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○なんせんす・さむしんぐ○

美術や音楽の感想とか、動物中心のイラストのブログ。

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2月18日拍手お返事(に乗じてのミカエル語り)

るー様>
 こんばんは!再びのご訪問&コメント大感謝です♪
 デューラーお好きですか!同好の士発見で嬉しいです^^
 デュラーの描く人の顔はあんまり「美人」ではないですけど(笑)、あの細かさで、あの迫力で、もう人間業とも思えません。
 大天使ミカエルの絵・・・きっと黙示録の絵でしょうか。
michel.jpgデューラー<ヨハネの黙示録 竜と戦うミカエル>
 これは木版画ですね。木の板を、黒い線の部分を彫り残して、そこにインクを乗っけて紙を押しつけると、こういう線で埋め尽くされたように見える絵が出来るみたいです。
 ミカエルの翼を広げた決めポーズ(個人的に、鳥や天使の翼の描き方や、翼を素敵に描こうという執着心も大好きです)、悪魔の怪獣デザインも面白いし、画面上部で深刻な大騒ぎしている割に、背景がのどかで美しいんですよねー。
 この緻密さと、それでいて妙な高揚感というのでしょうか、デューラーの気迫ハイテンションが伝染して、見ていてテンションあがります(笑) 今回の展覧会では、この絵は来ていませんでした。また別の近くの大学でだいたい同じ期間に展示していたとのことで、がっつり見逃しました・・・。白黒の版画といえども、実物は確か結構大きな画面だったと思うので、図版で見るのとはまた違った印象になる、と思われます。
 まだまだ、デューラーの記事は書きかけで、いつ終わるとも知れません。一応上げた記事も、余計な話題が削りきれなくて既に多少破綻しかけています(笑)
 ちょっと分かりにくいと大評判の当ブログですが、またお付き合いいただければ、この上もなく嬉しいです^^

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ありがたき拍手お返事、とついでにロマン論

2月14日拍手お返事
るー様>
 こちらこそはじめまして、コメントありがとうございました!最近は手抜きで無背景のキャラクターものばっかり描いてしまっています(笑)
 色々な作家さんの画集、素敵な本ですね。絵本も興味は大ありなのですが(とくに19世紀あたりのロマンチックなもの)、集め出すと膨大にきりがないので、自重中です(笑)そんな訳で、絵本はほとんど読まないのに、画風だけはなんとなく絵本っぽくなってしまいました。
 ぜひ、またいらして下さい♪こちらからも、また素敵イラストや写真を見に、伺わせて下さいませ。

2月15日拍手お返事
三郎丸氏>
 コメント感謝です!
 中二ですって?よくぞ言ってくれました!その言葉を待っていたよ(笑)
 「大鴉」におけるまろりーの抄訳は大きな犠牲を払ってわざわざ俗な言い回しに終始しましたが、というのも難しいと敬遠されがちな文物の所謂中二的なエッセンスを出したかったからなのです。
 ゲーテ氏は「絵画に文学に、高尚で結構なご趣味ですね、と人は笑うけれど、私はそれらを通して、最も世俗から離れた感覚と、最も俗な感覚とを同時に味わっているのである。」みたいなことを言っていたのですが、そういう感覚を呼びたかったのです。
 三郎丸氏のその言葉で、多少なりとも効果を上げることが出来たのではないかと、自惚れられます。

