友人がただ券を持っていたので、川越市立美術館へ長澤英俊という人の彫刻を観に行きました。小旅行を兼ねて。
なかなか面白かったので以下何点かの個人的な感想。
<蜻蛉>
斜めに立つ太く短い鉄の角柱に斜めの溝があって、細く長い鉄の板の端っこが挟まって、角柱が倒れようとする力を中和させている。長くゆるい放物線をえがいて伸びる板の先には、いかにも軽やかに銅色に輝くとんぼが一点に止まっていて、鉄の塊に対してわずかな重さのそのとんぼが平衡を崩して居なくなれば、角柱は平衡を失って倒れてしまうし、角柱が倒れれば、板は宙に留まっていられない。
こんな風に人の想像力はとんぼが居なくなったらどうなるかを考えられるし、その過程を空想で視ることが出来る。し、鈍色の尖端で輝く銅色のとんぼは、わずかな力で、それもほんの小指ほどの力で当然落ちるべきものであるとも思う。でも目の前のとんぼは触れない限りそこに在るし、全てのパーツは全く静止していて、揺るぎない。宙に浮く鉄の板の下をくぐっても、なんの不安も緊張も感じさせません。持続する一瞬。
そして、「作品にお手を触れないで下さい」というお決まりのフレーズが真に切実。

こんな感じ。
<オーロラの向かう所―柱の森>
展示室に入ると真っ暗で、足を止めざるを得ない。作品も一緒の友人も自分も何処にあるかが分からなくて、一先ず壁に手をつく。暗闇の中、それが唯一確かなものだから。
奥に作品の気配があるため、壁伝いに一番奥へ行くと、一条のわずかな光。それでも十分でない明かり。来た方を振り返ると、2メートル余りの高さの細く白い円柱が規則的に林立している。例えば神殿や寺社のよう。もっとも、わずかな光に人の目には手前の何本かしか見ることが出来ないけど、柱の規則性と壁伝いに歩いてきて感じた部屋の広さから言って、必ずそうだろうと思う。
作品に近寄るのは当然のことだから、誘われるように円柱の林に入ってみる。闇に視界を制限されて気を抜くとぶつかる心配があったので覚束ない足取り。足元も見えず距離感がつかめません。
一歩進むごとに闇に浮かぶ白い円柱は前に現れ後ろに流れて、それが一定間隔に列んでないことが分かる。場所によって遠近法的に狭くなっていったり広くなっていったり。
列柱を抜けて最も暗い場所に戻ってくる。来た方を振り返ると、黒い柱が劇的に列んでいる。--いつの間にか目はかなり慣れて、奥まで見通せるほどになって。
黒い影は段々灰色になって円い厚みを持ち、また段々白く立体感を失って白い光に溶けていく。霧の中に木立が消えていくよう。
鑑賞に時間がかかります。でもそれ全部が鑑賞。ようやく見えるようになった状態を元に戻すのが惜しくて、立ち去り難い作品。
<二つの輪>
全く同じ鉄の輪っかが二つ並べて床に置かれている、ただそれだけの作品。見た目は。
実は片方は丸彫でもう片方は鋳造らしい。つまり中身が詰まっているかいないかの差があるらしいのです。
持ち上げれば重さで違いが分かるだろうけど、持ち上げるのを許されていないので分からない。ただ、想像出来るだけ。見た目には全くの無駄な差異なのです。それがこの芸術品の価値なんだろうと思います。価値ある無駄の単純な提示。そういう無駄を愛し珍重するまろりーには愛想も口当たりもよい作品。