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○なんせんす・さむしんぐ○

美術や音楽の感想とか、動物中心のイラストのブログ。

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さよならの時!

今朝、飼い犬が亡くなった。
それはとうに予期していたこと。
長患いしなくてよかった。
家族で看取れてよかった。
お寺でお骨を焼いてもらった。
直ぐに焼いてもらえてよかった。
骨が崩れずに綺麗に残ってよかった。
とても立派に葬れた。
犬に対してもそういう現代は幸せだ。
今が盛りの庭の菊を一緒に手向けた。
この犬が主と暮らした庭の菊を。
今日は、風もなく、暖かく、穏やかな日でよかった。
まるで、今日という日を選んだかのように。
賢い犬だ。とぼけた顔をして。
今は心は安らかに、不在を嘆く。
さよならの時だ!

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11月27日ご返信

とみい様>やめられてしまうとは、とても残念です(‘へ`)こちらこそ、ありがとうございました。私も、これからは直接にそちらにお伺いさせていただきますね。

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ゲーテのイタリア紀行

 さて、ゲーテの「イタリア紀行」を借りてみた。
 岩波さんのお世話になっているのですが、冒頭1ページに本気で吹きだしました。しかし、電車の中だったので心の中で。


Auch ich in Arkadien!
 

 ゲーテ、この人馬鹿だ・・・!(褒め言葉)
 最高。
 ドイツ語は殆ど読めないけど、これなら一瞬で読める。
 なんでもイタリア紀行の副題が、このAuch ich in Arkadien!なんだそうです。
 プッサンの名画の中で、墓石に刻まれたet in Arcadia ego.アルカディアにも我(死を指す)あり。
3ded9021.jpeg
  この言葉をet ego in Arcadia.我もまたアルカディアにあり、と正々堂々と確信犯的に間違えるなんて・・・。
 いや、間違えたのはゲーテが最初ではないだろうと思う。でも自伝とも言える渾身の作品での大音声は、「間違い」から「名言」に変えてしまった!
  そうだよ、最終的に言いたいことは、その一言だよ。本当に、最高の馬鹿。ゲーテとはとことん気が合いそう。
 
 そんな感じで、et ego in Arcadia.に補足して、そのたった一言の裏側にある18世紀のイタリアを説明するためには、前の日記の「エスキース(それ程のものですらない・笑)」を「タブロー」にしなければなりません。

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18世紀のイタリアを語るために

18世紀のイタリア愛を明確に語り尽くすために必要なもの。順不同。

○田園ということ。
・ウェルギリウスの「牧歌」とアルカディアの創出。
・「牧歌的な世界」について
・無垢なる実在しない田園。田園は良心の呵責を全く伴わない快楽であるということ。
・対する都市と宮殿の悪徳と住みにくさ。
・ヴェルサイユの凋落と退廃。末期的な心情。
・田園の美しさ
○壮麗なローマの衰退
・ローマが葡萄畑と牛の放牧場になったこと。
・キリスト教の勝利。教会を建てるための建材としてのローマの廃墟
・人の手で切り取られる廃墟
・廃墟の美学。
○世界的イタリア愛
・ローマとアルカディアが結びつくこと。
・色々なイタリア関連著作
・ゲーテのイタリア紀行。疾風怒濤に傷ついた心を癒すイタリアの旅
・憧れの古代遺跡。
・イギリスの産業革命とグランド・ツアー。イギリスのイタリアに対する思いとコンプレックス。
・芸術家たちの愛したイタリア。ピクチャレスクなイタリア。
・ブーシェ先生のこと
・フラゴナールとユベール・ロベール
・ピクチャレスクについて。視覚の快楽。
・クロード・ロランとプッサン。構成された風景画。オランダのイタリア風景画。
・ピクチャレスクを現実の自然に求めること。
・自然と田園。調和の世界。都市の不調和。
○新古典主義の勃興
・ポンペイ、ヘラクラネウムの発掘
・ヴェスヴィオ山の噴火
・啓蒙時代の「科学」と「真実」
・博物学的な蒐集対象としての古代ローマの遺跡、遺物
・おそらくはヴィンケルマン。
・ピラネージの測り知れない影響
・流行としての古典
・美の規範としての古典。ローマの様式
・アンチ・ロココとしての古典。
・フランス共和制と古典とアカデミズム
・ロココと古典主義の狭間で

欄外;ローマのロマン。いわく言い難き、ロマン。

多分、これでも漏れがあるよね。
・・・誰か、この辺を上手くまとめて出版してくれない?日本語で。既に誰か書いていそうだと思うのだけど(笑)

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スカルラッティのソナタに挑戦!

