前のページのからの続き。
シテール島は文学の世界に登場します。
実物は読んだことがないのですが、ルネサンスの小説「ポリフィロの夢(ヒュプネロトマキア・ポリフィリ)」で愛の女神の島として登場したシテール島。
このポリフィロの話は、夢の中で様々な幻想的で象徴的な冒険を経て至高の恋人と結ばれる、という内容らしく、16世紀にイタリアで美しい挿絵付きで出版され人気を得たあと、フランス語にも翻訳され、よく読まれたのだそうです。
ポリフィロと恋人ポリアは、彼らの結婚を祝した凱旋行列を見た後で、クピドの操る船に乗ってシテール島へ渡ります。シテールは、円形の島で、島の中央は円形の庭園となっていて、さらにその真ん中にウェヌスの神殿がある、と具体的に描写されているそうです。
そのシテール島のウェヌス女神の神殿で主人公と恋人は、「愛の合一」のための儀式を行うの由。
これに従えば、シテール島へは、新しい恋人を求めて縁結びのために行くのではなく、すでにカップルとなった恋人同士が一つになるために行くと言える。
とはいえ、このルネサンス時代の難解な産物が直接に18世紀初頭のヴァトーやクープランにインスピレーションを与えたとは考えられませんが、18世紀までのシテール島のイメージに影響はしてくると思われます。
一応、ヴァトーは、1710年ごろに描いたシテール島では、島を庭園として描いています。
<シテール島への船出>
キュービッドの漕ぐ小舟に乗って、やはりキュービッドが呼んでいる対岸の庭園に渡ろうとする恋人たち。
他にも、〈シテール島の庭園〉っていうヴァトー下絵の版画も残っているよ。
もっと近いところの元ねたは、1700年初演のダンクールの喜劇「3人の従姉妹」だと言われています。
これも読んだことがないのですが(--;、
とりあえず、フランス17世紀演劇事典という本にあらすじだけは載ってたから、参照してみると。
粉屋の未亡人は、村の代官に自分の再婚計画をしゃべります。いわく、目下お気に入りの3人の男に目星を付けているところだという。一方で自分の2人の娘には、持参金を持たせるのが嫌なので、結婚させない心づもり。
ところが、実はお目当ての男たちは、未亡人の2人の娘とその従妹と結婚したいと思って、そのために未亡人に取り入っているだけでした。
で、3人の従姉妹は、色々あってそれぞれ未亡人の再婚候補の3人の男と相思相愛になります。
当然、未亡人は娘たちとその従姉妹の結婚には反対。
そこで、恋人たちは、村で「シテール島への巡礼団」を結成しようと思い立ちます。恋人同士で巡礼にいけば、親も認めて結婚させてくれるだろうからと。
自分たちの娘と村の若者たちが巡礼に旅立ってしまっては大変。
と、なんだかんだやってるうちに村の代官が出てきて、代官権限?か何かで(?)、粉屋の未亡人に、娘たちの持参金を払わないでも済むだろう、と言って、未亡人に娘たちの結婚を認めさせたのでした。
そして、3人の再婚候補の男が自分の娘たちとくっついてしまって、フリーとなった粉屋の未亡人に村の代官が、「代官夫人にならないか」とプロポーズ!
めでたし。
その間、幕間劇とかで、田園生活の魅力と愛の力を歌い踊り、最後はシテール島への巡礼者たちの歌と踊りで締め。
なんでも終幕の巡礼者たちの歌で、以下のような一説があるそうで。
Venez à l’île de Cythère
En pèlerinage avec nous
Jeune fille n’en revient guère
Ou sans amant ou sans époux.
