分な考え。
 それにしても上のダウの絵の楽器って、正直言って、クラヴィコードなのか卓上ヴァージナルなのか本当のところは良く分からないと思いませんか。一応、まろりの知るタイトルは「クラヴィコードを弾く女性」なんだけど。箱の中身のすっきり具合がむしろヴァージナルに見えなくもない。なんだか、クラヴィコードの弦にはフェルトの帯が格子状に絡まっていたのが特徴的でした。多分、弦の余計な振動を抑えている?が、ヴァージナルは箱にもっと厚みがありそうな。
 まあ、画家自身、テル・ブリュッヘンやディルク・ハルスのように楽器をよく知らなかった可能性もあるし、そもそもヴァージナルとクラヴィコードを誰でも分かるように描き分けようなんて思っていない、というのが妥当な気がします。

 さて、ダウなイメージだったクラヴィコート、つまりまろりーにとっては、オランダ絵画で弾くような、古風なイメージの強い楽器だったのですが、意外とチェンバロよりもクラシック時代以降まで生き残っていたのですって。
 あれかな、音の強弱への要求が生き残らせたのか、チェンバロほどフランス革命の素敵な恩恵を受けなかったのか、弾くに難しいところがよかったのか。
 とにかく、エマヌエル・バッハなど、かの大バッハの息子たちが好んで弾いたと聞きます。
 そうなると、イギリスのバッハさんも弾いていたのかなー。イギリスのバッハさん(ヨハン・クリスティアン・バッハ)といえば、飼っている犬が可愛すぎるヴィオル奏者カール・フリードリヒ・アベルの同僚にして、ゲインズバラのご友人。ゲインズバラの手になる肖像画だってちゃんと残っています。
 つまりは、ゲインズバラもバッハの音を聴いたという訳で、そんな感じで、ほぼ自動的にゲインズバラを連想する末期的な次第です。
 まあ、ゲインズバラのBGMはヴィオラ・ダ・ガンバがメインだろうけどね。
 フォルクレの穏やかな曲を色々無視してゲインズバラっぽく弾いてみたい今日この頃です。「デュ・ブリュイユ」って曲なんて、ちょっと「ハレット夫妻」みたいだと思いませんか(誰に同意を求めているんだ(笑))
d6fc2a40.jpeg<朝の散歩(ハレット夫妻の肖像)>




 さて、フォルクレの話題に戻ったところで、ユーピテル様関連で一言。
 アエネーイス読み終わった!
 終わり方が意外に意外でした。ローマ人らしく、「俺はやったぜ!」みたいな誇らしげな締めじゃなくて、寸止めみたいな終わり方。宿敵の胸に剣を突き刺して終わり。敵が倒れるシーンもなければ、剣を抜く動作もない。映画みたいな格好良さです。
 それにしても、やっぱりウェルギリウスの神様って素敵。
 ラスト手前で、ユピテルとユノが会話をするのだけど、そこでの会話が感動的なほど物語を締めています。こういうの大好きです。最後の1シーンで、物語のピースをぱっちり嵌めてくる構成。
「お前の憎むトロイアはラティウムとの戦に勝とうとしているけど、他にお前がやれることはもうないだろう。」
「せめて、トロイア人が支配することになるイタリアの土地で、元ラティウム人がトロイア人と呼ばれることのないよう、ラティウムの言葉・習俗もそのまま維持して、トロイアはギリシアとの戦争で既に亡んだし、亡んだことにしておくよう、お願いします。」
「では、これから未来にトロイア人はイタリア人に溶け込んで、トロイアの名が表に出てこないように計らおう。」
 だって!
 神様のこの一言で、トロイアはとっても前向きに滅びました。だから、ローマ人はギリシア語でなくラテン語を用いるのだそうです。
 アエネーアスは色々冒険してきて、新しい国も手に入れるけど、彼自身の故郷は既に滅んだし、滅んでいたし、滅びてしまう。ちょっと切ないハッピーエンドです。
 しかし、ユノ様を力で捻じ伏せておいて最後は優しい。この夫妻楽しいな(笑)