 ある人が言ったのです。ピラネージの絵はスカルラッティの音楽のようだ、と。

 おそらく、その人のいう「ピラネージ」はイコール「牢獄」のことだろうけど、
ピラネージ<空想の牢獄>
そしてピラネージは「牢獄」だけじゃない、と主張しますが、それでも、スカルラッティがピラネージのようだというのならば、スカルラッティも弾かねばなりますまい。

 ラモーも最近初めてきちんと弾きましたが、もっぱらフランスものを弾くまろりーとしては、ラモーはまだ自分の範囲内とも思えるのです。しかし、スカルラッティはイタリア+スペインの曲。(スカルラッティはイタリア人ですが、のちにスペインの宮廷音楽家になりました。)
 ラモーも右へ左へ手をよく動かす人ですが、スカルラッティはとにかく「技巧を誇る」人というイメージが真っ先にあり、いやそもそも弾けないでしょ、と臆していました。

 でも、スカルラッティがピラネージのようだというのならば、やっぱりスカルラッティも弾かねばならない。

 試しに、一曲弾いてみたら、いい曲だった。聞くより、弾く方が楽しい曲。
 しかし、スカルラッティのチェンバロ・ソロのソナタは全555曲あり、それぞれに固有の名前がついている訳でもなく、自分がその中のどれを弾いたのか、さっぱり分からない(笑)私の楽譜束に聞いてちょうだい・・・。
 スカルラッティの最大の弱点はこれよね。固有の題名がなく番号のみで識別されるから、覚えにくい。

 ピラネージ=スカルラッティというのは、まろりーもかなり納得できる考えです。
 大体同時代で国も大体一緒。
 驚異的な想像力の粋を尽くしたピラネージの、入口も出口も果てもない迷路のような建築と、ピラネージの1000を超えるローマや空想の建築の膨大な版画化。
 スカルラッティの・・・いや、スカルラッティを語れるほど、その音楽を詳しくは知らないのだけど(笑)、フレーズフレーズを積み重ねて、555曲もの曲を書き上げる尽きぬ楽想と超チェンバロ的なフリーダムな発想。そして、絵画的というよりは、建築的な音楽のような気がします。あくまでも気がするだけ。

 ピラネージの空想の牢獄、なんて恐ろしげなタイトルが付いているけど、よく見ると、その筆致は自由自在で、見ている人間を縛め苛みようという気がないようです。ただ創意への挑戦や空想との戯れを楽しんでいる風情。まあ、「空想の牢獄」は楽しみ、というよりはかなり野心作だった気はするけど。

 スカルラッティも、「練習曲」と呼ばれたりするけど、宮廷に仕える宮廷音楽家として、厳しい修行のような曲ではなくって、人を楽しませようとする音楽。結果的に修業にはなりますが、多分、アクロバットな難易度の高い技巧も、楽しませるための表現を求めた結果なのかも。

 ただ、ピラネージ=スカルラッティを100%押せないのは、やっぱりスカルラッティってカラフルなのです。ピラネージはあくまでもエッチング(=白黒)の人。
 あと、多分、スカルラッティには、ピラネージの愛した、そして創作の核としたローマの廃墟や建築に、ほとんど興味があった気配を感じません。むしろ、ピラネージの歯牙にもかけない?フラメンコやファドといった民族音楽は心底好きみたいです。
 多分、根本の美学はまったく違うのよ。上手く言えないけど。

 まろりーのような人間は、音楽が絵画とリンクすると、その音楽にがぜん興味を抱きます。

 ところで、図書館でユルスナール「ピラネージの黒い脳髄」とゲーテの「イタリア紀行」をセットで予約してしまった。18世紀のイタリアに行きたすぎる!「ピラネージの黒い脳髄」はその筋(笑)では有名な本なのだけど、「美術史」的に使えるのかは知らない。美術論文というよりエッセイなのかしら?小説?
(後述;ユルスナールの「黒い脳髄」、凄くいい本でした。とても的を射ていると思いました。中でも「悪魔的軽快さ」といったフレーズはとても気に入った。そう18世紀ってそういうとこ、ある。私も使おう(笑))

 ところで、関係ないけど、18世紀のいいところの1つは、微妙に科学的で頭がいいけど、頭を使う方向がおかしいところだと思います。ピラネージvsヴィンケルマンとか。ラモーvsペルゴレージとか。ルソーの自然への妄想とか。ゲーテのイタリア愛だとか。
 啓蒙とかいって、理性的にとんでも勘違いをしたりするのが愛らしい。また反啓蒙でメルヘンに嵌ったりロマンチック炸裂するのも愛らしい。

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