シテール島へ来て下さい
巡礼の旅へ私達と一緒に
若い娘はきっと戻らない
恋人や結婚相手なしには
……みたいな意味かなっ。(また適当なこと言って…)
この歌を根拠にすると、ヴァトーのシテールで既にカップルが出来てる→ここはシテール島→つまりシテール島「から」船出するところ。というのがシテール島帰還説です。
というか、劇の筋は「巡礼に出なくってもみんな結婚して幸せ!」ってオチだったのに、最後の歌で「みんなでシテール島へ来てね!」ってなんだよ、どういうことだよ。劇と歌は直接の関係ないの? 劇中のカップルみたく結婚するために現実の観客もシテール行こうってことなの? あらすじと断片的な引用だけじゃよく分からーん。
……うん、詳細よくわからん。
ともあれ、当時この劇は大ヒットし、1700年の初演からフランス革命の間までで300回以上上演されたということです。
一応、このあらすじによれば、すでに両想いになっている恋人が、親に結婚を認めて貰うために、シテール巡礼計画を立てています。
ポリフィロは夢という超現実の中の出来事で、3人の従姉妹は長閑な村の出来事という違いはありますが、一応、「恋人が一緒になるためにシテールへ行く」という同じ展開と言っていいのかな。
しかも、18世紀の恋人たちは、親の反対には真っ向から抗おうとはしていない。周囲に反対されても愛を貫くというロマンチックなものではなく、まずは親に認可されることを考えています。(※3)
つまり、シテールへ旅立つのは、結婚を正式に認めてもらうためだということのようです。
読 ん で な い け ど ね。
クープランのシテール島=ただいちゃついてるだけじゃなくてキリストもにっこり調和の取れたパーフェクトラヴ説を一応は説明してくれて…る…といいな。
だから個人的には、まあ好みもあるけど、18世紀から言われてる通り、ヴァトーの絵は、シテールへ船出する場面だと思いたい。個人的には。
だって、版画のタイトル付けたジュリエンヌだって、「シテール島への船出」のが当時の一般人に売れると思った訳でしょ。シテール出発説のが、18世紀当時だったら多数派と思われる。シテール島からの帰還夢の終わり説は、確かに共感もするけど、ちょっとロマンチック過ぎじゃないかなぁ。あんまり18世紀っぽくない解釈に感じる。個人的には。まあ、主観的にそうあってほしいという願望(笑)
ちなみに、当時の現実世界のシテール島は。
ヴェネチア共和国の所領となっていたようです。
なんだ、シテール島ってヴェネチアなのか。イタリアじゃん。何だか結構行けそうな気がする…!
で、ルーヴルにあるシテール島の船の漕ぎ手は長い棹を持っています。
あっ、ヴェネチアだからゴンドラ? その小舟でギリシャの島に行くの? 途中で沈んじゃうよ!
この野暮に対する答えも既に先行研究の中で考察されています。
ヴァトーは当初、恋人たちの島「シテール」を、それほど遠い土地だとは想定していなかったのだ、と。
たとえば、当時の人たちはパリ近郊のサン・クルー島へデートに行くことを言い換えて「シテールへ行く」と言ったそうです。いわば、夢の国に行って来ると表現して、千葉の舞浜へ行くようなものでしょうか。
巨大な水柱が立つ噴水が特徴的な、サン・クルーの庭園は、パリから船便も出ていて、人気の行楽地でありました。
フラゴナール〈サン・クルーの祭り〉
つまり、そう考えると、ゴンドラに乗って行ける程度の近場、ファンタジーの中でも現実に近いところで、愛の舞台は繰り広げられる。
これぞヴァトー節、夢と現実のあわい、神話と現在がない交ぜとなって、どちらとも分からなくなった世界観が広がっているのです。
この解釈はすごい好きだなー。
ルーヴルのシテールの後に描かれたベルリン版では、注文主(推定)ジュリエンヌからゴンドラでギリシャに行けるかという突っ込みが入ったのかどうか、船は帆船に変わります。 ベルリン版部分
このゴンドラから帆船への大きな変更は、最初のシテールより遠くの島が行先に変わった、と解釈できるみたい。よりギリシャへの船旅としてリアルになったというか、逆に場所が遠国になってファンタジックになったというか。
これは、結構説得力がある気がする。
因みに、クープランのシテール島の鐘を含む第14組曲は、鳥たちの姿が多く描かれています。
次は余談のような関連事項のような。
次のページ>クープランの第14組曲の鳥たち。鳥と愛の寓意。
-------目次-------
1、クープランの第14組曲<シテール島の鐘>への違和感。
2、そもそもシテール島とは。ヴァトーのシテール島の解釈いろいろ。
3、続ヴァトーのシテール解釈。結局シテール島へ行くのか、帰るのか。
4、クープランの第14組曲の鳥たち。鳥と愛の寓意。
※ 、カリヨンって何?2人は仲良し?ヴァトーの唯一の?チェンバロ絵が大好きだ、など。