 さて、また語の用い方が変だと言われそうだけど、まろりーにとっていわゆる中二病は、ロマン主義とほぼ同義です(笑)ロマン主義というものを現代のスラングでいうと中二病と呼べるというか。類義語でルネサンス的には「憂鬱気質」とも言えるかもしれない(笑)
 再びゲーテ氏いわく、「ロマン主義は不健全で病的であって、否定の精神である」とのことですが、私もけっこう同意見です。アルカディア発言といい、ゲーテとは本当に気が合います。もし現代にゲーテがブログなりツイッターなりやってたら、絶対フォローします(笑)
 で、このロマンなる否定の精神のなかでも「大鴉」中の「Nevermore.」の執拗な否定はとびきり素晴らしいと思います。
 ドラクロワ、ショパンといったロマンチック連中と並んで、ポーもばっちりロマン主義時代の人なので、中二病っぷりも堂に入っています。大体、この時代のロマン主義者は理論武装までして標準で中二病だし、古典主義を標榜してても割とロマンに毒されてしまって痛くて可愛そうなくらいです。画家ならモローとかだいぶ痛い子ではないかと。
 もう少し言わせてもらうと、ロマンというものは、人間的で誰でも共感しうる薄暗い感覚であり、かつ華々しい毒でもあって、上手く使えばどんな表現にも素晴らしい「陰影」を施し、「翳り」や「深み」を出すことができると思います。
 一方で、出来あいのスパイスのようなものなので、下手に使うとあっという間に凡庸で何度も食わされて飽き飽きした陳腐な表現になり果てます。この上、下品だったり、全くの無趣味だったりするともう最悪で、存在自体が罪だとさえ時にまろりーは思います。
 ロマン主義は、啓蒙(enlightenment)の光の中で、敵対した故に逆にはっきりと見えてしまった闇なるもの、とさる美学の本には書いてありまして、これはどっぷり啓蒙の世紀に軸足を置くまろりーにとっては、人生訓および座右の銘です(笑)ゴヤの黒い絵なんかを見ると、もうその通りだと思うの!(笑)
 このロマン思想なるものは、自分は世界の異物だと捉えることで、世界に対して精神的に自由でいられる反面、絶対的な拠り所を失って、どうしようもない孤独に陥るのです(笑)そんな状態に自ら陶酔し、それでいつつ、世界との同化も夢見たりする、どうしようもない不健全さ。
 所謂まったくの中二病は、孤独の精神を招いたのは自分なのに、それに気付かず、他人や世界のせいにして不平不満を述べて、また世界とはそのようなものである、と訳知り顔で喧伝し、それがまた自分だけが知っている特権と勘違いしている、というのが私の認識。その陶酔に芸術的な洗練が無いと、痛々しくて見ていられない。
 さて、こうしたロマンに病み憑かれて毒を不必要に撒き散らしている状態をまろりー自身は「悪しきロマン主義」と勝手に呼びます。
 ロマンは、精神の自由の許された現代日本人には、大なり小なり誰にもある感情かと思いますが、中二脱却のための大人の対応としては、この机上の空論的な死だの孤独だの絶望だので幼稚な方向に心捻じけさせる悪しきロマン主義をば飼いならして御すべき必要があるかと。そうでなければ、前ロマン時代に倣ってロマンを薄々感じながらも嘘の光で見ないよいうにすべきかと。(ちなみに、御せなくなってロマンに食われた最も有名で劇的な人間が、大人気のファン・ゴッホ氏であると思います。で、ゴッホの絵に大挙して黒山の人だかりを築く状態に、いささか疑問を持ってしまう、という訳です。)
 という訳で、まろりーがどうしようもないロマン主義者として、ポーの「大鴉」は見事に御してあると感じてお気に入りなのです。

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クラヴサンでフランスものでバルバトルでデリクール

 今日の音楽呟き。

 最近、バッハ祭りをしていたので、急に普段の後期フレンチに舞い戻る。
 超名曲、ラ・デリクール。実は弾いたことがなかったという。
Claude-Bénigne Balbastre: La d'Héricourt


 いえいえ、美しいですね、この革命間際の音楽は。ため息ものです。末期的な諦念観がたまりません。こう、センチメンタルに憂鬱気取りで、耽溺的なところが好き。冒頭の偽終止なんか、本当、気取り屋さんめ。(←あくまでまろりーの感想ですよ!)クープラン時代の、独特な軽やかな精神はもう無いけど、この時代もいいものです。ヴィジェ・ルブランやグルーズみたく、ちょっと気障で、多少わざとらしい気がします。奴らほど、人を啓蒙するという気概はないけど、そこもいいよね。
 時代は、いわゆるマリー・アントワネットの時代。新古典主義に傾きかけ、もはやロココ様式は時代遅れとなり始めていました。実際、音楽でも美術でも、最先端のとんがった新古典様式もファッショナブルな様式として普通に見られる時代ですが、まだロココの気まぐれで快適な装飾性と、新古典の装飾を排した機能的な端正さとが、折衷された奇跡のいいとこどりが主流なのが素晴らしい。
 とりあえず、入手したモダン譜の、五線譜上下どちらもヘ音記号というのにテンションあがりますね!低音万歳。こういう低音を不機嫌な程どろどろ響かせたいものです。

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ポーの大鴉について

TheRaven.jpg先日、右のようなイラストを描いたけど、友人より分かりにくいとのご指摘ありまして、文学は畑違いながら、そもそも、大鴉は詩なので、繰り返される言葉のリズムや使い方、とくに大鴉では決め台詞の「Nevermore」の詩的な効果、文章の組み方を楽しむ作品ながら、まあ、まろりーの受け取った内容が分かるくらいの大筋だけは記事に載せておこうという心算。


