重ね重ね、ヴァージナルというのは素敵な楽器です。目下のところまろりーを夢中にさせています。
まろりにとっては「オランダ絵画の中の楽器」というのがそもそものイメージですが、実際に鳴るのを見ると、不思議な音色といい、時に目まぐるしくて複雑な旋律といい、明らかに弾きにくそうな古い指使いの華やかさといい、なんだか、妙に衝撃的なのです。
そもそも楽器の描かれた絵を特別に好む傾向にありますが、かつてまろりーが16世紀のオランダの声楽曲を聴いて、ロンドン・ナショナル・ギャラリーのテル・ブリュッヘンの合奏の絵を思い出して、どちらにも感動したように、そういう音楽の視点からヴァージナルの描かれた絵を改めて見てみたくもなるものです。
フェルメール展とか、ルーヴル展は何かの先触れだったのかも知れません。
この間日本に来た、フェルメールの小さなヴァージナルを弾く絵とか、その展示の最後に掛けられたデ・ウィッテのヴァージナルとか、その他、例えば、ロンドンナショナルギャラリーのフェルメールのヴァージナルを立って弾く女性だとか、その対作品?だとか……。
こんな音が鳴っていたのかしらと、目の覚めるような思い。今までに無く、そうした絵にもっと入っていける感覚にわくわくします。
四方をブーシェで飾られた薄暗い部屋に一人で取り残されたときのような、現在の自分と過去の装飾品のギャップに気圧される不安な非現実的な臨場感だとか、それに一瞬浸るスリリングな幸福感だとか、そんなことをも思い出しているのです。
耳から直接に心を揺さぶる音楽の力に、根っから視覚優位の美術愛好家たるまろりーからしてみれば、嫉妬の念を思わず覚えてもいます。
盛期ルネサンスあたりに流行った、諸芸術の比較という不毛な(笑)論議にもし加わるならば、まろりーはやっぱりレオナルド・ダ・ヴィンチに味方して、絵画を上におきたいところ…。でも、まろりー自身の手では、雄弁に語ることなど到底出来ないのです。
ああ、やっぱり見に行こう。是非、観に行く必要がある。
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