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9月3日の拍手お返事

 ヒビキ様>
 お褒めに預かり光栄です☆
 バトン快く受け取ってくれてありがとう!妄想期待してますvv

 しろさんはたにも様のお子様。本名は今井四郎兼平という立派なお名前の日本の方です(笑)ふだんは和装ですが、ただ、まろりーが直垂とか烏帽子とかの構造がさっぱり分からなかったので、ヅラなしバロックをやってもらった次第。(二枚目役なのにヅラとか…(笑))

 ドラシャット子爵は、そこそこの地位とお金以外に長所が無い方向です(笑)そして18世紀の人らしく、女々しく感受性が変に豊かで、無意識に芝居がかっているので、普通に泣きます。

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川越プチトリップ

 友人がただ券を持っていたので、川越市立美術館へ長澤英俊という人の彫刻を観に行きました。小旅行を兼ねて。
 なかなか面白かったので以下何点かの個人的な感想。

<蜻蛉>

 斜めに立つ太く短い鉄の角柱に斜めの溝があって、細く長い鉄の板の端っこが挟まって、角柱が倒れようとする力を中和させている。長くゆるい放物線をえがいて伸びる板の先には、いかにも軽やかに銅色に輝くとんぼが一点に止まっていて、鉄の塊に対してわずかな重さのそのとんぼが平衡を崩して居なくなれば、角柱は平衡を失って倒れてしまうし、角柱が倒れれば、板は宙に留まっていられない。
 こんな風に人の想像力はとんぼが居なくなったらどうなるかを考えられるし、その過程を空想で視ることが出来る。し、鈍色の尖端で輝く銅色のとんぼは、わずかな力で、それもほんの小指ほどの力で当然落ちるべきものであるとも思う。でも目の前のとんぼは触れない限りそこに在るし、全てのパーツは全く静止していて、揺るぎない。宙に浮く鉄の板の下をくぐっても、なんの不安も緊張も感じさせません。持続する一瞬。
 そして、「作品にお手を触れないで下さい」というお決まりのフレーズが真に切実。
蜻蛉略図
こんな感じ。


<オーロラの向かう所―柱の森>
 展示室に入ると真っ暗で、足を止めざるを得ない。作品も一緒の友人も自分も何処にあるかが分からなくて、一先ず壁に手をつく。暗闇の中、それが唯一確かなものだから。
 奥に作品の気配があるため、壁伝いに一番奥へ行くと、一条のわずかな光。それでも十分でない明かり。来た方を振り返ると、2メートル余りの高さの細く白い円柱が規則的に林立している。例えば神殿や寺社のよう。もっとも、わずかな光に人の目には手前の何本かしか見ることが出来ないけど、柱の規則性と壁伝いに歩いてきて感じた部屋の広さから言って、必ずそうだろうと思う。
 作品に近寄るのは当然のことだから、誘われるように円柱の林に入ってみる。闇に視界を制限されて気を抜くとぶつかる心配があったので覚束ない足取り。足元も見えず距離感がつかめません。
 一歩進むごとに闇に浮かぶ白い円柱は前に現れ後ろに流れて、それが一定間隔に列んでないことが分かる。場所によって遠近法的に狭くなっていったり広くなっていったり。
 列柱を抜けて最も暗い場所に戻ってくる。来た方を振り返ると、黒い柱が劇的に列んでいる。--いつの間にか目はかなり慣れて、奥まで見通せるほどになって。
 黒い影は段々灰色になって円い厚みを持ち、また段々白く立体感を失って白い光に溶けていく。霧の中に木立が消えていくよう。
 鑑賞に時間がかかります。でもそれ全部が鑑賞。ようやく見えるようになった状態を元に戻すのが惜しくて、立ち去り難い作品。


<二つの輪>
 全く同じ鉄の輪っかが二つ並べて床に置かれている、ただそれだけの作品。見た目は。
 実は片方は丸彫でもう片方は鋳造らしい。つまり中身が詰まっているかいないかの差があるらしいのです。
 持ち上げれば重さで違いが分かるだろうけど、持ち上げるのを許されていないので分からない。ただ、想像出来るだけ。見た目には全くの無駄な差異なのです。それがこの芸術品の価値なんだろうと思います。価値ある無駄の単純な提示。そういう無駄を愛し珍重するまろりーには愛想も口当たりもよい作品。

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なんせんす・さむしんぐ

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