国粋主義的攘夷論者(笑)の三郎丸氏とBunkamura風景画展とサントリーミュージアムお能の衣装展をはしご。
ということで、のんびり感想。まずはBunkamuraから。サントリー美術館はまた別項で。
Bunkamuraのストラスブール美術館所蔵の風景画ばっかりを展示しようという展示。正式名称「語りかける風景~コロー・モネ・シスレーからピカソまで~」
・・・タイトルからして、地味そうですが、実際、地味です。いや、これはけなしている訳ではなく、ただの事実。有名じゃないのばっかりだけど、いい絵ばっかりでした。下手なルノワール展よりよっぽど良い。
全ての感想を言うのはしんどいので、購入したポストカードの感想でも。

ユベール・ロベール<風景>
なんていう意味の無いタイトル(笑)ほとんど無題ってことです。しかし、それはこの絵の本質かも。つまり、この絵に特別な意味はないかと。
ユベール・ロベールは18世紀後半にイタリアで修行したフランスの画家です。ある種の人間の好む「記号」を組み合わせてある。そして、まろりーはその種の人間ですので、これ大好きです。
ローマの廃墟、背景の雄大なイタリア風景、傍らで普通の生活を営む農民と牛。・・・完璧です(笑)完璧な古典ドリーム画です。
もちろん、壮麗な古代ローマはルネサンス以来憧れのまとであり続けたし、芸術の中心地、古代ローマの残骸の残るイタリアの風景も昔から人気のある風景画のテーマだし、堅苦しくごみごみした都市生活に対して、田園に生きる農民の気取らないのびのびした生き方もちょっと素敵だ、なんて(自然に帰れ的な言説があったり)流行もあり、この3点セット、最強です。
農民たちは崩れてしまった偉大なりしローマのアーチに木の橋をかけて、自分たちの素朴な営みに溶け込ませています。
しかし。
ロベールの筆があまりに闊達なものだから、しばらく気付かなかったけど、どう考えても、この真ん中の要石を失ったアーチが、この姿で建っていられるとは思えない。
アーチ構造は非常に強固ですが、一か所崩れると、全部崩れる。という性質です。こんな風に、アーチが建っていられるのは・・・実は鉄筋コンクリートか、発泡スチロールで出来ているとしか説明がつきません。あるいは、真ん中の木の橋がすごい勢いでアーチの崩壊を食い止めているか(笑)
・・・ロベールのうそつき!こんな廃墟、そもそも存在しないじゃないの!!というか、のんびり牛をつれて洗濯なんかしているけど、相当に危険な状況と思われます・・・。適当な男だ、ロベールは…。
まあ、この絵の情感にとっては、そんな事はどうでもいいんですけどね。小さいことは気にしない。
ええと、気を取り直して。前景のアーチが遠景を切り取って、絵のフレームになって、構図を引き締める。橋のアーチの下から風景を眺めるのは当時わりかし流行っていたようで、これの右隣に掛けてあった、橋の下から見たセーヌ川(多分)も同時代同様の絵。そういう意味でも模範的。
橋の下からのアーチから遠景を望むといえば、ロンドンで制作されたこの絵。

カナレット<ロンドン:ウェストミンスター橋のアーチからの景観>
・・・かの偉大な版画家、ピラネージの版画が元ネタである、とネットでは書いてありました。

ピラネージ<あるローマ皇帝によって建設された壮麗な橋>
版画は大量に複製でき、安価に流通するので、どこでも誰でも図を参照できる。おそらく、ロベールのローマ橋の絵も、直接でも間接でもピラネージからの影響か。
ピラネージの構図を自分流にアレンジして、流行りの牧歌的な図像に流行りの構図。パステル気味の快い色彩。何でもないけど本当にゆるくていい絵です(笑)
源流には、もちろん古典中の古典ヴィルジリオ先生の「牧歌」の世界があるのだけど、多分、もはや定型と化して、まあ、流行の、美術の歴史には何の作用も及ぼしていないような絵ってやつです。
しかし、ユベール・ロベールが来ているとは思わなかった。この絵を見た瞬間、「そうだ、ロベールがいたじゃないか!」と。
ローマの廃墟にアルカディア的風景、完璧ではないですか。
あー、ロベールの大きな図版でもないかな?こんな絵ばかりだろうが、こんな絵ばかり見たい。
で、さらにその隣に、