ポーの大鴉の色々よいものを省略してしまっただいたいのお話。

「The Raven」

 12月のある寒い夜、リノアが亡くなってしまった悲しみを紛らわそうと、僕は古い書物をひも解いて時を潰していた。
 それでも、悲しみは消えない。
 ふと、こんな真夜中に部屋の戸を叩く音がして、開けてみるけど誰もいない。ひょっとして亡くなったリノアではないかしら――そう思って名前を呼んでみても、ただ木霊だけが返ってきた。
 今度は窓の鎧戸を叩く音が。この音の正体はなんだろう、きっと風の音に違いない――。僕は思い切って窓を開けた。
 すると、さっと無遠慮に舞い込んできた大鴉。その姿はまるで神話から出てきたかのようで、しばらく僕の部屋を飛び回ったかと思うと、扉の上を飾るミネルヴァの胸像の上に王侯貴族みたいに動かなくなった。
 その様子が、なんだか可笑しくて、思わず僕は話しかけてしまった。
「まるで冥界からやってきたような君、君はあの世では何と呼ばれているんだい。」
 鴉は言った。「Nevermore.」
 偶然とはいえ、この答えには驚かされた。この鳥の名は「Nevermore.」!
 ところが、これ以外一向喋らない大鴉。
「君も明日には飛び去ってしまうのだろうね。かつて希望がそうだったように。」
 鴉は言った。「Nevermore.」
 さらに僕は驚いた。この鳥は以前人に飼われていて、その飼い主が何度も希望を失ったあまりに繰り返しつぶやいたのを覚え込んでしまったのだろう。「Nevermore.」という悲しい文句を。
 なおも鴉は悲しみに沈む僕の心に微笑を誘うので、僕はドア飾りの上にとまる鴉の前へとソファを引きずっていった。そして僕はベルベットに身をうずめて、考えた。この神話の世界から来たような鳥が言う言葉の意味を。その言葉とは「Nevermore.」
 ランプに照らされたベルベットのソファの背にもたれて、僕は思いを巡らすけれど、ランプに照らされたすみれ色のベルベットのソファの背に彼女がもたれることは、Nevermore.――もう無いんだ。
 そう思った時、天使が来たような気がした。鈴のような天使の足音が絨毯に響いているような。
「神様が僕を憐れんで天使を遣わしてくれたのか。リノアを永遠に忘れる為の薬を持たせて。さあ、飲もう、安息の薬を。きっとリノアを忘れられる。」
 鴉が言った。「Nevermore.」 
「予言者め! お前は一体どうしてこの世に来てしまったんだ。――教えてくれ、この世に僕の悲しみを癒す薬があるのか、無いのか。」
 鴉は言った。「Nevermore.」
「予言者め、さあ教えてくれ、悲しみを背負うこの魂が、遥かなエデンの楽園で、あの美しいリノアを抱きしめる日が来るのか――。」
 鴉は言った。「Nevermore.」
 僕は椅子を蹴って立ち上がり、叫んだ。
「この部屋から羽根も残さずさっさと立ち去れ! 僕の心からそのいやらしい嘴を抜いてくれ!」
 鴉は言った。「Nevermore.」
 鴉はじっと動かない。ランプは鴉の影を床に映しだしている。その大鴉の影から僕の魂が抜け出ることは、Nevermore.――もう無いんだ。



 これ程、人を恍惚とさせる憂鬱もありません。Nevermoreという、かつてはあったけど、今はもう無いという上げて落とす的な全否定の単語が頭からもう二度と離れません(笑)
 これを私はかなりえぐみの強い日夏耿之介の訳で初めに読んでしまい、英語からの正確な訳ではないようだけど、訳に使われた日本語の強烈さにすっかり魅了されてしまった訳です。難解な漢語と現代失われた旧字旧かなの醸す凄みと情緒は半端ない。
因みに、大鴉が好きなあまり本物のワタリガラスの写真を模写してしまったりとか。レイヴンという鳥はこんな感じらしい。
ワタリガラスの絵。

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12月9日拍手お返事

ふぇり様>
コメントありがとうございました!
あまり能書き無しであげてしまった絵ですが、やっぱり分かりずらいですよね^^;
昨今、パソコンでも簡単綺麗に入ってしまう文字入れではありますが、レタリングするの案外好きで、ぷるぷるしながらも(笑)素手で描きたくなってしまいます。
羨ましいだなんて、もっと華のある絵が描けるふぇり様の方が、ずっと羨ましいですよ!私の絵は、どうしようもなく地味なので(笑)
大鴉は英語の詩ではありますが、お話自体も結構怪奇っぽい筋があって面白いですよ♪一応、イラスト鑑賞のための(笑)大鴉の流れも記事にあげるつもりなので、ふぇり様のご想像の足しになれば幸いです。^^

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