ヨハン=フリードリヒ・ヘルムスドルフ<ホバーデンの廃墟>(部分)
なんて絵があったりして。
古典由来のどうでもいい風景の次は、ロマン主義の文脈の風景画とは・・・絵の掛け方がナイスです(笑)
ロベールのは妄想8割の夢絵画ですが、ヘルムスドルフのは自然の神秘礼賛が主なトーンかな。
廃墟趣味はロベールと同じなのですが、ロベールがローマの廃墟だったのに対して、この絵は中世のお城の廃墟。
いかにも北方という感じの黒々と深い森。険しい山の頂にたつ、中世の城。 ・・・夜明けじゃなくて、夕日なんだろうなぁ・・・。
これも、定型って感じ。
いや、この種の絵が出始めたときはもっと理念があったはずで、この絵にもその崇高な理念があるかどうかは、まろりーは知らない。
さて、こういう絵は、ナポレオンに侵略されて、それに対抗するために今までばらばらだったドイツ地方各地が「ドイツ」という一つの国家にまとまる必要が出てきた時代に、ドイツらしさ、ドイツ国民共通の原点とは何かと考えた結果、生まれてきたものだそうです。
で、こういう妖精さんが住んでいそうな黒々としたメルヘンチックな森が、彼らの原点である、という結論。ドイツ語でドイツ各地に昔から伝えられてきたメルヘンにドイツの真の心があるらしい。グリムさんらがグリム童話を集めるのもドイツの国レベルでの自分探し、とまろりーは見ています。
科学的でないキリスト教の神様への信仰を否定するフランス的啓蒙思想への反発で、信仰が生活の中心だった(というイメージのある)中世はもっと精神的に平和な良い時代だった、と中世にあこがれ始める当時のロマン主義者。中世には悪しき科学の光に照らされていない素晴らしい神秘、例えば人の踏み入らない深い森のような神秘があったと思うロマン主義者。
ロマン主義者のノヴァーリス氏は言います。
「啓蒙主義が何だったというのだろう。啓蒙されて、人には不安だけが残った。」
理性的な啓蒙の光の中で、理性だけでは図れないロマン主義の闇なるものがはっきりと見えてしまったロマン主義者。しかし啓蒙された人間は、もはや宗教も羊飼いも心の底から信じることも出来ない。
そもそももっと昔からドイツ人はロマンチストでしたが、今度のロマンチシズムはもっと論理的で、意図的にロマンチックします。
さて、この<ホバーデンの廃墟>も、意図してか意図せずしてか、人の業績の儚さとそれを呑みこむ自然の雄大さを描いた廃墟趣味の中に、そういうちょっと引きこもりがちで後ろ向きなドイツと中世万歳な気分がまぎれています。 いや、過ぎ去った中世への哀惜かな。
とはいえ、ただの後ろ向きに終わらないのが、ロマン主義です。
この画像では見えないかもしれませんが、さりげなく、中世のお城の廃墟の向こうに、今現代を生きる人の日々の食事を用意するかまどの煙が立ち上っています。この中世の廃墟の精神は、現代人にも遠く続いている。
かつての偉大な建築が廃墟になっても、人の営みは絶えず続いているというストーリー展開は、上のユベール・ロベールと一緒です。
しかし、何というか・・・ロベールの系統は崩れた遺跡を、かつて偉大だろうが何だろうが日常の場に使ってしまうという微笑ましい逞しさがあるのだけど、ヘルムスドルフの系統は、一度滅んだか、滅びかけている、けどまだ希望は残っている、というペシミスティックな前向きさ、あるいは一見前向きに見えて実は根暗、みたいな仄暗さが滲んでいる気がするのです。
まあ、あとは自然に呑まれようとするなかで、まだなお建ち続ける廃墟の姿に、人間を重ねるかも知れない。

フリードリヒ<霧の海を眺めるさすらい人>
これロマンチックにすぎて蹴りたい背中ナンバーワンだよ(ネタが古い)
この2枚については、若干言い足りない&大いに調べ足りないがありますが、ちょっと色々書くの飽きてきました。いや、調べ足りないは今解決できない。とりあえず、権威ある廃墟論を仕入れたい。以下、書く気を失った適当な感想。

アンリ・ジュベール<ヴュー=フェレットの羊の群れ>(部分)
ただのまろりーの田園趣味により購入。
大きな絵で、すごく広い空間を感じられて清々しい。
何もない広々とした草原に、話し相手は羊のみ、という羊飼いの穏やかな孤独が風景によく乗っています。
あまり労働の崇高さとか、自然の厳しさとか、極端な寂しさを強調してない淡泊さが気に入った。
田園は、深遠でなく、荘重でなく、何気なく。

ロタール・フォン・ゼーバッハ<雨の通り>
ちょっと上からみた、雨の街の景色。
濡れた石畳に反射する光の綺麗さ。そして、雨の日の「あー出掛けたくないなー」という気分(笑)